第十話 はじめてのボス戦(10歳)
アマグリオ大司教とは現在、天秤教で最も偉い人物だ。
赤い法衣は大司教の象徴であり、彼は10年前からこの法衣を身に纏っている。
遥か東の大陸の聖都からやって来たこの最高権力者は、誰であろう、2年前に既に顔を合わせていたのである。
「いやはや、驚いてくれたかな。元々驚かせるつもりだったのだが」
「ええ。随分と驚かされました」
聖都からの使者アマナート。あの時点では気付くはずもなかった。
アマナート・アマグリオ大司教。それが彼の本名である。
怪しいアマナート氏もとい、アマグリオ大司教は、以前とは打って変わり、威厳の中にも親しみのある態度だった。
「元より世俗に溶け込むのが趣味なのだ。幸い、正体隠蔽の魔法には長けていてね」
「アマグリオ。本当に一体いつからこんなことをやってるんだ。あの時、マッキアートにも顔を見られたぞ」
父ブリスケが眉間にシワを寄せてアマグリオ大司教に迫っていた。
さて、俺たちが今何をしているのかというと、アマグリオ大司教が港に来校した後、俺が『剣の勇者』であることを認める正式な声明を発表した。
本当に、さっさと用件を済ませてしまった。
何せ、港で顔を合わせたすぐその場で、聖教の公的な見解を伝え、簡易的な儀式すら済ませてしまった程だ。
一連の態度は素っ気なく、感情のこもっていない表情は、取り巻きの住民たちを驚かせた。
父と大司教は仲が悪い。そういった評判が立ったろう。
ところが、我が家へ招かれ、父の書斎に入ると、たちまち優しげな様子に豹変したのである。
「エビボーガン君。アマナートとは世間の目を欺くための仮の姿だが、アマグリオ大司教とて本当の姿ではないのだよ」
「えっ?あ、そうなんですか」
突然アマグリオ大司教が話しかけてきたので、つい素っ頓狂な声で返事をしてしまった。
妹ゆかりは、至極つまらなさそうに椅子に座って脚を交互に上下させている。
本当にアマグリオ大司教には興味がないようで、自分のつま先を眺めながて暇をつぶしているようだ。
俺が困っていることを察したのか、父は事情を話してくれた。
「エビボーガン。世間的には、俺とアマグリオは仲が悪いという評判だ。あえてそのようにしている。反目する二人が、実はこうして仲良く談笑する仲だとは誰も思うまい?その方が何かと都合が良いのでな」
「私とブリストンはかつて同僚でな。冒険団を組んでいたんだ。名を『東の冒険団』という」
アマグリオ大司教が嬉しそうに笑った。
「『東の冒険団』ですか?」
「ああ。東の大陸カジュエンを発祥とする聖騎士達の冒険団だ。西の『剣と魔法の冒険団』とは宝物を巡ってしのぎを削った仲だ」
聖騎士。確か以前に父が神官剣士だと自ら豪語していた記憶があるが。
「私は当時『東の冒険団』の序列2位でね。序列1位の団長こそが、君の父だったわけだよ。ナンバーワンとツー。誰もが仲が悪いと思うだろう?」
父と大司教の仲についての評判は、以前からあったわけだ。
成る程。ならば西の大陸の勢力である『剣と魔法の冒険団』が度々この島を訪れた理由もよくわかる。
アマグリオ大司教との折り合いが悪いと思っているからこそ、マッキアート氏は父を利用できると踏んでいたのだ。
「『東の冒険団』団長ブリスケ・ブリストン。それが奴の本当の姿さ。いや、今はブリスケ・ゴトーシュだったか。『東の冒険団』も今や聖都特務隊へと名を変えてしまった」
ブリストンとは父の旧姓だったようだ。
「おいおい。『東の冒険団』が解散したのはお前が大司教の座についたからだろ。」
「そうだったな。だがエビボーガン君。これで我々二人の目的が、一貫して中央大陸の征服にあることは理解していただけたと思う」
これは大司教の謎かけだろう。
つまり、『東の冒険団』は中央大陸を中心にダンジョン攻略などの活動を行っていたに違いない。
『剣と魔法の冒険団』とも、中央大陸でしのぎを削ったのだろう。
どうやら中央大陸は以前から他国の侵略の対象となっていたようだ。
