第8話 木ノ芽峠の盗賊

 山の端がしらじらと明るみだすと、朝がやってきた。和國に来て、初めての朝がきたのだ。  

 パムは朦朧とする頭の中で、朝、と唱えた。ずっと鵺に乗っていたのだ。いつ落ちるかわからない状況から気が抜けずにいたのだが、て時折力が抜けて、眠気が襲ってくる。隣では、ソシモリが鵺の首に寄りかかりいびきをかいて寝ているのだが、ズシンズシンと揺れる鵺の上で、姿勢を保ったまま寝るなんて人間業ではない。よくそこまで熟睡できるもんだと感心する。


 どれだけ鵺の上に乗っていたのかはわからない。


 明るくなってわかったのは、鵺が目の前にそびえる山に向かっているということだった。

 山が近づき、森の中に入り、鬱蒼としたけもの道を登っていく。鵺は体が木ほどもあるから、その肩あたりというのは、丁度木の枝の茂っているところだ。。

 そういえば、夜の暗闇では山ほど大きいと思っていたが、そこまでの大きさではなかったようだ。木の枝がパムの目線のあたりにあるから、危なくて仕方がない。

 こんもりと葉を茂らせた枝が、まるでパムを狙っているのではないかというほど、次から次へと当たってくる。


「痛い、痛い」


 バシン、バシン、バババッ!

 あまりの痛さにソシモリを呼んだ。


「ソシモリ! 木が木が!」


 パムの叫びも虚しく。

 ひときわ大きな枝が目の前に現れると、たちまち顔面をはたかれ、パムは肩から転げ落ちてしまった。

 地面に落ちるまでの間、木の枝に何度か引っかかりながら、走る土蜘蛛たちのど真ん中に落ちた。


「ツヌガアラシト!」


 夜っぴいて歩いていた土蜘蛛たちは、そう叫んで落ちてきたパムをあっという間に取り囲んだ。

「ちがう」

「ちがう」

「この落ちてきたやつ、どうするね? ツヌガアラシトじゃねぞ。まだ弱っちい子どもだ」

「とりあえず連れていこう」


 パムは体の大きな男によいしょと担がれた。男はそのまま一行とともに走る。

 鵺の後を追いかけ鬱蒼と茂る山道を進んでいく。夜もすっかり開けてしまった。太陽の位置が少しずつ高くなると、朝露に濡れた木々の葉がキラキラと輝きだした。担がれて頭を逆さまにしたままのパムが、ああ、きれいだなと、疲れてうとうとしはじめたとき。不意に道が拓けて小さな小さな集落が現れた。こんな朝早くからうるさいほど元気な子どもたちがわあわあと騒いで集まってくる声がして、目が覚めた。


「ぬえー! ぬえやー!」

「父ちゃんおかえり」

「おかえりー! 今日は何か美味しいもんある?」


 どうやら、土蜘蛛一族は、木ノ芽峠と呼ぶ山奥に集落を作って暮らしているらしい。父ちゃんと呼ばれた男たちは、顔をしかめて首を横に振った。


「いや、お前ら、ちょっと家に戻れ」


 なんで? と首をかしげる子どもたちを追い立てるが、子どもたちはかえって興味津々で近づいてきてしまう。


「あっち行け!」


 どうやら子どもたちを離したいのだが、怒鳴っても言うことを聞かなかった。


「ぬえーぬえー!」

「うえー、誰か鵺に乗ってるっちゃ」

「あー! すげー本当だ!」


 子どもたちは大騒ぎである。パムは男の肩に逆さまになったまま、その様子を見ていた。逆さまの景色がひっくり返ったと思ったら、大男がパムを肩から降ろしたのだった。そして縄で近くの木に縛りつけた。また縄で縛られた状態に逆戻りである。


「ねえねえ、この人誰?」

「うっわー、こいつ、すげーガキだね」

「弱そう!」


 大きなお世話だ。お前らよりはよっぽど年上だ、と、言いたかったが、疲れてそんな言葉も出なかった。


「一体なんだね、大騒ぎして」


 今度はその騒ぎを聞きつけて、集落の女たちも現れた。やはり、子どもたちも女たちも毛皮を着ている。浜辺で見た和人たちは漁が生業だったようだが、この土蜘蛛たちはケモノを獲って生業にしているのだろう。


