第24話 心の前髪─1

「さて……と」

 夕方、ルソーさんの依頼を達成するため色々考える傍ら、他の依頼資料を整理していたネロが、突然席を立った。

「どうしたの?」

 ネロが以前買い与えた『よい子の文字帳』で、この世界の文字を勉強していた私は、椅子に掛けていたジャケットを羽織ったネロを見て言った。


「いや何、もう夕方だから、そろそろ夕飯の材料を買いに行かないと思ってね。この時間帯になれば、食材が安くなるから」

 そう言って壁に掛けていたハンチング帽を、指先で器用にクルクル回しながらネロが答える。

 この世界の商店街にもタイムセールがあるのかと純粋に驚いたが、それはさておき、私を置いていこうとするのは少し頂けない。



「待ってよ、私も一緒に行く」

「別に良いけど……舞の欲しいもの、何も買わないよ?」

「私は食玩売り場の子どもか!」

 開いていた『よい子の文字帳』を閉じて、ツリー状の服掛けに掛けていたコートを取り、スリッパから外靴へと履き替える。



 靴は私が、商店街でネロに頼んで買ってもらった物だ。ふくらはぎを半分ほど隠す丈の長さで、靴紐が多いのが特徴だ。

 以前読んだ本の主人公が、こんな靴を履いていたのを漠然と覚えていたからか、この靴を店頭で見た時に強く惹かれたのが切っ掛けだ。今ではかなり気に入っている。履くのは少し大変だけど。


「じゃあ行こうか。戸締まりはしっかりしておいてね」

「それは分かってるけど……こんな事務所から盗るものなんてある?」

「あるだろそりゃ……色々と」

 すぐに思いつかなかった事については、追求しないでやろう。





「うーさっぶー!」

 商店街を歩いていると、突然突風が吹き抜けた。

 風は私の髪を連れていき、肩まである私の髪を滅茶苦茶に乱していく。それを手櫛で溶かしながら、私は今日何度目かの溜め息をついた。


「なんか最近……風強くない? こういうこと多いんだけど」

「南から風が吹いてきてるんだよ。そうすれば夏が来る。この大陸では、南風は夏の到来が近いことを知らせてくれるんだ」

「へぇ~……」

「髪がうっとおしいなら、切ってくればどうだ? それこそ、ルソーさんに頼んだりして」


 ネロの意見ももっともだ。別に私の髪が長い事に特に意味は無い。切るのが面倒くさいから伸ばしてた、ただそれだけだ。

 なら思いきって切ってしまおうか。そんな事を考えながら、私は毛先を触った。



 

「あら、その髪切るつもりなのかしら?」

「わ!」

 いきなり後ろから声をかけられ、思わず声をあげる。

「あら、ビックリさせちゃった? ごめんごめん」

 声をかけた主の方を見て、私はあっと驚いた。



「人間……」

「……? いや、あなたもでしょ?」

 そう、目の前にいた人は、何処からどう見ても私と同じ人間だったのである。この世界にも人間はいるが、その数はかなり少ない。だから目の前に人間がいることに、私は少なからず驚いてしまった。


 無造作に放置している私と対照的に、後ろで丁寧にポニーテールにした髪を揺らしながら、目の前の女性は私を不思議そうに見る。


「おや、誰かと思えばルシエラじゃないか。何をしてるんだ?」

「こんばんはーネロ。でも『何をしてる』なんて言うのは野暮ね。この時間帯に商店街に出てたら、やることは一つでしょうに」

「成る程。君も特売を狙って来たのか。これは確かに野暮な質問だったな」

「さっすが商店街一の探偵! これくらいならすぐに分かるか!」

「フッ……このくらい初歩的な推理だよ」




 おおよそ推理とは呼べない気もするが、ネロは鼻高々になっている。しかしそんなネロの鼻は、「あ、でも衣服代はちゃんと支払ってね」というルシエラさんの言葉でポッキリと折れた。


「衣服代?……って、なんのですか?」

「え? 知らない? ネロ言ってなかったの?」

「……言ってない。君と違って、僕は一々恩着せがましくするのは苦手だからね」

 そう言って軽く咳払いしたネロは、ルシエラさんの方へ手を向ける。



「彼女はこの商店街で服屋を営んでるんだよ。そして君が着ている服は、彼女が貸してくれた物なんだ」

「……!? えー!?」

 

 予想しなかった答えに、私は再び驚きの声を上げた。ルシエラさんの方はというと、私よりも大きい胸を張って少し誇らしげだ。


「ちなみに彼女は、この商店街の振興会の会長の娘でもあるからね。なるべく逆らわない方が良いよ」

 そんな彼女を横目に、ネロが私の方へと近づいて囁いた。

 ルシエラさんに見えないよう頷いてから、再びルシエラさんの方を見る。



「あ……あの、お陰さまで、私……」

「あーいいっていいって、そんなかしこまらなくても。困った時はお互い様だしね。まぁ、ネロがいきなり『女向けの服を貸してくれ。出来るならニ、三着ほど』って言ってきた時は、コイツ何言ってんだってなったけど」

「一々蒸し返さなくても良いだろう……」

 ネロが呆れた顔で言う。


「蒸し返してほしくないなら、早く衣服代払いな。ちゃーんと依頼料はとってるんだろ?」

「そりゃ取ってるけど……もう少し後で良いかい? 今ちょうど依頼をこなしてる最中だからさ」

「……じゃあ、今日の買い物の荷物持ちやってよ。それで今日は待ってあげる」



 勝手に決めたルシエラさんにネロは抗議の声を上げたが、既にどこ吹く風だ。

「ほら、早く早く」と急かすルシエラさんを見て、ネロにも苦手な人はいるんだなと、漠然と思った。



 まぁ……私もそこまで仲良く出来るか不安ではあるが……

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