忘れた事、思い出した事

記録──〝おそらく最初に月に行った人〟



『ΙΚΑΡΟΜΕΝΙΠΠΟΣ Η ΥΠΕΡΝΕΦΕΛΟΣ』


「空を飛んだイカロメニッポス」。サモサタのルキアノスの代表的著作の一つ。

 メニッポスはルキアノスが敬愛した紀元前三世紀のギリシアの風刺作家の名で、ルキアノスは敬愛するメニッポスをたびたび自らの作品の主人公にした。

「イカロメニッポス」とは蝋で固めた翼で空を飛んだイカロスとメニッポスの名を混ぜ合わせた、一種の駄洒落。

 現存する中では最も古い「宇宙に行く」物語の一つであり、世界最古のSF小説などとも呼ばれている。



 ――昔、ギリシアにメニッポスという者がおって、浮かれて計算などしていた。

 それを見た友人がばかに楽しそうだなとからかうと、驚いた事にメニッポスはこう宣った。


「僕はついさっきまで空を旅してきたのさ。今はその距離を計算していたんだ」


 友人が夢でも見たのかとからかうと、メニッポスはこんな話を始めた。


 ――僕は昔から人一倍、天にあこがれていたのだ。宇宙を知ろうとしていたんだよ。

 僕は星があんなに雑然にばらまかれていて、太陽が輝いているのが不思議でならなかった。

 そして何より、月の正体を知りたくて仕方がなかった。月が様々に形を変えるのはとてつもない神秘だと思っていた。


 だから僕は先ず哲学者たちに入門して学ぼうとしたのだが、彼らの宇宙に対する学説は皆が皆てんでばらばらで、どう考えても真実に迫っているとは思えなかった。

 それならば、もう空に直接見に行くしかない! そう考えて僕は鷲から取り去った羽根を腕につけて、オリュンポス山のてっぺんから飛んだのだ。

 

 イカロスのようなヘマはせず、僕は空を飛んで飛んで、飛び続けてさまざまな不思議なものを見て、だいぶ高みに昇った頃、綺麗な女らしい声が聞こえたのだ。

 それは〝月〟の発する声だった。そして月は僕にこう頼んできた。


「メニッポスよ。私のお願いを天上にいるゼウスに伝えてくれませんか」


 僕は羽ばたきながらこう答えた。


「お月様のお願いならば、荷物にならない物ならなんでもお運びいたしましょう」


 すると月はこう話したのだ。


「実をいうと私はもう疲れたのです。地上の哲学者達は私について恐ろしい事ばかりを言い立てます。

 私がどれくらいの大きさだとか、どういう理由で三日月になったりするとか。

 私の中に人が住んでいるとか、私は海の上にかかった鏡だとか、人間の考える事は全て私の光に由来しているだとか。

 私の光は私自身のものでなく太陽から掠め取ったものだと言う人もいます。

 ……

 本当に私は時々、人々のうるさい舌から逃れるためにできるだけ遠くに移り住みたい気持ちになってしまいます。忘れずにゼウスにこうお伝えください。

 あなたが自然哲学者を叩き潰し、論理学者の口を塞ぎ、学園アカデミアを焼き、あのくだらない議論を止めさせなければ、私はもはやこの場所にいられません。あの人達に私の事を測られるのはもううんざりなのです。」

 ……(後略)

 この物語は天上で神々に出会い、ゼウスが「思い上がった哲学者どもをいかづちで撃ち滅ぼしてくれようぞ」と宣言するのを聞いたメニッポスが、それを人々に伝えようと意気揚々に地上に帰って来る場面で終わる。



                ◆



 ――国際宇宙ステーションの構想は1980年代にまで遡る。

 レーガン大統領はアメリカの宇宙ステーション構想は「遠い星への夢を追求し、平和と経済と科学の発展」の為にあると宣言したが、それは疑いようも無く米ソの軍拡競争の一端であった。皮肉な事に冷戦終結による宇宙開発競争の終焉は、この夢と平和と発展を謳った大計画を長期に渡る頓挫に追い込んだ。


 1993年。技術面においても資金面においてもアメリカ一国ではもはや支えきれない事業であると判断したクリントン政権は、かつての宿敵であったロシア連邦に協力を打診した。宇宙開発事業の難航に同じように苦しんでいた新生ロシアはそれを承諾したのである。ISSという呼称もこの時に決定した。

 国際宇宙ステーション構想はこうして実現に向けて動き始め、カナダ・EU・ブラジル・日本なども加わり、2011年に漸くの完成に至った。

 技術面においても資金面においても人類史上屈指のスケールの協力事業であり、現在におけるまで人類が宇宙空間に製作した最大の建造物であり続けている……。

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