14・悪運の月


 ――南アフリカ共和国・北ケープ州都キンバリー近郊にて。


 時計の針は午前十時過ぎを指している。陽が昇り始めてすぐ。国道では視界を奪うほどの土埃が立ち込め続けている。

 そうしてその中で、武装集団が一台の乗用車を停車させていた。

 軍用トラックと武装ハンヴィー。そして自動小銃を構えた十数人の少年少女達が乗用車を取り囲み、先陣に立ったサングラスの男――ンジャトが一人の白人男性を車の中から引きずり出していた。さも可笑しそうにニタニタと笑いながら。

「子供の姿が見えたからといって車を停めるんじゃなかった。いや、そもそもあんな頼みを聞くんじゃ……畜生……」

 真っ青な顔色になった白人は跪かされたままうわごとのようにそう呻いていたが、ンジャトが拳銃を突き付けて所属を問うと、泣きそうな顔をしたまま「SANSAの職員だ。私は家に帰るところだったんだ」と答えた。

「SANSA? なんだそりゃ?」

 ンジャトが眉をしかめてそう聞き返すと、男は震えながら「国立宇宙機関」と付け足した。

 宇宙機関……?

 ンジャトには正直いって何のことやらピンと来ない。アメリカ映画に出てくるNASAのような連中だろうか。政府ですらもう機能していないのにそんな連中がまだ律義に仕事をしているとは思えなかった。

「世界は破滅したのに、お前だけがバカみたいに仕事を続けていたってのか?」

 ンジャトはサングラス越しに睨み付けたまま、男の鼻先に拳銃を押し当てる。男の体中から滝のような汗が垂れて滑稽なほど震えあがっていた。

「い、いや! 頼まれたんだ! 水や食料と引き換えに機器のメンテナンスをしてくれというから、わざわざ出向いて……」

「ん? 頼まれた?」

 ンジャトがこの男が乗っていた車を一瞥すると、子供兵の何人かがすぐさま中に入り込んで積んであった荷物を引き下ろす。それらは缶詰や水のペットボトルが詰められた箱と、やたらと大きな長方形の木製の箱だった。木製の箱を開けさせると中から出てきたのは――

「随分古臭いが……望遠鏡か?」

 ンジャトは子供達が掲げたそれを怪しむようにして見つめる。それは1メートル以上の長さがある、古い木製筒の望遠鏡だった。

「私の物じゃない、貰ったんだ。それは非常に貴重で価値がある物なんだ。だからいつか、世界が元に戻った時にカネになると思って、礼ならそれが欲しいと……だいぶ渋ってたけどメンテナンスは必要だから仕方がないと……」

 恐怖のあまりか聞いていない事まで喋りだす男を睨み付けて黙らせ、ンジャトは「これは何だ?」と尋ねた。男は答える。

「ガリレオ・ガリレイの使った望遠鏡だ」

「ガリレオ?」

 教育を受ける事が出来なかったンジャトには、その歴史的人物の名を聞いても連想する事ができなかった。男は表情でその事をすぐに察し、

「四百年前の天文学者。その望遠鏡で、世界で初めて月を観察した男」と付け足した。

「ほう、月を――」

 ンジャトの顔つきが変わる。笑みが消えた。

「俺も月が好きでな。そのガリレオとかいう奴とは気が合いそうだ」

 ンジャトは向けていた拳銃を腰に戻し、興味深げに子供兵達が掲げる望遠鏡を見つめていた。男にとっては少々意外な反応だった。

「こいつはどこの誰にもらったものなんだ?」

「あ、ああ。サザーランドの天文台に来ているイタリア人がくれたんだ。このご時世に数年がかりでアフリカまで来たってんだから変な奴らだったよ。なんでも天体観測がしたいんだって……」

 少しばかり気が緩んだ男が少し笑みを浮かべながらそう答えると、ンジャトは望遠鏡を見つめたまま「そうか。正直に答えてくれてありがとうよ」と言い、そうして右手をあげた。

 男はその意味が分からずポカンとしていたが、ンジャトの方は腹立たしそうに舌打ちをして拳銃を再度抜き、即座に引き金を引いた。

 頭を撃ち抜かれて即死した男が地面に倒れた時にはもう、ンジャトは大声で怒鳴りながら小銃を構えたまま固まっている子供の一人に殴りかかっていた。

 怖気づいて引き金を引かなかった子供兵を見せしめとして散々殴りつけた後、ンジャトは肩をいからせながら手下達に向けてこう宣言した。


「今からサザーランドに向かうぞ。とりあえず、ここから二百キロ先にガソリンスタンドとモーテル跡がある筈だ。今日中にそこまで行く」


 子供達は、その様子をただ押し黙ってじっと見ていた。



               ◆



 ――南アフリカ共和国。幹線道路三号線。道路とはいっても砂利を敷き詰めてあるだけなのだが。

 都市と都市の間には数百キロに及ぶ荒野が大海のように広がり、吹き止まない風がいつまでも土埃を巻き起こし続けている。ここ何年もこんな状態が続いていた。

 荒れ果てた道路を一台のハンヴィーとトラックが爆走していく。


「しっかし……一体どうしてサザーランドの天文台なんかに行かなきゃならねえんだ。600キロ以上も先の田舎だぞ。ケープタウンは水没してもう何も残ってねえって言うしよ」

