第29話 二人の時間(後)
「………………そ、そうなのか」
「あれ? もしかしてゆっきー、あんまり驚いていない?」
「いや、まあ、その」
もちろん、驚いてる。
既に知っていた情報であるにもかかわらず、やはり頭の中は真っ白になりかけたし、全身が固まったのも自覚できる。
そうなってしまったのも、まだ、どこかで桜花がそうであると信じてなかったからなのかもしれない。
少し、寂しい気分になった。
でも、桜花の気持ちをきちんと支えようというのは、信康との会話の中でもう決めたことだ。今まで、桜花が自分の気持ちを支えてくれたのと同じで。
「えっと。脱線するかもだけど、その人のこと、聞いていいか?」
ただ、大まかなことを信康に聞かされているとはいえ、どんな男であるのかについては、桜花の口から聴いておきたい。
「いいよん」
桜花は笑顔で快諾する。
「んーと、まずは背が低い」
いきなり意外な特徴だった。
ただ、桜花は女の子としては長身の方だから、逆に低い方がいいのだろうか。
「カッコよくて、同時に、すんごく可愛い」
これまた意外だ。いわゆるギャップ萌えというヤツか。
「正義の味方気質で、ケンカも滅法強い」
この点については、那雪とも話が合いそうだ。
「学校の成績は、中の下くらい」
中の下? 確か……信康の情報では、成績優秀だったはずでは?
「実は結構恥ずかしがり屋」
これも情報にはなかったような……。
「趣味は、身体を動かすこと」
……いや、待て。
「早朝のランニングが日課」
これは。
「得意な蹴り技は上段回し蹴りとカカト落とし」
もしかして。
「十年以上前から、ずっと一緒」
――――!
「好きだよ、ゆっきー」
後半からほとんど私のことじゃねーか、と那雪が突っ込む前に。
桜花は、思いを口に出していた。
真正面から、自分の目を見据えて。
それでいて、頬を赤く染めながら。
でも。
笑顔で、精一杯の勇気と共に。
「――――――――っ!」
だからこそ、彼女は冗談で言っておらず、その気持ちが――単なる友情や親愛という意味では止まっていないことが、こちらに伝わってきた。
伝わってきただけに、那雪の五体は、急速に熱を持ちだした。
「……驚いた?」
桜花が、真っ赤な笑顔のままで、静かに訊いてくる。
那雪は無言でコクコクと頷くしかできない。
さっき言ってた大事な話とはこれのことか、という納得も。
まさか相手が自分だったとは、という驚きも。
女の子同士っていいんだっけ? という疑問も。
先輩の言っていた草壁って結局何者だったんだよ、という空振り感も。
わりと、どうでもいい。
他者から好意を告げられたのは――那雪にとって、初めてのことだった。
「ゆっきー、憶えてる? わたしが、ゆっきーと初めて会って、守ってもらったときのこと。あの、幼稚園の年中組の冬の日のこと」
「…………」
憶えている。
当時の桜花は、引っ込み思案のいじめられっ子だった。
那雪は那雪で活発な子供で、当時特撮にハマりだした時期ということもあって、別のクラスでずっといじめられている子が居ると聴いた瞬間に、カッ飛んでいったのだ。
わりと無我夢中だったため過程までは朧気だが、ピンチの桜花を守ったという結果は、本格的に正義の味方に憧れるきっかけだったと言ってもいい。
「その始まりから十年の間にも、ゆっきーに守ってもらう度に、ますます好きになっちゃって。でも……わたしは、ゆっきーみたいに勇気がなかったから」
「……ずっと、我慢してたのか?」
やっと、那雪は言葉を絞り出すことができた。
桜花は頷いて、
「ゆっきーが信さんのことを好きって聞いたとき、実はとてもショックだった。ただ、元々わたしの恋はいけないものだったし、ゆっきーの幸せを想うと、素直に応援できた。……でも、やっぱり、ダメだったみたい」
「桜花」
思い出した。
昼、商店街の広場で、信康と楽しく会話していた時、その場を見た桜花が逃げ出したのを。
やはりあの時、泣いていたのか。
それでも、自力で立ち直って。
自分も戦うと言った場面で、出てきた『好きだよ』という言葉にも、やはり精一杯の勇気を込められていたのだろう。
そして、今さっき、桜花が恐れていたのは――
「あーあ、せっかくちゃんと告白するって決めてたのに、こういう場面でだなんて……しかも、それを菜奈芽さんにつけ込まれて、ゆっきーの大切な信さんまで巻き込んじゃうなんて。ホントわたし、ダメだねぇ、ははは」
「……じゃねーよ」
「ん?」
「ダメなんかじゃねーよっ!」
噛みつくかのように、那雪は桜花の苦笑を否定する。
「ゆ、ゆっきー?」
「十年もずっと我慢して、先輩の話で浮かれている私のことをずっと笑顔で応援してくれて、それでもずっと好きで居てくれて……そんなの、一つもダメなんかじゃない。ダメなんて言わせねーよ!」
