第69話 天玉きしめん

「あなた、起きて」

「うーん」

「飲まないって言ってたじゃない」

「仕方ないだたろう。陽子さんに勧められたんだから」

「お母さんのいう事は聞くのに、私のいう事は聞かないの?」

「そんなことないさ、彩のお母さんだから聞かなきゃと思ってる」

「まったく、調子良いわね。優先順位が違うと思います」

「俺のモットーは『長い物に巻かれろ、寄らば大樹の陰』だ。強い人に逆らえない」

「私より、お母さんの方が強いって事?」

「そうそう」

「…許す」

「だって、彩ちゃんの方が可愛いし」

「許す、許す、もっと言って」

「彩ちゃん、可愛い」

「なんか嘘っぽくなってきた。ほら、起きて」

 調子の良い旦那さまは、さっさと布団から出しちゃえ。


「起きた?」

「どうにか」

 でも、お母さんは智さんより飲んでいるのに、平気みたい。

「あんたたち、今日は昼の新幹線で帰るんでしょ、早く支度しなさい」

 智さんが、お義母さんに怒られている。

 やっぱり、いくつになっても子供は子供なんだ。

「智久、お前も彩さんの尻に敷かれているようだな」

「それが、家内安全につながるんだろう」

「まあ、間違ってはいないな」

 どうも智さんの家の家系には、伝統があるみたい。


「それでは、おじゃましました」

 緒川駅で、見送りにきたご両親に挨拶をして、電車に乗る。

 今日はお義母さんも一緒に来て、帰りにデオンで買い物をして帰ると言っていた。

「お昼はどうします。駅弁を買って、新幹線の中で食べるというのも、旅の楽しみとしてありますが」

 智さんが母に相談するけど、そこはまず私でしょう。

「ねえ、ホームにある、立ち食いきしめんはどうかな」

 立ち食いきしめんなんて女性だけでは入れないから、旦那さんがいる時に入らないと。

「えっ、いいのか?」

「だって、女性だけて絶対入れないもん。ここは旦那さまが居るから行けるのよ」

「面白そうね、私もそこでいいわ」

「新幹線のホームにある立ち食いきしめんは混んでいるので、東海道線のホームにあるところに行きましょうか?」


「ここで、食券を買ってと…、彩は何にする?」

「えっと、『天玉きしめん』」

「私も同じものを…」

「じゃ、俺もそうしよう」

「天玉きしめん3つ」


「はい、お待ち」

 私たちの前に「天玉きしめん」が並んだ。

「うわー、鰹節の臭いがすごい」

 うん、暖かくて美味しそう。

「鰹だしが効いてて美味しいわ」

 母も同じ意見みたい。

「あー、ごちそうさま」

「さあ、行こうか、丁度いい時間になった」

 お腹もいっぱいになったし、身体もホカホカ。後は寝て帰るだけ。


 新幹線に乗ると直ぐに寝て、智さんに起こされたのは、新橋のあたりだった。

 母に三鷹の家に泊まるかと聞いたところ、今日はそのまま帰るらしい。


「今日からはスーツじゃなくてもいいんだろう?」

「そうだけど、配属初日だし、いきなり普段着みたいなので行くと、先輩方から変な目で見られるのも嫌だし…」

 こういうのって、最初が肝心よね。

 いつものとおり、智さんと一緒に家を出て、電車に揺られる。

 智さんは電車の中で、私をがっちりガードしてくれる頼もしいナイトになる。

 そして、東京駅に着くと、私は智さんの後ろを離れて歩いて行く。


「この度、こちらに配属されました『杉山 彩』です。よろしくお願いいたします」

「それじゃ、上田さん、杉山さんの面倒を見て貰えないか。杉山さんも上田さんからいろいろ教えて貰うといい」

「はい」

「上田です。席は私の隣になるので、よろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 お昼休みになったので、9階にある食堂に先輩の上田さんと行く。

 社員食堂の入り口でトレイを持って二人で並ぶけど、智さんの姿が見えない。

 どこに居るんだろう。仕事が忙しいのかな。

 私がきょろきょろしていると上田先輩が

「杉山さん、誰か探しているの?」

「いえ、知ってる人がいないかなって」

「そうねぇ、新入社員研修で一緒だった人も、別々になると会わないわね」

 先輩は、私が新入社員研修で一緒だった人を探していると思ったみたい。


 でも、私の探している人は今、列に並んだ。

 あっ、智さんも私を見つけたみたい。

 良かった、仕事が忙しくて、お昼抜きかと思った。


「ただいま」

「あ帰りなさい」

 智さんが、帰ってきた。

 食事をしながら、今日の出来事を話す。

「今日、会いましたねー」

「ああ、食堂で」

「いつも一人なんですか」

「そうだよ、この歳になると、一緒に食べに行く人もいない」

「私と一緒に行きますか?」

「それだといろいろまずいだろう。それに彩はまだ修業の身だ。勝手にすると風当たりが強くなる」

「そうですね」

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