III - 14

 なんでもないような夜の公園で降ろされた。


 塗装が剥がれた街灯がちらつきながら光っているだけの公園で、あたりは静まり返っている。ブランコは支柱に巻き付けられたまま固定され、使用禁止の回転遊具に張られたテープが風に吹かれてはかさついた音を立てる。


「今回も上手くやった」


 岸田がそう言い、金を手渡す。

 金は前回と同じように黒い革の長財布に入れられていて、重みがある。一円玉は一枚で一グラムだった気がするが、一万円札は一枚でどれくらいの重さだったか。思い出そうとするが思い出せない。


 釘が飛び出した朽ちかけのベンチに座り、公園を眺める。回転遊具の傍で、ホームレスがシケモクを火を点けずに口にくわえている。ホームレスはやたらとボタンの大きな白いダッフルコートを着ていて、黒く汚れている。


 僕は今しがた、ああいう人間の居場所を一つ焼いた。

 同情でなければ罪悪感でもなかったが、一回目に比べれば感慨があった。


 名前も知らない家族と名前も知らないホームレスの違いは何か考えたが、前者の方が幸福そうだからだと思った。たぶん、僕は僕よりも幸福な人間が破滅することについては何とも思わない。普通の人が芸能人の破滅を消費するように、僕は僕よりも幸福な人間の破滅を消費できる。


 僕は受け取った財布を開いて中を確かめ、見事に一万円札しかないので岸田に尋ねる。


「小銭持ってないか」

「どうした」

「何か飲みたい」


 僕はベンチの後ろ、暗闇の中で唸りを上げている自販機を指す。

 千円札しか紙幣を受け付けない自販機はディスプレイ最上段の電球が切れかけで、じりじりと点滅を繰り返している。


「そうか、ちょっと待ってろ」


 岸田は言うと、少し離れたところにいたホームレスの方に歩いて行った。それから一言二言を交わすと、戻ってきて自販機の前に立ち、十円玉と五十円玉を何枚も流し込んだ。340、と投入金額のディスプレイが赤く光った。


「何がいい」と岸田が尋ねるので、僕はディスプレイを覗きこんでミルクセーキのボタンを押した。続くように、岸田が背の低い缶コーヒーのボタンを押す。ごとりと音を立てて落ちた缶を取り出し、ベンチに腰掛けながら僕は言う。

「ホームレスと何話してたんだよ」

「三〇〇円分ほど小銭を売ってもらってた」


 僕の隣に腰を降ろし、岸田がプルタブを起こし、流し込むようにコーヒーに口をつける。


「両替料九七〇〇円か、狂ってんな」

「金はあるからな」


 いつものように、片端だけ口を上げて皮肉っぽく岸田が笑う。

 逆だろ。

 使い道がないんだろ、お前は。

 以前に聞いた、播磨の言葉が頭をよぎった。岸田の動機。父親、罪悪感、無意識の勧善懲悪、罰。文字通り死ぬまで岸田はこれを続ける。僕はこれが事実に近いものだと思うし、だからこそ岸田は否定すると思う。


「金はあるって言うけど、お前、趣味とか欲しいものとかないのか」


 訊いてはみたが、僕自身、趣味ってものがなかった。

 そもそも、何をもって趣味というのかもわからない。


「特にないんだなこれが」


 岸田も予想通りの答えをする。


「セックスとかドラッグとかやってねえの」

「やったってしょうがねえだろうよ」

「どの辺りがしょうがねえんだよ」

「コストの割に効き目が短い」

「経験あんのか」

「さあな」


岸田は話を打ち切るように言う。


「どうしたお前、金の使い道がないのがそんなに変か。金を大切にしようとか通り一辺倒なことでも言いたいのか。それとも、何か、この間訊かれてた動機の話か」

「別に。単に気になるだろ、人間が犯罪に走る動機とか、それで何がしたいのか、とか」

「犯罪の動機なんかほとんど金だが、金は可能性の塊だからな、実質的に無限だろうよ」

「可能性?」

「基本的に、人間の欲なんかタカが知れてるだろ。食欲ならメシ食えば満足するし、性欲なら抜くなり一発やるなりすれば満足する。ただ、可能性にはゼロも百もない。天井も底もないから、満足できない」

「……Aのために金が欲しいと思っても、それと同時に、金があればBやCができるって考えが同時に生じて、BやCのために金が欲しいって考えも生じるから、実質的に動機は無限になるって話で合ってるか」

「まあ、そんなとこだ。死への恐怖から自殺する、みたいな話あるだろ。あれと似てる」


 そこまで言って岸田は立ち上がった。


 どこかでサイレンが鳴るのが聞こえた。なぜか、その音が僕らが火を点けた建物へと向かう消防車のものである気がして、僕は遠くを見た。消防車かな、と僕が言うと、岸田は相変わらず皮肉っぽい笑顔のまま、バーカ、ありゃ救急車のサイレンだ、と言った。

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