エッセイ集

@kounosu01111

エッセイ集 1

  「私の老人ホーム」

 この老人ホームは規則があって無いようなもの。私は昨夜一人で居酒屋へ行って飲んで帰ったのが深夜の十時半。こんな住人が少なくとも、三人は入居している。

 ここは三階建てのテナントとマンションを兼ねたビル。一階には飲み屋が二軒と、このマンションの賃家人、アスカの住人が十人程入居している。建築は昭和四十九年のものだから、築四十二年経つ。丁度六曜館の御徒町店の年数と一緒である。

 大分空き部屋が多く、三階だけで入っているのは、三〇五号室と、この三〇八号室だけ、三〇五の住人は、いたって心安き音無しい六十代と思われる老女の一人住まい。毎日顔を合わせるのは、犬を連れて毎朝散歩に出る五十代と思われる男。この人も感じが良くて、毎朝きちんと挨拶する好男子。二匹の大型犬を連れている。四階には、幼稚園々児を持つ、おだやかな婦人がいる。この婦人も毎日挨拶する。六階には、若夫婦が住んでいるらしい。四階には、この老人ホームに入っているカラオケバカの三人組。五階には、認知度が四と五の耄碌した夫婦と、自殺未遂をした四十九才の青年が入っている。耄碌した夫の方は、意地を張る。歌が歌いたくて仕方無いのだ。一日中マイクを離さない。まだ上手だからいいが、これがグループホームの住人等の女性の声ときたら高くて、聞いていられぬ。私は、いつも一人で本を読んで騒がしいのを逃れている。

 

 

  「老人ホームと電車」

 この老人ホームが騒がしいのは、住人ばかりではない。すぐ側をJRの電車がひっきり無しに通るのである。

 朝七時台には十五分置きに、電車が通過するのだ。夜の九時ごろの音が一番気になる。急行と普通の電車の区別が付くようになった。そんなものがナンボのものじゃい!、と言うではない。一階の風呂へ入ってる時は、カラオケと電車の通過音にはさまれて、どちらが音で、どちらが音楽なのか?、判らなくなる。私は、風呂から上がると、まずは外へ出る。外気が恋しくなるのだ。龍ケ崎の実家のように緑が多ければ、気持ちもなごむんだが、ここは駅前で、全くと言ってほど緑や花の少ない地域だ。私は、そんな風景がイヤで、小瓶に花を挿して机の上に置いておく。それと、机の上には常に渡邊氏の作品が置いてある。その絵に生かされてるのだ。あとは何もない。テレビが一台あるだけで、タンスもないし、カレンダーだけが異彩を放っている。

 


  「春の恵」 

 水上勉が、新人作家を見る際には、その作家が背後に何本の木を見て来たのだろうか?と言うことで、新人作家の力を見極めていると言う。

 私が気にするのは、家の裏で生き続ける山桜の大木のことだ。今年はその花を見ず終いだ。その辺の竹の木はどうでも良いが、桜の木だけは、生き残って欲しい。その木よりは長生きできないだろうが、私は当然だと思っている。

 桜の花ビラが舞い落ちるころ、竹の子の旬が始まる。私はその竹の子を二度食べた気がする。それはきい子さんの煮物とこの老人ホームのものだった。断然自分の家の竹の子の方がうまい。歯応えが良い。春の食べ物の一つだ。残りはタラの芽と蕗を食べている。いづれも天ぷらで食している。

 今ではタラの芽や蕗さえも人工のものだ、野生のものを食べたい。ゼンマイやワラビ等に人工栽培だろう。昔ながらの蘞味の強いそれ等を食べてみたいものだ。



  「不遜な絵書き」

 いつかは、書かねばと思ってた水村喜一郎を書く気になった。二十年越しの悲願だった。

 彼は今は千葉県の鴨川に住んでいるけど、旧住所の足立区の花畑から引っ越して来たのは昭和三十五年ぐらいだった。その引越しの際の運転手が私であった。彼は昭和二十五年四月一日の生まれだから、今年で七十一才になる。

 早いもので、私との付き合いは五十年経る。私は、彼の足跡を追ってみようと思っている。彼は、昭和四十年に独協大学の英文科を卒業している。彼は、己のことを絵を描くことを宿命と何かの本で呼んだことがある。その宿命通り、今でも口に絵筆を喰わえ、油絵を描いている。

 「お前は、沢山絵を集めているが、俺の絵は買おうとしないのは何故なのか?」と言っていたのは、私が喫茶店を始めて二年後のことだった。

 その時、スペインのバルビザン地方へ行って帰ったところと言って、一枚の風景画のデッサンを置いていってくれた。その時、私はそう言われた。身体障害者の彼は、それを既得特権のように堂々と使いこなして、甘んじて受けながら日常を生きるのであるが、彼は主体美術の会員であり、その理士でもある。

