第十三話 状態異常は怖いね(21歳)

 この世界でエルフを見るのは初めてだが、そのエルフが死を懇願するところを見るのも現実では初めてだ。

 ファンタジーの世界だけのものかと思っていたが、ここはファンタジーだった。


 これは事件だ。

 エルフはスライムから出てきた。

 そのスライムは別人の変死体の真下に潜んでいた。死体は現在エルフの隣に転がっている。


「何事だこれは」

 なにぶん転生して二十数年の身。知らないことは多い。


「せ…ころっせ…!はやく!」

「慌てるな。まずは治療してやる」


 痙攣しながら地を這うエルフの女に、俺はしゃがみの体勢になり治癒呪文を唱えようとした。

 殺せと言われて、はい分かりましたと素直に殺す性分ではない。利用できるならば働いてもらう。


 首から血を流して息も絶え絶え。しかもスライムの中から出てきたエルフ。その傍らには死体。何かあったのだ。

「あっ、神官剣士さん。その人に近付かないで」

 俺がエルフに触れようとすると、狐耳の少年レンが慌てて静止した。


「どうした」

「さっきの、明らかに普通のスライムじゃない。ちょっと調べてみるよ。あ、死体の方をね」

 レンは近くにあった木の棒を持ち、エルフではなく、木の根元に転がっている冒険者の死体を調べ始めた。


 とりあえず俺はエルフを放っておくことにした。レンが言う以上、触れるのは危険だろう。

 一方レンは白骨化した死体の頭部をつついたり、脚を見た。


「分かるのか」

「うん。家が代々植物学者でね。親が細菌の研究を専門にしてるんだ。それ以外はあまり期待しないで」

「細菌か」

 レンは初心者に似つかわしくない確かな観察眼を持っていた。


 死体は見つけた当初、全身に細長いキノコが生えていた。紐と埃の塊のような形状だったが、確かにキノコだと思う。

 キノコは菌類だ。その知見がこの世界にも一部存在するのだ。

「この死体のキノコ、退魔呪文バニッシュの光を浴びた部分だけが消滅してるな」

「浄化されたのかしら?」

 狐耳の少女コンも疑問に思ったようだ。


 エルフの女は、相変わらず地面に付して手足をバタバタさせている。

「か…はっ…ひゅー」

「スライムは水分の塊だ。だけどさっき死体の下から出てきたのは粘り気があるように見えた。それにこの死体。ミイラ化してる所としてない所の差が激しい。頭なんかは完全に髑髏だけど、脚の方はまだ新鮮な死体だよ」


「スライムがキノコの菌に寄生されていたということか」

「うん。今すぐ引き返した方が身のためかもね。多分、スライムにキノコ系の魔物が混じってる。菌類のモンスターさ。マイコニドっていうんだけど」


 キノコ系のモンスターとは。

 聖都にいた時はお目にかからなかった。これも中央大陸特有の生態系か。


「そう。マイコニドは生物に寄生して脳を支配するんだ。そんで勝手に体を操って、苗床にしてしまうのさ。」

「レン、その人はどうするの?」

「回復させてやった方が良いのではないか。」

「どうなんだろう。寄生されたスライムから出てきたから、その人も寄生されてるだろうな。僕なら触らない」


 生物に寄生するキノコ。

 それがスライムにまで寄生し、このエルフと、もう一人の死体を襲ってキノコまみれにした。


 いや。


 順序が逆かもしれない。

 死体の方が、先にキノコに寄生されていた。

 その死体とエルフを通して、スライムが菌に感染した。


 キノコに寄生された冒険者を襲ったから、スライムもまた寄生されたのではないだろうか。

 そう考えた方が納得いく。


「どちらにせよ、そのキノコが魔物というなら俺の退魔呪文バニッシュで退治できる。スライムの中にいたということは、このエルフに巣食うキノコも既に無い。だから回復してやろう」

