第51話 僕と懺悔と怒りと白い世界 -05

    五



「しっかしねぇ」


 車内で佑香のお母さんは苦笑していた。


「あんた、あそこで『愛している』はないよ。適当に口先だけだったから私、ぶん殴ろうかと思ったよ」

「口先だけじゃないです。僕は真剣にそう思っています。この目を見てください。それを見て口先だけだ、と判断したら、思いっきり殴ってもいいです」

「……運転中だから見えないよ」


 でもね、と佑香のお母さんは続ける。


「あんたが口先だけじゃないのは分かっているよ。だから殴らないさ。殴ろうと思ったのは先生の方」


 僕はその言葉に苦笑した。

 車の外は、もう夜の景色の様相をしていた。車のヘッドライトと街頭ぐらいしか明かりがなく、道を歩く人々は少なかった。

 まさか、病院に四時間もいるとは思わなかった。佑香のお母さんの話が相当な時間を取っていたことになる。そんなに長くは感じなかったが、内容は相当濃かった。

 佑香が心臓病であるなんて、今まで微塵にも思ったことはなかった。しかし、今思えば、そういうことを暗に示していた部分もあった。例えば、ジェットコースターに乗らないと言ったのも。そんな中、商業用では意図せずに回避していたが、文化祭のお化け屋敷は良かったのだろうか、と後悔の念が押し寄せてくる。

 しかし……何故、佑香は心臓病のことを隠していたんだろうか?

 その答えは、佑香のお母さんが答えてくれた。


「あの子は治った小学生の時、一部の友達にそのことを話したんだよ。そうしたら、その友達は急に態度が変わって……いや、いい意味なんだけどね。佑香を大切にしてくれたんだよ。それを佑香は、快く思わなかっただろうね。本当の友達のように思えなかったんでしょう。あと、その頃は治りたてだったから何かと制限されていてね。今みたいに運動しちゃいけなかったんだ。だから、友達は次第に佑香から離れて行った。小学校を卒業する時には、佑香は一人ぼっちだったんだよ」

「そうだったのですか……」

「だから、中学校から心臓病のことは誰であろうと隠すことにした。小学校の時がトラウマになったんだろうから」


 つまりね、と佑香のお母さんは続ける。


「友達が欲しかったんだよ。自分のことをちゃんと見てくれる、ね。心臓病のことを言ったら、友達が友達じゃなくなってしまうから。ただ、それだけだったんだよ。だから誰にも話さなかった。友達が離れてしまうのが怖かったんでしょ……あの人みたいにね」


 そう佑香のお母さんが呟いた瞬間、何て愚かな質問をしたのかと、僕は後悔した。佑香のお母さんの旦那さんの話を聞けば、誰だって理由は判るのに……わざわざ辛いことを思い出させるように――


「……ねぇ、遠山君」


 佑香のお母さんは前を見ながら言う。


「明日、学校に行ったら……どうするの?」

「どうするって言われましても……」


 普通に登校し、普通に授業を受け、普通に昼食を取り、普通に下校する……なんてことをしている場合じゃない。

 僕がすること。

 それは――


「先に言っておくけど――佑香に水を掛けた犯人探しだけは、やめて」

「な、何でですか?」


 思わず、疑問を投げた。


「佑香をあんな目に合わせた奴を、僕は……」

「だってね」


 そう答える佑香のお母さんの声は、低かった。


「先生が言ったようにわざとじゃなかったとしても、その人を見つけたら私、指の骨が折れるまでぶん殴っちゃうからさ」

「……」

「それに――見つけたところで佑香の病気が治るわけでもないからさ」

「……」


 そうは言っても、僕は犯人を見つけたかった。見つけて、ぶん殴ろうと思った。ぶん殴って、佑香に向かって土下座をさせたかった。

 だが――それはただの僕の自己満足に過ぎないのだと、佑香のお母さんの話を聞いて、僕は気が付いた。殴ったところで解決するのは、自分の中の鬱憤だけ。佑香のお母さんの言う通り、それで佑香の病気が治るわけではない。


「……分かりました。犯人探しはしません」

「うん。それでお願いね」


 佑香のお母さんがそう言った時、信号でもないのに車が停車した。


「着いたよ」


 佑香のお母さんのその言葉通り、そこはもう僕の家だった。


「送っていただいて、ありがとうございます」

「いやいや。こんな時間まで付き合ってもらってごめんね。しかもご両親に連絡するのを忘れて」

「いいですよ。両親はきっと事情をちゃんと理解してくれると思います」


 多分ですけど、と僕が苦笑すると「あらぁ? 遠山君」と、佑香のお母さんは怪しい、いや、妖しい微笑みを浮かべた。


「じゃあ、これからうちに泊まりに来る?」

「いえ、遠慮します。佑香のお母さんにフラグ立てたくないので」

「あ、そっか。私、隠しシナリオだしね。立てたくてもまだ立たないよ。一周目をクリアするまでは」

「僕は一周目で終わりますよ。一周目の相手をずっと愛します、他の子を攻略する気はさらさらありません」

「あはははは。ディープだね。それでいいさ――でも、いい?」


 佑香のお母さんは僕に指先を向ける。


「今、君がクリアしようとしている相手は最高難易度だよ。それでも……絶対に、諦めるんじゃないよ」

「……分かりました」


 僕は力強く、頷いた。

 佑香のお母さんは優しく微笑むと「じゃあね」と走り去って行った。そのテールライトを見送った。

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