第4話 悪夢
夢を見ていた。
幼い頃のできごとなのだけれど、忘れたころに繰りかえし見てしまう悪夢……。
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夢の中で、パムは突然降り出した雨の中を、じいちゃんの家に向かって走っていた。
たしかこの日は、めずらしくじいちゃんの家に一人で泊まることになっていて、遠くから来た知らない子と
急いで帰らないと。
走っていると、途中の道で、こんなひどい雨降りだと言うのに、人だかりがしている。
大人たちがワイワイ言いながら人垣をつくっているものだから、中のようすはまったく見えない。
一体何があるのだろう。
何か楽しいことがあるに違いない。
ふと大人たちの足元を見ると、足と足の間が空いていた。足元の隙間を四つん這いになって泥だらけになって進みだす。
「誰だ! 足元を這ってるやつあ!」
蹴られたり踏んづけられたり怒鳴られたりしながらも前へと進み、怒号を気にせずに足の林を抜けると、そこで見たものは。
あまりの光景に、パムはたちまち体が固まって動けなくなった。
三人の兵士が、一人の女性をよってたかって殴ったり蹴ったりしていた。それはひどいものだった。屈強な体に大きな鎧をまとった男たちが、笑いながら蹴る。遊ぶように殴りつける。女は木の切れっ端のように軽々と飛んでいき、泥の中にべちゃっと落ちた。
パムは思わず顔を背けるが、殴られた若い女は、気丈に声を上げて歯向かうのであった。
「わたしを蹴るなら蹴るがいい。殴るなら殴るがいい。しかし、この子に危害を加えては決してならぬ。この御子をどなたと思うておるのか。畏れ多くも斯羅國(しらこく)の御子なるぞ」
「まだ言うか、この嘘つき女めが!」
兵士たちは、そう言うと、また女性の首根っこを掴んで殴る。
女は「うっ」と声を上げて泥の中に倒れ込んだ。
女が殴られていると言うのに周りの大人たちは助けようともしなかい。
「まったく、あの女、あんな嘘ばっかりついて。たいした玉だよ」
「なあなあ、一体何の騒ぎだよ」
助けようとするどころか、当然といった空気だった。パムの尻を誰かが蹴飛ばした。後から割り込んできたどこかのオヤジが、一番前まで人垣を押し分けてきて、パムを蹴飛ばしたのだ。思わずつんのめる。
「あれだよ」
そのオヤジが、まっすぐ前を指差した。パムもつられてそちらをみる。
そこには、兵士に両腕を羽交い締めにされて抱えられた子どもが、足をジタバタと振って暴れていた。
「離せ! はなしやがれ! このタコ! クズ兵士!」
「うるせえガキめ!」
兵士は子どもを抱きかかえたまま、後頭部に頭突きを食らわせた。悪態をついていた子どもは途端に火がついたようにわんわんと泣く。
「あれがソシモリだよ……」
頭上から聞こえる大人の言葉にパムは目を見開いてソシモリと呼ばれた子どもを見た。
「ソシモリ?」
もう一人、そばにいた女が話に割り込む。
「ほら、あの子をご覧よ。噂どおりだろう? まるっきり牛の角が生えているじゃないか。あの女はねえ、あんな牛の子をずうずうしくも国王の御子だなんてふざけたことを言ってるのさ。あんな牛とやっちまってできた子どもを王の御子だなんてさあ、あんな図々しい女は殺されればいいんだ」
「そうだそうだ! やっちまえ!」
大人たちは楽しそうに、女と子どもが殴られるごとに喝采を送った。
「おい、頭を下げろ!」
誰かが声をあげると、今まで女を好きなように殴ったり蹴ったりしていた兵士たちが、突然ビシッと直立した。それから、慌てて後ろへ下がって泥だらけの地面へ膝をつく。
