第2話

 

 様子がおかしくなったノイ子さんを横目に、どうしたものかと考えていると、突然物凄い異臭が辺りに立ち込めた。

 初めは焦げ臭く、徐々にどうやら髪の毛が燃えている感じの嫌な匂いが広がる。

 ただならぬ事態にフリーズしたノイ子さんを見てみると、ノイズが一段と厳しくなっていた。

 

 「演出? ではなさそうだし、なんだか色々ヤバそう」


 そう呟いた次の瞬間、狭い真っ青な部屋に、けたたましいアラーム音が鳴り響くと同時に、目の前が真っ赤に点滅し始めた。


 「緊急事態発生! 緊急事態発生! 強制ログアウ――」


 何処からともなく響いて来た音声プログラムのような声が、最後まで喋りきるのを待たずして、バキン! という大きな何かが破壊された不吉な音と共に、ゲームの世界にダイブした時のような吸い込まれる感覚とは全く違い、意識がブツッと完全に途切れてしまった。



 次に意識が戻ったのは、アニメのフィギュアやゲーム、漫画やラノベに囲まれた、いつもの見慣れた僕の部屋だった。

 意識を失っていたというよりも、寝起きにボーっとしていて我に返った時の感覚が近い。


 何かが『ムー、ムー』と鳴っていて、その音で気が付いたみたいだ。

 椅子に座ったままぼんやりと眺めてみると、音の正体は携帯電話のバイブ機能だったみたいで、液晶画面には登録されていない、知らない番号が表示されていた。

 なんだかフラフラする感覚が残っているけれど、取りあえず電話に出てみる。

 

 「はい?」


 僕は登録されていない番号からの電話には、不機嫌そうに、はい? としか喋らないと決めている。


 「こちら、エンテンドウ・サニー社VRMMO OPEN OF LIFEサポートチーム主任の馬場と申します」


 ……ああ、そうか。

 確か緊急事態発生! とかで強制ログアウトされたんだったっけか? シャットアウトだったか? よく覚えてないや。


 「こちらのお電話、山田健様の番号でお間違え御座いませんでしょうか?」


 えらく丁寧な話し方をする男の人だなぁ。

 声の質感からいって三十代前半ってところかな。

 取りあえず返事をしよう。


 「は、ははい、そ、そうです。」

 

 ……めっちゃ噛んだ。

 こんな丁寧な話し方されたら、逆に緊張してしまう。


 「先程約15分前に、山田健様よりご登録頂いておりましたOOLHGオールフより緊急信号が発信されましたので、ご登録頂いておりました携帯番号へと安否確認のご連絡をさせて頂いておりますが、現在お体、ご気分がすぐれないといった様子は御座いませんでしょうか?」


 「……お、おるふ?」


 なんだそれ? 専門用語? というか僕は十五分も意識失っていたのか?


 「当社のOPEN OF LIFE HEADGEARの略式名称で御座います」


 成程、単語の頭文字をつなぎ合わせたのね。

 足もとにはうっすらと煙を出しながら、そのOOLHGが転がってますよ。

 ……よく見たらヘッドギアの側面にOOLHGオールフって書いてあった。

 全然見てませんでした。

 身体も別に痛いところもないし、ボーっとしていた意識もかなりハッキリして来たし、大丈夫でしょう。


 「ああ、そ、そうっすね、身体も意識も大丈夫みたいっすよ? ただ――そのOOLHGが、足もとで煙を出しながら転がってます……」

 「そちらの件でしたら心配御座いません。ただ今医療チーム、サポートチームと共に開発総責任者が、代替品のOOLHGを持って山田健様のご自宅まで向かっております最中で、もう間もなくで到着する頃かと思われます」


 ふ、ふぇ? もう来るの? じゅ、準備をしないと……。


 ピンポーン


 色々考えているうちに、玄関のチャイムが鳴った。

 到着早過ぎるって! と一人でツッコミながら、通話中の携帯を適当に切ってしまった。


 ……丁寧に対応してくれたのだから、しっかりと挨拶をしてから切れば良かった。


 心の中でごめんなさいと謝り、椅子から立ち上がり玄関へと向かう。

 しかし歩き始めた二、三歩目で何かが足もとに絡みつき、盛大に前のめりに転んでしまった。

 

 「っっっ、痛ってー!」


 あまりの痛さにその場で蹲り、ぶつけた膝を抱えて転がって悶えている最中も、玄関のチャイムがピンポンピンポーンとうるさく鳴っている。

 何とか立ち上がり唸り声を上げながら部屋を出て、階段を降りている最中にふと気付いた事がある。


 そう言えばさっき転んだ時に膝を抱えていたけど、足がめっちゃ細くなかったか?