ここで妹ゆかりがようやく話に興味を示した。
「ではついに中央大陸へ進軍するのね?」
「ゆかり。そんな野蛮なことを口にしてはいけないよ。それに、目下片付けねばならない問題は他にあるのだ」
父は妹を抱きしめ、優しく微笑んだ。
「父上、話が見えないわ」
「我が子供達よ。俺は最早共には居られんのだ」
父は哀しそうに微笑んだ。
さて、アマグリオ大司教はしばらく島に留まることになった。
『剣と魔法の冒険団』は二週間後に来航した。
魔王軍がユバの街から去った今、『剣と魔法の冒険団』が父ブリスケに協力を求める理由はないのだが、マッキアート氏は『剣の勇者』を讃えたいとの理由をつけて半ば無理矢理上陸した。
だが、俺はマッキアート氏と引き会わされることはなく、マッキアート氏は父の書斎に案内された。
いや、しかしそれよりも。俺にとって驚かされたことがある。
マッキアート氏が屋敷に招かれた以上、警護を務める『剣と魔法の冒険団』のメンバーも数名が屋敷内に案内されたのだが。
その甲冑を纏った戦士の中に、いたのだ。
魔王が。
一体なぜ魔王がここに。
知らない間に、『剣と魔法の冒険団』は魔王軍に侵略されたのか。
「…しばらくぶりだな」
とりあえず俺は挨拶した。
黒い髪に白い肌の少女。
顔は魔王リザと同じだ。
だが、前回のように角や尻尾や爪、鱗などは生えておらず、細い体躯に似つかわしくない鎧を身に付けていた。
至って人間の姿である。傍目にはとても魔王には見えない。
「ああ?ああ、勘違いするな。これは分身体の一つでな。儂自身は情報でしか貴様のことを知らん」
俺の心の疑問に答えるかのように、魔王は答えになってない説明を口にした。
「いや、済まん。全く分からない」
「儂は常に複数の分身を世界中に潜入させていてな。ほれ、よもや新入りの傭兵少女が、魔王の分身だとは誰も思うまい?貴様が倒したのも儂の分身の一体に過ぎぬ」
いや、そんなのアリか。
村人Aが実は魔王。村の名前を尋ねたら、いきなりラストバトルに突入する。
そういう展開も、あり得るわけだ。
「その、なんだ。全く理解が追いつかんのだが、お前の分身は世界中に存在するのか?今のお前も、『剣と魔法の冒険団』に潜入している分身なのか?」
「さっきからそう言っておる。人間如きがいくら儂を倒したところで意味はないのじゃ。じゃから儂は先日の気持ち悪いドロドロに毒されては居らんぞ」
魔王は当たり前のように言った。
「それで。俺の前に姿を現したのは如何なる用事だ?」
「うむ。それじゃがな。事態がこうなってしまったのも半ばお主の責とも言えんでもない。まあユバの調査に何年もかけてしまった儂の不手際が大きいのじゃが—」
まるでうわ言のような独り言だ。殆ど要領を得ず、魔王は説明に窮している様子だった。
「—ええい。説明しておる時間が無い。そうじゃな。勇者よ、儂と手を組まんか?さすれば世界の半分をやろう!」
「状況は未だ理解できんが、手を組むというなら快諾しよう」
思いがけず勇者と魔王が手を組んだが、こういった場合にありがちなように、魔王には何か話していないことがあるようだった。
一体それは何か。
手っ取り早く説明してほしいが、どうも説明の時間すら惜しいようだった。
「おお。これで世界は救われたも同然。して勇者よ。お主、何かワープゲートを持っておらんか?いや持っておる筈じゃ。マッキアートが血眼になって探しておるんじゃもの」
「ワープゲートか。確かマッキアート氏は父が未確認のワープゲートを保有しているのでは無いかと疑いの目を向けていたな」
この島に古代文明遺跡があると考えられており、マッキアート氏はそこにワープゲートがあると思っている。
だからこそ、マッキアート氏は何度も島に訪れていたのだ。
まさか父がワープゲートを使って魔王軍のユバ進軍に加担しているはずも無いが、例えばこのレモネン島からユバの街へ瞬時に移動できる手段が見つかれば、対魔王軍戦も容易に進んだことだろう。
魔王軍が退いた今となっては意味の無い話だが。
…?ん?
