軌道をめぐる同行者4

 ぼくは目覚めの瞬間がずっと怖かった。こうして目が覚めたのに、自分が生きているのか、それとも死んでしまったのかがわからなくなることが時折あるからだ。

 ベッドの上で意識が揺り戻されて。瞼を開いた先に見える天井、自分の手のひら。それに体温や鼓動すらも、網膜下端末がぼくに見せる植え付けの幻想ではないかと。そんな不確かな現実を、ずっと恐れていたのだ。

 何かの機械が放つ脈動音が延々と聞こえてきていた。


「――……ハ……ル………? ハルくんっ!」


 かすれそうなほど小さな声は、それでも衣擦れの音すら打ち消してしまう。

 目を刺すようにまばゆい白色光の向こう、ぼくが横たわっている枕元で呆然とたたずむ茜色の髪の〝るーちゃん〟――ルリ姉が大きな目を見開いている。


「――…………るー……ちゃん…………?」


 自分の声がこんなにも高く澄んでいることに驚いて、それからぼくの胸で泣きじゃくるルリ姉がちょっとだけ小さいことにも気づく。

 ぼくの瞳は、きっと四年前の記憶を再演しているのだ。


「やあ、ひさしぶり、るーちゃん。ここってどこなの? どうしてるーちゃんがいるの?」


 開口一番に言う台詞ではなかったと思う。だって、ぼくはたぶん死にかけたのだ。生きていてくれて嬉しいから、彼女は今これほどまでに涙しているのだと。

 四年前、あの日。少しだけ大人に近づいたぼくたちは、数奇なる軌道を巡ってこの医務室で再会した。

 生まれ故郷であるコロニー・アガルタで過ごした幼年期を十歳で卒業したぼくたちは、そのまま離ればなれで暮らすことになった。ぼくたちは得意なことが互いに全然違っていたから、別々の〈群島〉で別々の役割を得たためだ。

 だからルリ姉はオービタルダイバーの基地でダイバーになって、機械いじりの方が向いていたぼくは工場群島に送られた。適材適所というやつだ。

 けれども、ぼくが所属した工場群島は、一年ちょっとでなくなる結末を迎えた。

 膨大なエネルギーを吐き出しながら地球から上がってきた箱舟たちは、だからエネルギーと資材に飢えている。ならばと、手軽に食えるものなら何だって食ってしまう。軌道上で得られるものであれば、それが宇宙デブリや人工衛星であろうと、自分のサイズを超える〈群島〉であろうとお構いなしの食欲だ。そして体内に取り込んだあらゆるものからフューチャーマテリアルを生成して、過酷な宇宙環境で活動する糧にする。

 なのに箱舟たちは、生身の人間を狙っては殺さない。その気になればあの軌道エレベーターだって破壊してしまえるだろうに、ぼくたちをあざ笑うかのように、何十年も何百年も人類は生かされてきた。軌道上の人類領域など、やつらにとって都合のいい生け簀なのだ。

 ぼくがあの死地で生き残れたのは、本当に偶然だったらしい。

 箱舟の襲撃で工場群島が崩壊して、そのまま宇宙空間に放り出されたぼくは、偶然にも船外服を着ていた。当然、救援の手など来ないまま漂流してエア切れを起こしたのだけれど、偶然にもそこはの戦場だった。

 ――ぼくが〝パープルの子〟などと呼ぶことになったあの薄紫色のアリス=サットは、おそらくぼくが可哀想だったから助けてくれたわけではないのだろう。

 でも、あの瞬間、ぼくは最後の窒素ジェット噴射での躯体にしがみ付いた。とにかく死に物狂いだったのだ。

 そして最後の偶然は、漂流したぼくが次に目覚めたのがジェミニポートここだった、ということ。

 ちょっとだけ背丈と髪の毛が伸びた〝るーちゃん〟がこうしてぼくの胸にいて、一年ぶりとなった偶然の再会は、ひとつの約束によって次への幕を開けた。


「――ハルくんはわたしが守る。もう二度と危ないめになんてあわせない。おねえちゃんが絶対に守ってみせるから!」


 約束の言葉は、まるで誓いのように、呪いのようにこの少女を強くして。

 そしてこの日を境に、〝るーちゃん〟というぼくの傍にいてくれたひとは、きっと特別な誰かになったのだ。

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