第35話 僕とデートと告白と衝撃 -05
五
彼女は早歩きで何処かへと行ってしまった。
僕は降りる気が起きなかった。
何もする気が起きなかった。
脱力感。
係員が何事かを話しかけてくるが、全く耳に入らなかった。
僕の耳には、先程の佑香の言葉がぐるぐると聞こえていた。
たった六文字の言葉。
その言葉が、いつまでも耳にこびりついていた。
――と、そこで聞き覚えのある声が耳に届く。
「ちょっとすんません! 俺があいつと一緒に乗ります! 知り合いなんです! お願いします!」
その迫力に押されたのか係員が了承を告げる声が聞こえた所、すぐさま、一人の男が乗り込んできた。
「おい、どうしたんだよ!」
「広人……」
心配そうな表情の広人。だが僕はぶっきらぼうに返す。
「……何でここにいるんだよ」
「それは俺が、お前に言いたいことだ」
広人は、はぁと溜息をついた。
「鈴原さんだけ出て行って、お前はその場に残っているって……何をしているんだよ?」
「……何をしているんだろうな」
本当に自分の愚かさに笑える話だ。
僕はただ哄笑するしかなかった。
「ホントに……馬鹿だよな……僕って……」
「……何があったんだよ?」
「あんなに期待して……自意識過剰で……ぬか喜びをして……本当に馬鹿だよな……」
「お前……まさか……」
「うん……」
僕は弱々しく頷いた。
「佑香に――振られた」
あの時。
佑香の口から出された言葉は、たった六文字。
笑顔で言われた。
「ごめんなさい」
そして彼女は観覧車が地上に降りると同時に、外へと駆けだして行った。
「……」
広人は口をぱくぱくさせて、唖然としていた。
「お前……それ、マジなのか?」
「嘘だったら良かったのにな」
さっきまでの出来事が、全部夢だったら。僕が眠りこけていて、起きたらそこには困惑した表情の佑香がいて……
「……なぁ、広人」
「何だ?」
「これって……現実だよな」
「……っ」
広人は僕から顔を背けながら頷いた。
「そう、か」
僕の夢は、終わったんだな。
甘く、いい夢だった。
思えば、こんなのは都合のいい幻想だった。
あの電車に、僕は轢かれて僕は死んだんじゃないのか?
だからこれは、僕が見ている夢ではないのか?
「広人……僕は、生きているのか?」
「……大分、混乱しているな。大丈夫だ。生きている」
「そうか……」
少し安心した。
僕が彼女を想う気持ちは、嘘や虚像ではなかったのだ。
彼女と笑い、冗談を言い、そして共に過ごした日々は、夢ではなかった。
ただその日々は、もう訪れない。
もう、戻らない。
「……広人」
「何だ?」
「協力、ありがとうな」
「あぁ……」
「……まぁ、振られたもんは仕方ないさ」
僕は二、三度頭を振ると、微笑んだ。
「僕は一つ、賢くなったよ。恋ってのはこういうことだと知った。それだけで十分だよな。あははは……」
「英時!」
ガッ、と広人が僕の肩を強く掴む。
「笑うな!」
「あはは。何でだよ? 賢くなったんだぞ。嬉しいことじゃ……」
「馬鹿だな、お前は」
広人の声が僕の頭の中で響く。広人を掴む手の力を強くし、まるで幼い子に母親が理解をさせるようにはっきりとこう続けてきた。
「泣きたい時には……泣いてもいいんだぞ」
「……そうか」
僕は、静かに肩の広人の手を払う。
「なら、泣かなくてもいいんだよな」
「……っ」
「大丈夫だよ。広人。大丈夫……」
僕は短く息を吐く。
「大丈夫だから」
◆
広人がここにいた理由は、真美と奈美が用事により途中で帰宅したため、僕達の様子を見ようと観覧車へと並んでいたのだが、タイミングよく自分の番の時に僕が乗りっぱなしだった、ということだったらしい。
「しっかり帰れよ。そして、ゆっくりと家で風呂でも浸かって色々と整理しな……頑張れよ」
不安そうに僕を見ながら、広人は帰って行った。
その後ろ姿が見えなくなるまでその場に立ち尽くした後、僕は大きく息を吐いた。
「……さて、と。これからどうしましょうか」
誰に言うのでもなく呟いてみた。
当然、返事はない。
「まぁ、どうするも何も、帰るしかないんだけどね」
夕日はもう落ちて、辺りに暗さも涼しさも増してきた。そしてこのくらいの時間になるとイベントでパレードがある。なので正面出入り口は人が多くなるので、ここは避けて東側の小さな出入り口で帰ることにする。広人は、正面の方へと向かっていったけれど、大丈夫だろうか……なんて、人の心配を出来る立場でも状況でもないけど。今の僕は。
……そういや、広人にひどいことを言ってしまったな。
『なら、泣かなくてもいいんだよな』。
あんなこと言わなくてもいいことなのに……どうにも頭が回らない……。
そういえば、僕は泣いた覚えがない。小学校の時にいじめられた時も、泣かずに淡々として犯人をすぐに見つけ出して証拠を突きつけて、言葉で逆に相手を泣かした。暴力で来た時は全て返り討ちにした。そんなことがあって、幼い時から今まで、泣いた覚えが全くない。そりゃ赤ちゃんの時には泣いただろうけど。きっと自分の中で、泣きたいことを泣かずに消化してしまっているんだろうな。でもそう考えると、本当に僕は扱いにくい子供だったんだろう。
でも、今回のはちょっと……ちょっとだけ泣きそうになっていた。
初めて自分で泣くのを我慢したという自覚があった。
あれ以上、広人に慰めの言葉を言われていたら、僕は泣いていただろう。
「涙腺、脆くなっているなぁ。年かなぁ……」
そんなことを呟いている間に、出口まで辿り着く。
「うわ。独り言を言っている間に着いちゃったよ」
状況を説明してみた。
しかし、合いの手を入れてくれる人はいない。
「……」
何か寂しいな。
まぁ、仕方ないか。
それが僕の行動の結果なのだから。
「とりあえず、今は帰ることに集中し……」
そう考え、前を向いた――その時。
僕は、衝撃的なものを目に映してしまった。
そこには、佑香がいた。
佑香がいた。
ただし傍には、背の高い男がいた。
二〇代半ばくらいだろうか。
二人の傍にあるスポーツカーがお似合いだった。
僕が見た光景。
それは……その男に、
佑香が……抱きついていたこと。
人違いであって欲しかった。
でも間違いなかった。
あれは、佑香だった。
これもまぎれもない真実。
僕は、全てを理解した。
「……あぁ、そういうことか」
次の瞬間に、僕は走っていた。
逃げていた。
彼女の『ごめんなさい』は、そういう意味だったのだ。
頭で納得した。
でも、その光景を見ていたくなかった。
だから、走った。
だから、逃げた。
全速力で。
走った。
とにかく、走った。
どうしてだろう。
逃げる必要があるのか?
走る必要があるのか?
僕にはもう、関係ないだろう。
なのに。
何で?
何で……?
「……っ」
そこで足が絡まってしまい、歩道で僕は派手に転倒した。
摩擦熱で膝が破れるズボン。
擦りむいて血が滲む肘。
腰も大きく打ちつけた。
「……痛いなぁ」
ただ呆然と呟く僕の口の中に流れ込んできたもの。
それはとても――とてもしょっぱかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます