魔王モノ~一話完結魔王オムニバス~

黒箱ハイフン

姫ノ魔王

 少女がいた。腰ほどまである、透き通るような銀髪に、処女雪のような白い肌。その容姿はまるで神話より抜け出た女神の如く整っている。


 けれど、少女の瞳は憂いを帯び、表情はどこか淋しげに沈んでいた。



 ――神の寵愛を受けし姫。


 その容貌と力から、彼女はそう呼ばれていた。


 願えば、どんなことでも叶うという力。


 きらびやかなドレスも、まばゆい宝石も、豪華な宮殿も、全ては彼女の思うまま。


 もし望むならば、世界中の人を消し去ることさえも……。


 そんな娘が他者に利用されぬよう、王は彼女を城から出ることを禁じた。彼女に会えるのは決められた一部の者だけ。外の人間との面会は一切許されない。


 さながら籠の中の鳥といえよう。


 けれど、姫は窮屈だと思いつつ、その生活に不満を漏らすことはなかった。


 人々に大切に守られ、それ以上になにを望むというのだろうか? 世界にはもっと酷い生活をしている人たちがいるというのに。


 そう言い聞かせ、日々を耐える。

 物心つき、自分の力を自覚してからは、彼女は何も望まぬように努めていた。



 しかし、十六歳の誕生日、その檻は壊される。



 いつの間にか、それは部屋にあった。


 まるで夜の闇から作られたような、吸い込まれるほど深い黒色の甲冑。


 頭からつま先まで全身を包むそこからは、中の様子は全く窺えない。ただ、カチャリという音を立てて動いたことから、中に誰かが入っていることだけはかろうじて分かる。


「あなたは、誰……?」


 突然の来訪者。しかし姫にとっては数年ぶりとなる、城の住人以外との出会いだった。

謎の侵入者に興味を持ち、戸惑いつつも問いかける。


「我ハ魔王。貴女ヲ迎エニキタ」


 返ってきたのは、まるで壊れた楽器をかき鳴らしたかのように奇妙に歪んだ、とても人が発したとは思えぬ声。


 「え?」と戸惑いを漏らしたときには、もう彼女は魔王の腕に抱かれていた。


 冷たく硬い甲冑の感触に、身をすくませる。


「デハ、行コウ」


 魔王はそう告げると開いていた窓へと近づき、躊躇いもなく飛んだ。


 城の最上部たる部屋からの落下。その恐怖に、思わず姫は目を瞑る。


 だが、いつまでたっても落下の衝撃はやってこない。


 恐る恐る目を開けると、そこには世界があった。城を一度も出たことのない彼女にとって、今まで見たことなどない広大な大地が。


 後ろを見ると、城はもう見えないほどに小さくなっていた。


 ようやく自分が空を飛んでいるのだということを理解する。魔王の背では、二組の大きな翼が羽ばたいていた。


「綺麗……」


 惚けたように声がもれる。


 どこへとも知れぬ場所へ連れ去られながら、姫を満たしていたのは恐怖ではなく、初めて見る外の世界への感動だった。



 城から飛んでしばらくすると、魔王は地面へ降り立った。まるで壊れ物でも扱うようにそっと姫を下ろす。


「ねぇ、どうしてこんなところに?」


 そこは、辺り一面なにもない荒野。わざわざ降りる必要など欠片もなさそうな場所だ。


「城ヘ、オ連レスル為ニ」


「城? そんなもの何処に?」


 辺りを見わたせど、城はおろか町さえも見当たらない。


「ココニ」


 魔王が手をかざした。


 すると、何もなかったはずの荒野に突如巨大な城が現れる。


「サァ、ドウゾ中ヘ」


 呆然とする姫に騎士の如く手を差し伸べ、魔王は城へと招き入れた。


 概観とは裏腹に、城にはあまりものがなかった。最低限の調度品しか置かれておらず、人が住んでいた気配もない。まるで建てられたばかりの様である。


 城の奥、魔王に案内されるまま、姫は広い部屋に辿り着く。


「何カ必要ナ物ハナイカ?」


 まるで使用人のように、魔王がかしずき聞いた。いきなり城から攫ってきた者のやることとは思えない。


「なにもいらないわ」


 遠慮や警戒などではなく、本心からそう告げる。


 その部屋だけは、様々なものが揃っていたのだ。それも、全て姫の好みに合っているものばかり。まるで自分で揃えたかのように、完璧に彼女に合わせた部屋だった。


「でも、教えて。何故こんなことをしたの?」


 不思議と、自分を攫った正体不明の魔王へのあまり恐怖はない。ただ、疑問だけがある。


「城ニ居ルノガ、辛ソウダッタカラ。我ハ貴女ヲ喜バセタイ」


「そう……」


 真っ直ぐに言い切られたその答えに、複雑そうな顔をしてうつむく。


 そう、誰も気にかけるものなどいなかったが、彼女は辛かったのだ。どんな願いでも叶う、というのは良いことばかりではない。


 自分を巡って争う人々。実の親である王でさえ、力を利用することしか考えていない。本当に信頼できる相手などできるはずもなかった。友人を作ろうにも、決まった人間以外とは会うことは出来ず、城から出ることも許されないのだ。


