2-3
市民の避難場所になることを想定して作られたエントランスホールは数百人を収容できるように広く設計されており、一介の兵士――それも任務後という著しく魔力を消費している人間に、ホール全てを覆う術など些か厳しいだろう。
「三人とも、伏せて!」
いち早く異常を察知した一葵は月華の頭を強引に下げさせながら声を張り上げる。一瞬の間を置いて響いた轟音はホール全体に響き渡り、音の出処に目を向けた月華の視界にホールの壁が崩れ落ちる様が映る。
「どうして、内側から……」
戸惑いながら懐から拳銃を取り出した一葵は、崩落してくる壁へと照準を合わせる。動く対象物の一つ一つへ正確に銃弾を撃ち込んでいく彼の姿を見ながら、月華は本部で待機しているだろう己の上司に連絡を取るべく無線の送信機に触れた。
「おい漠夜! 輝! どっちでも良いから返事しろ!」
「月華、言葉遣い!」
媒体である鉛の銃弾を基点に術を発動させて瓦礫を破壊しながら月華を叱り飛ばす一葵の事を器用だと感心しながら、幸は周囲の状況を確認する。
一部から動揺した声も聞こえてはいるが、それぞれが結界を張ったり一葵の様に瓦礫を破壊する等して被害を防いでいる。
「もしかして、エントランスから内側が封鎖されてたのってあの魔物が中で暴れてたからか?」
「有り得なくないわね……」
周囲の状況を確認し終わった二人の目線は天井付近を漂う小さな影を捉えており、明らかに良いものではないと一見して理解できる。
「やるか? 俺、あんま魔力残ってないけど」
「それはお互い様よ……でも、しょうがないじゃない? こういう時の為の特攻隊なんだから」
二人で顔を見合わせ、既に戦闘態勢に入っている一葵の後に続くように体勢を整える。残りの魔力であとどれほど術を発動させられるかを考えていた二人は、次いで響いた先程よりも大きな爆発音に目を丸くさせた。
「こんな所まで来てやがったのかクソ野郎が!」
怒気混じりに上から降ってきた男は爆風を伴って一葵の隣に着地する。四人が視界に入っていなかったのか、そのまま男はホール入口から魔物を追いかけて外へと駆けていった。
目にも止まらぬ速さで過ぎ去っていった事柄に頭がついていかない彼等に気付いたのか、少し遅れて飛び降りてきた輝が声をかけた。
「よくやってくれました、御園少佐。よくやったついでに、ここの後片付け宜しくお願いします」
あれこれと早口でまくし立てた輝は、何処からともなく取り出したホウキとチリトリを月華の手に押し付けて足早に去って行く。呆然とする彼らの意識を現実に引き戻したのは、何とも情けない悲鳴が聞こえてからだった。
「痛っ」
輝や漠夜と違って颯爽と着地できなかった少年は、少しの間痛みに悶えた後、体力が尽きたと言わんばかりの覚束ない足取りで彼らの後を追いかける。その姿を見届けてから、彼らはようやく事態を把握して叫ぶのだった。
「面倒事押し付けやがった!」
月華が怒りをあらわにして叫んでいるのと同時刻、漠夜と輝は目の前の生物の後を追って人並み外れた速度で疾走していた。速さで言えば圧倒的に漠夜の方が勝っているために、輝は彼よりも更に数メートル離れた所に居る。
すっかり分隊本部から離れた野原までやってきた輝は、思案げな表情のままやけに真剣な声音で漠夜に声をかけた。
「周りにあれだけ美味しそうな餌……ではなく、人肉があったというのに食いつかないなんて、アレには生物の肉を捕食する習性はないみたいでしたね」
「助かったじゃねえか。人間襲うなら真っ先にお前を囮にしているとこだったんだしよ」
真剣な表情のままにとんでもない事を言い出す輝に、漠夜は殴ってやりたい衝動に駆られながらも追跡対象から視線を外さずに吐き捨てた。
一般隊員にはただ培養プラントから逃げ出したとしか伝えていなかったが、実を言うとあの生物を作り出したのは現在進行形であの生物に困らせられている如月輝その人であった。彼は国内最高峰と呼ばれる国立科学研究所から未だに室長としてお呼びがかかっており、主に生体実験を得意分野とする変態科学者であるというのが周囲の見解である。