 そもそも今までお腹の肉が邪魔をして、膝なんか抱えられた事がなかったと思うのだが……。


 階段を降りながら目線を落とし、自分の足の細さを確認して見ると、やっぱり何かがおかしい。

 今までの足の太さの半分以下しか無い。

 更に気付いたけれど、自分の目線が今までよりも異常に高い!

 肩車でもされているのか? というくらいの高さでちょっと怖い。

 しかも体が尋常じゃないくらいに軽い。

 一体僕の体はどうなってしまったんだ?


 流石にコレはおかしい。


 階段を降り、ピンポンピンポンうるさい玄関の方には向かわず、全身鏡のあるリビングへと向かった。

 誰かが玄関の外で騒がしく叫んでいるが、お構いなしにリビングの全身鏡を覗き込んでみた。


 鏡の中で自分が映っているであろう場所には、先程ゲームの世界で作成した超絶イケメンが、口をポカンと開けたままこちらを見つめていた。




 

 どうやら鏡の中に映っているのは、僕がOPEN OF LIFEで作成したアバターであり、今の僕自身でもあるみたいだ。

 鏡に向かって手を振ってみたり、変なポーズを取っても全て同じように動く。

 ほらね、間違いない。

 体型が一気に変わった事により服はダルダルで、椅子から立ち上がった瞬間に部屋着のズボンがずり落ち、足に絡まってすっ転んだってわけか。


 ズボンは恐らく二階の部屋付近に落ちてるはずだから、今は下半身丸出しだ、と。

 取りあえず玄関の外が本格的に騒がしくなって来たので、急いで着替えよう。


 リビングを出ようとしたところで、家全体が揺れる程の爆音と共に、玄関の扉が家の中にぶっ飛んで来た。

 元玄関の扉だった物が目の前を通り過ぎて行く様子を、目線だけで追いかる。

 予想外の出来事に全く体が動かなかった。


 「くぅるぁー! 居るのは分かっているのだ! サッサと出て来い馬鹿タレがー!」


 今度はやたらと巻き舌で威勢のいい声と共に、くわえタバコの女性が一人、ズカズカと家の中に入って来た。

 土足のままで。

 ツッコミたい所が大小色々様々あり過ぎて、正直何から話せばいいのか分からない。

 完全に思考回路が停止してしまった。

 よし、取りあえず挨拶でもしとくか。


 「こ、こんにちは……」


 …… ……


 ……


 「お前、頭大丈夫か?」


 若干の沈黙の後、お前が言うな! と言いたくなる言葉が返って来た。

 頭に来たので文句を言ってやろうとしたのだが、その女性が真剣な眼差しで僕のある一か所を、まじまじと見つめていた。


 ……僕、下半身丸出しのままでした。


 「きぃゃーーーー!」


 女の子みたいな黄色い悲鳴を上げ、顔を真っ赤にして蹲りながらその女性の方を見上げると、真剣な表情で大相撲の力士が懸賞金を受け取る時の、ごっつぁんです! という仕草をしていた。


 「サポートチーム!」


 突如その女性が大きな声で叫んだ。

 すると玄関から、姿勢を正したスーツ姿の男性二人が現れ、僕の前にススーッと近寄って来た。

 男性の手には新品のパンツが、もう片方の男性の手には新品のズボンが握られている。

 一瞬何事かと戸惑いはしたものの、男性二人からそのパンツとズボンを奪い取るようにして受け取り、その場にいる人達の死角となるリビングの隅の方へササッと移動して着替えを済ませると、まるで採寸したみたいに何故かサイズがピッタリだった。

 その後少々気まずかったのだが女性のところに戻ると、先程の男性二人の姿は既になく、相変わらず土足の女性がくわえタバコのまま、腕を組んで立っていた。

 どうやってこの女性と接すればいいのか分からなかったので、こほん、とわざとらしく咳払いを挟み、どうもとお辞儀を返しておいた。


 「サ、サイズぴったりでした、有難うございます。どうしてサイズが分かったんすか?」

 「当然だろ。私のサポートチームだぞ?」


 ……サポートチームって何だ?