 それでも、『自分は恵まれている』と無理やり言い聞かせ、何も望まず自らを慰める日々。


「ナラバ、ヤリタイコトハナイカ?」


 陰鬱なことを思い出す姫を気遣ってか、魔王が声をかけた。


「やりたい、こと……?」


 そう言われて、考え始める。


 自分がやりたかったことを。城に閉じ込められていたとき、叶わぬことと諦めていたことを。


「町へ、行ってみたい」


 自然と言葉が出ていた。それは、いつも城下を眺め思っていた願い。

一度でいいから、町へ出て普通の少女のように楽しみたい、と。


「ソウカ。デハ、行コウ」


 魔王が手をかざすと、一瞬で城の前へと彼らは移動していた。


 更に、二人の前には毛並みのよい黒馬が一頭佇んでいる。


「いいの、本当に?」


「貴女ノ望ムママニ」


 不安げに聞く姫にそう答えると、魔王は馬に跨り彼女を後ろへ乗せる。


「シッカリ摑マッテイロ」


「うん」


 魔王の腰に手を回す。


 腕に伝わる甲冑の冷たさが、姫にはとても頼もしく思えた。



「ねぇ、もしかしてその格好のまま町に入るつもりなの?」


 町の前までやってきた頃、姫が口を開いた。


「ナニカ、問題ガアルカ?」


 黒馬を何処かへと消し去りながら、魔王が不思議そうに首をかしげる。


 大いに人目を集めるであろう、黒い甲冑に全身を覆われた姿で。


「できれば、普通の格好になれない? その格好だと目立ちすぎるわ……」


 町へ行きたくはあるが、流石にその格好では注目を集めすぎてしまうだろう。


 いくら姫が世間知らずであっても、それぐらいは分かった。


「ソウカ、デハ……」


 次の瞬間、魔王の姿が水面の用に一瞬ぶれたかと思うと、そこに立っていたのは黒髪の青年だった。


「これでいいか?」


 青年が聞く、普通の人間と同じような声で。


 だが、その纏う雰囲気はあの魔王のものだ。


「えぇ、大丈夫よ。さぁ行きましょうか」


 一見して普通の青年の姿となった魔王に満足し、姫はさっそく町へと行こうとした。


 しかし、腕を捕まれてその歩みを止める。


「なに、どうしたの? もしかして、やっぱり行ってはいけないの……?」


 肩を落とし落胆の様子を見せる姫。その様子に、魔王は少し焦ったような表情を浮かべ首を振る。


「いや、我の格好はよくても、貴女の服装も目立ちすぎてしまう……」


 姫は普段から城で着ていたせいで気にならなかったが、彼女の格好も町では見かけぬほど豪奢なものだ。


 全身甲冑の魔王程ではないにしろ、その整った容姿も相まって十分人目を惹いてしまうだろう。


「そっか。けど、代えの服なんて持ってないわ……?」


 神に願おうとも考えたが、躊躇する。力を使うことはあまり好きでないから。


「これでどうだ?」


 魔王が姫に手をかざす。


 一瞬にして豪華なドレスが、簡素な、けれど趣味のよいワンピースへと変わる。


「わぁ」


 驚きながら、姫は初めて着る庶民の服の感触を確かめる。


 当然ながら、それは彼女が普段着ているものとは比べれば質は悪く、肌触りもよくない。

だが、動きやすさということを考えると、豪華なドレスよりこちらの方がいいだろう。


「これなら大丈夫ね」


 服の着心地に満足した様子で、嬉しそうに姫が言う。


 その関心はもう服ではなく、目の前の町へと向けられていた。


「さっ、今度こそ行きましょ」


 意気揚々と、姫は魔王の手を掴み町へと入っていく。


 町で二人を待っていたのは、姫にとっては夢の様な――魔王にとっては苦労が絶えなかったであろう――時間だった。


 着たこともない軽くて動きやすそうな服の並ぶ衣類店。


 城にいた頃は触ることすら許されなかった、剣や槍などの並ぶ武器屋。


 怪しげで胡散臭いものばかり置かれた古物商。


 露店の少し焦げた串焼きや、果肉の浮かんだ絞りたての豪快なジュース。


 始めて見るそれら全てに姫は興味を持ち、その先々で面倒ごとに巻き込まれた。


 生まれてからずっと城にいたことで常識が抜けており、さらに普通の服を着ているとはいえ、整った容姿をした彼女が、問題を起こさぬはずがない。


