群島と子どもたち8

【人類の英雄となるべき子どもたちに期待している】


 そう鼓舞する言葉を残して、ラムダ担当管理官の像がブリーフィングルームから消え去った。


「…………ナンだよあいつ、自分だけ安全圏からエラそうによ!」


 隣でヨンタが不平をこぼしている。担当管理官が、網膜下端末上でだけ見えるホログラムであること――つまり大人たちが安全な遠隔地である〈天蓋都市〉から司令を出しているという実情に、ヨンタは不平等感を覚えるようだ。


「まあまあ落ち着いてって。あのひとたちにもあのひとたちなりの役割があるから仕方ないよ。それに、大人って実戦ではまったく役に立たなさそうだし。ぼくもわざわざ自分の仕事を増やす趣味はないから」


「……ああ、まぁ、なんつーか。お前さ、真面目な顔して、たまに毒のあること言うよな……」


 呆れた視線が横っ面にチクチクと刺さる。事実に即した言葉を選んだつもりなのだが。

 そんな話をしながら、ブリーフィングルームから退出する列に続いていた彼らを、見覚えのある顔の男子たちが遮った。


「――てめぇだけ特別扱いたぁ、うまいことラムダに取り入ったよなぁ、ハルタカ!」


「ハルきゅんってば腰抜け野郎だから、エースなお姉ちゃまにいっつも守ってもらってるんでちゅよね~?」


 隔壁扉の向こうの連絡通路で待ち構えていた三人組。どれも名前は覚えていないが、ニルヴァ分隊の面子なのはわかる。明らかに悪意のこもった目つきがこちらに注がれている。

 ヨンタが「ザコは相手すんな」と耳打ちしてくるが、受けた任務を早々に整理したいハルタカとしては、何の感情も湧いてこなかった。


「あれあれ~? でもお姉ちゃま、弟クンにかまけてたらダイバーランク一位から無様に転落しちゃったんじゃなかったっけ~? おっかしいな~、じゃあ今の基地内ランク、ナンバー1って誰だったっけな~?」


 こちらが思った反応を示さないと見て、さらに挑発をエスカレートさせる三人組。彼らの言うランクというのは、各級の総合成績による子どもたちの格付けのことだ。これまでダイバーのトップに君臨していたルリエスが、今期から順位を下げた事実を嘲笑したいのだろう。が、ハルタカには彼らのこういう文化的センスがいまひとつ理解できない。

 そんなことよりもハルタカの懸念どおり、先に行ったはずのルリエスが人込みを切り開きながら戻ってくるのに危機感を覚えていた。地に足を着けるのすら困難な重力環境なのに、ずんずんと足音を立て肩を怒らせながら向かってくるから、ろくな結果にならないのだけは目に見えているからだ。


「忘れんなよ、ジェミニポートのエースはニルヴァだ。わかったら転落二位の付き人風情が俺らの戦いにしゃしゃり出てくんじゃねえぼボァッ――――!?」


 だがルリエスとの衝突に先んじて、わめき立てていたうち一人が背後から蹴り飛ばされた。勢いよく浮き上がった男子は、「誰か止めて」などと無様な悲鳴を上げながら天井をバウンドし、子どもたちの頭上を超え通路の彼方へと消えていった。


「――映画ムービーの三下役みたいなダッサい真似してんじゃないよ! お前たちは僕の輝かしい英雄オーラを汚すつもりか!」


 残る二人を突き飛ばしながら歩み出てきたのはニルヴァだ。苛立たし気に双眸を歪め、目を白黒とさせる相棒たちを睨み返す。それもすぐに切り上げ、呆気にとられたままだったハルタカらに向き直った。


「僕はお前みたいなやり方なんて認めないよ、ハルタカ」


 今度は揶揄ではなく、真っ向から絡んでくる。周囲にいた他の子どもたちもこの騒動に立ち止まり、狭い通路に人垣ができ始めていた。


「認める? 基地内での行動にニルヴァの承認は必要ないはずだけど。それよりランク一位達成おめでとう。念願のルリ姉を越えて事実上ジェミニポート最強のダイバーとなったわけだから、もう怖いものなしじゃないか」


 淡々として、しかも挑発的な受け答えになってしまった。口にしてからマズったなと思う。ヨンタにも何度か指摘されてきた癖も、自分ではどうにも実感が湧かないのだ。

 だがニルヴァはこちらの返答を何ら踏まえず、勝手に持論の展開を始めた。


「いいかいハルタカ、どう言い繕おうとお前には二つの落ち度がある。一つ、お前は軌道甲冑の操縦技能がありながら、果たすべき役割を放棄している! 言い換えれば、戦力に荷担したがらないお前のエゴが、この基地そのものを危険に晒してるんだよ」


