とある英雄の末路
戸崎アカネ
第1話 英雄ルーカス・マーフィー
ギリギリと締め付けられているかのような感覚に襲われる。
ああ、またか。早くこの場を離れなければ。半ば諦めにも似た感情に支配されながら、その場を後にしようと帰り支度を始める。全く、嬉しくないことだが〝コレ〟にも随分と慣れてしまった。
「ルーカス様、いかがなされたのですか?」
酒を運んできた看板娘が、いぶかしげに顔色を伺う。
「ああ、悪い。少し、気分が悪くってな。今日はこれで・・・・・・」
失礼する、と続けようとするが喉が引きつり音にならない。身体中に焼きごてを押し付けられているような痛み。内側から肉や皮膚を押しのけて何かが外に出て来ようとしている。押し込めることが出来るのなら迷わずそうするが、自分の意思ではどうすることもできない。忌まわしいそれは徐々に質量を増していく。ゴキリ、と骨が歪む。押し上げられて醜く膨れ上がった皮膚が、岩のような凡そ人間とは思えないような色に変わっていった。
――――ガシャン。
取り落とされたジョッキが床に散らばる。
酒場にいる客達の視線が集まる。
娘も呆然と立ちすくんだまま動かない。彼女だけではない。
その酒場にいた全員が、目見開いて凍り付いていた。
「――――そう、その場に突如として現れた怪物に誰もが言葉を失っていた。全身に岩を貼り付け、ギョロリと浮き出た目玉を動かすその怪物は、あろう事かあの英雄が姿を変えたように見えるではないか! 長年この国を苦しめてきた隣国の悪魔を打ち倒した英雄が、今まさに自らの目の前で身の毛もよだつような姿に変貌してしまったのだから、その驚きようも致し方のないことだろう。英雄と呼ぶにはほど遠い、寧ろ討ち滅ぼすべき敵のようにすら思えたのではないかな。………仕方のないことだ。しかし、だからといって僕がそれを納得できるかどうかはまた別問題なんだよ。僕は、何よりこの醜い姿を見られてしまったことに絶望した。今までは、発作が起こると慌てて近くの路地裏に逃げ込んだり、部屋に鍵をかけてやり過ごしたり。それで対処できていたんだ。何とかなると思っていた。誰かに打ち明けて匿って貰うとか、そんなことは微塵も考えつかなかったな。少なくとも、自分以外の誰かにこの醜い姿を進んで見せるなんていうことは、僕にとっては真冬の大海原に飛び込むことと同義なんだよ。それが、起こってしまった。僕が何より忌避していた事態が、起こってしまったんだ。頭が真っ白になって、咄嗟に立ち上がってしまったよ。それもいけなかった。ジョッキを取り落とした看板娘は、悲鳴を上げた。襲われる、と思ったのだろうね。自分の命が脅かされている、そういう時にあげる悲鳴だった。慌てて酒場を飛び出した。腰布を顔に巻き付けて、暗闇に紛れて家へと帰った。鍵をかけ、靴箱や椅子でバリケードを張った。・・・・・・無意識だったよ。とにかく自分の今いる場所を外の世界から隔離したくて仕方がなかった。僕は今や誰からも疎まれる怪物に様変わりしてしまった。僕の過去の栄光すら、今の僕が押し潰してしまっている。勿論、僕の英雄としての功績を否定するのは如何なものかという意見も少なからず存在する。けれど、彼らが守ろうとしているのはあくまでも国を救った英雄であって、僕じゃない。酷い話だとは思わないか? 今じゃ誰も僕の逸話を聞いてくれない。少し前までは、早く早くと急き立てられていたというのに、だ」
そこまで話して言葉を切って、ルーカスはふと後ろを振り返る。目に入るのは、石壁だけ。その向こうにいるだろう少女が、一切声を発しない。自分の話を聞かずに眠ってしまったのか。
「眠ってしまったのか? いや、互いの姿が見えていないからといってそういった冗談はあまり感心しないな。起きているんだろう? なあ、君、日中働いて疲れているのかもしれないが、英雄の話を聞けるのだから起きていられるだろう。・・・・・・・まさか、本当に眠っているのか?」
石壁の向こう側の少女は、いっその事本当に眠ってやろうかとも思ったが、そうすると壁の向こうで延々としゃべり続けていそうだなと思い直し口を開いた。
「ティーナ」
ため息をつくような声で、応える。