 その都度、それを収めるのは魔王の役目だった。


 例えば、店主に金を払い、言い寄る男共を蹴散らし、馬車に引かれかける姫を引き止めるなど、普通の従者ならば耐えられぬほど大量の厄介事を。


 けれど彼は嫌な顔一つせず、寡黙に姫に付き従う。



「あぁ、こんなに楽しかったのは初めてよ!」


 一通り町を巡り終え、姫は満面の笑みを魔王に向ける。


 もう彼女の頭からは、自分が攫われてきたということは完全に抜けていた。


「それは、良かった」


 言葉少なに、けれど確かに嬉しそうに魔王が返す。


「でも、こんなところにやってきて、なにがあるの?」


 彼女達が今いるのは町の外れ。全くと言っていいほどに人気はない。


 日は完全に沈みきり、夜空に浮かんだ満月が幻想的に辺りを照らしていた。


「城へ、帰るために」


 姫と魔王の足元、地面に赤い光が灯りだす。


 光が円、そしてその中に六芒の星を描いたとき、二人の姿はその場から消えていた。


「わぁ……!」


 興奮冷めやらぬ様子で姫が声を漏らす。


 月明かりが灯り夜風の吹く町の外ではなく、程よく温かい暖炉の火が灯る、けれど人の気配のない城――即ち、魔王城に立っていたから。


「転移ノ呪文ダ」


 聞き覚えのある、人ならざる声。


「あ」


 振り向くと、そこには初めてあったときと同じ、全身を黒い甲冑で覆った魔王の姿。


「でも、やっぱりそっちの方が、あなたらしくていいわ」


 普通の声と姿の町での姿よりも、こちらの方が彼らしくていいと思えた。


 常人が聴けば身を震わせる声も、見るものに畏怖を与えるであろう甲冑姿も、もう彼女は怖くない。


 姫にとって魔王はもはや「自分を攫った恐ろしい存在」ではなく「外へ連れ出してくれた案内人」となっていた。



 それから毎日のように、姫は魔王に連れられ様々なところを回った。



 獣が暮らす草木に囲まれた山。


 遠方の国で開かれた大規模な聖誕祭。


 強い日差しの眩しい海。


 旅の一座が開く派手なサーカス。


 人の身では辿り着けぬ雲の上。



 行く先々、彼女は城にいた間では絶対に出来なかったことを楽しんでいく。


 だが、姫が初めての体験に心躍らせていた一方、彼女を失った王宮は混迷を極めていた。


「ええい、まだ姫は見つからぬのか!」


 玉座に座った王が声を張り上げた。その様子に萎縮しながらも、震えた声で傍らの大臣は答える。


「い、いえ、居場所は分かったのです……」


「ならば早く連れ戻してこぬか、姫がおらねばこの国は回らぬのだぞ!」


 王は姫を娘とは見ていなかった。彼にとって姫は、その力により国の財政、ひいては自身の欲望を満たすための道具でしかない。


「ですが、そこは魔王と名乗る者が治めている城なのです……。魔王城へ向かった兵士達は皆城内に入るまでもなく魔物に襲われ、いまや完全に戦意を失っておりまして……」


 王宮が誇る精鋭たる兵士達。命こそ助かりはしたものの、彼らは皆重傷を負い、例外なく恐怖に囚われていた。


 今の城にはまともに戦える兵など、わずかにしか残っていない。


「ならば、国内外から腕の立つものを集わせよ! 金など好きなだけくれてやってよい、姫が戻りさえすればそんなものいくらでも手に入るのだ!」


 そう命じたとき、その場にそぐわぬ澄んだ声が響いた。


「でしたら、その役目、僕に与えてはくれませんか?」


 いつの間にか、王と大臣以外には誰もいなかったこの場に青年が立っていた。


「待て、大臣。……何者だ、貴様?」


 突然現れた青年に近衛兵を呼ぼうとする大臣を制して王が問いかける。


「僕は勇者。姫が魔王に連れ去られた、と聞き馳せ参じた次第です」


 慇懃に膝をつき青年は返答した。


 勇者。この言葉がこれほど似合いそうな人物もいないであろう。


 輝くような金の髪に、気品に溢れた端正な顔立ち。一切の曇りもない白銀の鎧と、腰にさされた細身の装飾剣。一見華奢なようにも思えるその姿からは、見るものが見れば余裕がありながらも隙のない雰囲気が感じられることだろう


