お主の欲望を我がために

阪木洋一

プロローグ

第00話 シュバルツスノウ、ここに参上


「おつかれさまでーす」

「おつかれー」


 今日も一日が終わって。

 県立東緒頭高校の女生徒、青山あおやま椎子しいこが、学校の正門を出る頃には、空はすっかり夜の色になっていた。

 腕時計が指す時刻は、午後八時過ぎ。

 朝は学生達で溢れる通学路も、今の時間は人通りも賑わいもない。

 駅前などに出ればまだ活気はあるのだろうが、ここは駅よりほど離れた住宅街なので、その喧騒とも無縁だ。

 ただ、三週間前から新たに始まった高校生活の中、椎子は学業と部活とで絶え間なく人と接する時間を過ごしてきた。特に、自分の所属する女子バスケ部は、遅くまで活動することが珍しくないほどの熱の入りようだ。

 そのため、一日の大半が終わった後、こういう静かな一人の時間というのも必要なのかも知れない。

 自宅まで徒歩で約十五分。

 我が校は電車通いの生徒も多い中、家から歩いて行ける距離に高校があるのが椎子の強みといえば強みか。クラス内でもよく羨ましがられたりする。

 家に帰れば温かな食事が待っている。空腹なのも手伝って、自然と椎子の歩速は上がるのだが、そこで、


「あれ?」


 いつもの通学路が、行き止まりになっていた。

 しかも、工事とかそういうものではなく、ただ単に黒くて大きな壁で道が塞がれている。車二台が通れるくらいの広さの路地であるにもかかわらず、だ。

 やけに広々とした壁で、それにぱっと見た感じでは厚さもあるようだ。朝にここを通ったとき、こんなものはなかったはずなのだが……。


「…………」


 椎子は頭に疑問符を浮かべて首を傾げる。ただ、行き止まりなものはしょうがない。それに、なんだか少し気味が悪かったので、迂回することにした。

 遠回りになるし空腹も気になるけど、大丈夫だ。とにかく早く帰ろう。

 そう思いつつ、踵を返して迂回路を取ろうとして、椎子はふと気づく。

 先ほどの黒い壁が、若干、大きくなったような……?

 目線だけでじっと壁を見てみても、それといった変化はない。気のせいだろうか。

 再度、迂回路に歩を進めようとした矢先。

 今度は『ズ……ズ……』と音が聴こえたような気がした。音のした方向を見ると、そこには先程からの黒い壁があり、それがまた大きくなっていた……いや、違う、これは。


「近づいて、きてる……?」


 そう。若干だが、自分と黒壁との距離が近くなっているのだ。夜で視界が悪いとは言え、距離感はそこまで狂っていない。

 まさか、壁が歩き出している、とでも言うのだろうか。最近にやった古いゲームでそういうのが居たような気がするが、そんな、非現実的な。


「…………」


 先ほどから胸に抱いていた気味悪さが大きくなり始め、椎子は本格的に歩み出す。

 なるべく、後ろは振り向かない。


 ズ……ズズ……ズズズ……


 振り向かない。


 ズズズズ・ゴ・ゴ……


 振り向かない。


 ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・ゴ……!


 ――振り向いてたまるかっ!

 たまらず、椎子は鞄を抱えて走りだす。

 背後に迫る音は次第に大きくなり、それに相乗してこちらへの圧力も増していく。何が迫ってきているのかは、今や振り向かなくてもわかる。


 どうやって逃げ切ればいい?

 ここは大声を出すべき?

 いやいや、助けを呼んだとして、アレをどうにか出来る人なんて居る?

 というか、根本的にアレは一体なんなの……っ!