 トラックの運転席でハンドルを握った男がぼやくと、助手席でナイフを弄っていた男がこう答える。

「ぼやくなぼやくな。ンジャトは頭がイカレているが天才だ。アイツのおかげで俺達はこんな世の中でもイイ暮らしができてるんだぜ? ヨーロッパから用意周到に渡って来たならさぞたんまりと食い物を用意してきてる事だからそれを狙うんだろうよ。おまけにクソったれ白人どもを切り刻んで……なあ?」

「まァそれは……。そういえばンジャトが半殺しにしたガキは他のガキと一緒に荷台に乗せたが、あれで良かったのか? 死んじまうぞ」

「死んだって構うもんか。だよ。大人のいう事を聞かなけりゃどうなるか、たまにはビビらせないと忘れちまうからな。武器も全部取り上げてハンヴィーの中だ。今頃震えあがってるだろうよ」

「……」

「なんだ? 厭な事を思い出したか? まるであの奴隷農場みたいだなと?」

 運転席の男は顔をしかめた。図星だった。

「だけどよォ、俺達は他にやり方を知らねえんだ。だから俺達も同じようにやるしかない。今思えば俺達を締め上げ続けたアイツらも他の生き方なんて知らなかったんだろうな。同情したいがもう殺しちまったしな」

 運転席の男はそれを聞き流すようにして、苦い顔をしたまま「どいつも狂ってる」とだけ呟いて話を打ち切った。

 再び真面目に目をやった平坦な幹線道路は退屈そのものだったが、男はそこで妙な違和感がある事にふっと気が付いた。ほんの十数メーター先にいるだけのハンヴィーの姿さえ見づらくなっていたのだ。

 土煙が濃い? いや……これは……。



               ◆



 先頭を行くハンヴィーを運転していたンジャトは眩目した。

 急に光量が下がったのでサングラスを外したタイミングで、土煙の隙間から突くように差し込んできたのは――紅い光。それは間違いようもなく夕陽であった。しかし問題は、時間であった。

「――まだ昼間だぞ?!」

 いくつも巻いてある腕時計が全て狂ったのでない限り、時刻は午後一時を過ぎたところである。陽が沈みだすなど到底ありえない事だった。

 しかもますますありえない事に、太陽は目に見えて分かるほど沈んで行っているのだ。まるで早回しの映像を見ているような気分だった。日没とともに光はどんどん失われていき、辺りはあっという間に宵の口の有様になってしまっていた。

『――ボス?! ヤバい、夜になっちまう!』

 無線機から狼狽した声が聞こえてくる。すぐ後ろを走るトラックを運転している手下の声だ。

 日が落ちてしまうのは月の無い夜では死活問題だった。街灯どころか人工物一つ無い荒野の道路では容易に道を見失ってしまう。それに数キロごとに一台は路上に遺棄された車両が乗り捨てられているのだ。

 異変前ですら地方での夜間の運転は極力避けられていたし、消失後はンジャト達は絶対にそれを避けていた。

「うるせえ! ――とりあえずヘッドライトをつけろ! それと車間距離を取れ!」

 怒鳴りつけるようにして部下に指示を出し、ンジャトの車もヘッドライトを点ける。その光はほんの数メートル先の地面を弱々しく照らすばかりで、却って不安感を掻き立てる物があった。


 ――これは一体どういう事だ? せいぜい二時間も前には太陽はまだ頭上にあったはずだ。いくらなんでも日没には早すぎる。そう考える間にも光量はみるみる減っていき、やがて夜になった。車の外は暗闇で充ちた。もう何があるのかも分からない。一度車を停めるか? いや、こんな荒野のど真ん中で停めても……。

 脂汗を垂らしてハンドルを握ったまま、ンジャトはカカオ農園から脱走した十三年前のあの夜を思い出していた。真っ暗闇のジャングルを無我夢中で走り続けた、あの記憶。


『――ギャァ?!』


 無線機越しに金切り声のような悲鳴が聞こえた。トラックを運転している手下の声だ。

「おい、どうした?!」

 ンジャトは無線機越しに問いかけたが返事は無い。サイドミラー越しに後方を確認すると、ヘッドライトの光が左右に大きく揺れていて、ひどい蛇行運転をしている事がわかった。もう一度交信をかけると、暫く間をおいて返信があった。運転席にいるはずの手下ではなく、もう一人の手下の声だった。


『――ヤバい! 窓から入って来やがったんです! ほろを伝って来やがった……暗くて見えや……ガキが……痛ェ! くそ、噛むな!!』


 怒鳴るような悲鳴のような声をあげた後、無線は途切れた。再度呼びかけても返答はなく、サイドミラーに目をやるとトラックは急停車してしまっていた。そうしてヘッドライトが照らし出す僅かな光の中で、小さな人影が走り回っているのがいくつも見えた。

 ――まさか、荷台に乗せていたガキどもが叛乱を起こしたのか? 暗闇に乗じて? いやこんな暗闇の中でガキが行動できるものか。精霊ブードゥーが闇の中から襲ってきたという方がまだ信じられる話だ。

 ――いや?

