3-6
「急に呼び出して悪いな、月華、一葵」
魔力の粒子が飛び散り、トランスポートを使用して転移してきた二人は漠夜へと向き直る。
「増援なんて、随分久しぶりだな」
「それほど厄介な相手ですか、少佐」
深い夜色の外套を纏った一葵の顔はすぐに神妙な表情に切り替わり、周囲に視線を向けた。辺りを警戒する彼の瞳は、どんな微細な魔力でも見逃さないとでも言うように鋭く光る。
「事件自体はそう難しいモンじゃねえよ」
そう言って彼が取り出したのは、つい先日冷が連れ去られてしまう前に事件現場で採取した残骸の解析結果。作業を終えて科学班から戻ってきたその書類を、漠夜は二人に見えるように広げた。
「吸血鬼の正体は、元特攻隊隊員・如月未羽中佐」
彼によって目の前に現れたそれに、一葵は信じられないといった様子で息を呑む。
残骸から浮かび上がった魔力の痕跡は僅かに変質してしまっているが、間違いなく如月未羽のモノと同質の物であると、そこには明確に記されていた。
「中佐……だって?」
「ああ、間違いない。データベースに登録してあった未羽の魔力と一致した」
言葉を続ける漠夜は、記憶を反芻するように瞳を伏せる。
「俺が遭遇した吸血鬼も、顔は未羽そのものだった。俺がこの目で死亡を確認したあいつが、なぜ今も動いてるのか……それはまだわからない」
言葉を失う二人の様子には気を留めず、漠夜は書類を懐へと仕舞い込む。彼らに酷な事を言っているのは彼とて十分理解しているが、これは動かしがたい事実なのだ。そう割り切っている彼は、その口から信じがたい言葉を発してなお、表情を変える事はなかった。
「未羽の始末は俺がやる。お前らは拉致られた冷の搜索に当たれ」
「おい、漠夜!」
平然と発せられた言葉に、月華から怒声が上がる。咎めるように掴まれた腕を無表情で見る漠夜からは、何の感情も感じられない。一葵は慎重に言葉を選び、さまよわせた視線を彼へと向ける。
「いくらなんでも、少佐にやらせるわけにはいきません……吸血鬼は、俺たちで仕留めます」
「未羽を度殺すことが、お前らにできるのか」
一度死んだとはいえ、未羽は漠夜の婚約者である。そんな彼に彼女を殺させるくらいならと、一葵は心中で覚悟を固める。たとえ、かつて命を預けた同輩だったとしても。
「任務なら、必ず」
一葵は一瞬の躊躇いもなく、眼光を鋭くして言い放つ。漠夜の腕を掴む月華の腕に力が込められたことで、隣で聞いていた月華も同様の決意を持っていたのだと漠夜は悟る。
路地の奥を風が通り抜ける音がいやに大きく響く。それに紛れるように小さく笑いをこぼした漠夜は、皮肉げに口を歪めて笑った。
「――それが俺の答えだ、一葵」
その言葉にハッとした月華は、思わず彼の腕から手を離す。たった今口走った、それが任務ならという言葉。その言葉が今の彼の状況に符号していたのだと、意識から外れていたそれに気付いた二人は二の句を告げられずに黙り込んだ。二人と漠夜とでは、覚悟の重さが違うのだと。
「冷はまだこの街にいる。お前らはそれを探し出せ」
自らの感情を無視して、あくまでも任務を優先するという彼の姿に、二人は何も言えなくなってしまう。すっかり言葉を失った彼らに、漠夜は外套のポケットから取り出した小さな包を放り投げる。それを何とか受け取った一葵は、その硬い手触りに首を傾げた。
「少佐、これは?」
「冷を確保したら渡せ」
外套に触れたのと同時に一際強い風が吹き、裾が煽られる。その下に着込んでいた白い隊服が一瞬垣間見え、一葵は僅かに複雑そうな表情を浮かべた。しかし直ぐにその表情を消し去った彼は、代わりに深く息を吐いてその小さな包を懐に仕舞い込んだ。
「わかりました」
毅然と返した彼に満足そうな表情を浮かべた漠夜は、路地の奥から表通りに目を向ける。その向こうは依然活気に溢れており、まるでこちらとあちらで見えない境界線でも引かれているようだ。
かつてその喧騒の中を共に歩いた女性の姿をかき消すように、漠夜は一瞬眼を閉じる。これから、彼女を殺しに行くのだと。
気遣わしげな視線を向ける一葵に挑発的な笑みを見せ、彼らに背を向けた。
彼らと別れた漠夜は、唯一の懸念であった冷の存在を二人に託したおかげで幾分か楽になった肩を下ろす。未羽に気を取られているうちに、末羽らが彼を連れて遠くに離れてしまう可能性だってあったのだ。ようやく吸血鬼の捜索に専念できるようになった漠夜は、行き交う人の群れをかき分けて進み始めた。