「子どもを連れて家に入ってろ」と男たちが怒鳴るのを、女たちはきつく言い返す。


「何よ、せっかく朝まであんたたちの帰りをを待ってたのに、何さ、その言いぐさは! もっと優しくおいい!」


 男たちも負けずに言い返す。


「ツヌガアラシトかもしれんのだ」

「ツヌガアラシト?」


 ツヌガアラシトと聞くと、女たちはお互いに顔を見合わせ、慌て出し、そして一斉に眉間にしわを寄せた顔をパムに向けた。

 顔を向けられたパムは驚いて、思わず首を横に振る。


「ボク、違う、チガウヨ!」

「違う、あっちだ。今鵺に乗ってるやつだ」


 男に言われるまま女たちは、パムの後ろに視線を移した。縛られているパムからは、ソシモリが見えないが、鵺の息遣いは聞こえてくる。まだソシモリはその上に乗っているのだろう。


「思っていたよりも子どもだが、確かにツノがある。うらで出たツヌガアラシトがこいつかどうかはまだわからんがな」

「この小僧、昨日、海岸で気比けひの連中を相手に立ち回ってたくらいだ。あの野蛮なヤツらを10人も相手に対等に戦ってたっちゃ」

「何をするかわからんヤツだから、とにかく、女子どもは離れとけ」


 男たちが口々に言う。どうやら、パムとソシモリが海岸に流れ着いた時の騒ぎを見ていたらしい。

 その言葉が終わらぬうちに、ソシモリの奇声が響き渡った。


「ぶっ殺せー!」


 その声とともに、鵺が「ヒーン」と情けない声で啼きながら、パムの目の前の土蜘蛛たちのところへ疾風のように突っ込んでいった。あまりに思いがけないことに、土蜘蛛たちは慌てて声をあげ、それこそ蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。


「鵺が襲ってきた!」

「鵺が、私らを襲ってくるなんて!」と女たちは慌てて子どもたちを集めて大騒ぎとなった。そして何人かの子どもたちは大声で泣きだした。先ほどの親しく「ぬえー」と話しかける様子を見ると、これまで仲良くしていたのだろう。その鵺が自分たちに襲ってきたのだ。

 その騒ぎの中、


「よく聞け、平民ども」


 ソシモリの高い声が響く。しゃがれているがなぜかよく通る声。あちらへこちらへと惑っていた土蜘蛛たちがその声に振り返った。

 一人。右の頬に刀傷のある男が一歩前へ出た。


「ツヌガアラシト降りてこい、話がある」


 土蜘蛛の男たちは、それぞれ骨のやじりのついた槍や棍棒を手に構えた。

 ソシモリは、ふん、と鼻を鳴らすと、広場のど真ん中で、鵺の肩の上に立ち上がった。


「よく聞け、平民ども。オレ様は、斯羅国しらこくは王子……ツヌガアラシトだ」


 あいつ、ツヌガアラシトと名乗ったぞ、とパムは思った。そういえば、ソシモリは、本名ではない。だいたい「牛の角」という意味なのだから、ソシモリも気に入らない呼び名だったのかもしれない。そして和國に来て、ツヌガアラシトと呼ばれたのが、意外と気に入ったのかもしれなかった。そのまま、『ツノがある人』という意味なのだが、それがわかっているかどうかは……わからないが。