「むっ…だっ…だ…」


 エルフは俺たちの会話を聞いていたようで、勝手に口を挟んだ。

「こよキノコん、あだまっあ…!、やあれ…っう…!」

「あー」

 このキノコに、あたまが、やられる。

 幻覚症状でもあるのか、このキノコ。


 人の頭に寄生するんだから、ない方がおかしいかもしれない。

「僕もマイコニドを見るのは初めてだけど…幻覚の状態異常はあり得るね。宿主の頭を壊せば操りやすいし。だとしたら治療呪文では状態異常は回復できないね」

「幻覚毒か」

 幻覚というと単なる幻のように思えるが、元が危険なキノコなので、マジックマッシュルームのような中毒症状に近いだろう。


 しかも相手は魔物。その破壊力はマジックマッシュルームの比ではないはずだ。脳が破壊されれば廃人となるし、心は回復出来ない。

「しかもこのエルフ、よく見れば自分で喉を突いたようだな。首が血まみれだ。だが自害しきれなかったか。これでスライムに食われてよく生きていたものだ」


 俺は片方のハサミを開き、赤色のドロドロとした液体を垂らした。

 こうなれば、このエルフが助かる方法はただ一つ。

「致し方ない。おいエルフ。本当にこんなところで死んでいいのか」

「うあ…?」


「仲間の仇を取りたくないか。何のためにお前はここにいる。助かるためではないのか。俺ならばまだお前を助けられるぞ」

「あ…だが…」


「時は一刻を争う。ここは生きて助かることが仲間の恩への報いではないか」

「うう…」

 エルフは呻きながら頷いた。


 確認が取れると、俺は赤い月のブラッドストリームの液体をエルフに垂らした。

 赤色の液体は喉をパックリと割く傷口に入っていった。

「ぐっ」

「確率は半々だ。だが俺は神官。助からなかった時は弔うので安心せよ」


 しばらく苦しんだが、エルフはそのうち動かなくなった。

 レンとコンはエルフが死んだと判断したようだが、たちまちエルフは体を起こした。


「かはぁっ!…はぁ…はぁ…これは?」

「うわっ」

「何これ?」

「おめでとう。これで君は生き残った」

 俺は両手のハサミで拍手をした。


 これでエルフは赤い月のブラッドストリームの力を少しだけ体に宿した。

 首の傷は塞がり、身体は以前より強化され、免疫力も高まる。

 性格も少しだけ破壊的になるだろう。


 そして、悪の組織の忠実なしもべとなるのだ。

「私は…私は生きてるのか」

「お前はキノコに寄生され死にかけた。だが、強い精神力で生き残ったのだ」


「すごい。一体なにが起きたの。はっきり言って怖いわ」

「うん。この世にあってはならない力だね」

 狐耳の二人は、獣特有の勘で悪の危険性に気づいたのだろうか。


 だが、エルフの方は俺に感謝の意を示した。

「ありがとう。君が助けてくれなければ私は死んでいた。私はエルフ族の女剣士」

「俺はエビボーガン。まずは状況を話してもらおう」

 エルフ族の女剣士が手を差し出し、俺もまた手を差し伸べて互いに握手をした。


「ああ。我々はリザードマンの敗軍を追っていた。途中、リザードマン軍がこの洞窟に入るところを見て、追撃したんだ。だが洞窟で落とし穴にハマってな。パーティーは全滅した」

「落とし穴か。単純だが効果的だ」


「幸い、あらかじめ洞窟の入り口に脱出用の小型ワープゲートを仕掛けていてな。高価な品だったが、おかげで私とそこの死んだ仲間はここまでたどり着いた。だが、そこでスライムに飲み込まれたんだ」