突然の告白だったのに、驚いたし、頭の中がぐるぐると混乱した。
でも、同時に。
とても、嬉しかった。
ドキドキした。
胸の中が、とても熱くなった。
どんな時も、優しかった桜花。
どんな時も、笑顔で傍に居てくれた桜花。
どんな時も――支えてくれた、桜花。
全部が、愛おしく感じた。
「先輩のことが好きなのは変わらないけど……桜花の想いに応えないなんて、私には無理だ」
「……ゆっきー」
桜花の頬に両手を添えて、その額に、己の額をコツンと軽くぶつけて。
すぐ近くにある、茶色の瞳を間近に感じながら、
「私も好きだよ。桜花のことが、大好きだ」
「――――」
今一度、桜花の瞳から涙がこぼれる。
でも、涙を拭くこともせず、桜花は穏やかに笑って、
「いいのかな、わたし」
「ん?」
「わたし、好きって言ったら最後、ゆっきーの傍に居られないかもって思ってた。でも……これからも、ゆっきーのこと、好きで居ていいのかな。傍に居て、いいのかな」
「ああ。おまえが私を拒まない限り、おまえの気持ちはおまえの物だ」
「……はは、嬉しいね。今まで生きてきた中で、一番嬉しい」
「私も、桜花に好きになってもらって、嬉しい」
「ゆっきー……」
と、桜花はもう一度那雪のことを呼び、ゆっくりと目を閉じる。
無論、瞬きではない。
額を重ねて顔が近い今、彼女が何を望んでいるのか、那雪にはよくわかる。
これには、少し迷ってしまった。
先輩のことも、頭をよぎった。
何より、自分のファーストキスだ。
でも。
――相手が桜花なら、良い。
純粋に、そう思った。
「――――」
だから重ねた。
瞬間、バクバクする鼓動も熱っぽい頭の感覚もどうでもよくなって、ただ、柔らかさと心地よさが那雪を支配した。
「…………ん」
触れているのは三秒くらいだったが、すごく長い時間のように感じた。
「……………………」
そして、改めて向き直って、少しの間見つめあうと。
「う……わああああぁぁぁ…………」
二人そろって顔を真っ赤にして、互いのことを見られなくなってしまった。
なんだろう、この気持ち。
ドキドキが止まらないし、いろいろとあふれ出しそうだし、頭が沸騰を通り越して蒸発してしまうような心地だ。
「なにこれ、すごい恥ずかしい。まさかこうなっちゃうなんて……!」
桜花も桜花で同じ状態であるらしい、
両手で顔を覆って、部屋の床をゴロゴロと転げ回っている。
だが、彼女の雰囲気を読みとるに、とても幸せそうなのはわかる。
自分も同じ気持ちではあるが、その様を見ると、また自分の中で溢れる何かを抑えられなくなってしまいそうだ。
ただ、それらを全部ひっくるめて、那雪がわかることは。
まったく後悔してない、ということだ。
「いやー、これは……すごいね、なんだか」
ひとしきり転げ回った後に、桜花がやっと復活した。那雪も那雪で、ようやく呼吸を整えられるに至ったが、胸のドキドキは未だに止まっていない。
しばらくの間、この感触を思い出す度に悶々としてしまうかも知れないが……そろそろ話を進めないといけない。
「なあ、桜花」
「ん……なに、ゆっきー」
「確かにおまえの想いが先輩を巻き込んだってのもあるんだろうけど、元々は私の手帳がいけなかったんだからさ。そこまで背負い込むなよ?」
「わかってる。もう、わたしは落ち込まないよ」
桜花は今一度、愛らしく微笑んで、
「ゆっきー、大好きだよ」
「ああ。私もだ」
「……もう一回、キスしていい?」
「ん……まあ、あと一回だけなら」
気恥ずかしいが、那雪が了承すると、桜花が自分の肩に手を添えてきた。
今度は、こっちが待つ番か……。
改めて思うと、なんだか違う意味でドキドキする。重なるタイミングがわからないから、目は閉じないままでいいのだろうか。
「ゆっきー」
目を閉じて、迫る桜花の顔。
大きな瞳も、形の整った鼻も、そしてさっき自分のものと重なった可憐な唇も、一切合切、那雪は綺麗だと思うし。
重ねたいとも、思ってしまう。
見惚れ、魅入られ、自然と重なろうとした、寸前で、
「大変じゃっ! オーカ、チンクシャ……――」
音もなく、しかし騒がしく、菜奈姫が壁ぬけマジックで部屋に戻ってきて、
「――――――――っ!?」
繰り広げられていた光景を目撃した途端、全身を真っ赤にして固まった。
その様は、日課の散歩をしていたら偶然、路地裏での他種犬の情事の場に遭遇して、その場で動けなくなってしまったわんこの如し。
……おおよそ、間違っていない例えだった。
「こ、こ、こ、こっちも大変じゃーーーーーーっ!?」
やっと回復したと思ったら、今度は町を突き抜けていきそうな絶叫が響き。
この後、那雪と桜花は二人とも正座で、菜奈姫に説教されてしまった。
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