あれだけパムが押しても引いても動かなかった人垣が、さっと二つに割れると、背後から赤い傘が現れた。
色気のある女性が赤い傘をさし、その下で偉そうに着飾った男がゆっくりとあるいてくる。
「そいつか」
「へえ、スサノオ様。この女がこのどう見ても牛のガキを、よりによって
「ふん。ごくろう」
スサノオと呼ばれた男は蛇のような目をさらに細めて女に顔を寄せてささいた。
「斯羅の名を語るんじゃねえよ。本当にそいつが王子か? 牛人間じゃあ、女好きな国王でも、さすがに相手にすまいよ。せめて人間の子にしてくれなきゃ、王に対してゆすることもできゃあしないくらい考えなきゃなあ、なあ女?」
スサノオが女に顔を近づけると、女はその顔に唾をペッと吐きかけた。
スサノオはまぶたにへばりついた唾を袖で拭うと、顔は怒りで震えはじめた。
「わしの、わしの顔に、よくも……お前ら、この
スサノオはそう一言司令すると、傘をさしている女に目配せして、前を行くように指図した。女はしずしずと真っ赤な傘を差し、スサノオが濡れぬように傘を差し出して歩いた
場違いで厳かな行列は、背後で女をなぶる兵士の怒号を尻目にすすむ。
行列が、兵士に羽交い締めにされたソシモリのそばを通った時、スサノオは興味深そうにソシモリをみた。
「ほう、本当に牛のようじゃねえか。これは本物か?」
スサノオがソシモリの角に手を伸ばすと、ソシモリはその手を噛み付こうとした。
スサノオが急いで手を引っ込めて
「ほうほう、怖いねえやだねえ。やはり野蛮な人種は恐ろしい。育ちが悪いと口癖手癖も悪いと聞くが、本当だ」
ソシモリは暴れようと足をばたつかせるが、兵士がしっかりと羽交い締めにしているため、身動きが取れない。
「きゃあああああーっ」
女の叫び声を聞くと、ソシモリはたまらず叫んだ。
「かあちゃあああああああああああああん!」
スサノオは目を細めてソシモリを見た。
「おお、涙ぐましい親子愛だねえ。まあ、残念ながら、お前の母親は嘘つきの罪で死ぬ。牛との合いの子を、斯羅國王の子供だなんてとんでもない嘘をついた嘘でな」
それを聞くと、ソシモリは「グルルルルルルルルル」とケダモノのような低いうなり声をあげだした。真っ赤に血走った目は、まるで狼のようだった。
ソシモリが静かになったと思ったその瞬間。
ソシモリは一気にスサノオに飛びついた。
そして。
スサノオの左の耳を喰いちぎった。
兵士は隙を突かれて、言葉を発する間もなかった。
スサノオは「ひいっ」と声をあげながら泥の中に倒れこむ。ぶざまに水にはまった蟻のように手足を動かし、逃げようとする。逃げようとジタバタするスサノオにソシモリが飛びついた。ソシモリがまた口を開いて噛みつこうとしたところを、兵士がすぐさま引きはがした。そして脇に差した剣を取り出すと、ソシモリに向かって剣を振り上げた。
パムは目をつぶった。
あいつらはまるで黄泉の鬼たちのような連中だ。
なんてところに来てしまったんだろう。人だかりがなんなのか知りたかっただけなのに、ちょっと興味が湧いて潜りこんだだけなのに、まさかこんな恐ろしいとこに出くわしてしまうだなんて。ただただ後悔した。しかし、恐怖のあまり、体は痺れ、ロウで固めたように動かない。
ここから逃げたいのに、体が全く動かないのだ。
体は雨でびしょびしょである。大人たちの足元で、震えて縮こまっているのだが、それが濡れた寒さで震えているのか、恐怖で震えているのか、どちらなのかもまったくわからなかった。
その時である。
咆哮が聞こえた。
グオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッッ!!!