 「お前が山田健だな?」

 「そうですが、それよ――」

 「聞け!」


 色々言いたい事をぶつけようとしたところを、掌を前に伸ばし、待った! のポーズで遮られてしまった。

 何だか凄く自分中心な人だな。


 「私がVRMMO開発総責任者の上条雪乃かみじょうゆきのだ。大天才だ!」


 突然その女性が少し上から目線で自己紹介をして来た。


 ……またツッコミたいところが増えた。もうこれ以上抱えきれないぞ。


 この自称大天才の上条さん、まぁ雪乃さんと呼ぶ方がいいかな。

 その雪乃さんの恰好は、上下共に黒のジャージ姿で黒のスニーカー。

 いやスニーカー早く脱いでくれよ。家の中だぞ?

 黒髪ポニーテールに黒ぶちメガネと全身黒尽くめ。

 アルコールの名前のコードネームでも持っているのか?

 年齢は二十台後半ってところか? 身長は……よく分からない。

 僕の身長が一気に三十五センチくらい跳ね上がったので、感覚がよく掴めないから。

 恐らく僕の元々の身長よりは若干高いのだろう、百六十センチくらいかな?

 ジャージ姿ではあるのだがスレンダーな体型で、キリっとしていて知性的な顔立ちの、メガネの似合うお姉さん。

 きちんとした格好をすれば、美人の分類に入ると思う。 

 ただし、性格は間違いなくぶっ飛んでいる。

 そんな感じだ。


 その後、問題のOOLHGは何処にあるのかと聞かれたので、二階の僕の部屋に転がっていると伝えた。


 「よし、案内しろ」


 何故か僕が案内するよりも先に、雪乃さんは階段をズカズカ上がって行った。

 大丈夫なのかこの人?

 半ば諦め気味に雪乃さんの後を付いて歩こうと階段を二、三歩上がったところで、何やら物音がする玄関の方へ視線を向けてみると、十人程の先程と同じくサポートチームと思われる面々が、玄関の扉、周囲の壁、床など、壊れたり傷がついた場所全てを、恐ろしい程の驚異的スピードで新品に修復していた。


 ……何なんだこの人達は。家の中にぶっ飛んで行ったはずの玄関の扉も、いつの間にかもう無いし。

 恐ろしい集団だな。


 とにかく彼女にについて行こうと、改めて雪乃さんが歩いている前方へと視線を向けると、雪乃さんの後ろにもサポートチームと思われる一人の男が、未だ土足で歩き続けている雪乃さんの汚した足跡や、落ちたタバコの灰を綺麗に掃除しながら、器用に後ろに着いて歩いている。

 もうそこまでするなら何も言わないよ。好きにしてくれていいよ。

 案の定、二階に上がった先でどの扉を開けていいかわからず、ウロウロとしていた雪乃さんが、ここだ! と言わんばかりに両手の人差し指で一つのドアを差した後、妹の部屋のドアを蹴破ろうと足を上げ始めた。


 「こ、こっち! こっちが僕の部屋っす!」


 慌てて自分の部屋の扉を開けた。

 危ねー、もうちょっとでまたサポートチームの仕事が増えるところだったよ。

 いや、もういっその事全部雪乃さんに壊してもらって、サポートチームに直して貰った方がいいのかもしれないな。


 「案内しろと言っただろうが」


 雪乃さんは蹴破る直前の恰好のまま呟き、チッと舌打ちを溢してからこっちに寄って来た。

 一体何なんだこの人。なんてふてぶてしい態度だ。

 ど、どうぞ、と部屋へ雪乃さんを招き入れたところでふと気付いた。


 ……この部屋にお母さん以外の女の人が入るの初めてだ。


 部屋にお母さん以外の女の人を初めて招き入れるという、思春期の男性にとってはドキドキする展開であり、相手は若干年上ではあるが、なかなかの美人である。


 本来なら将来にわたって記憶に残るべき出来事になるはずだった。


 「なんじゃこの汚い部屋わ! しかも臭い!」


 鼻を摘まみながら言う雪乃さんの情け容赦ない罵倒によって、僕の考えは直ぐさま現実に引き戻された。


 うん、これはノーカウント、ノーカウントだ。

 今回のは意味が違う。

 僕はまだ女の子を自分の部屋に入れた事なんてないぞ。


 そして雪乃さんは部屋のドア付近で立ち止まったまま動けないでいる。


 「無理、我慢出来ん。サポートチーム!」


 すぐさまサポートチームと思われる男性が部屋に入って来たのだが、手には軍隊で使用するような、顔面をすっぽりと覆えるタイプで前面が強化ガラスかアクリル製で出来ていると思われる、本格的なガスマスクが握られていた。