「……それは耳が痛くなるほど聞いてるよ。そしてぼくの役割は違うとも答えたはずだ」


「二つ、お前は軌道甲冑の改良のために禁忌タブー破りをした。ねえ聞きなよみんな、こいつのVX9には、なんとAIが組み込まれてる! VX9が高性能化できたのは、AIに機体を自動制御させてるからだ」


 大仰な振る舞いで、聴衆にそう吹聴した。

 そんなニルヴァの声に、周囲にどよめきが走った。作戦前のタイミングに余計なことを騒ぎ立ててくれたと、こちらとしては頭を抱えるしかない。

 確かに、彼の言ったことの全ては否定できなかった。ハルタカの開発チームが手掛けているVX9とは、軌道甲冑の現行機体であるVLSの機体制御システムに、旧世界遺産から発掘サルベージした自己学習プログラムを組み込んだものだからだ。その恩恵を受け、才能のあるごく一部のダイバー以外では操縦自体が困難だった軌道甲冑を、経験が浅い人間でも扱える万能マシンに生まれ変わらせる目途が立っていた。


「ハルタカ、お前はなぜAIの技術が忌避されてきたのか知ってるはずだ。なのに、一体何様のつもりだ? AIは僕たちの敵だ。AIは僕たちを殺す。…………ワッツを殺した」


「……彼のことは残念だった。けど、ニルヴァは何か誤解してる」


 気まずい話題にそう言葉を濁すしかない。その時、仲間のひとりが「冷血野郎が」と吐き捨てたのが聞こえた。「お前には正義がないのか」とも。他人からそう評価されたことに愕然とさせられる。


「誤解なもんか! 箱舟はフューチャーマテリアルの外殻を纏ったAIのバケモノだ。ヤツらは攻撃対象のシステムを乗っ取るハックするんだよ! だから人類は自分の武器が裏切らないハックされないように、無人兵器の技術を棄てた。僕らがも考えずにそんなものを復活させて、お前は味方を背中から撃つつもりか?」


「そうならないように工夫するのがぼくたち開発チームの仕事だ。君みたいに操縦技術の卓越したごく一部の天才だけに頼る仕組みはだよ。きっといつか破綻する。だから、誰もが等しくエースになれる仕組みこそが、今のぼくたちに必要なんだ」


 一歩も引かず、睨み合う。

 が、こんな時なのにニルヴァは厭らしい笑みを引きつらせると、


「……そういうお前にワッツの死に様を教えてやろうか? ワッツはVLSの暴走で死んだ」


 唐突に詰め寄ってきて胸ぐらを掴まれ、通路の壁に押しつけられてしまう。彼の整った鼻先がこちらの頬に触れそうなくらい肉薄してくる。


「VLSの……暴走? 箱舟の攻撃を受けて大気圏に落ちたってぼくは聞いてたけど……?」


「ああ、そうさ、当然やったのは箱舟だ! あいつ――ディスカバリー6の野郎、ワッツ機のブースター制御システムをピンポイントで乗っ取りやがったんだよ。そうしてワッツは泣きべそかきながら危険深度までこんがり真っ逆さまだ!」


 そうがなり立てるニルヴァの視線を受け止めることも忘れ、ハルタカはただ頭の中で計算してしまう。箱舟がどのネットワーク経路で軌道甲冑のシステムに侵入し得たのか。制御プログラムのどのコードを改竄すれば、ワッツ機を思惑どおりに暴走させられるのか、を。


「…………あーあ、お前って機械のことばっかで、人の心なんて何ひとつわかってないよね」


 そう諦めの溜息とともに突き放される。連絡通路の硬い壁の感触に、我ここにあらずだったハルタカも、ここでようやく侮蔑の入り混じったニルヴァの顔と直面する羽目になった。


「人類に必要なのは百人千人のエースなんかじゃない。みんなに希望を与える、たった一人の英雄なんだ。だがハルタカ、お前は戦士でもなければ、英雄にもなれない。お前なんかがなってたまるもんか!」


 誰かが唾を飲み込む音が聞こえてくる。互いの距離は近くも遠い。


「…………フン。ルリエスさ、そんなに大事なら、そいつの首にテザーでも括りつけて基地の中で飼うようにしなよ。まあ、そういうって僕には悪趣味に思えるけどさ」


 ニルヴァが吐き捨てるように言ったその言葉が、いつもなら気にも留めないはずなのに奇妙な不快感を掻き立ててきた。知らずに歯噛みしていて、遅れて理性がそれを押し殺す。

 ニルヴァの方もこれ以上は時間の無駄だと悟ったのか、仲間らを伴い立ち去っていく。それを見届ける構図になったハルタカに、躊躇いがちにルリエスが並ぶ。


「ニルヴァなんかの言葉に耳を貸さなくていい。ハルはハルの信じるままにやればいいよ。わたしはハルを信じてる」


 そして、やり場をなくしていたハルタカの手に、彼女の手がそっと重ねられた。

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