これはソシモリの声ではない。もっと野太い、地面を揺るがす咆哮だった。
パムは体をさらに縮めたまま、目をキョロキョロ動かして周囲を見る。
今度はなんだ? もうこれ以上恐ろしいのはまっぴらだ。
ズシン、ズシンと泥だらけの地面が揺れる。
「きゃー!」
「逃げろ! 逃げろ!」
大人たちが声を上げて右へ左へ走りまわる。パムは一人縮こまったまま、その場所で丸まっていた。周りを大人たちが駆けまわっている。自分の周りをいろんな足が通りすぎ、たまにパムを蹴飛ばしていく。
ズシン。ズシン。
グオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッッ!!!
「おい、小僧、逃げろ!」
誰かが声をかけてくれたが、体が動かないのだ。逃げまどう大人たちの足が見えなくなり、ようやく顔をあげると、切り立った崖のように大きな熊のようなケダモノが立っていた。
それがなんなのかわからない。真っ黒い影となってパムの前に立ちふさがっている。ただ二つの目がぎらりと光っているのが見えるのみであった。
そのケダモノがあたりの大人を大きな手で薙ぎはらう。
スサノオも、兵士も、ソシモリも、ソレが大きな手をブンとふるうたびに面白いように飛んでいく。
ブン。ブン。ブン。
グオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッッ!!!
先ほど、スサノオに仕えていた女が持っていた赤い傘が空に飛んでいくのをパムが呆然と、見上げていると、誰かが座りこんでいるパムを抱きかかえて走った。
「大丈夫かい?」
声をかけられてやっと、パムは、ケダモノが暴れていたところから少し離れた岩陰にいることを知った。
顔を上げると、異国の服を着た女性がいた。
気づくと、もう周りは静かになっている。
「手当はした。もう少し休んでゆきな」
女性はパムに語りかけ、岩にそっと座らせてくれた。次に隣の少年にも声をかける。
「大丈夫かい?」
隣の少年はバッと跳ね起きた。起きるなり叫んだ。
「てめえ、ぶっ殺してやる!」
ソシモリだった。
「もうお前を殺そうとしているヤツはいないよ」
ソシモリはその言葉に少し狼狽(うろた)えると、しばらくあたりをキョロキョロ見回した。
「母ちゃん、母ちゃんは?」
女性は少し離れた場所に寝かせた母親のところへとソシモリを連れて行った。泥の上に綺麗な衣がしかれ、その上に母親は、まるで眠っているようだった。が、女性はうつむいてソシモリの肩に手を置いた。
「残念なことをした……。立派な母だったな」
ソシモリは、その言葉を理解できずに憮然としていた。女性はその表情をみて、言葉を言いかえた。
「お前のかあさんは死んでしまったよ」
ソシモリは、母親に飛びつくと「母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん」と揺さぶり、呼びつづけた。
どこからか笛の音が響く。村の人たちが吹く笛か。
ソシモリが「にくい、にくい、にくい、にくい」と声を絞りだしていた。
「スサノオ憎い。スサノオ憎い……」
それからいろんなものが、ごちゃ混ぜになって襲ってくる。
大きなケダモノがこちらに向かって棍棒のような手を振るい、兵士たちが笑いながらパムを蹴飛ばす。パムはポーンポーンと、兵士の間を鞠のように蹴飛ばされつづけていると、スサノオと呼ばれていた男と赤い傘の女が「やれやれ、やっちまえ!」とはやしたてる。パムが泥の中にベチャッと落ちると、スサノオが空をすべるように近づいてくる。そして、くっつきそうなほど顔を近づけると、こう訊くのだ。
「憎いか? 憎いか? 憎いだろう?」
「うわあああああーーーーーーー!」
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パムの夢はここで終わる。
もう幼い頃のことなのに、まだ細かいところまでしっかりと夢になって現実のように感じる。
血の飛び散るさま、人が殴られる時の鈍い音、熊のようなケダモノの現れた時の地面の振動と、泥の中の生温かさ。
いつも汗びっしょりになってとび起きる。
そして今回も、パムは叫びながら目を覚ました。
ただ、今回はいつもと違い、見たことのない光景が目の前に広がっているのであった。
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