「それと残念ながら、私は罰を受けてここにいるからお仕事は何にもしてないの。だから、その心配は必要ないのよ。英雄さん」
英雄、と呼びかけられた途端に怖気のようなものが背筋を走り抜ける。一瞬、誤ってシルク貝を口に入れてしまった時の様な猛烈な吐き気に襲われた。最早自分にとって、他人から投げかけられる英雄という言葉は刃にしかならないのだという現実に目眩がした。誰よりも、英雄に相応しいというのに。
「ん? ああ。君の名前か。それじゃ、僕もそれに応えないわけにはいかないな。勿論、君も今までの話から当然想像はついているだろう。僕は、・・・・・・・・・・・・・。いや、そうだな。ルークとそう呼んでくれ」
この少女には、ルーカス・マーフィーと名乗りたくなかった。それは、英雄でもなく元英雄の化け物でもなく自分自身を見てほしいという心の願いからだったのだろうか。もしくは自分自身、この化け物が英雄ルーカス・マーフィーであると認めたくなかったのかもしれない。
「そう。それで、お話はもう終わったの?」
放っておくと夜が明けるまで話し続けそうだと思ったティーナが、あきれ気味に問いかけた。
「いいや、終わらないさ。僕の成してきたことは、君が老婆になるまで毎晩語り続けたとしても語り尽くすことはできないだろう。何故だか分かるかい?」
どうやら、まだまだ話は続くようだ。ルークに聞こえないように小さくため息をついた。それでも、眠ってしまわないようにしなくては、と思うのは誰かに必要とされているということが嬉しいからだろうか。それが、消去法で選ばれた存在だとしても。
「・・・・・・いいえ、残念ながら」
ティーナから返答があった事に、嬉しそうに頬を緩ませる。
「僕の逸話は日々増え続けているんだよ。この呪いが解けたあかつきには、人々はまた僕を英雄とあがめ奉ることになるだろうね。・・・・・・さて、少し話は変わってしまうが。君と僕は、こうして石壁を隔てて話しているわけだ。そうやって、僕の素晴らしい栄光の数々を聞いていると僕がどんな容姿をしているか気になっては来ないかい?」
間髪入れずに、「いいえ、まったく」と答えてしまいそうになり言葉を飲み込んだ。確かに、話の内容も語り口調も全く好みじゃない。聞いたところで、何も利になる事もない。また、ルークの長い話しの切っ掛けを作ってしまうだけだろう。
けれど、ふと頭によぎる。この国に生まれた人間ならば、誰もが知っている物語だ。英雄が、たった一人で旅に出て悪の王を倒すまでの物語。
「大海原を吸い込んだような、美しい碧眼をもっているときいたことがあるわ」
唯一、幼い頃母から聞いた物語の中で覚えていたフレーズだった。
壁の向こうから、息を飲む音が聞こえる。
今まで一度もなかったほどの沈黙が二人の間に流れた。
「ああ、そうさ! よく知っているね。風にたなびく金糸の髪は、さながら穏やかな春の陽光を切り取ったかのようだった。瞳はその陽光に照らされるセルリアンブルー。切れ長の双眸にすっと通った鼻筋。美丈夫、という言葉が僕以上に相応しい人間はこの世に存在しないだろう!」
今日一番の芝居がかった口調に、クスクスと笑い声を漏らせば「冗談じゃないんだけどな」と少し拗ねたように話す。それが可笑しくてまた笑った。
「君の笑い声も聞けたことだし、今日の所はこれで失礼するよ。そろそろ月が帰り支度を始めるようだからね。君も女性なのだから、夜更かしはこれくらいにしておいた方がいいだろうね。それじゃあ、また明日」
壁の向こう側から遠慮がちに発せられた「また」という声に、気分を良くしたルークはそのまま鼻歌でも歌い出しそうな様子で軽々と屋敷の塀に登る。岩と岩がぶつかる重苦しい音が響いた。目深に被ったフードの中には、先ほどティーナに話したような金色は存在していなかった。泥と血を混ぜたような斑な赤茶の髪が、顔を隠すように伸びている。僅かな隙間から除くのは、爛々と光を放つ紅の瞳。獲物を狙い定める飢えた獣を思わせるそれが、ルークは変化した自分の姿形の中で一等嫌いだった。
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