 土蜘蛛は、ざわざわとざわめき出した。


「ツヌガアラシト、ツヌガアラシト」


という言葉があちこちから聞こえる。それがさざなみから、大きな波へと変わっていく。皆驚きの表情でソシモリを見た。


「ツヌガアラシトだと!」

「何を喋ってるかは、さーっぱりわからんが、ツヌガアラシトだと言ったみたいだぞ」

「本当だ」

「本当か?」

「いや、よくわからん」


 ツヌガアラシトという言葉以外、ソシモリの発した言葉をまったくわかっていなかった。まあ、ソシモリは駕洛語しか話していないから仕方がないのだが。


 ソシモリは鵺の上から、パムの方を振り返って見下ろした。


「早く伝えろ」

「え、何が?」

「何がじゃない。オレ様の喋ることをこの平民たちにさっさと伝えろ、漁師。そのために連れてきたんだろ」


 いや、ボクはそんなつもりじゃないんだけど……そう思いながら、しぶしぶ大きく息を吸って心を落ち着けた。それから和語で切り出した。


「ちょっと、イイですか?」


 パムが和語を話したので、みなが揃って振り向いた。


「あの、あいつ、コウ言ってる。ワタシハ、斯羅しらの国の王さまの子ども、ツヌガアラシト、でス」


 さすがに「平民ども」、のところは伝えるのをためらってやめてしまった。和語でなんというのかわからない、というのもあるが、さすがにわかっても伝えづらい。

 土蜘蛛たちは、顔を見合わせる。


「やっぱり、ツヌガアラシトだと言ってるんだ」

「それに王さまの子どもじゃと?」

「あんな野蛮なのがどっかの国の王さまの子どもかい?」

「それよりシラ国ってなんだ?」


 遠巻きながら、鵺の向こうからパムに聞いてくる。


「斯羅国は、海の向こうの国、駕洛の国のひとつでス。そこの国の王子だと言ってマス」


 まあ、王子というのが本当かどうかは怪しいところだけど……と心の中でつけ加えたが、それも言わずにおいた。

 パムが話し終わったのを見ると、ソシモリがつづける。


「よし、いいか、てめえら。これからはこの鵺とお前らは、オレ様の手下だ。文句のあるやつは前へ出てこい。これからは、オレさまが命令を出すし、お前らは言うことを聞くんだ」


 パムは、小さな声を出した。


「あの、その……」


 とても、ソシモリの喧嘩腰の言葉など言えやしない。


「早く言えよ、漁師」

「言えないよ、言ったら、とりあえずこのでっかいおっさんたちに、ボクが殴られるじゃないか」

「大丈夫だ」

「なんでさ」

「殴れらたら、オレ様が殴り返してやる」


 いや、それじゃボクはすでに殴られた後じゃないか。しかしソシモリの威圧感に負けて小さく


「あの……」と言った。


 土蜘蛛たちに顔を向ける。どう言おう。


「あの、まず怒らないでくだサイ。ソシモリ、言ってるダケ。ボク、言ってないヨ。わかりまス?」

 顔に刀傷のある男が前へ出てきて、頷いた。


「あのツノの言葉があまりいいことを言ってないのは、うすうすわかっている。言ってみろ」


 パムは、深呼吸をしてから、ボソボソと下を向いて口を動かした。


「ソシモリ、言ってマス。私に従エ。文句あるなら、来イ。これから、私が命令する。お前たち、いうことキク」

「何を! てめえ、ガキだと思って大人しく聞いてりゃあふざけやがって! 一体何が悲しくてガキどもに従えっていいやがる」

 

 パムを担いできた図体の大きい男が、気に縛られているパムの首根っこを掴んで強く揺すった。


「だから、ボク違うヨ。ソシモリ……あの、ツヌガアラシト、言ってるヨ」


 パムが懸命にちぎれるほど横に首を振ると、刀傷の男が「ジリ、よせ」と言った。


「じゃけんが、ハハカラさま、こいつら俺たちをなめてかかってるんじゃ!」

「その子は放してやれ」

 

 ハハカラがもう一度強くいうと、ジリと呼ばれた大男は悔しそうに手を離した。


「わかった、小僧。では、ツヌガアラシトに言ってくれるか」

「あ、はい……」

 

 ハハカラは眉間にきつくしわを寄せた。


「お前は本当にツヌガアラシトなのか? お前はこの村を救うとある方の占いで告げられた、そのツヌガアラシトなのか? わしは信じられん。わしと勝負しろ」


 パムは、ソシモリの方を見た。


「なんだって言ってんだよ、そこの傷のおっさん」

「ソシモリ……」

「なんだ」

「ボクはもうこれ以上ゴタゴタしたくないんだけど」

「いいから、言え」


 パムは大きく息を吐いた。


「お前が本当にツヌガアラシトか。俺は信じられない。俺たちと勝負しろ」


 それを聞くや否や、ソシモリは杉の木と変わらぬ高さの鵺の肩から、軽々と飛び降りた。

 飛び降りる途中、木の枝を一本折り取った。葉の部分をいくつかパパッと取ると、簡単な剣を作り、土の上で四つん這いになって狼のようにグルルルルとうなり声をあげた。たちまち土蜘蛛たちが取り囲み、そして獣の骨をやじりに仕立てた槍を、ソシモリに向かって一斉に突きだした。ソシモリは、人間とは思えぬ動きで、ひとつひとつを見切って丁寧によける。男たちは、右だ、左だと叫びながら、ソシモリを追いかけ、必死になって槍を突きだしている。