 そんな彼が、長野に水村喜一郎美術館なるを作ってもらったのは、平成二十年ごろで、不具者特権を政治的に使って建てたものと、私はそう思っている。

 洲之内氏は昔言っていた、「身体不自由であるが、芸術家を名のるのなら、それなりの作品を創造しなければならない」、と言っていた。氏の云う、作品とは、ポエジーがあって品がある作品、と言っておられた。それ等が氏の作品から伺うとすると私の目は「ノー」、という言葉しか出てこない。品とは真逆な汚物のような色とマチュールである。この十年間は、裸の彼の作品を見てないが、その美術館から毎年送られて絵ハガキを見るだけで判る。旧来のモチーフと描き方は、全く変わらない。彼の人生の姿を垣間見る程、私と彼は親しい付き合いをしているわけでも無い。今の私は、要介三という脳梗塞患者である。私は心身共に健康だが、今の彼の肉体の様子はうかがい知る術も持たない。また、彼の性格が嫌いな私は、彼に近付きたいとも思わない。彼は彼で、私は私で勝手に生きている。

 彼の家を二度目に訪ねたのは、私の三人の子等がまだ小児のころだから、平成の八・九年のことだろう。氏の家を二十年振りに訪ねてみると、奥さんが居て相手をしてくれた。

 奥さんは 

 「今ごろは秋田県に行ってるはず」。とおっしゃっておられたが、水村氏はそこで奥様以外の女人と昵懇となっていたらしい。水村氏は、かつて「洲之内さんみたいに女性遍歴をしてみたい」、と小さな声で私に言ってたことがあった。

 当時は不具者の彼の作品はよく売れた。独協大学の友人達が集まる酒席に同席したことがある。その友人達は、水村氏の作品をそれぞれ持っている様子であった。私の理念上では、彼の作品を良いと思う人々の気持ちが知れない。芸術は歴史があり、そこに点を打てるのは、一握りの天才か努力家・秀才であるか運の良い人だけが歴史に点を打てるのである。それは、美の点だったり創作の点だったりするが、同情による点は歴史上には打てない。打てるのは、その作品が必然的か、創作上優秀であるかどうかにある。

 その点だけを取っても、彼のそれは、美においても醜だし、その技術においても下手だし、尚かつ、私は彼の生き方を良し、としない。彼はその実力よりも両腕がない気の毒な作者として見せる政治力は豊かである。行動力もあるし、弁説も巧みである。バブル崩壊でコレクターが減る中でも彼の作品だけは売れていた、らしい。そこに彼の芯の奥深さを見る思いがするのである。

 二度目に訪ねた時の奥さんは窶れていた。最初の引っ越しの時のように浮き立つ雰囲気はすっかり消えていた。海さんの奥さんもそうだったが、絵描きや文筆家には収入を得る手段が限られている。それを、水村氏は、身障者という立場を使って、充分余りある程の収入を得ているらしい。あくまでも、らしいだけでそれ以上詳らかに公表するだけの資料を持ち合わせていない。のが事実だが、美術館を持つほどの芸術家でもないと思うのは、私の勉強不足か私の仮想かも知れない。しかし、歴史上に残る芸術家では無い事実だけは判る。少なくとも、私と渡邊氏だけは、そう思っている。あのエロ、グロの作品では歴史には残れない。技術的にも色彩的にも下手である。「私は絵を描くために産まれた」、と自惚れる程のポエジーと、品性はない。あるのは、難しい言葉さえ使えば一流の文章家だと思う短絡的な理念の持ち主だけだろうと思う。それと、不具者に同情する民衆の寄せ集めであろう。ただそれぐらいの価値しか無い。

 先日、水村喜一郎個展のハガキが来たが、私はその色使いに下品さを思うし、その技法の拙さに改めて進歩の無さを見るのであった。彼はおそらく女性遍歴を繰り返している人だろうと推測している。私は、彼の取り巻き連中の甘さを見る思いもする。世阿弥が言っていた創造性は微塵も感じない。丁度宇野画伯のような汚い色を使う。どうして、あんな下手な作品を集める人がいるのか、信じられない。それは不遜な日常生活にも表れている。

 私は二十五才ぐらいの時には、彼の秘書のようにこき使われた。そんな中でも彼は、「申し訳ない」、とか「すみません」、とかの謙譲語を使うのを聞いたことが無い。不遜でふてぶてしいのだ。

 傲岸とでも言うか、それでいて堂々としているのだ。「君は決して、俺の絵を買わない」それは今も生きている。今後もそうだろう。折りがあったら、彼の美術館は一度行ってみたいと思ったりするが、今の私には、それすらも贅沢すぎるのである。