 そして僕にも新品のシャツが渡される。

 シャツ汚いから着替えろって事っすか。


 雪乃さんはガスマスクを男性から奪い取り、ちょっと待ってろと言いながらいそいそと装着した。

 くわえタバコのままで、だ。

 そのガスマスク、どんな構造なんだよ。


 その間に僕も新品のシャツに着替えると、サポートチームの男性が僕の着替え終わったヨレヨレのシャツを持ってささっと出て行くと、いつの間にかガスマスクの装着を終えていた雪乃さんが話し出した。


 「コー、今回わざわざ私がここに来た理由はだな、ホー、大天才の私が完璧に設計、プログラミングをし、コー、万に一つも事故など起こり得ないよう、ホー、安全性を確保したにも関わらず、コー、重大な事故を起こした者が出たという事で、ホー、一体どんな奴なんだと興味を持ってだなぁ、コー、こうして実際見に来たわけだ。ホー」


 スイマセン。

 コーとかホーが気になって話に集中出来ないです。


 「コー、実際事故を起こす方がかなり難しい筈だが、ホー、一体何があったのだ? コー」


 ……先に言いたい事が山程あるのだけど、取りあえず今まで起こった出来事全てを話してみた。


 お母さんが僕の事情を考えVRMMOを買ってくれた事。

 玄関先で適当に登録した事。

 OOLHGが僕には小さかった事。

 無理矢理叩いて押し込んだ事。

 そのまま接続ボタンを押して、ゲームを始めた事。

 ノイ子さんの所でイケメンアバターを作成した事。


 ……そして今の姿がそのイケメンアバターである事。


 「コー、……成程、非常に興味深いなー、おい! ホー」


 一通り僕の話を聞いた後、雪乃さんはテンションを上げつつ、僕の部屋の窓を勢いよく開けた。


 そして僕の机の前へと移動し、机の上に置いてあった僕のノートパソコンや雑誌、美少女フィギュアなどを窓からポイポイと投げ捨て始めた。


 ちょー! 何してくれてんねん!


 慌てて雪乃さんに掴み掛かろうとしたところで、僕は右肩をトントンと叩かれ後ろを振り返ってみると、サポートチームの男性が申し訳なさそうに、先程窓から投げ捨てられた物と全く同じ、ノートパソコンや美少女フィギュアなどを箱に入ったままの新品の状態で持っていた。


 ……この人達一体どうなっているんだよ。


 この分だとノートパソコンの中身、アプリや秘密のエロフォルダーもそっくりそのまま復元されてるんだろうな……。


 僕が呆れ返っていると、今度は別の男性が部屋に入って来て、雪乃さん個人の物と思われるノートパソコンを机の上に設置して部屋から出て行った。


 雪乃さんのノートパソコンの背面には可愛らしいパンダのステッカーが貼ってあった。


 そこに触れるべきか、そっとしておくべきかと悩んでいると、雪乃さんは乱暴に部屋の椅子にドシンと座ってノートパソコンを操作し始めた。

 そんな雪乃さんの様子を見て僕も腰を下ろそうと思ったのだが、折角なので正座してみる事にした。


 長い間お肉が邪魔で正座なんて出来なかったから!


 「コー、まず、私の可愛い娘がこんな事になった原因を話していくとだなぁ、ホー」


 ……娘? 娘って誰の事? と首を傾げていると、それだそれ! と僕の座るすぐ近くに転がっている、未だに少し煙の出ているショッキングピンクのOOLHGを指差した。


 ……自分が生み出したから子供同然という事か。

 ショッキングピンクだから女の子扱いと。

 紛らわしいわ! 頼むから普通に説明してくれるかな?


 「コー、そのOOLHGはお前、……えっとタケルが母親に買って貰ったと言っていたな? ホー」

 「ええ、お母さんが僕が来月から普通に学校に通えるようにと、サプライズで僕の為に買ってくれたんすよ」

 「コー、……ああ、その事なんだが、そのOOLHGはタケルの母親が買ったというのは間違いないのだが、ホー」

 「……だが?」

 「コー、どうやらタケルの為に買ったわけではなく、ホー、恐らくタケルの妹である、くるみという人物の為に買ったみたいだぞ? コー」


 雪乃さんはノートパソコンの画面をくるりとこちら側へ向け、購入記録詳細情報を見せて来た。

 何やら少し気まずい空気が流れる中、そんな馬鹿な? と近づいてノートパソコンの画面を覗き込むと、使用者氏名の欄には、山田くるみと書かれていた。


 雪乃さんはポリポリと頬を、正確にはガスマスクを掻きながら、気まずそうに視線を逸らしてくれている。


 そうかー。お母さんは僕の為に買ってくれたんじゃなかったのか。

 そりゃそうだよな、引き籠りの息子に二十万もするゲーム機を買ったりしないよな普通。 


 「あと、玄関先で適当に初期登録をしたと言っていたな?」

 「……はい。正直ゲーム機が届いた事に舞い上がっていて、登録内容とか登録方法もよく覚えてないっす」


 少し呆けながら答えると、違和感に気付く。

 あれ? いつの間にか雪乃さんからコーとかホーが聞こえなくなってる。

 僕が呆けている間にタバコを消したのか、いつの間にかガスマスクの中のタバコが見当たらない。

 というかそのガスマスクほんとにどういう仕組み? メガネを掛けながら装着出来てるし。

 僕がガスマスクを不思議そうに眺めていると、うむうむと頷きながら雪乃さんは話を続けた。


 「成程、詳細はわからんが訪問した社員が、忙しさのあまり正規の手順を踏まずに、手を抜いていた可能性があるのだな。……よし、サポートチーム! 会社に連絡してここに訪問した社員と連絡を取れ!」


 ……あちゃー。これはスーツ姿の若いお兄さんに迷惑を掛けてしまったか? 責任を取らされるのかも? と思っているとサポートチームの男性が、通話中だと思われる携帯電話を雪乃さんに手渡した。


 「良くやった。お前は昇進だ!」


 雪乃さんは一言言い放つとさっさと電話を切り、開け放しの窓から携帯電話を投げ捨てた。


 「何故そうなるの!」

 「ん? 何故ってそりゃあ大天才である私の完璧な理論を打ち破って、事故を起こさせた原因を作ったかもしれない人材だぞ? そんな奴は昇進させるに決まっているだろう」


 何を言っているんだ? みたいな感じで返答された。

 うん、大天才の頭の中は僕が考えるだけ無駄みたいだ。深く考えるのはよそう。

 携帯電話を窓から投げ捨てた事にもツッコミを入れたつもりだったのだが、そっちの方はまったく気にしていない様子だった。


 「……で、箱を開けてOOLHGが小さいと思ったが、無理矢理押し込んで装着したと」

 「はい、スイマセン」

 「まぁ妹さんの為に買ったのだから、タケルからすれば小さくても無理もない。購入したお母さんからすればサイズに余裕を持たせて、一つ大きめのLサイズにしたのかもしれないしな」


 雪乃さんは少し悲しげな表情へと変え、変わり果てた姿となってしまったショッキングピンクのOOLHGを、まるでわが娘を抱っこするみたいに抱え上げ、おぉ可哀相に……等とブツブツ呟きながらやっぱり窓から投げ捨てた。


 「娘の扱い雑だなおい!」

 「なんだ? タケルはゴミを大切に取っておくタイプなのか? おかしな奴だな」


 おかしな奴なのはアンタの方だろ! と思ったがこの人にいちいちツッコミを入れていては話が進まないので、黙っておく事にした。


 「ちなみに箱の中に入ってあった、サイズが合わない場合の為の返品交換用紙はどうした?」


 ……へ? ナニソレ?