「木の上だ! いや、右だ!」

「畜生、ムササビみたいに飛びまわりやがる」


 ソシモリは時に木の上に、時に土の上にと、自在に飛び交った。


「弓だ、弓をもて!」


 とても槍では届かないところへとひょいひょいと飛んでいくソシモリに対し、とうとう土蜘蛛は弓を持ち出した。樹上へ向かって射るのだが、ソシモリは手にした木の剣で軽く払い、鼻で笑った。


「たいしたことねえなあ、おっさんたち」


 パムは相変わらず木に縛られたままだった。

 逃げたくても縛られているのでどうしようもない。あの争いがこちらに来ませんように、と心から願っているところへ一人が放った弓矢が飛んで来た。右の頬に何かが飛んできて当たった。ゆっくりと目を右に動かすと、矢が頬をかすめて、後ろの木に突き刺さっていた。矢がプルプルと振動で震えている。このままでは死んでしまうと、ジタバタ暴れるが、しっかりと縛られた縄はビクともしない。

 そこへソシモリがパムの前をウロウロしているからたまらない。


「ソシモリ! 頼むから、もっとあっち行って! もっと離れてってば!」

「おお、そうか、お前を盾にすりゃいい」

「おい! だから違うって!」


 ソシモリは、意気揚々と飛び跳ねて、ひょいとパムの木の後ろに隠れた。

 何十もある弓矢と槍が一斉にこちらを向いてピタリと止まった。

 生きた心地がしないというのは、まさにこのことだ。

 パムはここまで来てしまったことを後悔していた。じいちゃんのいうことを聞いて駕洛に大人しくいればこんなことにはならなかったのに。父ちゃんのやり方は腹が立つけど、でももう少し我慢していれば、こんな短い人生で終わることはなかったのに! 漁師の生活はもう飽き飽きだけど、でもこんな危険な目にはあうことはなかったのに!


 その時である。

 誰かが、パンパンと手を叩いた。


「そこまでじゃ」


 自分の目の前にずらりと並んだヤジリがその殺気をふと失い、バラバラと上へと向いていく。槍と弓矢がパムの周りから離れていくと、槍の林の間をぬって、白く長い髭の爺さんが現れた。


「頭領」

「頭領」


 白ヒゲの爺さんは、手をそっとあげて若い男たちを諌めると、武器を収めさせた。男たちは手にした武器を何事もなかったかのように、するすると地面へ下ろす。


「ツヌガアラシト」


と頭領は言った。

 ソシモリは、パムの木の後ろから前に出ると四つん這いになった。彼の攻撃体制である。

 

「もう良い。そうピリピリするな。わしは、お前に告げるべきことがあるからやって来たのだ」


 ソシモリは彼が何かいうのをさえぎるように、鋭く手に持った木の剣を突き出す。白いひげの頭領は、それを掴むと、くるりとまわり、ソシモリの腕をひねりあげソシモリを制した。


「いててててて!」

「よいから聞け。そうピリピリするなというのじゃ」

「いってえなあ、このクソジジイ!」


 ソシモリがしかめた顔で後ろを向き、パムを見る。


「なんだよこのジジイ!」

「この人、どうやら土蜘蛛の偉い人みたいだよ。みんな頭領って言ってる。よくわからないけど、争う気はないみたい。なんか言いたいことがあるってさ」

「その前に離せっていえ」

「ま、聞いてみるよ」


 パムがソシモリを離すように頼むと、頭領はソシモリをパッと離した。と同時にソシモリはつんのめり、前に倒れこんだ。ソシモリは傷めた手を振って、頭領を睨みつける。

 パムはおそるおそる和語で話しかけた。


「あなたは、何を告げるデスか?」

「我々が聞きたいのはただ一つ、ツヌガアラシト、君は猩々しょうじょうを倒すことができるか?」


 頭領は、じっとソシモリの目を見て言った。

 猩々は、浜で見た巨大ナメクジとともに現れた気持ちの悪い、赤い衣の小さな連中だ。たしか浜では、和人たちが土蜘蛛の連中が猩々をけしかけている、と話をしていた。


「ショウジョウ? アナタタチ、猩々をけしかけてタ人。仲間を倒ス、オカシイ」

「わしたちが? とんでもない! わしたちの方こそ気比の連中から猩々をけしかけられとるのじゃ。だから、わしたちは、気比の連中と闘っとる。あの連中がよこす猩々をこの世から消しさえすれば、あとの気比の連中なぞはひとひねりじゃ。たいしたことはない。気比を倒し、気比を我々の手中にするのじゃ!」