 ほとんど恐慌状態のままグルグル考えながらも、椎子はなおも走り、


「ひっ……!?」


 改めて振り返ると、本当に壁が迫ってきていた。こちらを押しつぶさんと、先程から感じていた圧力の通りにすごいスピードで。

 その圧力に、椎子は本能的に立ち竦んで身動きが取れなくなってしまう。


「もう、なによ、なんなのよっ……!」


 迫りくる黒壁に泣きそうな声を漏らし、椎子は絶望的な気分になって目をギュッと瞑ろうとしたところで、



「青山さんっ! ちょっと横にどけっ!」



 いきなり名前を呼ばれ、椎子はハッと目を見開いた。同時に、立ち竦んでいた身体にかろうじての活力が戻る。

 横ってどっち? などと少々混乱したが、とりあえず左に寄りかかるように身を動かすと、


「神風特攻という名の、バイシクルボンバァーーーッ!」


 一秒もしないうちに、後ろから、自転車に乗った小柄な影が疾風のように椎子の横を通り過ぎ、正面に迫る黒壁に全速力で激突した。

 金属のひしゃげる音とガラスの割れるような音がして、結果、黒壁は衝撃に仰け反って仰向けに転倒する。

 もう一方――小柄な影の方は、激突寸前で自転車を乗り捨てて跳躍、地面で軽やかに受身を取って、さらには手を地について倒立後転と、やたら大仰なアクションをやってのけて椎子の隣で体勢を立て直した。

 外ハネにされた焦げ茶色のセミロングの髪、童顔ともいえる眉目に、勝気に笑う口端からは犬歯が覗く。自分と同じ東緒頭校の女子制服姿の、小柄で細っこい体格。身のこなしは軽快で、なおかつギラギラとしたオーラを発している。

 椎子の知っている少女だった。


「な、七末さん?」


 そう。

 彼女の名は、七末ななすえ那雪なゆき


 椎子とはクラスメートで、クラス内では、どちらかというと無口で大人しい少女だったはずだ。過ごしてきた期間がまだ浅いだけに、まだ彼女の詳しいことを知っているわけではないのだが、


「わりーな、青山さん。ついつい巻き込んじまったようだ」


 少なくとも、こういう男言葉で話す那雪を、椎子は見たことがない。


「ま、巻き込んだって……え? え?」

「詳しい話は後だ。ゆっくり説明してる暇がない」

「はい? ……わっ!」


 那雪が正面を睨むのにつられて椎子も視線を向けると、先程の激突で倒れた黒壁がムクリと起き上がり、再び、こちらに迫ってくる。

 進撃の最中、先程の激突の際に那雪が乗り捨てた自転車が、いとも簡単にぺしゃんこになった。


「あー……あのチャリ、気に入ってたんだけどなー」

「え、ええと、それじゃ、自転車で体当たりはやめておいた方がよかったんじゃ」

「何言ってんだ。そうでもしないと、青山さん助けられなかったじゃねーかよ。実際、結構ギリギリだったんだぜ?」

「…………」


 なんだか、口調はラフだが、とてもいい人だった。非常時でもあるにもかかわらず、ちょっと感動してしまった。


「……ま、そもそもの原因は私とナナキにあるんだし、しゃーないか」

「え? それはどういう――」

「とりあえず、まずは目の前の問題をどうにかするぜっ! ナナキ!」


 と、椎子の言を遮るかのように、那雪はその名を呼ぶ。

 直後、



「まったく、神使いが荒いのう」



 今しがた那雪に遅れて自転車でこの場に到着した女生徒――やはり自分と同じ東緒頭校の女子制服姿の長身が、やれやれと息をつきながら、胸ポケットから茶色の手帳を取り出していた。

 ふわふわの長髪に、線の細い顔立ち。吊りあがった大きな瞳と、それに比例するかのようなサイズの大きな眼鏡をかけている。そして、高校生の少女としては、誰もが羨むようなグラマラスな体型の持ち主は、


「こ、今度は、鈴木さん?」


 鈴木すずき桜花おうか

 彼女も椎子とはクラスメートで、入学直後の実力テストでは堂々の学年トップを取ったことから、校内では有名人ともいえる少女だ。

 桜花と那雪は幼馴染みの親友であり、いつも行動を共にしているのは、椎子としても知るところであるのだが、


「すまんな人の子よ。荒事にはなるが、まあ少しの辛抱じゃ」


 こういう老人言葉で話しているところも、また見たことがなかった。

 学校ではいつもフランクな印象だったので、妙なギャップを感じてしまう。普段は垂れ目気味だったのに、今は吊り目になっていることについても。

 それに、先ほどから『神使い』だのと『人の子』だのと、彼女は一体何を言っているのだろうか――


「さて、準備は良いか、チンクシャよ」

「チンクシャ言うな。おまえも本来はチンチクリンだったろうよ」

「しかし、今の我はオーカの身体でバイーンじゃよ? バイーーーーンッ! どうじゃ、羨ましいかっ」

「ぐっ……どーでもいいから、とっとと片づけるぞっ!」

「ククク、承知」


 と、那雪はまたも大仰な仕草で右の手の平を真上に差し出し、桜花はゆるりと自転車から降りて先に取り出していた手帳を開く。それから、何かしらの言葉をぶつぶつと呟くと――


