天敵の王妃様

 「ぐふっ……おえっ」


 自身の嗚咽音で更に嘔吐が捗る。

 こうして蛇口と睨み合うのは何十回を越してから数えてないのだろう。

 鏡に映る高校生はニタニタと嗤っている。

 しかし兎にも角にも、吐き気は止まらない。


 「ふぅ。さっぱりした。やっぱり吐くのが一番気持ちが良いね」


 口元を丁寧にハンカチで拭っていると隣の部屋に誰かの気配を感じた。

 全く、ここは別棟で女子トイレだと言うのに男子トイレに誰かいるようだね。

 おっと、何故僕が女子トイレにいるのかは秘密ですよ。


 「まぁ。触らぬ神になんとやら。男には興味ないからね」


 女子トイレの押し戸を開けると隣のトイレからも人が出てきた。

 うーむ。運には突き放された身分ですから、神を恨んだりはしないよ。

 もっとも、僕の信仰は信じるものの所に置いてきたのだから神なんて信じないさ。

 僕が信じるもの。

 僕の事だけさ。


 「おやおや? 男子トイレに女子が入っているなんて大問題だね」


 なんて先程まで女子トイレに入っていた何処ぞの馬鹿にも言える事を言ってやる。

 

 「は? アンタに関係ないでしょ。つーか、アンタこそ女子トイレに入ってんじゃん」


 あはぁ。辛辣だねぇ。

 全く、困った王妃様だこと。

 ああ、この王妃ってのは僕が見た目で判断しただけ。

 こうも化粧が厚いと僕の仮面も問題なさそうだ。

 もっとも、お馬鹿さん達には見えやしないけれど。


 「そうだね。僕には関係ない事だ。ではでは」


 手をひらつかせながら去っていく。

 高校生なのに髪の毛の色が明るいのはいささか問題にも思えるが、僕はそう思わない。

 宣言しよう。

 彼女は次に僕のマイルームにてご登場するさ。

 運がなくても勘は当たるのさ。


 # # # # # #


 「はぁ。つまんないの。なんで当たっちゃうかねぇ。予想と外れるのが面白いというのに」


 「何ブツブツ言ってんの? キモ」


 僕の嘆きに聞く耳も持たない王妃様。

 ほうらね。当たっちゃうもんさ。

 まずもって、この別棟に来るのは悪巧みする連中かこのようなヒロイン様方のみだからね。

 何故か教師達も近づかないのはなんででしょう。


 「まぁ、僕の独り言はさておき。どうしたんだい? こんな辺鄙な場所で。しかもお一人様ですかね」


 僕は溜息と嘲笑を交えて肩を上げる。

 こんな王妃様は僕と関係はないと思うだけどねぇ。

 悩みは誰にでもあり、打明けれれば誰でもいいと。

 はぁあ。辛い身分だ事。

 僕は単純に楽しみたいだけなんだが。


 「どうしたらいい?」


 王妃様は決意を持った目で問いかける。

 いやはや、流石の僕でも本文が無ければ解けないものもあるよって。

 それと、彼女の匂いが臭すぎる。

 僕に染み付かなきゃいいけれど。


 「何をだい? 話してくれなきゃわからないよ」


 語尾を伸ばしつつ馬鹿にする態度で攻める。

 その態度にイラついたのか王妃様は眉間に皺を寄せてこちらを睨む。


 「壊してやりたい。全部。何もかも」


 あはぁ。成る程。

 彼女の決意はそこにあるのね。

 壊したい。

 僕としてはこんな楽しい会場を壊されては堪ったもんじゃない。

 でも、それはそれで楽しそうダケド。


 「なぁーるほどね。答えは駄目、だね。いや無理、と言っておこう。何故なら君単体で何か出来るほど大きな力があるわけではない。それに、学校の教諭達から目をつけられているんだ。全く、つけあがるのもいい加減しないか」


 僕はニタニタと嗤って顔を傾ける。

 うんうん。いい反応。

 どんな意地汚い王妃様でも兵士がいなきゃ何もできない木偶さ。


 王妃様は中身に一切触れていないのに核心突いた道化師に怒りと恐怖を覚えていた。

 確かに、教員達から目をつけられているのら事実。

 それだけでなく、独りである事を指摘されたのだ。

 その片鱗は一切見せていないのに。


 「アンタに何がわかんの? どんな気持ちか知ってんの?」


 「わからないさ。全ては。でも、全てを知りたい。駒が多ければいい作品が作りやすいからね」


 「何言ってんの?」


 「わからなくて結構。さてはて、戻ろうか。君が壊したいもの。友好関係? いや、違う。学校? もっとだ。親も含めて全てだろう。君は嫉妬心が強いみたいだ。醜く嫉妬をしているようだ」


