第27話 二人の時間(前)


「どうして?」


 今にも泣きそうな声でそのように問われたのは、いつの頃だったか。

 随分、昔のことだ。


「どうして……ぐすっ……わたしを、たすけてくれたの?」

「それは、さっきいったことだよ」


 対して、自分は何と答えたか。


「せいぎは、みんなをなかせたりしないって」

「でも、けが、しちゃったよ。いたくないの?」

「いたくない」


 と言いつつも、本当はとても痛かった。

 幼児同士の諍いとはいえ、人生で初めてと言ってもいい荒事によって負った傷は、予想以上に痛すぎて、今にも泣き出しそうだった。

 でも、


「まもれたから」

「え?」

「おまえのこと、まもれたからなっ」


 結果があったからこそ、我慢できたんだと思う。

 どんなに痛くても、強くあれたんだと思う。

 そして、


「だからこれからも、おまえのことを、まもってやるよっ」

「あ……う、うん」


 正義の味方を目指そうと、本格的に決めたんだと思う。



「わたしは、ななすえなゆき。おまえは?」

「すずき、おうか」



 とある冬、幼い二人が初めて会った日のこと。

 小さな正義と、小さな恋心。

 全ての始まりの日のこと。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆


「ん、起きたか」


 横柄な声が聴こえると同時に、那雪の瞼は開いた。

 目に入ったのは、朝に目覚めたときにいつも見ている白い天井ではなく、夢の中にあったような冬の曇り空ではなく――落ち着いたベージュの色の天井。

 ここは、桜花の部屋だ。

 昔から何度も遊びに行ったりお泊まりしたりしてきたし。

 何より、寝かされている床敷きの布団からは、桜花と一緒に居るときにいつも感じている同じ空気と匂いが感じられるから、考えるまでもない。


「…………」


 視界の片隅に映る窓の外は、既に濃い西日の色がある。もうすぐ夜がやってくる時刻だ。甲冑の怪人に敗れて気絶していたのは、大体二、三時間といったところか。

 現状の認識を終了させ、瞼が開いた勢いに乗じて、那雪はガバッと上体を起こすのだが、


「いたたたたたたたっ!?」


 身体中を、電気ショックを浴びせられたような痛みが走った。それだけで再び意識が遠のきそうになるのだが、そこはなんとか堪える。


「勝手に動くなチンクシャ。術式の合わせがズレる」

「ん……あ、おまえ、ナナキか?」


 自分が寝かされている寝具の傍らでは、黒髪おかっぱ頭の和装の少女――仮襲名の町の神様である菜奈姫が、桜花の姿ではなく彼女本来の姿で、手元のカミパッドをあれこれ操作している。

 ここ数日は桜花と身体を共有していたためか、この姿を見るのは初めて会った日以来だ。なんだか少し懐かしく感じた。

 そんなおかっぱ少女の琥珀色の瞳は、カミパッドの画面と那雪の身体とを忙しなく行き来しており、小さな指先は目にも止まらぬ速さで画面上をスライド、もしくはタイピングしている。

 その度に――


「お?」


 那雪の身体の各所に、十字マークの小さなアイコンが浮かび、その浮かんだ箇所の痛みが和らいでいくのがわかった。

 今、菜奈姫は、那雪の傷の治療に当たっているらしい。


「ちなみに、これはオーカの頼みじゃから、お主が最初に願って北原某に施した応急処置のように、一瞬では済ませられぬ。しばし待て」

「……なんだか扱いの格差を感じたのは気のせいか?」

「気のせいじゃ」


 即答だった。何となく納得は行かないが、まあ、那雪には些末なことだ。

 そんなことよりも、


「そういえば、桜花はどうしたんだ?」


 部屋主であるはずの桜花が、ここに居ないのが気になった。

 何故、今、菜奈姫と分離している状態なのかもわからないままだ。


「オーカは――おっと、ちょいと待て。こちらが先じゃな」


 言いかけたところで、菜奈姫はカミパッドの画面を指先でスライドし、


「これで完了、と」


 画面中央を一押しすると、起き抜けの那雪を囲うかのように、頭上に半径一メートルくらいの琥珀色の光輪が出現した。

 次いで、機械のような重低音が響く。光の輪が薄く発光することで、光の粒子がゆっくりと那雪の身体に降り注ぎ、


「え……お、ほわわっ! な、なんだこれっ!?」

「動くなと言っておろうが。童でもあるまいに」

「でも、ちょ、ちょっとくすぐったすぎるぞ、くはっ、は……!」


 全身の肌を、乾いた絵筆でなぞられているような感覚が那雪を包んだ。さすがに身悶えしてしまうが、先の電気ショックのような痛みや、眠っている最中もずっと続いていたと思われる重みも、どんどん消えてなくなっていく。痕になりそうな外傷もない。

 戦いの中で、突然弱くなった右腕と右足の感覚についてはまだ本調子ではないのだが、じんわりと活力が戻っていくのがわかる。


「おお、すげー。(仮)とはいえ、さすがは神様だな」

「お主、さすがと抜かしつつ、全然我を敬っておらんな」

「そんなことないって。ありがとな、ナナキ」

「ふん」


 毒気を抜かれたように息を吐きつつも、菜奈姫は、前方の空間に浮かぶカミパッドを消しもせず、指先のタイピングを続けようとするのだが。


 みょい~~~~~ん みょい~~~~~ん


『!?』


 いきなりそのカミパッドの画面から、神社でよく鳴っている音楽が鳴り響いたのに、那雪はおろか、菜奈姫でさえも肩を震わせた。


「な、なんだ? 誤動作か?」

「否……こ、これは呼出じゃ。しかも支部長からの個人回線……!」

「つーか、なんでこの音楽? 雅楽系だよな、これ」

「どうでもいいわいっ」


 顔を青ざめさせる菜奈姫。表情にはありありと『やばい』と書いている。どうも、深刻な問題であるらしい。


「……チンクシャ、しばし待っておれ。我は少々席を外す」

「ちょっと待て。桜花はどこなんだよ」

「オーカは……そうじゃな、ちょうど良いかも知れぬ」


 と、菜奈姫が、カミパッドの画面に少々タイピングを行うと、


「ちょ、ナナちゃん、待って……!」


 部屋の床に、平面二メートル四方の琥珀色の陣が現出し、その中から、何故か正座姿勢の桜花がゆっくりと浮き上がってきた。

 テレビのコントとか新喜劇とかで、こういうシーンを見たような気がする……というか、今まで手帳とか学生鞄とか収納してきたカミパッドなのだが、人間も収納できたのか。なんなんだ、この便利技術。


「オーカ。タイミングは早いが、望み通りにしたぞ。ついでに、先ほど我が教えたヤツの詳細も、チンクシャに伝えてやってくれ」

「ナナちゃん、わたし、まだ心の準備が……!」

「いずれ解決せねばならんことじゃ。おそらく、今しかあるまい」

「で、でも」

「頼んだぞ。我も我で、支部長に話を通さねばならんし……これ以上、支部長の呼出を待たせるとまずいのじゃ。健闘を祈る」


 支部長の下りに切実な響きを乗せながら、菜奈姫は、壁ぬけマジックで慌ただしく部屋を出ていく。

 その壁の向こうで、


「こちら菜奈姫……ひ、ひぃっ!? も、申し訳ないです支部長。先ほどまでこちらの方で、少々立て込んでおりまして――」


 と、いつもの彼女らしからぬ語調が聴こえたが、それもやがて遠ざかっていった。


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