(今までの傾向から見て、今日か明日中に行動を起こす確率は高い……街中に探知結界を敷いておくべきか)
雑踏を早足で抜けながら、人目を盗んで遊歩道の脇に不可視の術をかけた札を落としていく。探知結界は消費魔力が大きいものの、その分精度は結界を張っていない状態と比べると飛躍的に向上する。探査する対象の魔力に重点を絞っているため不特定多数の魔力を探査するには向かないが、吸血鬼を探すだけならばこちらの方が遥かに効率が良い。特に、漠夜は彼女の魔力はそれこそ飽きるほどに視てきているのだから。
数キロ離れた市街地でよく見知った魔術が発動したのを感知した一葵は、素知らぬ顔で陸橋を渡るパートナーの背を見て溜息をついた。
「月華、さっきから何怒ってんだよ」
「……うっせーな」
後ろから覗き込む一葵からあからさまに顔を逸らし、道に落ちていた小石を勢いよく蹴り上げる。弧を描いて水面にさざ波を立たせながら沈んでいくそれを見ていた月華は、苛立ちを発散させるように頭をかきむしった。
「だってさ、腹立つじゃん! あいつの思い通りになるとかすげームカつく!」
地団駄を踏む月華をなだめながら、一葵はなんとなく彼の心情を察して苦笑いを浮かべた。
漠夜は「これくらい説明しなくても分かるだろう」という思考をしているため、指示の理由を毎回正確に把握するのは困難を極める。そんな彼の言葉の意味を、特攻隊員の誰よりも正確に読み取れるのが、彼――御園月華という男。誰よりもわかってしまうからこそ、一葵を放置して一人憤ることが多々ある。
「それで、俺達はどうすればいい?」
「葉邑一等兵を救出した後、すぐそいつを連れて帰還しろってことだよ」
今度は爪をギリギリとかみだしたのは流石にやめさせたが、どうも腹の虫が治まらないようだ。吐き捨てられた内容にしっくりこない一葵は、質問を重ねる。
「どういうことだ? 増援申請するくらい手こずってるのに、肝心の吸血鬼を仕留めないまま返すなんて」
「丸二日も敵に捕まってて、疲弊しない奴なんてそういねーよ。漠夜にとったら俺達呼んで、葉邑一等兵を取り戻すだけで十分なんだよ」
橋の手すりを足で小突きながら言葉を並べた月華は、漠夜の並べた言葉を理解するべく頭を回す。
漠夜の話では、冷が敵に捕まってから既に数日経過している。どのような扱いを受けていたにせよ、そんな状態では身体は無事でも精神はかなり疲弊している。漠夜自身もそれを理解しているにも関わらず、ああいう言葉の選び方をしたのだろう。
「それと、たぶん漠夜は吸血鬼の話を聞かせるってのもあったんじゃねえかな」
「……中佐の姿をしてるっていう奴か?」
「だって、人質取り返すだけなら俺たちじゃなくてもいいだろ。ランクCだし」
乱暴に足音を立てながら歩く月華の後ろを、一葵は神妙な面持ちになりながら着いて行く。たしかに今回の任務はランクCであり、わざわざ一葵たちを呼び出す理由にはならない。それこそ、特攻隊外の腕が立つ人間を数人見繕えばいいだけだ。
漠夜自身の人望が壊滅的すぎて意思疎通に少々難航するだろうが、仕事として命令があれば冷の確保はさせられるだろう。
「もしもさ、漠夜が死んで、同じように亡霊が歩き回るようになったら、俺達に迷わず殺させるためじゃねえかなって思うんだよ」
告げられた言葉に、思わず一葵の足が止まる。
言葉を失った彼を振り返った月華は、風になびく髪を煩わしそうに押さえながら言葉を続けた。
「去年の一件といい、あいつはとんでもねえ化物に好かれてやがる。吸血鬼もそいつの差金じゃねえかって、漠夜も気付いてんだろ」
未羽が末羽に殺害されたという事件の全容は、漠夜の他に数える程しか存在しない。彼と輝、それと月華を含む特攻隊の数名のみ。とはいえ、特攻隊員はあらましこそ説明されたものの、その裏にある因縁までは聞かされていないのだが。
何故、未羽は殺されたのか。何故、今も漠夜を狙うのか。その答えを知っているのは、輝と漠夜の二人のみ。
「その為に俺たちを……」
「そう。漠夜はきっと、末羽が出てきた時には相討ちか、最悪討ち死にの選択肢を考えてる」
考え至った事柄に、一葵の表情が変わる。末羽の実力については聞きかじった程度のものだが、それでも漠夜を出し抜くほどの知略と能力に溢れる化物だ。先日、森で遭遇した時もかなりの重傷を負いながら退けたと聞く。
そんな彼女を相手に、単独で生き残れる確率は限りなく低い。
「それなら、すぐ葉邑一等兵を見つけて、さっさと少佐のとこ戻るか」