 容姿、物腰、語り方、全てにおいて、まるで物語から抜け出してきた如く、彼は万人が思い描く勇者のようだ。


「ふん、ずいぶん自信があるようだが、何が狙いだ?」


 その態度にどこかひっかかるものを感じ、王は勇者を名乗る青年に訝しげな視線を向ける。

見たところ腕は立ちそうだが、それで姫を連れ去られたりでもしたら元も子もない。


「この城で、神の愛を受けたとされる姫に仕えることをお願いしたい」


 不躾な視線など全く意に返さず、青年はきっぱりと目的を告げる。


 確かに、姫に仕える、という言葉は嘘をついているようには見えない。


「ふん、よかろう、姫を連れてさえくれば、な」


 不審に思いながらも、結局王は彼を認めた。どれほど実力があろうと、一人では到底姫を助け出すことなどできないと考えて。


「では、その約束、お忘れなく」


 そう言うと勇者を名乗った青年は、満足したように王たちの前から去っていった。


「よかったのですか、あのような約束をしてしまって……?」


「姫さえ戻ってくれば構わん。では、大臣よ、先ほどのとおり、国内外に伝令をだすのだ」


「はっ!」


 王の命を受け、大臣が飛び出していく。


 この数時間後、国内外に向けて、大規模な伝令が下された。


 曰く、魔王城より姫を助け出した者にはどんな望みも叶える、と。



「最近、城の周りが騒がしいけれど、大丈夫なの?」


 伝令が出されて数日、城の周りには毎日のように武装した人間が押し寄せていた。彼らは皆、魔物によって城内に入る前に排除されている為、実害はない。


 だが、窓から伝わる物々しい景色や音は、姫の不安を掻き立てていく。


「心配ハナイ。ダガ、貴女ガ望ムナラバ別ノ場所ヘ移リ住モウ」


 いつもと変わらぬ調子で答える魔王。


 けれど、姫には彼が自分を気遣ってくれていることが分かった。


「本当にいいの……?」


 別の場所移り住む――それはこの城を捨てるということ。


「構ワナイ、貴女ノ心ガ安ラグナラバ」


「ありがとう、本当に、あなたは優しいのね」


 心の底から姫がそう思ったとき、


「それは困るな」


 ――唐突に、後ろから声がした。


「え?」


 振り向くと、そこには男が立っていた。


 白銀の鎧に身を包んだ金髪碧眼の青年。王宮にて自らを勇者と称した人物である。


「姫を連れて帰るのが僕の役目なんでね」


 にこやかに言う勇者に対し、魔王は警戒を滲ませる。


「貴様、ドウヤッテ入リコンダ?」


 城の周りには、大量の魔物が配備されていた。いずれも容易に討てるものではなく、たとえ倒したしてもすぐさま次の魔物に囲まれてしまうはずだ。


 今まで幾人もの腕に覚えのある者たちが挑んだが、誰一人として城内に辿り着いたものはいなかった。

今、ここに立つ勇者以外には。


「なに、転移の術の跡を利用しただけさ」


 軽く言ってのけるが、それは並大抵のことではない。


 役目を果たし魔力の残らぬ痕跡を見つけ、それを修復するなど、おおよそ人間業ではない。


「何者ダ……?」


「僕は勇者。姫を連れ戻させてもらう」


 腰から白く輝きを放つ剣を抜き出し、勇者が構える。


 魔王は、虚空より自らの背丈ほどもある漆黒の大剣を取り出して切りかかる。


「断ルッ……!」


「ならば、倒すまでさ!」


 勇者と魔王、互いの剣が交差する。


 ギンッ。


 白と黒、対照的な二つの斬激。


 キィンッ。


 まるで風に舞う木葉のように、巧みに受け流し相手をいなす白の剣激。


 暴らぶる豪雨のように、一撃ごとが全てを飲み込まんとする黒の剣激。


 ガギッ。


 魔王がいくら攻めようと、勇者は全て流し交わす。


 けれど、勇者も魔王の猛攻の前に反撃の暇を見出せない。


 膠着した、だが一瞬の隙が敗北へ繋がる戦い。



 戦いを眺めることしかできぬ姫。



 彼女の脳裏には一つの疑念が生まれていた。


「違う……」


 そんなことない、とかぶりをふる。


 けれど疑念は消えない。


 目の前で繰り広げられる死闘。


 それを見て思い浮かぶのは、ある記憶。


 姫を連れ去った漆黒の魔王、そして彼女を助ける為にやってきた白銀の勇者の物語。


「でも、最初からそう……」


 魔王が自分を連れ出してくれたときから、物語と同じ。


 もし何の力もなかったなら、ただの偶然と済ませることもできたかもしれない。


 しかし彼女にはあった、神に愛されたと呼ばれる力が。


 願えばどんなことも叶う力が。


「私は、城が嫌だった。逃げ出したかった……」


 力のことしか考えていない父や、利用するために近づいてくる他人。


 望んだ物は手に入っても、他には何もない。


 自由も、喜びも、楽しみも、何も。


 無意識に、城から連れ出されることを願ったのだとしたら?


 逃げ出した罪悪感が城に帰らなくては、という願いになったのだとしたら?


 物語から出てきたような魔王と勇者の存在。


 そして、魔王が自分にとても優しかったこと。


 全ての辻褄が合う。


 彼らが、願いによって生み出された存在だとしたら――?


