祖国
@kounosu01111
第1話
(一)祖母・せい
私は昭和四年四月六日、当時、京橋区水谷町と称した場所で生まれました。
その場所は東京駅八重州口から東南の隅田川に向かって徒歩十五分、伊豆・房州などと往復する船の発着所で、霊岸島に隣接し、竹河岸もあり、明治の頃から船員・職人たちが行き来する賑やかな商業地でした。
祖母の綱島せいは明治十八年、同じ場所の遠州屋という足袋屋に兄二人、弟一人の間の一人娘として生まれました。
当時は、小学校は四年間で小規模、八丁堀にもあったようです。
せいは遠州屋の一人娘として可愛がられていたようです。隣の塩もの屋の若主人・福島寿重と恋仲になり、日露戦争後、復員した寿重と結婚し、明治四十年に母・辰代が生まれ、その後次々に娘三人が生まれました。
寿重は、在郷軍人会協橋区分会第七班に所属、評議員として大活躍しましたが、所得が少なく選挙権もないのに、選挙活動に熱中し、政友会を応援していたようです。
店と活動で多忙だったせいか、寿重は大正七年、胃潰瘍の為に四十一歳の若さで急死、惜しまれての盛大なお葬式だったようです。
当時、祖母・せいは三十三歳、母・辰代は十一歳、その下に九歳、四歳、生後一ヶ月の子供がいました。さらに寿重の葬式直後に四歳の三女が死亡し、不幸のどん底に突き落とされ、悲嘆にくれました。
(二)母・辰代
母・辰代は明治四十年に生まれました。母は地元の坂本小学校に入学して、十六歳の大正十二年九月一日、始業式から帰宅し、昼食をとろうとした時、関東大震災に襲われ、燃え広がった火災で、家族は全員無事だったものの家財一切を失いました。
たいした財産も無い母子家庭が災難に出遭ったのですから、その後の苦労は想像できます。震災の翌年に卒業し、母は女ばかりの長女として、父親に期待され溺愛されていたようで、その後困難なことに出遭うと仏壇の前で手を合わせ、一心に声をあげて拝んでいました。
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