 そうだそうだ、と周囲の土蜘蛛の男たちが口々に叫んだ。パムにはよく理解できなかったが、とりあえず、猩々に困っているのは土蜘蛛の方だ、と言っているらしい。

 

「だから、わしたちは聞きたい、君は猩々を倒すことができるか?」


 パムが頭領の言葉を、ソシモリに駕洛語で伝えた。


「ソシモリは、猩々を倒すことができるかって聞いてるよ」

「だから、何だよ、猩々って」

「見ただろ? 夜中に襲ってきたやつ。体が小さくてさ、赤い衣で、赤い仮面の、ぴょんぴょん飛んでくる、妖怪っての? ほら、牢屋にびっしり張りついてたの見ただろ?」

「知らん」

「あれだけうじゃうじゃいたのに?」

「知らんもんは知らん」


 そうか、よく考えたらソシモリはずっと寝ていたのだった。起きた時にはすでに猩々も巨大ナメクジも炎に恐れて去ったあとであったかもしれない。


「ソシモリ、その猩々って、炎ですぐに逃げたんだ。一緒にめちゃくちゃでかいナメクジもいたんだけど知らない?……よね。そいつも、すぐに逃げ出した。そんな感じだから、炎でも持っていけば、ソシモリなら簡単に倒せるんじゃない?」

「ふん。そんなもんなくても楽勝だろ、オレ様にかかればな」


 態度だけは相変わらずである。


「倒したら、オレ様がこの国の王だ、といえ」


 またとんでもないことを言い出す。


「それは……聞いてみなきゃわからないけど……」


 パムが困って土蜘蛛の連中をちらりと見た。

 土蜘蛛の男たちは、槍を構えてはいないが、じっとこちらを真剣なまなざしで見つめている。

 

「倒したら、ツヌガアラシト、この国のオウサマ、なる……」と言いかけたところで、ドサっと音がした。

 なんと、隣で肝心のソシモリが地面にたおれこんだのだった。


「ソシモリ? ソシモリ! ど、どうしたの?」


 土蜘蛛たちがざわつく。パムはソシモリを抱き起こしたかったが、残念ながら木に縛られてどうしようもなかった。


「ね、ソシモリ? 大丈夫?」

「……おい、漁師……」なんとか声は出せるようだ。

「な、なに?」

「……おい、腹が減った」

「は?」

「腹が減ったと言ってるだろう……とにかく飯をくれ……くれるなら、猩々でも何でもやっつけるわ……それから、王様だ……」


 確かに。腹が減ったのを通り越し、あまりに衝撃的なことばかり起こるから忘れていたが、腹が減っていた。パムは頭領に向き直った。

 

「えーと、ソシモリ……いや、ツヌガアラシトは、猩々倒せるヨ」


 広場にどよめきが起こった。男たちは顔を見合わせて、ホッとしたような顔をしている。


「ただ、ツヌガアラシト、腹が減っている。……あの、ボクモ腹が減っている」

「ああ、ああ、それはもう君たちを、もてなそう! ご馳走でも何でも用意するよ。わしたちはもう何年もあの猩々の連中に悩まされとるんじゃ。この日々が終わるなら、わしたちはいくらでも君たちを歓迎しよう」


 パムがソシモリにご馳走をくれるって、と伝えると、土だらけのソシモリの顔がこちらを向いて、ニンマリとほころんだ。今まで険しい顔しか見ていなかったので、こんな表情をするのだと驚くほど、締まりのない顔である。笑顔を見ると、存外可愛かった。そういえば自分より年下だったことを思いだし、苦笑する。


「よし、倒してやる」


 というと、ソシモリはそのまま地面に突っ伏した。

 パムの腹が鳴る。

 

 ソシモリもよくここまでずっと動きつづけていたものだと感心する。

 よく考えたら、もう金海を出てからずっと何も食べていないのである。海に流されたのがどれくらいの時間なのかもわからないが、丸々2日は食べていないんじゃないだろうか。パムに関しては、この土蜘蛛の誰かが団子をくれたから少しは食べたのだが……。

 ハハカラは木に繋がれているパムのところへ行くと、縛っていた縄を短剣できり、自由にした。パムは縛られたところが青くなっているのを見て手でこすった。


 ただ、ソシモリの希望している「王様になる」のところは言えないままになってしまった。それをソシモリが知ったら……この暖かいのに、背筋に冷たいものが走る。


 どこからか、いい匂いが漂ってきた。

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