「……私が、創った?」



 全ては、一人遊びということ。



「なぁ君は分かっているのかい、自分がなんなのか」


 死闘の最中、それを感じさせぬ軽い調子で勇者が問いかける。


「……………」


 魔王は無言。返答はなく、唯、大剣を振るうのみ。


「大方君は姫の『城から逃げ出したい』という願いからできたんだろう。だが、僕は『城へ帰る』という願いの具現だ」


 勇者はその猛攻を凌ぎながらも、変わらぬ調子で続ける。


「分かるかい、彼女はもうここにいることを望んでいない。僕の存在がその証拠だ。だから、大人しく姫をこちらに渡してくれないか」


「断ル」


「そうか、なら仕方ない……」


 勇者は魔王から離れると、傍らで戦いを見守っていた姫の傍へ。


「貴様ッ!!」


「どうやら、なんの疑問も抱いてなかったようだね。けれど、何故気づかないのかな?」


 激昂する魔王の様子に満足気に、だが同時に訝しむ勇者。


 その手に構えた剣の切っ先は、姫の喉下へと向けられている。


「え……?」


 呆然とした様子で姫が呟いた。


「あぁ、やっぱり君も自覚がなかったのか。君はね――」


「何ヲッ……!」


「おっと、大人しくしていてもらおうか? この娘が大切なら」


 切りかかろうとする魔王を、勇者は姫に突きつけられた剣で制す。


 そして彼女の方を見て、告げた。


「君も僕らと同じように姫が――神に愛されたとされる姫が生み出した存在なんだよ。それも、自身を模した代替物として。つまりは、偽者さ」


「嘘、よ……。そんなの嘘に決まってるわ……。だって、思い出だって――」


 王や大臣に力を使わせられる日々。


 使用人と仲良くなり、初めて裏切られた日。


 城へ攻めに来た人達を、力によって消し去った感触。


 部屋から出ることを許されず、寂しさに嘆く夜。


 姫の頭をよぎるのは全て思い出したくもない記憶。


 けれど、それは自分が偽者ではないという証――そう思った。


「容姿だけでなく、記憶まで複製できるんだよ。君の言う思い出が、本物だとどうして言い切れる?」


「それは……」


 口をつぐむ姫に、勇者は更に続ける。


「もし君が偽者じゃないのだとしたら、力を使ってみるといい。君が本物なら願うことで僕を消すことができるんだから」


「黙レッ!!」


「邪魔しないでくれよ、彼女が大事なら」


 今にも切りかかる勢いの魔王だが、姫を盾に取られているため動けない。


「私が願う……」


 姫は自身の力を恐れ、嫌っていた。


 できれば使いたくはない。


 けれど、このままでは自分と魔王は……。


 そう考えると、彼女は目を閉じ、願っていた。


 ――目の前の勇者が動かなくなりますように。


 強く、願う。


 今まではこうやって願えばどんなことでも叶ってきた。


 祈りをこめて、ゆっくりと目を開く。


 その先にあったのは、微動だにしない勇者の姿。


「うまく、いった……!」


 そう、自分は作り物なんかじゃない。姫が安堵を抱き、呟いたとき、


「ほら、やっぱり偽者だ」


 無常な言葉と共に、剣が振り下ろされる。


「あ……」


 だが、剣は姫を襲いはしなかった。代わりに、ガァンッと甲高い金属音が響く。


 刃が迫る寸前、魔王がその身を姫の前に投げ出したのだ。


「動いたらどうなるか、言ったよね?」


 不愉快そうに勇者が呟く。倒れる魔王を一瞥すると、彼は今度こそ姫に剣を振り下ろした。


 姫は、それをただ呆然と眺める。その胸中には恐れや悲しみはなく、虚しさだけがあった。死ぬことに対してではなく、自分が偽者だったということへの。


 迫り来る白刃を感じ、彼女は目を閉じる。


「止まれ」


 透明な声が響いた。


 硝子のように透き通った、けれど全てを従わせる意思のこもった声。


 それは、全てを叶える全能の声。


「え?」


 勇者が固まる。


 声に驚いたのではない。動けないのだ、自分の意思では全く。


 彼には分かった。これは自分の主――己を生み出した、神に愛されたと称される存在の言葉だと。


 けれど、目の前にいる娘は、目を瞑ったまま動いていない。


「消えなさい」


 もう一度声が響いた。 



 結局、彼は最後まで、自らの主を見ることはなかった。



「どうして……?」