「おう。そんで一発殴ってやろうぜ」
疲弊している冷を本部に返すのと、自分たちが本部に帰還するというのは別の話だと、二人の中で結論付ける。漠夜がどういう意図を持って告げたのかに気が付かないふりをして、戻ればいいだけだと。
顔を見合わせて笑った二人は、魔力探査の術を発動させて足早に歩を進めた。
一葵達と離れた漠夜は、路地裏の目立たない場所で夜が更けるのを待っていた。冷の事を二人に託したことで幾分か余裕ができ、先程までホテルで一時仮眠をとってきたばかりだからか、とても調子が良い。
森での一件で負った傷の部分に手をやり、まだ完全ではないが閉じかけているのを確認する。末羽の術の影響なのか、一度の治療で完全に治癒することは困難を極めた。そのため軍医にも協力させて半ば無理やり閉じたその傷は、漠夜の体内魔力が一定よりも少なくなった時に再び開いてしまう。漠夜とてこのタイミングで休息を取るのは不本意だったが、少しでも状態を整えておかなければ末羽には遠く及ばないだろう。
ビルの外壁に背預けていた漠夜は、街中に張り巡らせた魔力探査の術に異物が引っかかったのを感じて目を開いた。
「……来たか」
感知したのは、漠夜から二キロ程離れた郊外の空き地。主にサーカス等の興行に使われるそこは今は何の催しもなく、戦闘にはうってつけだろう。好き好んでそんな所を通る酔狂な人間がよくいたものだと思いながら、漠夜は懐から取り出した氷符を発動させた。
「こんにちは、お兄さん」
背の高い青年は、郊外の空き地で地図を片手に途方にくれていたところだった。ただの旅行者だったのだろう彼は、道に迷って地図を睨んでいたところに声をかけられ、手元のそれから顔を上げる。
目の前に立っていたのは、金髪が美しい女性。夜の闇に映えるほど透き通った白い肌は、たおやかな身のこなしと相まり、とても美しい。その姿を見て言葉を失った青年の姿を見て、一層笑みを深くした未羽は、そっと彼の持っている地図に手をかけた。
「宿をお探し?」
「あ、ああ……旅行に来たのですが、迷ってしまって」
人外特有の、人を惑わす魅力に引っかかってしまった青年は、未羽の言葉にたどたどしい返事を返す。吸血鬼事件や惨殺事件があったばかりと聞いていた青年は宿が見つからず焦っていたが、彼女の言葉を聞いていると、そんな事は些細な問題のように思えてしまう。女性がひとりで出歩いていても、安全ではないかと。
すっかり心を惑わされてしまった青年は、何の警戒もなく未羽に誘われるまま広場から奥まった路地へと誘導される。彼女の口元が歪んでいることになど気づきもしなかった彼は、瞬きの間に突如現れた青年によって彼女の頭部が切り付けられる光景を目にし、その場で腰を抜かして座り込んだ。
「よう、化け物女」
寸前で剣先をかわした彼女の、歓喜に満ちた表情と漠夜の視線が交差する。髪がひと房飛び散り、金色のそれは風に流されて散り散りになっていった。
「会いに来てくれたの?」
「そんなんじゃねえよ、わかってんだろ?」
大きくそらされた首を元に戻し、未羽は足元に座り込む青年を蹴り飛ばしながら漠夜へと向き合った。現状が全く把握できていない青年はそのまま地面に倒れこみ、情けない声を上げながら二人の顔を交互に見やる。
「また殺しに来てやったぜ、未羽」
片手に剣を構えた漠夜と、丸腰のまま首筋からわずかに血をにじませた未羽が対峙する。理解の範疇を超えた二人の姿にパニックになった青年は、漠夜の言葉が決定打になったかのように悲鳴を上げ、足をもつれさせながら一目散に逃げ去っていく。その様子を横目で見た漠夜は、獲物を追おうとする彼女を切っ先で静止しながら嗤笑を浮かべた。
「末羽の事を吐くまで逃さねえよ」
重心を低くした体勢で、一気に彼女の懐に踏み込んだ漠夜が足払いをかける。後方に跳躍してかわした彼女を追ってさらに踏み込んだ漠夜の足底が彼女の腹部に深く食い込んだ。
吸血鬼として蘇った未羽よりも遥かに早いその身体能力に、彼女の表情が苦悶と驚愕に歪む。
「が、は……っ!」
血液混じりの唾液を吐き出し、未羽は大きく崩されたバランスを整えながら受身を取った。はっきりと浮かぶ表情は、深く体幹まで突き刺さるような鈍痛を物語るようだ。
痛みによろめく未羽に対し、情けや容赦など微塵も感じていないような動きで漠夜の追撃が迫る。
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