「!」


 その手に持つ手帳からは一粒の光が生まれ、それは音もなく真上に飛翔した。

 そのまま夜空に消えていったかと思えば、



「――光臨!」



 言の葉を紡ぐと共に、光の粒は那雪の真上に差し出された手の平に急降下するかのように吸い込まれる。

 ――その手を、那雪がぐっと握り締めることで、また、変化が生まれた。


「な……っ!」


 握り締めた手の平から順番に、那雪の小さな全身はダークグレーの色に染まっていく。

 全てが暗い灰色に埋め尽くされた後、その色が膨張し、刹那の後に雪の踏みしめるような音と共にダークグレーの殻が破れ、中から一つの形が成されていた。

 現れたのは、ダークグレー一色のボディスーツを身にまとった細身の人型。騎士とも武者ともいえない、だが鎧とも表せそうな外見、頭はヘルメットバイザーに覆われており、素顔は見えない。

 端的に表せば……そう、その外見は変身ヒーローのソレであった。


「シュバルツスノウ、ここに参上」


 ダークグレーの人型が、那雪のものよりは少しこもった声で名乗りをあげるのに、


「……ぷっ」


 何故か、後ろにいる桜花が吹き出して、顔を背けて肩を震わせていた。


「シュバルツスノウて……何故に独語と英語が混ざっとるんじゃ……ぶふぅ……っ!」


 訂正。溢れ出そうになる爆笑を堪えていた。


「こ、こらナナキ、なに笑ってんだ!」


 迫ってきた黒壁をガシっと両手で押さえながら、変身した那雪が、こちらというより爆笑中の桜花に向かって、先ほどのようなこもった声ではなく単に上ずった声を出す。


「名前考えとけって言ったのおまえじゃねーか!?」

「いやいや、確かに言ったのは我じゃが……ぶっ……そして、どんな名乗りを上げるものかと、ある意味期待しとったんじゃが……クフフッ……まさかここまで斜め上だったとは……ぷふーッ!」

「くっ……コンニャロウ、思いっきり笑いやがって……!」

「ん? おお、オーカにも結構ウケがいいようじゃぞ。そうかそうか、そんなにおかしいか、ククク」

「おまえら本当に仲良いなっ。あとで覚えてやが……うおっ!」


 と、迫ってくる黒壁の力に押されたのか、那雪はこちらを向くのをやめて、黒壁の方に集中を始める。

 今、黒壁の進撃に対し、那雪が地に足を踏ん張ってそれを押し返している体勢。黒壁の高さは二メートル以上あるのに対し、那雪は、ボディスーツをまとったとは言え、椎子の身長よりも小さい。

 だが、


「ふぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……っ!」


 その小ささに反比例して、押し返す勢いは力強い。ダークグレーの手甲と足甲からは、闇夜の暗さでもわかるぐらいに陽炎が立ち上り、


「念動闘気……全っ! 開っ!」


 その陽炎が小さな全身を伝って両手甲の先に一点集中、瞬間に爆発的な力が発せられたかのように、黒壁を後方に吹き飛ばした。

 ロボットアニメのような激音と共に、黒壁は路地の突き当たりの塀に激突する。住宅と路地を区切っていた塀は広範囲にわたって崩れ落ち、代わりにその黒壁が塀の一部になったかのように見えた。


「うわ……」


 あまりの光景に、椎子が呆気に取られたかのような声を出す横で、


「あーあ、やりおったわい。あれほど壊すなと言うたのに……」


 桜花はというと、片手で頭を抱えてボヤいていた。あと、『そうなんじゃよ。これも査定にじゃな……』ともボソボソと一人で呟いていたが、細かいところまでは聴こえなかった。