 いつまでも訪れぬ白刃に姫が目を開くと、そこにいたはずの勇者の姿はどこにもなかった。


「……ごめんなさい」


 後ろから声がした。申し訳なさそうな、透き通った女性の声が。


「誰……?」


 姫が振り向くが、声の主と思える相手は見て取れない。


 そこには魔王が立っているだけだった。


「そうだ、さっきは助けてくれてありがとう。けど、大丈夫なの……?」


 声のことよりも、姫は目の前に立つ魔王の方が気になった。


 傷一つなかった黒い甲冑は、今や見る影もない。


 特に、姫をかばったせいだろう、背の部分には大きな亀裂がはしっていた。


「大丈夫、私はなんともないから」


 また、声。それは、先ほどと同じ女性のものだ。


「え?」


 姫が驚いたのも無理はない。その声は、目の前の甲冑の中から発されていたのだから。


「どういう、こと……?」


 戸惑う姫に、彼――否、彼女は答えた。


「私が、本物の姫です」


 兜を外した下にあったのは、町に行ったときに供をした黒髪の青年ではなく、自分と全く同じ顔をした少女だった。


「なん、で……?」


 自分が偽者だったとしても、身をていして助けてくれた魔王。


 彼女にとって、最後の拠りどころであった存在。


 それが、自分を創ったなんて……。


 姫の中に、僅かに残っていた何かが崩れ落ちていく。


「全て思い出したわ。みんな、私の身勝手な願いのせいなの……」


 申し訳なさそうに、本物の姫を名乗った少女は語り始めた。



 全ての真相を。



 ずっと城から逃げ出したかった。


 けれど、そんなことをすれば国が崩壊すると彼女は分かっていた。


 自分によって、あの国は保っていたのだから。


 ある日読んだ小説。


 それは魔王が囚われの姫を攫う物語。


 そして、それに憧れた。


 姫、ではなく、魔王に。


 誰か一人、大切な人のためだけに自分の力を使いたいと。


 物語に出てきた魔王のように。


 いつしか、そんな思いは願いとなり、叶ってしまう。


 その姿は物語に出てきた、甲冑姿の魔王に。


 自分が姫だったという記憶はなくなっていた。


 あるのは一つ、姫を連れ出し喜ばせる、という目的だけ。


 その目的に従い姫を――自分が仕える為に創り出した姫を攫った。


 けれど供に過ごすうち、無意識に出来た罪悪感が湧き出す。


 それがあの勇者を生み出したのだろう。


 勇者と戦う間、少しずつ浮かんでくる光景。


 自ら忘れていた記憶。


 剣が振り下ろされたとき、倒れ付しながら願った。


 助けたい、と。


 そして、彼女は全てを思い出す。


 その身に宿った本当の力を、自分が何者なのかを。


 そう、その罪を。


「本当に、ごめんなさい……」


 そんな謝罪で、話は締めくくられた。


「じゃあ、あの勇者はあなたが消したの?」


「えぇ、貴女が危なかったから……」


 質問に答える姿や声は、魔王とは全く違う。


「じゃあ、彼は、魔王はどうなったの……?」


 たった一人の、自分の味方だった存在の名。


 返ってくる言葉は分かっていた。それでも、姫は聞かずにはいられなかった。


「もう、いません……。もともと、あれは私が演じていた存在だから……」


 最初から魔王などいなかった。


 いたのは、自分を姫だと思い込んだ偽者と、物語の魔王に憧れ、それを演じた姫だけ。


「はは……」


 分かってはいても、事実を言葉として告げられるのは辛かった。


 姫として生み出された少女はそんな気持ちで渇いた笑いをもらす。


 彼女の中を埋め尽くすのは空虚な絶望。


「私はもう、疲れた……。だから、貴女が望むとおりにしようと思う」


「私の、望むとおり?」


 最初から何もなかった偽者に今更事実を告げて、一体何を望めというのか?


 そう言い返してやろうとさえ、姫は思った。


「全て忘れてまた夢に浸るのも、このまま私の命を終わらせるのも、貴女の望むままに。私はその願いのとおりに従います」


 ――望みを叶える。


 それは魔王に似ているが、違う。


 彼は、そう設定されたからだろうが、私を喜ばせるため、ただそれだけの為に願いを叶えてくれた。だが、目の前の少女は自分で選ぶのに疲れたから、そして多分罪悪感からなのだろう。