 慌てて乱雑に解放されたまま放置されている箱を調べてみると、返品交換用紙が確かに入っていた。

 内容を上から順につらつらと読んでいくと下の方に、ご連絡後約二、三時間で交換致します! というデカデカとした文字を見つけてしまった。

 注意事項や取説はちゃんと読めよ? と言われていた気がするが、放心状態の僕には声が届いて来なかった。

 あの痛みと苦労はなんだったんだ……。


 「アバターの設定画面でも妙な事を言っていたな?」


 暫くボーっとしていると、いつの間にか雪乃さんの話が進んでいる事に気付いた。


 「……妙、とは?」


 何とか現実に帰って来れたので、今までもちゃんと話は聞いていましたよ、という風に聞き返した。


 「全面真っ青な部屋とか、キャラクターにノイズが走っていたとか言っていたな?」

 「ええ、そうなんすよ」

 「……それ、完全にバグってるだろ」


 やっぱり? 僕もそうなんじゃないかと思ってたんだよ。

 今考えたら完全にブルースクリーンだったよな、あれ。

 しかもノイズまみれだったし。


 「その段階で異常に気が付いてログアウトしていれば事故も起きなかったのだが、初めてのログインじゃ異常かどうかも判断しにくかっただろうし――」


 雪乃さんはカタカタとノートパソコンを操作し、僕のゲームの中の状態を何やら色々と数値化したり、グラフ化したりと表示させ、ひとつ大きなため息をついた後、椅子の背もたれに深く身を委ねた。


 「……しっかしこれ、現実リアルのタケルとゲーム中のタケル、完全にシンクロして繋がっているみたいだぞ。同化していると言った方がわかり易いか?」

 「……、え? それってどういう意味っすか?」

 「うーん、詳しい原因はよく分からないが、ゲーム内で作成したという今の姿が現実世界でのタケルとして認識され、現実のタケルの姿がゲーム内のアバターとして認識されていて、変更することが出来ないって――ぶっ、ぶははー! なんじゃこりゃ! 元々のタケルの姿は今と全然違うな! 豚だなー! おい!」


 雪乃さんは画面に数値やグラフと一緒に表示されている僕のアバターを見て、腹を抱えて笑っている。

 おい、途中までの真面目な話は何処にいった?

 しかも堂々と豚と言い切ったぞ。

 ……まぁ自分で言うのもなんだが、現実の僕の姿アバターは確かに酷かったのだが。



 雪乃さんは未だに腹を抱え、涙を流しながら笑っている。

 ひとしきり笑った後、ようやく落ち着いて来たみたいで流していた涙を拭おうとしたところ、ガスマスクが邪魔で拭えず、仕方なくガスマスクを外したところでゲホゲホと咽かえってしまった。

 何やってんだよと思いつつも、雪乃さんに近寄りよしよしと背中をさすってやる。


 「あ゛あ゛、ずま゛な゛い゛」


 雪乃さんは一言礼をいい、いそいそとガスマスクを装着し直し、暫く呼吸を整えていた。


 「大丈夫すか?」

 「……ふう、笑った笑った。で、なんの話だった? 豚だったか?」

 「いや、そこじゃないすよ」

 「ああ、そうか、どっちのタケルもシンクロしてるって話か、まぁ簡単に言えばデータを見る限りゲーム内のタケルと現実のタケルが一致し過ぎていて、ゲーム内で死亡すれば現実でも死亡する可能性が非常に高いって事だな。一心同体、運命共同体ってヤツだ。非常に興味深いな」


 は? なんか今さらっととんでもない事言わなかった?

 ゲーム内で死んでしまえば現実リアルでも死ぬとか何とか……。


 「それじゃあ、ゲーム出来ないじゃないっすか!」

 「そういう事になるな。まぁ死んでもいいと言うのなら話は別だが? なぁに心配するな、少しの間だけの辛抱だ。すぐにこの大天才である私が元の体に戻してやる」


 くっ、ゲームは出来ないのか。ガッカリだな。


 「というわけだ。何か質問はあるか?」


 質問か……。

 何処からどう聞けばいいのか分からなかったので、初めから色々と思っていた事を、ひとつひとつ聞いてみる事にした。


 「では、まず……靴を脱いで貰えませんか?」

 「はぇ? 靴?」


 僕が雪乃さんの足もとを指差しながら言うと、雪乃さんは自分の足もとに視線を落とした。

 未だに黒のスニーカーを履いたままだった事にようやく気付き、急いで靴を脱ぐと窓から投げ捨てた。


 「それで次の新しい代替品のOOLHGは、僕とくるみのどちらで登録になるんすか?」

 「ああ、それなら本登録はタケルでされているので、新しいOOLHGもすでにタケルで登録されている」


 ……マズイな。くるみの分のOOLHGを奪った形になるのか。

 確か来月がくるみの誕生日だったはず。

 今回のOOLHGはお母さんからくるみへの誕生日プレゼントだった可能性が非常に高い……。

 このままではくるみからの風当たりがますます酷くなり、非常に家に居辛くなってしまう。何とかしなければ!