「まあ良いか。チンクシャ、そろそろトドメと行こうではないか。我の人払いもこれ以上は保たぬ。その住まいの修復なんかも度が過ぎると厳しくなってくるしな」

「わーってるって。ナナキ、十三ページだ!」

「実は、査定に響く前にそれをやっといて欲しかったんじゃが」

「どーでもいーから、十三ページっ!」


 態勢を立てなおして、再度突撃をかけてくる黒壁から視線を外さないまま、那雪が左手でちょいちょいと手招きする。

 対して、桜花はやれやれと息を吐き、再度、手に持っていた手帳を開く。

 那雪に言われたと思われる目的のページを開いた時、桜花はまたも顔を背けて『ぶはっ!』と吹き出した。


「これまた、なんという……!」

「じっくり見んなっ! 早くしろっ!」


 急かすように那雪が再度手招きをする。……急かしていると言うより、どこか恥ずかしがっているようにも見えたのは気のせいだろうか。

 桜花は未だに肩を揺らしていたものの、気を取り直してコホンと咳払い。


菜奈姫ななひめの名の許に、其の記述を七末那雪の力とするっ!」


 その言葉は、手元の手帳から先程と同じく生まれる光となる。

 手帳のページから生まれる光は、無数に散る琥珀色の火の粉となる。

 散った琥珀の火の粉は空間を迂回して、那雪から黒壁までの直線を繋ぐ道となる。

 そして、


「さあ……儚く散れ、雪のように」


 その直線の火の粉の道を辿るかのように、那雪は短く助走をつけて跳躍、そこから跳び蹴りの姿勢を作る。

 黒壁との距離は、まだ十メートルほどあったのだが……跳び蹴りは、その型を保ったまま空中で滑空を始めた。

 火の粉の道の真上を、加速する、加速する、更に加速する。

 その過程の中で、先の那雪の手甲に漂っていた陽炎が、今度は蹴り足の一点に集中し、


「滑空舞空という名の、カタパルトエアバーストォーーーーッ!」


 一直線に黒壁に到達。砲弾の打ち出されるような激音と共に、厚みのあるその四角形を真ん中からぶち抜いた。


『――――ッ!』


 ズン、と地響きのような悲鳴が上がり、中央に風穴の空いた黒壁は、よろめき、前のめりに倒れ落ちた。

 ――するとどうだろう。その四角形が紫色の膜みたいなものに覆われ、その膜が霧みたいに浮かんで……桜花の持つ手帳に収まる。

 直後、黒壁は一人の人間の姿を形取った。

 体重百キロを悠々と超える太った女性――いや、顔形からして少女だろうか。


「やれやれ、何とか終わったのう」


 と、桜花が手に持っている手帳をパタンと閉じる。

 同時に、那雪のシュバルツスノウとしての変身が解け、元の小柄なセミロングの少女の姿に戻った。

 ただ、椎子が学校の日常で見る大人しい那雪ではなく、やはり、変身前に見た勝気でギラギラした眼の那雪である。


「ナナキ、綾水は?」

「大丈夫、気絶しとるだけじゃ。あとは我に任せておけば良い」

「そっか、すまねーな。青山さんも任せて良いか?」

「……まあ、我の人払いの不備じゃから、これも我の管轄じゃな、まったく」

「え? わたし?」


 今の今まで椎子はほとんど呆然と状況を見守っていただけなので、いきなりこちらに話題を振られても困る。

 あまりにも非日常のオンパレードが眼前で展開されていたためか、どのように納得すればいいかの脳内処理が追いつかない。

 そんな自分の状態を察しているのか、桜花が椎子の肩にポンと手を置き、


「あまり深く考える必要はないぞ、人の子よ」

「え……?」


 そのように、優しく声をかけられた瞬間。

 理解が追いつかずに混乱したままの脳内が急速に鈍りだし、高揚していた気分も鎮まり、椎子の五感を安息が包み込む。


 ――そう。


 先に起こったことは夢なのかも知れない。

 大体、こんな非日常なんてあるはずがない。

 部活が大変だったから、ちょっと疲れていたのだ。

 今日はゆっくり休もう。

 明日もまた学校だ。

 こんな夢を見たって七末さんに話したら、七末さんはどんな顔をするかな……。


「あ……」


 満たされる穏やかな気持ちと共に、椎子の意識は抜け落ちていく。

 寸前、那雪がこちらに向かって『いろいろゴメンな』と片手を上げて苦笑しているのが見えた、ような気がした。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 四月も半ばを過ぎれば夜の冷え込みも和らいでおり、夜の空気に晒されながら一つの場所に留まり続けるのも苦にならない。