 それは決定的な違い。


 彼は私のために、彼女は自分のために、願いを叶えるのだ。


 そう考えると姫は、自らが引き起こしたことなのに、全てを人に押し付ける身勝手な彼女に対して怒りを感じた。


 だが、同時に、それも仕方がないことだとも思える。同じ記憶を持つがゆえに分かるのだ、彼女が抱えた苦悩が。


 生まれてから今まで、彼女がどれほどの苦痛を感じてきたのかが、余すところなく。


 一瞬とも、悠久とも感じられた時間の後、ついに姫が口を開く。


 自分の中に渦巻く様々な感情をまとめ、答えを出す。


「私は――」



 ――そして、願いは叶えられた。



 町。


 さして賑わっているというわけではないが、田舎というほど寂れてはいない、ごく一般的な町だ。

その居住区に立ち並ぶうちの一つ、周りに建ち並ぶものと同じ形で、何の変哲もない一軒。


「姉さん、そろそろ兄さんを起こしてきてください」


 台所で料理を作りながら少女が言った。その手のフライパンでは、目玉焼きが三つ同時に焼かれている。


「了解。まったく、あいつはいつも……」


 ぶつくさ文句を返しながら、もう一人そこにいた少女が出て行く。彼女は慣れた様子で二階の部屋へ向かう。


「ほら、さっさと起きなさいよ」


 彼女は部屋に入るなり、ベッドを軽く蹴飛ばした。


「う、うーん」


 だが、ベッドに眠る人物は、少し寝苦しそうにうめいただけで、全く起きる気配がない。


「毎度ながら、面倒ね……。起きなさい、えいっ」


 また蹴り飛ばす。


 ただし、今度は本人を。それも、手加減などせずに。


「ぐあっ!?」


 ベッドの上の人物は叫び声を上げぐったりとなる。


「あら、まだ起きないみたいね」


 楽しげに呟くと、少女は更に連続で蹴り始めた。実際のところは、痛みで立ち上がれないだけなのだが、そんなこと彼女の気にするところではない。


 ベッドの上からは苦悶の声が上がり続ける。


 そして、蹴った回数が二桁を越えた頃、息絶え絶えの様子でベッドから青年が起き上がった。


「や、やめ、ぐはっ!?」


 その顔面に少女の足が命中する。


「あら、起きたの」


 顔を抑えてうずくまる青年を見ても、少女は全く悪びれない。


「最初の一発で起きてるよ! お前、毎日毎日、わざとだろ、絶対!?」


「あらそう? で、わざとだったらなにか問題があるの?」


「……いつまで根に持ってるんだよ」


 ぼそりと青年が呟く。


「あら、何か言ったかしら?」


 今度は足ではなく、握りこぶしが彼の胸に突き刺さった。


「げふっ!?」


「感謝こそされて、文句を言われる筋合いはないはずなんだけど」


 相手をいたぶるような、嗜虐的な笑みを浮かべる少女と、うつむき悶える青年。


 この光景は、彼らの力関係を完全に表していた。


「じゃあ、さっさと着替えてきなさいよね。もう朝食の準備はできてるんだから」


「……はい」


「ふふっ」


  観念したかのように頭を下げる青年を見て満足したらしく、少女は出て行った。



「あ、お兄さん。おはよう」


「相変わらず愚図でのろまな兄さん。おはよう」


 着替えを済ませてきた青年を出迎えたのは、二つの声と笑顔。


 ただし、片方には悪意がふんだんに含まれている。


「姉さん、言いすぎじゃ……」


「いいのよ、こんなやつ」


 言い争う様子を見て、彼は思った。


「同じ見た目なのに、どうしてここまで違うんだか……?」


