第19話 残滓

「人工物を確認する。そしてその後、この時点で誰がどうやってその記憶を注入したかを確認する」

『そんなこと出来るのか』


 何を言っているんだ、ワトソン。私は記憶探偵だ。それくらい出来なくて何が記憶探偵だ。そんなことを言ってやりたかったが、今はそれをしている暇はない。それならさっさとこの謎を解き明かしてしまった方が良い。

 そう思って、私は――人工物がある場所へと泳いで向かうのだった。

 人工物がある場所は直ぐに見つかった。そこにあったのは、コンクリートで作られたような立方体。その周りにはテトラポッドが浮かべられており、容易に上ることが出来るようになっている。


「……明らかに、この記憶の海から生成されたものではないな」


 一つに。記憶の海で生成される記憶――即ちその人間の記憶は記憶の海において一つの物質にまとめ上げられている。しかしこのテトラポッドたちはロープで縛られていて、明らかにバラバラな物質となっている。とどのつまり、誰かがこの立方体とテトラポッドを置いたに違いない。ということだ。

 そして、立方体の上には小さい箱が置かれていた。


「……箱、か。鍵はかかっていない。蓋は閉まっている」


 開けるべきか、否か。

 一応言っておくと私もこの世界では一つの記憶として存在しており、もし消失してしまうことがあれば私の意識そのものが消失しかねないので、良くて廃人、悪くてそのまま死に至る。だから出来ることならば、無茶はしたくない。

 とはいえ、このままこれを放っておくことも出来ない。

 となると、考えられることはただ一つ――。


「おい、ワトソンくん。これから大事な話をするから、ちゃんと話を聞いてくれ」

『……なんか乱暴な言い回しなのは気になるが、良いだろう。聞いてやる。何だ?』

「鞄の中にUSBメモリが入っているはずだ。それを取り出して、パソコンに差してくれ。一応言っておくけれど、USB3.0対応の端子に差して貰えると有難い」

『USB3.0?』

「端子の中にある棒が青ければ、USB3.0対応だ。いいからそこに差せ」


 話をするよりも出来ることなら直接やりたいところだが――ダイブから戻ってまたダイブしなければならない状態よりも、ワトソンの手を使ったほうが早い。


『……差したぞ。あとはどうすれば?』

「少ししたらUSBが認識されて、フォルダが開くはずだ。拡張子が『.exe』のファイルをダブルクリックしろ」

『ええと、ちょっと待てよ。……よし、ダブルクリックしたぞ。あとは?』

「インストールが開始されるからそのまま待機してくれ。私が良いと言うまでUSBは抜去するなよ。それがないと私はこの記憶の海に干渉することが出来ないからな」

『干渉出来ない? でもこの前は……』

「あれは記憶を確認しただけだ。記憶を確認したことにより、本人がその記憶を『認識』し、思い出しただけに過ぎない。言うならば、私は外からアプローチしただけ。けれど、今回は違う。こちら側からアプローチする必要がある。そのためのキットを、インストールしたの」

『いちいちインストールしないで、最初から持ち出せば良いじゃないか』

「馬鹿ね。先ずは調査することが大事なのよ。それに、記憶の海だって穏やかなものだけじゃない。あなたが来てからは二件連続穏やかなものだけれど、荒れ狂う大時化のような記憶の海だって存在するし、経験したこともある。そういうときは身重にしておくと、移動が難しくなる。だから調査時は必要最低限のものしか持ち歩かない、というわけ」

『ふうん。そういうものなのか。……で? そのキットとやらはやってきたか?』

「ああ、ちょうどやってきたよ」


 私の足下に、それが具現化される。

 それは一つの鞄だった。勿論ただの鞄ではない。この中にはたくさんのグッズが入っており、それぞれ記憶の海で役立つアイテムとして成り立っているのだ。


「先ずはこの箱の解析から……」


 と、私が鞄を開けて中身をまさぐろうとした、ちょうどその時だった。

 背後に強烈な殺気を感じた。

 即座に私は鞄の内ポケットからサバイバルナイフ――正確にはそれに近いタイプの折り畳み型ナイフを取り出し、それを背後へ向けて投げつけた。

 それは何か黒い靄だった。

 靄にナイフが当たったように見え、その靄にも一定の効果があったようだ。

 ぐにゃり、と曲がったように見えるそれは――やがて人間の形を作り出す。

 しかしながら、それでも姿は暗黒を保ったままだった。


「驚いた。まさか、記憶空間に干渉出来る人間が居るとは。それも、こんな若い娘が」

「おべっかのつもりだったら有難く受け取っておくわ。……あなた、何者? 恐らく、彼女の記憶に干渉した張本人か、その残滓と思われるけれど。果たしてあなたはどちらかしら?」

「ふふ。そこまで言っているなら、分かっていると同義であろう。私は残滓だよ。その箱を壊して貰っては少々厄介なのでね。こうやって防衛システムを構築しているわけさ。普段は彼女の記憶に干渉しないようにしているが」

「嘘おっしゃい。彼女の性格には、もうとっくに干渉しきっている。だったらその原因がこの箱かアンタかは知らないけれど……私としてはどうにかしておきたいわけよ」

「私と戦うというのかね?」


 闇は、まだ平静を保っている。

 いや、表情も見えない状態だから、平静を保っているかどうかは分からない。虚勢を張っているつもりかもしれない。

 それでも、この残滓と箱が彼女の性格に何らかの影響を与えているのは間違い無さそうだった。


『明里! 大丈夫か!』


 ああ、もうっ。なんでこんな時にわざわざ敵に情報を与えるようなことをするかな、ワトソンは!

 闇は笑ったような表情を――勿論見えないけれど浮かべたように見えた。


「成程。明里、というのか。君の名前は」

「それについては、正誤を教えるつもりはないわ。さて、どうするつもりかしら? ここで何もせず退くというのであれば、私は手を出さないつもりだけれど。これでも、平和主義者なのでね」

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