 問いかけながら詰め寄る道化師の姿はまるで悪魔のようだった。

 彼女はそれ程までに目の前の男子に慄いていた。

 どうしてここまで手の内がバレているのか、どうしてこんなにも心の隙を突いてくるのか。

 裸の王妃は身体中を舐められている感覚に陥った。


 「君がどんな理由で壊したいかはわからない。それで的外れな事を言うだろう。けれどね? どれも君の私利私欲。もとい、嫉妬心でしかない。自分は悪くない。だからあの子が悪い。自分は何もしていない。だから、何も悪くない。だから、だから、だから。君は自分の事を棚に上げて悪くないつもりでいる」


 ここまで攻めると王妃も俯きがちになってくる。

 半泣き程美しい表情は無いよ。

 悔し涙、怒り涙、悲し涙。

 どれを取っても素晴らしい。

 あぁ、けれど駄目駄目。

 そんな汚い感情に任せては。


 「君が悪く無いと思っていても周りからは悪だと思われる。自己評価と他者評価の違い。それを理解できてない。長いものには巻かれたまえ。それでなければ悪と化す。それが友達であり、学校であり、日本なんだから」


 ここまでくると彼女の目も死んで、俯いたまま。

 さて、どうでるのかな。

 助けてほしい、手伝ってほしい、導いてほしい。

 あぁ楽しみだ。

 君の厚化粧が剥がれてとても美しい嬢王になるのが。


 「それでも! ぶっ壊したい!」


 目の前の彼女は感情に任せて地面を蹴る。

 心に迫った黒い手を弾くように顔を上げる。

 あらあら、こんなに言われても死なないなんて。

 甘く見過ぎだようだ。

 失敬失敬、楽しいねぇ。

 強敵であればあるほど。


 「壊せるのかい? 君なんかに? 突き詰めればどんなものでも尖るけれどね」


 ウインクをして語りかける。

 初めて褒めてやる。

 こんな否定塗れの人間に否定を掛けても無駄なのだ。

 ならば、褒めて堕とす。

 これが飴と鞭。

 使い方を間違えたらこっちにダメージの諸刃の剣。

 僕は痛みに疎いけれど。


 「本気なのかな? 君が言っている事は間違ってはいない。それは小学生すらする癇癪なんだから。君のやりたい事、壊したいというのは結局、自己満足なんだ。君の問題を知っている訳ではないがそれに纏わりつく人間達と同じなんじゃないか? 私利私欲の為に人を傷つけるのは」


 彼女がこうしてここに来たのは結局、問題を抱えているから。

 そして、それは人間関係である事は明白だ。

 恋愛関係ならもっと違う反応を見せている筈なのだから。

 だから、独りと言う言葉に過剰に反応し、激情を露わにした。

 ここまで来れば何か周りに問題があるのもわかるだろう。

 そしてその人達に悩みを抱えている。

 怒りと取ってみたら楽だろう。

 だって、壊したいんだから。

 苛ついているのは最初から見え見えなんだよ。

 結局、彼女の行動は彼女を行動させた原因と同じ気持ちなんだ。

 浅ましい人間臭い考え方。


 「私は、腐ってるモンが嫌いなの。アンタも大嫌い。だから、壊したい。アンタに唆された奴らの敵討ちだったり、私自身悦に浸りたいだけかもしれない」


 彼女は睨んだまま話を続ける。

 一度、大きく息を吸い込んで、また決意の持った目に戻る。

 殺しても生き返る。

 僕の天敵でしかないなぁ。


 「私は! アンタとは違う。違うやり方で救ってみせる。周りに唾棄されようが、何だろうがやってやる。私には守るものがないから」


 むぅ。今のセリフはとても臭いな。

 守るもの。

 人によって違う。

 彼女は何を守っていて失ったのか。

 それにしても面白い。

 彼女もまた、道化なのだ。

 同族嫌悪でしかないのだ。

 僕と同じ導く阿呆なのだ。


 「ふふっ。壊せるといいね」


 「キモ。でも、壊して見せるよ。正しいモンが好きだから」


 彼女は僕の動向を伺って生活していたのだろう。

 はてはて。彼女と面識があった訳じゃないのにここまで嫌われていてはこちらとしても悲しいものだ。


 王妃様は親指でコインをこちらへ弾き飛ばす。

 僕はそれを受け取りポケットにしまう。


 「大切にしなよ。私が壊すのは全部なんだから」


 「はぁーい。大切にしますよぉ」


 僕はずっとニヤついて彼女を見送る。

 心の底に黒くドロドロとした吐き気があるのを抑え込みながら、ただただ笑っていた。


 「やっぱり匂いがついちゃったな。さて、トイレっと」


 スキップしながらトイレに向かう背中には黒い怒りが込み上げていた。

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