 「……もう一台何とかならないっすか?」

 「無理だな。頑張ってお金を貯めて買ってくれとしか言えん。まぁタケルの今の容姿なら、手段さえ選ばなければ二十万円なんて一日で稼げるだろう?」


 ……一日で二十万円って。来月からやっと高校生になる僕に、何をさせるつもりなんだ?


 「あ、後ですね……どうしても聞いておかなければならない事、ゲームの内容で知りたい事があるんすけれど――」

 「ああ、それは無理。社員達にも完全守秘義務を課せて、一切の情報が漏れない様にしている。ネット上も完全に我々の管理下に置かれていて『OPEN OF LIFE』に関する全ての情報は、以前のβテストの事と会社が流した簡単な情報以外全て弾かれる仕様になっている」


 右手の掌を僕の方に向け、僕の質問をシャットアウトしつつ、真面目な表情で告げられた。

 成程、だからこのゲームの内容をインターネットで調べても一切情報が出て来なかったのか。


 「ゲーム内容とは少し違うのかもしれないっすけど、NPCノンプレイヤブルキャラクターとプレイヤーでは見分けるために頭上にアイコンが出てるっすよね?」

 「そういう事なら答えられるぞ。確かにアイコン表示で区別されている。NPCには白い下向きの三角形のアイコン、そしてプレイヤーには緑の三角形のアイコンだ。なんだ? 最初のチュートリアルで聞いたのではなかったのか?」

 「いいえ、アバター登録をしてすぐにフリーズしてしまったので、聞けてないっす」


 やっぱりあの後、ゲームのチュートリアルがあったのだな。


 「そうか、てっきりチュートリアルまで聞いたものだと思っていたよ。なら説明してやると頭上に出るアイコンは他にも種類が幾つかあり、パーティーメンバーの頭上には黄色の三角形のアイコンが、クエストを依頼している者の頭上には、緑の『!』マークが出る。最初のチュートリアルでは頭上のアイコンに関してはここまでしか説明されなかったはずだ」


 成程。大体のゲームがそんな感じだよな。

 OPEN OF LIFEの話をした為に雪乃さんのゲーム魂に火が付いてしまったのか、そこからゲームに対するアツく熱の籠った話を暫く聞かされる事になった。

 まぁ僕もゲームの話は嫌いではないので、OPEN OF LIFEの開発総責任者である雪乃さんの話は凄く面白かった。

 どんなゲームが好きだとか、あのゲームはこの辺りの作り方が上手いだとか、逆に自分ならこんな風に作るだとか、普段なら聞く事が出来ない作り手としての意見が聞けたり。

 僕もエンテンドウ・サニー社のゲームは好きで、部屋の棚に置かれているソフトを見せつつ、このゲームはここが良かった、等と他愛のないゲーム話に華を咲かせた。

 時々ゲームの話に関連付けてOPEN OF LIFEの内容をコソコソと突いてみたのだが、そこは堅く口を閉ざし、少しも教えて貰う事が出来なかった。


 ついつい雑談が長引いてしまったのだが、とにかく雪乃さんを信用して全てを打ち明けてみる事にした。

 僕は改めて正座をし直し、心の奥で覚悟を決めてから雪乃さんの瞳をしっかりと見つめる。


 「ど、どうしたタケル。突然そんな目で私の事をじっと、み、見つめて。まだお互い出会ったばっかり……」


 何やら雪乃さんが顔を真っ赤にしてモジモジし始めた。

 雪乃さんの様子がおかしいのだがそのまま放置し、静かな部屋の中、勇気を振り絞って話してみた。 


 「雪乃さん!」

 「は、はい、何でしょう!」

 「雪乃さん……見えてるっす!」

 「こ、こちらこそ年上だけど、どうぞ宜し……ふ、ふぇ? み、見えてる? なな何が?」


 何だか雪乃さんが妙なことを口走っていた気がするのはこの際無視しておいて、僕には見えているんです。

 ずっと言おう言おうと思っていたんだけど、なかなか言い出す機会がなかった。

 玄関の扉をぶっ飛ばして家の中にズカズカと上がり込んで来た時からずっと。



 雪乃さんの頭上に、うっすらと緑色の『!』マークのアイコンが浮かんでいるんですよ!

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