第11話 ブレスの支配下


 人々の動きは基本的に緩慢なので、近づきさえしなければ危険はこちらに及ばない。

 上手く迂回して、那雪と菜奈姫は広場を出て大通りを行こうとするのだが、


「おいおい、マジかよ……!」


 様子がおかしいのは、広場の人達だけではなかったようだ。

 大通りを歩く人々、全員が全員、こちらの姿を見た途端に、一様に紫の眼で凝視し、こちらへとゆっくり歩み寄ってくるのだ。

 ここまでとなると、車の通る道ではなかったのが不幸中の幸いか。


「……我とオーカのように、神と人の子が身体を共有しているかのようじゃな」

「おまえの場合、乗っ取っているの間違いじゃないのか?」

「失敬な。オーカも同意の上じゃったろが。その点、この現状はどう見ても、明らかに同意のものではない介入、もしくは操作じゃろう」

「…………」


 操作、と聞いて那雪の中でピンとくるものがあった。


「まさか、マタンゴグレートか」

「またんご……というと、オーカの言ってたアレか。特定の甘い息で人の精神を操る中級怪人とか、そういう設定だったかのう」

「む……そ、そうだよ」

「ん? オーカから追加情報じゃな。マタンゴグレートの特有能力であるオールレンジマインドブレスは、その気になれば町一つを意のままに出来るという情報に相違はないか?」

「……………………」

「うむ、その赤面具合だと、相違はないようじゃな……ぶふっ、そ、それにしても、お、おーるれんじとな……ク、ク、ク」

「だから吹いてんな、コノヤロウッ! この非常時にっ!」


 冷静さを失わないように答えたいのだが、やはり無理だった。


「っと、こっちは人が多いな。チンクシャ、あそこの路地に入るぞ」


 頭の沸騰を抑えるのに四苦八苦する自分を尻目に、菜奈姫は横にあった狭い路地へと先行する。

 確かに、正面はこちらへ歩み寄る人々が多く、走り抜けるには無理があるので、人影のない道を行こうとするのは妥当なのだが、


「ナナキ、人影が見えないと言っても警戒は――」

「ぬおっ!」


 言いかけた矢先――つまりは狭い路地を抜けた直後、待ち伏せしたかのように、紫の眼をした大柄なスーツの男性が、両腕を広げて菜奈姫に襲いかかっていた。


「おっちゃん! 場合によっちゃ変質者だ、ぜ!」


 すかさず、那雪は持っていた自分の通学鞄を投擲。

 鉄板入りの鞄が肩口にぶつかって男性が大きくよろめくのを確認して、那雪は男性の背後に回り、首筋に強めの手刀を入れる。

 男性は小さな呻きとともに、ガクリと崩れ落ちた。


「く……く、ククク、チンクシャのくせに様になっとるな」

「無理に余裕かましてる場合か。さっさと逃げるぞ……っと!」


 続いて、太った中年女性が緩慢な動きでタックルをかけてくるのを、那雪は苦もなく横に飛んで回避するのだが、


「あいったぁっ!?」


 菜奈姫は避けきれず、タックルが掠って、その衝撃で足をよろめかせて尻餅をついてしまった。


「……!」


 那雪は慌てながらも、次にやるべきことを確定させる。

『おばさん、ごめんっ』と心の中で謝罪しつつ、中年女性の額にデコピンを強めに入れて怯ませた。

 そのまま、未だに立ち上がれないでいる菜奈姫を助け起こし、この場から退避開始。


「モタモタすんな。桜花なら簡単に避けてたぞ」

「ぐぬぬ……お、思うように行かんのう」


 どうにも、菜奈姫は反応速度がいい方ではない……いや、むしろ悪い。

 単純な足の速さについては桜花の持つ速さそのものであるものの、反射神経、瞬発力などといったその他の身体能力についてはまったくもって頼りない。

 菜奈姫自身、元は運動音痴なのだというのがすぐにわかった。


「仕方あるまい。このままではじり貧じゃから、ここはオーカに代わるか。我の加護をつければ、この場をなんとか切り抜けられよう」

「いや、おそらく元を断たないとどこに行っても同じだ。ナナキ、ここは私が変身して、なるべく手加減しながら強行突破を――」

「ならん」


 と、声を荒げはしなかったものの、声音に断固としたものを乗せて菜奈姫が那雪の案を退けるのに、那雪は目を丸くして少しだけ肩をふるわせた。


「変身のまま、この町の人の子に手をかけるのはならん。絶対にじゃ。お主の力加減は信ずるに値するが、万が一のこともあり得る」

「私だってそうしたいけどな。このままじゃ――」

「ならんと言ったらならん」


 頑なまでの却下だった。


「……一応、本音を聞いておこうか」

「本音も何もあるものか。我はこの町の神様になる者じゃぞ。ならば、町の者達は大切にせねばならん。あとで我が修復できるとわかっていても、じゃ」

「――――」


 今までのガメつさから、信仰を集める徳とか、町の人に被害が及んだときの査定とか、そういう打算が飛び出してくるかと思っていたのだが、そういう茶化すような雰囲気ではない。

 琥珀の眼はいたって真剣そのもので、それだけ――町の人のことを想っているとわかった。

 ……敬われるためとか自分の得のためとか言っといて、神様らしいところあるじゃねえか。

 ならばこそ、那雪はそれに応えたいと思った。心の底から。

 こいつを笑顔にする、そのためには――


「ナナキ、手帳を開け。変身する」

「人の子を手にかけるのは避けよと、我は言ったばかりなのじゃが?」

「わかってる。だから私を信じてくれ。絶対に悪いようにはしない」

「…………」


 不承不承の態ながらも、菜奈姫は左手のカミパッドから手帳を現出させた。どうやら、信じてくれたようだ。

 那雪は、先程の投擲からしっかりと回収していた通学鞄を菜奈姫のカミパッドへと強引に収納させつつ、


「マタンゴの位置特定はできてっか?」

「しばし待て」


 手帳を持ってない方の手に浮かぶカミパッドにて、映る方位針が指し示すのは、


「この先、最短距離で約二百メートルといったところじゃな」


 その方角には、元いた商店街に至る大通りがあるのだが……一様にこちらに歩み寄ってくる人混みがあるだけで、異形の姿は見あたらない。

 ただ、逆に言えば――特別、その方角には人が密集しているようにも見える。


「よし……行くぜ、ナナキ!」

「承知」


 菜奈姫は手帳のページを開き、


「菜奈姫の名の許に、其の記述を七末那雪の力とする!」


 宣言すると、手帳からは琥珀色の光が生まれ、上空を飛翔する。

 対して、那雪は右手を斜め上に差しだし、


「光臨っ!」


 言霊を放った直後に、落ちてきた光を握りしめた。

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