 容姿、体型、そして声に至るまで、全くと言っていいほど、彼女達は同一だった。


 ただし、その身に纏う雰囲気は全く違う。


「なにか言ったかしら?」


 少女達の片割れ――先ほど彼を蹴り飛ばして起こした姉、が微笑んでいた。


 その手に持ったナイフが鈍く光る。


「文句でもあるの? そんなに朝食抜きで仕事に行きたいのかしら? ねぇ――」


 そして、耳元に寄り、彼にしか聞こえない声音で囁いた。



「――ゆ・う・しゃ・さ・ま?」



「ぐっ……」


 かつて勇者を名乗った青年は、苦虫を噛み潰したような表情をする。


「この偽者が……。毎度毎度こき使いやがって……」


「その偽者に助けてもらったのは誰でしょうかね? それにこき使うだなんて当たり前じゃない、あんたを生き返らせたのはその為なんだから」


 消された勇者がここにいるのは彼女が願ったからだ。ほんの少しの同情心と、日々の生活費を稼がせる労働力の為に。


「なにか文句でもあるの?」


 全てが終わった日と同じように、けれど今度は完全に逆の力関係で、偽りの姫と勇者は目を合わせる。


 永遠に続くかと思えたその睨み合いだったが、終りはあっけなく訪れた。


「姉さん達、さっきから何を話してるの?」


 妹の一言。それは、全てを忘れた全能の姫の言葉。


「いや、なんでもないわよ」


「そうそう、君は気にしなくてもいいんだ」


 たったそれだけで、剣呑な雰囲気は霧散し、まるで示し合わせたかのように答える。


 二人ともこの件に関してだけは、同じ考えであった。


 彼女に余計な事は話さない、いうことについては。


「もう、いつも私だけ除け者にする」


 拗ねたような妹の様子に、かつての姫と勇者は苦笑する。


 昔のことを思えば、こんな表情をできるようになったのは、ある種の奇跡だろう。


「少しやりすぎたわ……」


「いや、僕も悪かった……」


 毒気を抜かれ、どちらともなく謝る二人。


「なんだか知らないけど、仲直りしたならいいです。さぁ、テーブルに並べるの手伝って」


 彼女の方も、内容は分からないながらも、喧嘩が終わったのは分かったらしい。


「了解よ」


「わかった」


 無邪気な妹の様子に満足し、二人はテーブルに料理を並べはじめる。


 朝食が済めば、兄は仕事へ、そして自分と妹は買い物や掃除などの家事が待っている。


 記憶にある、なにもしなくてもよかった王宮での暮らしと違い、結構大変だ。


 けれど、毎日が充実していると姫は思う。


 あの日、彼女が望んだのはこの日常。


 ごくごく普通の、けれどとても暖かな日々。


 望みを何でも叶えてくれた、優しい魔王はもういない。


 そんな人物、最初からいなかった。いたのは、魔王に扮した淋しい少女だ。


 だから、この世界の誰よりも少女の苦しみが分かった姫は願った、


 ――彼女の家族になることを。



――――――――――――――――――――――――――――――――



まさかのハッピーエンドです。

そんなわけで、ある意味王道染みた感じのファンタジー的なものでした。


本来、このシリーズ欝ばっかりなのに、しょっぱな綺麗に終わるとか違和感がハンパないです。


……そして、これには実は大量に欝展開ばかりのEND集があります。

そちらはまた別枠でのせておきます。

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