輝は上層空の命令により、魔術を使える人間の他に魔物に対抗しうる知性を持った生物の研究に取り組んでいるが、結果は現状を見る限り到底使い物にならないというのは明白であった。彼の創りだす生体兵器は、能力が強大すぎて制御しきれないのだ。
暴走する生体兵器の処理を毎回押し付けられている漠夜から見れば、はた迷惑に他ならない。
「――このまま進むと未羽の墓に到達するな……輝、一気に距離詰めるから、お前は後から着いてこい」
「言われなくてもそうなりますよ」
今の速度でも追いつけていないにも関わらず、漠夜は更に速度を上げて走り去っていく。彼のトップスピードは常人離れしており、あっと言う間に背中すら見えなくなってしまうのだから追いつける筈もない。
相手の性能がわからない漠夜はできるだけ生成者である輝が追いつける程度のスピードで追跡していたのだが、徐々に未羽の墓に近付いているのに気づき彼をおいていくことを選択した。例え性能が未知数であったとしても、いざとなれば力づくで押さえつける事だって出来るだろうという判断の元、漠夜はMR四二五との距離を詰めていく。
「クソ野郎が……!」
本部から少し離れた丘に位置する彼女の墓を越えてしまえば、そこからもう広大な市街地である。これからの被害、発見することの困難さを鑑みると、ここで仕留めなければならない。
足止めに、あわよくば殲滅する心積もりで懐から札を取り出した漠夜は、対象の周囲目掛けて大規模な炎術の発動陣を展開させる。術の範囲内に入った瞬間に発動させるために発動の要となる炎符を飛ばした瞬間に、今まで無反応であったMR四二五はその小さな体躯に見合わない巨大な口を開く。驚愕に目を見開く漠夜の目の前で、彼の放った炎符は魔物の口腔内に消えていった。
「少佐! 無事ですか!」
漠夜が交戦を開始してから幾ばくもしないうちに、遅れて輝と冷が駆けつける。彼の走り去って行ったと思われる方向からは時折大規模な火柱が立ち上っており、一人と一匹はそこにいるのだろうと容易に想像できた。
そうして追跡を続け、なだらかな傾斜を駆け上がった二人の目に映ったのは漠夜の後ろ姿と、平均を遥かに下回るものの漠夜と同程度ある小さな炎龍の姿。
真紅の鱗にまるで炎で出来たような鮮やかな背鰭を持つそれは、先程までの小さな生物だとは到底思えないほどの存在感を放っている。
「おい輝! こいつに何仕込みやがった!」
二人の気配を察知してそう声を荒立てる漠夜に、輝と冷は揃って首を傾げる。まるで全く心当たりがないとでも言うような表情を浮かべる彼に、漠夜は更に苛立ちの込められた声音で叫ぶ。
「俺の札を吸収したと思ったら、急に変体しやがった! 何なんだよコイツは!」
いち早くMR四二五に接近した漠夜は、当然の如く得意の炎術を発動させた。確実に仕留められるタイミングと威力に調整して放たれたそれは、まさに正確にMR四二五へと向けて豪炎が立ち込めた。少なくともこれで半身は吹き飛ばしたであろうと思っていた漠夜だが、途端にその認識は覆される事となる。
巨大な空洞のような口腔を広げた彼の魔物は、漠夜の目の前で彼の発動させた術式全てを喰らい尽くすように火の粉の一粒でさえ残さず、その臓腑に収めていったのだ。とても悍しい光景に眉間に皺が寄るのを感じていた漠夜は、ようやく追いついてきた輝に向かってその鬱憤を晴らすように声を荒げた。
「成功していましたか……! それには物体の浮遊・爆破の能力の他に、周囲で発動された魔術を察知して吸収する能力があるんです。取り込んだ術の分だけ能力は上がっていく……素晴らしいでしょう!」
「やかましいわ!」
自らの成功を自慢げに話す輝に、漠夜の忍耐力が限界値を突破しそうな程の苛立ちを覚える。彼の優秀さは認めるが、その能力のせいで窮地に陥っていることに気付いているのだろうか。魔術を取り込んで力を増幅するということは、つまりMR四二五の捕獲に魔術は使えないという事なのだ。
ほぼ丸腰に近い形だというのに、輝は危機感を全く感じていないように笑う。
「貴方なら何とか出来るでしょう? やって下さい」
「お前……戻ったら覚えてろよ」