「どうした勇者よ。何か心当たりがあるのか」
「…ちょっと待て、魔王よ。マッキアート氏が、此の期に及んで島へワープゲートを探しにくる理由はなんだ?そもそも、この島にワープゲートがあったとして、それがユバの街へ通じている保証など無いではないか」
「ああ、そんなこと。知れたことよ。そのような問答に時間を割くな。一刻を争う。ワープゲートはないか。魔法陣では無いのじゃ。確かこう、巻物のような物じゃ」
「随分と乱暴な。しかし、巻物など書斎にゴマンとあるぞ」
「いや、地図じゃ。地図じゃな。そうじゃ思い出した。ワープゲートは地図に偽装しておるのじゃ。アレじゃぞ。現代人の知識レベルではないから地理的にもっと正確になっとる筈なのじゃが、心当たりはないか?」
地図。
「ある。母上の寝室だ」
母上の寝室に、世界地図が飾られている。
アレは古代文明遺跡から出土した貴重品。
「それじゃ!間違いなかろう!もはや一刻の猶予もないのじゃ。速く寝室へ行くぞ!」
焦る魔王に手を引かれ、俺は母の寝室へ急いだ。
寝室に母はいなかった。今頃は来客者への対応に追われているだろう。
「これじゃ!間違いない。この地図こそ奴の秘蔵のワープゲート。まさかこんな辺境に飾られていたとは」
魔王が手を翳すと、壁に掛けられた地図は何かの力で引っ張られるかのように魔王の手元へやって来た。
「さて。時間が無いので手短に説明する。今から儂らはユバの街へワープするが、さらに直ぐさま異空間へワープする。そこで目の前に敵が現れるからそいつをやっつけてくれ。以上じゃ」
「さっきから説明が足りてなくないか?もう少し」
俺の発言は遮られ、次の瞬間には地図上の中央大陸南東部辺りが点で光った。
と、思えば。目の前はたちまち景色が変わり、母の寝室にいた筈が、俺と魔王は平原の真っ只中にいた。
「これはワープしたのか」
「おお、なんじゃ。こんな所に隠しておったのか。いや、たしかあの街も一回焼けとるからのう。再建した時に元の位置からズレたのかもな」
魔王は独り言を呟き、地面を探っていた。
「おお、魔法陣はまだ生きておるわ。見つかるかこんなもん。なんのヒントもないではないか。では、今から異空間へ行くぞ。貴様はそこに現れる魔物を倒すだけで良い。あの気持ち悪いドロドロをぶつけてやってくれ」
「よく分からんが、ボス戦という奴か。まあいいだろう」
俺が渋々頷くと、魔王の指先を中心に、手の平大の魔法陣が地面に出現した。
魔法陣は淡いピンク色に光り、そして、ユバの城壁が遠くに見える平原は、再び別の光景へと変じた。
そこは黒い空に幾千もの星々が浮かぶ空間で、地面は白い触手のような肉塊が無尽蔵に蠢いていた。
肉塊は地を覆い、俺と魔王は触手の肉塊の山の上に立っていた。
「愚かな人間どもよ。我が呼び声を聞け」
あまりにも不安定な足元。肉塊の山の上には、白い肉の塊で出来た少年のような物体が君臨していた。
「我は魔王軍大参謀にして実体邪神。『あまねく肉の殿』コガセリー。人間どもよ。邪神の声を聞け。我を召喚せよ」
「おお、なんかよく分からんがボスっぽいな」
「そうじゃろう。勇者よ。とりあえずこの地面にあの気持ち悪いドロドロを垂らしてくれ。多分それで全部終わる筈じゃ」
「本当によく分からんが。了解」
俺はハサミから赤い月のブラッドストリームの液体を地面の肉塊に垂らした。
すると、ボスっぽい人も俺たちの存在に気がついたようだ。
「アレっそこにいらっしゃるのは魔王様。横にいるのは?…あ?ギャアアアア!!」
ボスっぽい人は赤い月のブラッドストリームに耐えられず、崩壊を始めた。
赤い月のブラッドストリームはあらゆる生物にとって猛毒だが、耐えきれば悪の組織の戦闘員になれる。
このボスっぽい人は、選別に耐えられなかったようだ。
「馬鹿な…我が崩壊してゆく…!この邪神コガセリー様が…!」