 周囲には人気が見られず、住宅街にポツポツと生える植林に棲む虫の鳴き声だけが響いている。

 時折、車の通り過ぎる音なんかが遠くから聴こえたりするのだが、つい先程に付近であった騒ぎなどまるでなかったかのように、一帯は静寂に包まれている。

 ……あいつ、本当に上手いことやるんだもんなー。

 そんなことをぼんやりと考えながら、七末那雪は手近な電柱にもたれて、手元の手帳をパラパラと捲る。

 先ほど、『相方』が持っていた茶色いカバーの手帳だ。

 カバーに細かい傷やシミみたいな汚れがあったり、ページの一つ一つが少しくたびれているくらいに年季が入っている。

 近くで待っているように『相方』に言われて待機中の今、手持ち無沙汰なので、どのページを見ようという目的意識はないのだが……ふと、とあるページで捲りが止まる。

 ――そのページの裏表は、真っ黒に塗りつぶされていた。


「黒歴史がまた一つってか……」


 他にも黒く塗りつぶされているページがあるのだが、それについては考えることをせず、那雪はあの戦いの中で放った蹴り技を想起する。

 よくもあそこまで再現できたものだ。自分で指定しておいて何だが、本当に驚くやら感心するやら。

 ただ、思い返せば、やはり技名まで叫ばなくては良かったのではなかろうか? というか、青山さんを助けた時なんかも、何故にあんなにもテンション高く叫んでしまったのだろう? しかも、シュバルツスノウって……一生懸命考えた割には、いささか珍妙だったのでは? もっと他にもこう、カッコいい名前を考えられなかったのだろうか……いやいや、カッコ良くする必要はなく、無難な線に落ち着ければよかったのか……でも、折角だったし……いや、だが、しかし……!


「ぬああああああああああ……」


 気付けば、気恥ずかしさやら後悔やらで那雪は頭を抱えていた。

 有事の際は全然気にしなかったものの、いざ、思い返してみると『あの時ああしていれば』『どうしてああなった』という無限の選択肢と無限の後悔が自分を支配し、なんとも言えない気持ちになる。

 自宅の自室だったら、何の躊躇いもなくゴロゴロと床をのたうちまわっていたかも知れない。

 そしてそれは七末那雪にとって、ここ最近でよくあることであった。


「何を身悶えしとるんじゃ」


 と、聞き慣れた声音かつ老人言葉で話しかけられ、那雪はハッとなって見ると、そこには自分の幼馴染の姿をした『相方』が、半眼でこちらを見下ろしていた。


「その身悶えっぷり、いつまでも経ってもお主はチンクシャじゃな」

「……うっせーな、ナナキ。チンクシャ関係ないだろ、それ」

「ククク、体型のみならず人間の器の小ささでも、お主にはチンクシャがお似合いよ」

「くっ……ぐぬぬ」


 自分の未熟は自覚しているところでもあるので、どうにも言い返せない。那雪は歯噛みして『相方』を見上げ、それから諦めたかのように一つ吐息。

 ひとまず今日はこれ以上騒ぎが起こることはないだろうということで、那雪は『相方』と共に家路に着くことにする。


「で、きっちり後始末はつけてくれたのか?」

「ふ、当然じゃ。我の手にかかれば、人の子の一人や二人、現実から目を逸らさせることなど造作もない。綾水某も、あの少々哀れだった娘も、明日になったら件のことなどさっぱり忘れておるじゃろうて」