拒否の言葉には聞く耳持たないといった輝の口調に苛立ちが募るばかりであるが、今は目の前の化け物を始末する方が先だと漠夜は吐き捨てる。忌々しいことに、輝はどんなに凶悪な生物を生み出すにも、“漠夜ならば始末ができる”という確信をしている。それは非常に迷惑なことであるのだが、プライドの塊のような輝から自分自身を止められるのは漠夜だけであるという信頼を得ているのだから、結局のところ許してしまう。事が済んだら一発殴る程度の事はするが、本心から彼に対して負の感情を抱くことは無かった。
「お前らは離れてろよ!」
言うやいなや、すぐさま漠夜は地を蹴り炎龍へと接近する。周囲の魔力を充填されると厄介な問題であるが、漠夜の中にはある確信があった。
――MR四二五は、知能は高いが身体能力の処理が追いついていないのだと。
生み出されたばかりのそれには、おそらく膨大な知識が詰め込まれているのだろう。何せ帝国魔天軍随一の頭脳を持つ輝の作品である。活動するのに不自由ない知識の他に、それこそ何故トマトは赤いのかと言うような非常に実用性のない事まで詰め込まれているに違いない。
「おせぇ」
それが彼の姿を認知する前に、下顎と地面スレスレの所を滑るように通り抜けながら、漠夜は下腹を大きく蹴り上げる。人間の知識では、龍の体を動かす術など理解できないのであろう。MR四二五は無抵抗なまま蹴り上げられ、くの字を描くように胴体が歪んだ。慟哭を上げながら、炎龍は地面をのたうつ。
「おやおや……体全体に超硬度の改造を施したつもりだったのですが」
「大佐は反省してくださいよ!」
まるでデータを採取するように彼らの動きを観察する輝に、今度は冷から呆れ混じりの叱責が飛ぶ。調度目の前では、体制を立て直した炎龍が先程吸収した炎術で炎弾を放出しているところだった。
彼の言うとおり、皮膚に何らかの強化が施されていたのか、見た目こそは派手にダメージを負ったように見えたものの、炎龍の動きは全く鈍っていない。むしろ、能力の使い方を学習してどんどん動きが鋭くなっている。
「バカの一つ覚えだな」
炎弾をかわしながら低く屈んだ漠夜は、その手に幾つかの小石を握る。術が一瞬途切れた隙を狙って放たれたそれは、正確に炎龍の瞳へと的中した。強化が施されるだけあって潰れはしなかったが、微量であるが出血が確認できる。
両の瞳から血液を流している炎龍は、半分以上失った視野を補う為の魔力を欲していた。魔術を吸収する特性がある彼は、例え四肢のどこが吹き飛ぼうとも魔力を充填することでそれを完全に復元させる事が可能だ。
周囲の魔力を探知していた炎龍の探知範囲内に、治癒能力に特化した魔力が映り込む。漠夜を避けるように体躯を高い位置で滑空させた炎龍は、その魔力を宿主ごと取り込むために大きく口を開いた。
「避けろ、お前ら!」
横を駆け抜けていった炎龍の目的を察知した漠夜は、少し後方で待機していた輝と冷に向かって声を張り上げる。
「うわ!」
上手に突撃をかわした輝とはまるで対照的に、何とか避ける事の出来た冷は足を縺れさせながらその場に倒れ込んでしまった。倒れ込んだ拍子に抱えていた魔鏡が手から離れ、彼よりも少し離れたところに放り出されてしまう。
日光を反射するその鏡面に炎龍が気付いたのと、輝が声を上げたのはほとんど同時であった。
「漠夜! あれの狙いは、その魔鏡です!」
二人と一匹の注意がそこに集中し、冷も急いで体を起こす。拘束術を発動させようとも術を吸収されることを危惧してそれもためらわれてしまう状況では、自らの身体能力次第だと輝は憂う。漠夜と炎龍は魔鏡を挟んで調度対極に位置しており、距離で言えばほぼ同じといったところだろう。
一瞬の緊張の後、拾い上げようと伸ばされた冷の手がそれに届く前に目の前で魔鏡が奪われる。
「最悪だな……」
魔鏡を丸呑みした炎龍は、再びその肉体を変化させた。閃光が迸り、徐々に引いていく光の粒子が彼の四肢を形作っていく。悪態をつきながらその光の洪水の中に目を凝らしていた漠夜は、徐々に現れるMR四二五の姿に細められたその両目を見開いた。
集められた光を拡散させるように輝く金の糸が風に舞い、炎龍であったMR四二五を目の前にして冷は自分の目を疑う。
翡翠の瞳に映るのは、酷薄な印象を与える切れ長の瞳を呆然と見開く青年の姿。
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