「いやあ、済まんなあ。お主の働きぶりは知っとるつもりじゃが。状況が状況なのじゃ」
魔王はボスっぽい人に上から目線で謝罪していた。
ボスっぽい人が消滅すると、地面の肉塊が崩壊を始めた。ボスっぽい人を倒したことで、バトルフィールドが崩壊を始めたのだ。
「グオオオオ…!ゴゴゴゴ…」
「まあなんじゃ。あのまま封印解けとったら、間違いなく星が滅んでたじゃろ?お前、惑星よりデカイし」
どうやら俺が倒したのは裏ボスだったようだ。
崩壊する異空間を後に、俺と魔王は地図を使って母の寝室に帰還した。
「…ふう!漸く一仕事終わったわ!感謝するぞ勇者よ」
「そろそろ説明してほしいな。俺に裏ボスを倒させて何がしたかったんだ?」
しかし、何やら魔王はルンルン気分で地図を元あった場所に立て掛けていた。
「ああ!そうじゃ。答え合わせをしてやろう。実はマッキアートは魔王軍に与していてな。ユバの街の奪還戦も、わざと戦を引き延ばして周辺の勢力を疲弊させる作戦だったのじゃよ」
「ハア!?」
「あやつも真面目な性格じゃからのう。この星そのものの危機とあらば、魔王軍とも手を組むのじゃよ」
「いや。じゃあマッキアート氏が探していたのはさっきの異空間へのワープゲート?何故?」
「ええい。説明が面倒じゃのう。要するにマッキアートは魔王側の裏切り者じゃ!ユバの街とその周辺は未だ西の大陸のものにならぬ敵勢力の領地!介入するには打ってつけだったのじゃよ!」
「ええ…?ああ…成る程ね。分からんけど…わかった」
敵の敵は味方。
この場合、マッキアート氏にとって、東の大陸側の勢力である父やアマグリオ大司教は敵だったわけだ。
ああ。なんとなく分かってきた。
あの異空間の裏ボスは、近い将来、この星に致命的な危機を齎す存在だったに違いない。
だから、マッキアート氏は魔王と手を組んででも、あの異空間へ通じるワープゲートを探そうとしたのだ。
「だから魔王軍はユバを攻撃した」
「そうじゃ。じゃが、探せどもワープゲートは見つからん。本当のワープゲートはあんな手の平サイズとは儂も思いもしなかったが。そこで、マッキアートを使ってこの世界地図を探させたのじゃ」
起源は察せないが、あの世界地図はユバの街から異空間へ繋がるワープゲートへ直行する魔法がかけられていたのだ。
いや、ユバの街だけではないのかもしれない。もしかしたら世界中のワープゲートに繋がっているのかも。
何せ、世界地図なのだから。
ではマッキアート氏は…誘い込まれたということになる。父上とアマグリオ大司教に。
父上とアマグリオ大司教の目的は中央大陸の征服。比較的中立派を気取っている父上だが、それがただの罠であることを、マッキアート氏は知らない。
手を組んでいた魔王軍が突如撤退し、ユバの街は中央大陸ノーエン王国の帰属へ。
かたや『剣と魔法の冒険団』は数年間戦って、何の成果も挙げられなかった。
だから、マッキアート氏はこの島に来た。
起死回生の一手。ワープゲートを確保すれば、父へ罪を押し付けるなり、如何様にもできる。
だが父もまた承知だったのでは?
飛んで火に入る夏の虫とはこのことだろう。
この日、ブリスケ・ゴトーシュは乱心したカッフェ・マッキアートに心臓を一突きにされ、死亡した。
——と、世間ではそういうことになった。
ブリスケ・ゴトーシュの遺体は島の古い慣習に従い、荼毘に付された。
——よって、父の死の真相は誰にも分からない。
マッキアート氏は島の洞窟へ捕らえられたが、可哀想なのでこれは俺が解き放ってあげた。
——選別には耐えられた。
俺の父は死に、俺には父の仇を討つという、冒険の旅への大義名分が出来上がった。
翌年から屋敷に仕え始めた、仮面の騎士ブリテンドンという冒険者が、父ブリスケに瓜二つであることは、公然の秘密となった。
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