記憶探偵はミルクパズルの謎を紐解くか?

巫夏希

プロローグ

 人間の記憶出来る容量は有限である。

 それは神の悪戯かどうかはしらないけれど、結局の所人間は記憶を昔の分から忘れていく。とどのつまり、それは記憶を上書きしていくということになるのだけれど、その記憶も無意識下のうちに記憶に重要度を付けていると言ってもいい。重要度が低い記憶から上書きされやすく、その重要度はいかに心に残ったかどうか、という非常に曖昧な基準。

 例えば自分の名前という記憶は忘れることは無いけれど、二ヶ月前の夕飯のメニューなんてものは覚えちゃいない。記憶とは曖昧で、それでいて謎が多いものだと思う。

 誰だったか忘れてしまったけれど高名な科学者が、ある日、人間の記憶を外部媒体へ限定的に移動させることが出来る技術を発表した。

 結果的には理論上の話に過ぎなかったためか、それを実現させようという企業は少なかったけれど――それを実現せねばならないという事象が発生する。

 ミルクパズル症候群。

 そう名付けられたその疾病は、人間の記憶をじわりじわりと無に帰していく。まるでそれはパズルピースを一つ一つ白のインクで塗り潰していくかの如く。本当はもっと立派な名前が付けられるはずだったが、新聞の報道で言われていた俗称がいつしか正式な名前として喚ばれるようになった、ということだろう。確かに一般に認知されている名前をそのまま採用することは、デメリットがはるかに少ない考え方なのだから。

 原因を解明しようにもいつ発症したかが明らかにならない。それは原因を解明するには最大の障壁と言えることだった。

 だから先ずは原因を解明するよりも、いかにして病状を悪くさせないか――現状維持の手段を考えたというわけだ。

 そこで登場したのがかつて科学者が発表した『記憶移動』理論だった。

 記憶を移動させることで、バックアップを作成する。仮に記憶の消去が進んでいったとしても、そこまでの記憶を蓄積させておけば何の問題も無い。それがWHOの考えだった。

 ウェイト・ボーンという科学者とダグラスという名前の政治家がWHOに提出した草案をもとに世界的に発表させた宣言――ウェイト=ダグラス宣言は、ミルクパズル症候群の罹患者に対して人権を保障する宣言として、世界的に適用されることとなった。

 ミルクパズル症候群の罹患者は、日本で言えば障害手帳も発行されるし、障害者としての扱いを受けることも可能だけれど、それに選択権を設けるということだ。

 例えば、自分が障害者として受け入れたくない、あるいは受け入れられない事情がある場合は、その権利を放棄して普通の人間として生きる術もある。

 しかし、ミルクパズル症候群の罹患者は全員記憶のバックアップをするための手術を受けなくてはならなかった。

 BMI――ブレイン・マシン・インタフェースと名付けられたその規格は日本とアメリカの合同で開発され、WHOの試験のもと適用された規格である。記憶移動理論を適用出来る最大限の通信速度を実現出来る規格として、世界中の医療機関にその規格が適用された機械が販売されるようになった。

 そんなことは歴史上で語られる簡単な話。歴史の授業を居眠りせずにきちんと受けていれば、誰でも理解できる簡単な史実だ。

 BMI端子の埋め込み手術は十分もすれば出来る、手術の中では簡単な部類だと言われている。しかしながらデメリットとして首筋の――もっと言ってしまえばうなじの部分の――皮膚を一部切除する必要があり、その部分の傷は一生残る。また、規格は定期的に吟味されて変更されることもあるし、場合によっては古くなってしまった端末を交換することもある。それは病院の診断で直ぐ分かるからそこで再度交換するための手術を受ける――ということになる。

 BMI端子の埋め込み手術が一般的に認知されるようになったのは、ウェイト=ダグラス宣言が採択されてから三年後の話になる。ミルクパズル症候群の罹患者だけの対応だったのが、誰でも希望すれば受けられるようになった。ミルクパズル症候群の罹患者は保険が対応されるが、希望者が手術を受ける場合は保険適用外となるため、数万円~十数万円と高額になる。

 受けることになったのは、学生だった。BMIにより学校の授業を受けるメリットは無くなり、どちらかといえば社会で生きていく上の術を中心的に学ぶようにスライドしていった。学校の授業に相当する知識はBMI端子を通してインストールするか、普通の授業を受けるかの二つに分割されるようになった。

 しかしながら、BMI端子を埋め込んだ人間は、やはり手術の費用が高額ということもあり非常に限定的だった。それにミルクパズル症候群の罹患者と勘違いされる点も大きかった。

 BMI端子なんてものが開発されてもやっぱりそういうものは金持ちが優先されるものなのだということは、いつになっても貧乏暇無しにとっては世知辛い世の中だということを実感させられることなのだ。

 そうしてそんな薄ぼんやりとしたことを考えながら、俺は高校生となっていき――。


 ――あの女に出会った。

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