 エルフ族の女剣士は死体を指差した。


「その死体はキノコに寄生されていたんだね」

 レンが言い当てると、エルフ族の女剣士は頷いた。

「そうだ。おそらく、洞窟でヤられたのだろう。洞窟内のスライムはキノコの粘菌の温床になっている」

 ならばスライムの大量発生は感染を逃れたスライム達が洞窟から逃げ出したのか。


「とりあえず、ここは引き返そう。僕達初心者の手に負える案件ではない」

「あっ」

 レンが踵を返してこの場を引き上げようと立ち上がった時だ。


 四方八方から矢が降り注いだ。

 矢は雨のように降り注ぎ、容赦なくその体を貫いてゆく。

「悪いなあ坊や達。ここを見られてはいけなかったんだよ」

「うわっ!えっ?えっ?」

 背中と両脚に矢が突き刺さったコンが痛みと驚愕の声を出して驚きを表現した。

 この傷では逃げられまい。


 先陣を切ろうとしたレンは、頭に矢が刺さって即死していた。

「れっレン!」

「俺から離れていたのが運が悪かった。コン。離れるな」


 俺は硬い外殻に覆われているので無傷。エルフもまた全弾を素手で掴んでいた。

「コンというのか。君、良い蘇生呪文の使い手を知っている。それ以上レン君を傷つけられないようにするんだ」

 エルフは的確に状況を判断した。


 この世界には蘇生呪文が存在する。その難易度は非常に高く、まず死体の損壊が激しいと生き返ることは難しい。

 しかも術の成功率はかなり低く、蘇生に失敗した挙句術者はマナ不足で肉体が持って行かれ、出来上がったものは人の形をしていなかった、という話をよく聞く。


 それでも死人が生き返る可能性がある以上、冒険者達は保険として蘇生屋とコネを作るのが通常である。

 ちなみに、それらが理由で、スッパリと首を落とす剣や刀は人道兵器として扱われる。高名な冒険者や騎士が刀剣類を用いるのも道徳心からである。


 一方で、メイスやハンマーなど、敵を叩き潰すタイプの武器は確実に相手を死に至らしめ、且つ破壊部位の蘇生を不可能にする非人道兵器とされ、暗殺の際も非常によく用いた。


 そして、目の前に現れた大勢の人間達が手に持っているのも、トゲつきの棍棒だった。

「ひっ」

 頭の回りを自負する策士コンはその棍棒を見て、何の目的で使うかを即座に察したようだ。果物みたいに頭をカチ割るのである。


「慌てるな。コン。まずは自分とレンの身を守ることを考えろ」

「にっ逃げないと」

 焦っていても自分が何をすべきかは理解できるコンは、両手でレンを抱え、前方から来る棍棒持ちの男衆に対して後ずさりし始めた。

 ふとももの出血が多く、今すぐ治療せねばコンまで助からないだろう。


 一方、突然現れた男衆は威嚇するでもなく、下卑た笑いを浮かべるでもなく、坦々とこちらに生首を投げつけた。

「お前達は冒険者のようだが。こいつらを知ってるか?」

「ぎゃあっああ!」

 その生首は近くの村の入り口で絡んできた3人の冒険者達の首だった。


「昼頃にこいつらが来てなあ。困ってもないのにウチの村のスライムを退治すんのよ。スライムに囲まれた村人がどうしてスライムより弱いと思うのかね?お陰で余計なもんまで見られちまった」

「…何語?」

 コンは震えながら、わけがわからないといった顔つきになった。

 俺は肝臓に備え付けられた翻訳コニャックで理解できるが、この男衆は異なる言語圏の人間のようだ。


 よくよく見れば、裸に全身魔法陣の入れ墨を施し、イヤリングなどの装身具を身に付けた、緑がかった肌の男達である。

 この男衆。おそらく近くの村人だ。

 そういえば村の入り口まで立ち寄ったが、中には入らなかった。中まで入ってどんな村人かを見るべきであった。

「これは…西の地方言語だと思う。アクセントに魔術的な特徴がある」

「じゃあ…じゃあ、あの村は西の大陸の蛮族移民の村ってこと?蛮族移民バーバリアン犯罪集団マフィアの村!?」


 男衆の一人がさらに矢を打った。矢はコンの背中に突き刺さった。

「ぐっうう」

「なあ…お前ら、どこの差し金だ?」

 蛮族移民バーバリアン犯罪集団マフィアの男衆は俺たちに近づこうとはしなかった。


「ここ数日ゴブリン達が村に来ねえのは気が付いてた。だから馬鹿な奴らとは取引したくないんだ。ゴブリンなんかにキノコの栽培をさせるんじゃなかったぜ!」

「成る程な。この村人達はどうやら洞窟でゴブリン達に違法薬物を栽培させていたようだ」

「い、違法薬物って…」


 エルフの脳を破壊するほど強力なドラッグ。それを栽培するのがゴブリン達の仕事で、ドラッグに加工して売りさばくのがこの村人達の仕事だったわけだ。

「だが、現状を見る限りビジネスはうまくいってないようだ。このままでは生物災害バイオハザードになりかねん」


 村人達は早々に俺たちとの会話を諦めたようで、呪文を唱え始めた。

 ふむ。前方には3名。

 その奥にさらに数名。左右に2名ずつ潜んでいる。

 背後の洞窟入り口、その真上の崖には10名近くいる。


 20名近くいるな。レンとコンを連れての正面突破は困難か。

「神官剣士さん。私は諦めてない。まだ退路は残されているわ」

「洞窟を抜けるのか。どこかへ繋がっているのか?」


 確かに洞窟の中には村人はいない。

 だが、中は魔物達の巣窟。果たしてそう上手くいくだろうか。

 しかも中はマイコニドだらけだ。

「でもこの絶体絶命の状況でも、絶対に道を切り開いてみせる」

 コンはレンの死体を抱えたまま、血まみれで洞窟の中へ駆け始めた。

 コンの目はまだ死んでいない。

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