 今にして思えば、子供の頃の自分は一体どうやってあの闇の中を抜ける事ができたのだろうか? 闇より農園が恐ろしかったからか? 何一つ見えない中、一体どうやってジャングルを抜け出したのだ? すっかり分からなくなってしまっていた。

 もしかして、のか?


 天地どころか記憶までをも支配した暗闇に気を取られていたンジャトは、何かに追い立てられるような気持ちを恐れるうちに知らず知らずのうちにアクセルを踏み込み続けていた。目を見開き、歯をガチガチ鳴らしながらフロントガラスごしに闇を見ていた。しかしながら彼の目は何も見る事ができなかった。

 おかげで次の瞬間、彼の運転するハンヴィーは路上に遺棄されたままの大型バスに追突してしまっていた。


 ――バスに全速力で突っ込んだハンヴィーは、頑丈な軍用車両だけあって完全に潰れてはいなかった。

 おかげで即死はしなかったもののあちこちから出血し、両足の骨も折れたらしい。ンジャトは運転席から動く事すらできなかった。暫らく失神していたらしくどれだけ時間が経ったのかもよく分からなかった。

 折れた足は麻痺しているのか痛みを感じなかったが、血が流れ過ぎたせいか喉が渇いて仕方が無かった。

 色々な事を思い出して朦朧としながら、ンジャトはひしゃげた窓越しに真っ暗な空を見上げる。

「――なあ、月よ。俺にもう一度水をくれないか? あれを飲めば、きっと俺はまだ……」

 暗い空には月が無かった。もちろん何も答える事は無い。吹き止まない風だけがビュウビュウと裂くような音を響かせている。

「お前は俺の味方だと信じてたんだが――お前が俺と共にあったから、俺は世の中がどんなにイカれても順応してみせていたんだが――」

 そこまで口にした時、ンジャトは助手席のあたりに長い木製の箱が突っ込まれている事に気が付いた。あの望遠鏡のケース。事故の衝撃で後部に積んであったものがそこに飛び出したに違いなかった。

「ガリレオの……望遠鏡」

 ンジャトはもがくようにしてそのケースをそばに引き寄せ、中に収められた古くて大きい望遠鏡を取り出す。緩衝材のおかげで壊れてはいないようだ。

 息絶え絶えの状態ながらなんとか望遠鏡を車窓のへりにかけ、天に向け――ボタボタと血を垂らしながら、ンジャトは呻くように呟き続けた。

「月よ……その顔を見せてくれよ。お前は俺のために顔を隠してくれたんじゃないのか? それとも俺を誑かして狂わせていたのか? 教えてくれ、暴露アポカリプスの時間だよ」


 ンジャトが這うようにして望遠鏡の覗き穴を覗こうとしたその瞬間、暗闇の中から突如として小さな手が伸びた。いくつもの手は彼の身体を車中から引きずり出し、そうして地面に叩きつけた。

「――僕達は、もう自由だ!」

 小さな手の持ち主の一人はそう叫んだが、ンジャトはまるで関心がない様子で必死に何かを探すような動きを続けている。


「……Lune!! ……Lune!! どこにあるんだい!!」


 何も見えない暗闇の中でンジャトは手を伸ばしながらそう叫んだが、次の瞬間にはもうその喉にナイフが突き立てられ、そしてすぐに引き抜かれた。

 ンジャトの身体を押さえつけていた小さな人影の一人は、小さな声で「リューナ?」と呟いた。彼らにはそれが何を意味する言葉なのか、見た事もないそれが何なのか、分からなかった。



                ◆



 ――真っ暗闇の中、血まみれの服を着た子供達が砂利の道路を歩いていた。

 少々の水や食べ物や例の望遠鏡を乗せたソリをみんなで引きずり、散在する瓦礫や放棄車両を事もなくかわしながら。

 そうしてやがてたどりついた無人のガソリンスタンドで、休憩がてらこんな話をした。


「なんで、こんなにあっというまに暗くなったんだろう?」

「さあ? リューナってやつのしわざなのかも知れないよ」

「リューナって、じゃあ? 私達に自由に動ける時間と、戦う勇気をくれた」

「さあ?」

「俺達は、もう自由だけど、これからどこに?」

「行く?」

「どこに?」

「じゃあ、天文台」

「ンジャトのやつが行きたがってたのも、そこだよ」

「あいつはリューナが好きだったから。月に憑かれた狂人リューナティックだったから」

「リューナの事も、わかるかも知れないよ」


 そういったやりとりをずっと聞いていた年長の子供が、高らかに告げる。

「僕達は、もう自由だ。行きたい所に行ける。知りたい事が知れる。だから天文台に行こう。リューナの事も、きっと分かる」


 自由を得た子供達の一団はもう少しだけ休んで、夜が白み始めたと同時にまたゆっくりと歩き始めていた。

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