 「知行の思い出」

 知行は生まれたときからよく泣く子だった。おっぱいが足りないと泣き、多くて吐き、暑ければ喚き、寒くても泣き。泣いて泣いて泣くばかりで、普通一才にもなればもう少しコミュニケーションを取ろうとする様子が見られるのではないかと思うのに、薄い眉をぎゅっと寄せて頑なに泣くことでしか自分を表現しようとしない。鳴き声に憂鬱になった時期を過ぎ、最近の美智子は麻痺してしまったらしい。

 知行は太っていた。それは祖父母のせいだと思ってる美智子。泣きはじめた知行を自動的に抱き上げ、小刻みに揺すって宥めながら色んな決断を後回しにする。もう少しもう少しだけ。様子を見てからでも遅くはないでしょう。

 そういえば、だっこをして初めて外に出てみた日も泣き通しだった。

 長女の幸穂のときは、初めて触れる外の世界のまぶしさにもめずらしそうに瞬きし、空に向かって手を伸ばしたものだったが。知行は、日の光が目に沁みたのか、吹いてきた風がまだ冷たいのか、向こうの道路を走る車の音がうるさかったものか、みるみるうちに眉間に皺を寄せ、大きな声で泣き出したのだ。



  「幸穂の思い出」

 田舎つながりで同郷だというだけで社会人になってからもつきあいが続いたりするのかしら。そこも新鮮で面白かった。

 そうして幸穂は焦ることになる。新鮮だ、などと喜んでいた余裕のよっちゃんはどこへ行ってしまったのだろう。

 会社からJRで三つ離れた駅の喫茶店で待っていたのは、営業本部のホープ、森田勝四十歳であった。入試試験の三次、役員面接で幸穂が会った中にいたのだそうだ。

 「ひと目見て、彼はいい、と思ったヨ。ところが偶然だネ、履歴書を確認したら僕と同じ田舎で、同じ中学を出てたんだ」

 「それは偶然ですネ」

 幸穂はそう答えるのが精一杯だった。勝も既に「ひと目見て、彼女はいい」と思ってしまっていたのだから。

 幸穂は上機嫌だった。

 「二十何年後輩にあたるんだな。これでも地元じゃ評判のいい職業高校卒ですネ」



  「女性のための手記」

 一九九九年に男女雇用機会均等法が改正施行されて、女性への保護は、なくなった。平等にするなら、保護もなくすということで、たとえば以前はあった、生理休暇がなくなった。

 その分妊娠、出産だけは保護するということになりました。労働基準法に母性保護の規定がありますが、でも、それは女性から請求しないとだめなんです。早く帰らせてくれとか、休みをくれとか、あるいは仕事を軽減してくれとか、女性の側から言わないとだめで、いわなくてもやってくれる、ということにはなっていません。雇用者の側に理解がなかったら、もう絶望ってことになります。

 学校選ぶ時も、就職するときも、一生懸命調べて選ぼうとする。熱心にね。

 でも、子供を産む時は近所だからとか、フランス料理出してくれるからとか、きれいだからとか、それだけで選んじゃう。それだけで選んじゃだめだよって。ちゃんとここはどういうお産をするところなのか。自分にとって本当に信頼できる人が自分を診てくれるのかということを確かめるべきだと。そんなことを言っても、近所にいいところがないという。ではどうするのか・・・。

 夜中の十二時までオフィスで働いたりするのは、よくないに決まっている。助産婦さんはそういう生活を妊娠中に叩き直そうとするんだが、病院だと叩き直す根性のある助産婦さんがいないところも多いし、制度上できなかったりするし、人間関係の上で出来なかったりもするし、時間もない。そしてひどい生活のままでお産しに来るから、やっぱり、お産は重くなる。



  「初心」

 もしも私が死んだら、子供たちはどう思うだろう。

 長男の知行だけは悲しむだろう。幸穂は、志歩は今大学生。そんな彼女の名前の由来を知る事があるだろうか。

 私の今は孤貧で満足している。他に何かを求める事があるだろうか。もうこれ以上望むべく何の望みもない。今の私は、人生で一番幸穂なのではないか・・・と思っている。これ以上何を望むことがあると言うのだろうか。私は空中に浮かぶチリ、アクタと同じではなかろうか。

 明日は、龍ケ崎へ帰って桜の花を見て行こうと思っている。この神立には、花や緑の色相いが無いので、少し寂しい。選べてある事の喜びと悲しみ、二ツ有り、という心境である。

 「何を思うかレニエ像」と云うフレーズを使ったのは誰であったのだろう。

 昭天叔父も、私にとっては良い時期に亡くなってくれた。苦しむ事無く逝ってくれたのが何よりだった。あれだけ多量の酒を飲み、あれだけ女遊びをしたので悔いも残らなかったろう。叔父への黄泉への祝福への一杯として、私は今(朝四時)ビールを飲んでいる。あと、残っているのは、母だけだ。

 私の筆下ろしは、叔父と共に行った土浦のトルコ風呂だった。今は、当時の初心に帰るべきだろうと思っている。


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