「そりゃよかった」


 クラスメートの青山椎子も、そしてあの黒壁の怪人である綾水ぬりカベ――もとい、那雪の中学の頃の同級生である綾水あやみず法香のりかも、言わば巻き込まれた身だ。

 その身が無事に済んだのなら、それに越したことはない。


「お主等がいろいろ壊しおった一帯の修復も抜かりなく済ませておるが、少々力を使いすぎた。お主の自転車はこちらで預かっておいたから、修復はしばし待て」

「後で治してくれるとわかってるだけでめっけもんだよ。まあ、好きで壊してるわけじゃねーんだが、世の中特撮みたいに上手く行かないもんだよな」

「うむ、戦闘になる度に狭い屋内からいきなり人気のない広場に舞台が切り替わるなんぞ、現実でそう都合よく起きてくれないということじゃのう」

「あ、おめ、言ってはならんことを……!」


 しみじみと目を伏せる『相方』に、那雪は肩を竦める。

 このノホホンとした馴染み様、とてもこの事件の原因の半分を担っているとは思えない。

 残り半分を担っている那雪としては、一刻も早くすべてを終わらせたい気持ちと、当事者特有の罪悪感でいっぱいなのだが……。


「ふふん、まーた後悔か?」


 突然、見透かしたかのようにこちらに視線を向けてきた『相方』に、那雪はまたも言葉に詰まる。


「確かに、この騒ぎの大元は我とお主が担っておる。本当はあまり関係のないオーカまでも巻き込んでおるしな。だが、それで後ろを振り返って悔いてばかりいても、状況は何も進みはせぬ。焦って事を進めようとするも然り。責を感じるのであれば、我らのすべき事は、しっかりと足元を固めて前に進むことじゃ」

「…………」

「だから、いちいち事が終わった後に悔いて身悶えするのもやめにせい。後ろ指さされようが笑われようが、お主はお主の信じる力を存分に振るえば良い。我は我の持つ力でお主を支援する。それが解決の早道じゃろう」

「……ナナキ」


 ごもっともである。

 今はなんとかやって行けているが、自分の力を信じずに迷ってばかりでは、これから先の戦いを乗り切ることなどまず不可能だ。

 時折、説教じみたことを言うこいつは、有り難いんだか有り難くないんだか……と二つに分ければ、有り難いと思うべきなのだろう。


「ありがとな、ナナキ。少し気が楽になった」

「うむ、先ほどの修復作業の最中に、オーカがそのように言っとったからな」

「受け売りかよっ!?」


 台無しだった。


「ちなみに、我はお主を盛大に笑ってやるぞ、ククク」

「おまえ最低だなっ!」


 有り難さを感じた自分が馬鹿だった。


「しかし傑作じゃったな。かたぱると……なに? えあばーすと? あの頁にそのような記述など一つもなかったぞ?」

「言うなーっ!? 咄嗟に思い浮かんじまったんだよっ! しょーがねーだろ!」

「ぶふぅ……そもそも滑空舞空て……お主がなにを思ってこのように名付けたのかが……非常に気になるのう……ぶはぅーっ」

「しっかり憶えてんじゃねーよっ!」

「で、やはりシュバルツスノウはな……しゅばるつ……すのう……ぐはっ! いかん、もう辛抱たまらん。ほれ、もう一回名乗りをあげてみい」

「あーっ! もうやめっ! なしっ! シュバルツスノウやめるっ! もっと他のやつ! 他のやつ考えるっ!」

「おお、改名かっ! 今度はどんな感性で我を楽しませてくれるのじゃ?」

「おまえを楽しませるために考えてんじゃねーよっ!」


 と、隣で自転車を押しながら歩く少女とぎゃあぎゃあ言い合いながらも、那雪は考える。


 ――本当に、なんでこんなことになったんだろうな、と。


 でも、答えはわかりきっている。

 先ほどからの会話にある通り、那雪達が原因なのだ。

 自分で言えば、昔犯した過ちを捨て去らずに、いつまでも引きずってしまっていたこと。

 こいつで言えば、その過ちを遠慮なく掘り返してしまったこと。

 できるだけ後ろを振り返らないことを決めた今なのだが、その原因の詳細については、今一度認識しておかないといけない。

 そして、我が幼馴染である鈴木桜花の姿をして、不思議な力を扱い、なおかつその力を那雪にも扱わせる『相方』が何者であるのかについても。



 そう、すべての始まりは、三日前に遡る――

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