第三部 ⒋ 勢云破威

⒋ 勢云破威(1) 彼女の行方

 闘いの行く末を密かに見つめていた、伊駒皐月教育実習生のお目付役-『小暮真木奈こぐれまきな』。


 職員室の窓から遠くの様子を見ていたその視力の高さから何となくは予想出来たかと思うが、彼女もまた一人の神眼者プレイヤーであった。


「……彼女、どうやら無事にあの場を収めることに成功出来たみたい。こちらとしても、安心したわ。それにしてもあの力、あれは是非とも協力関係を築きたいところね」


 真木奈はつぶやく。


「……えっと、小暮先生は一体、校舎の方を見て何を言っておられるので?」


 隣に座る一人の男性教員が心配そうに声を掛ける。


「えっ!あっ、これはその……何でもないの。気にしないで。……さてと、仕事に向き合わないとね」


 真木奈は誤魔化すように手元にある書類に手を付け始め、ペンを走らせる。


「………取り敢えずは、大丈夫そうですね」


 そうして隣の教員もまた、仕事に手を付けようとした、その時だった。


『これは一体、なんの騒ぎであるか!』


 何やら聞き覚えのある声が外から聞こえてくると、スーツを着た一人の男性が校庭に向かって走っていく姿が職員室の窓から見えた。


「……がどうして?」


 神眼者の中では最早もはや常識的なようなことに思っていることなのかもしれない、男性=神眼者では無い(一人の例外を除く)という考えから、真木奈は男性である教頭の佐江島渡さえじまわたるがあの場に居合わせてしまったら最悪の話――、あの場にいる神眼者の発光した眼球を見られでもしたら………


 折角、彼女たちの命を救った皐月の頑張りが全て水の泡になってしまうという危機感に駆られ、思わず席を立った彼女。


「……ちょっと止めてくる」


「えっ?何を?……ちょっ、仕事を放ったらかしにして何処どこ行くんです、小暮せんせ〜ッ!」


 職員室を出て行き、取り残された男性教師の声は虚しく、真木奈が進んだ廊下に向かって小さくよぎっていくのだった。


 そして、校庭では――


「おい、そこで何をしていた。何やら騒々しい音が聞こえてきたようだが」


「……まさかッ!こっちは学校にいる人達が騒ぎにならないよう、斬月カノジョの蹴りにじょうじて我ながらオーバー過ぎるぐらいすっ転んで朱音生徒達を校庭のはしへと誘導し、校舎との距離をはかったというのに、それでも気付いた人がいただなんて」


「おや、君は………今朝職員室で挨拶を交わした教育実習生じゃないか。確か……君の教科担当は地理だった筈。何故その君が授業時間に今、外へと出ているのだね?」


「それは………」


 ぱっと気の利いた言葉が思い浮かばず、戸惑う皐月。


 正直に生徒のいざこざを止めに入っていたと言うにも、一緒にいた地理の田邊たなべ先生に明確な理由を伝えずして教室を抜け出してしまったが為に、誰一人としてそれを素直に受け入れてくれる良き理解者になってくれそうな人物もおらず、どうしたものかと頭を悩ませていたのだ。


 このままでは授業を途中で抜け出してしまった非常識の教育実習生として、教師不採用に成りかねない、考えるまでもなく非常に最悪な状況である。


「………それと、何やら生徒さんが数名倒れられているようですが、このことについても説明して頂けますね?」


 ここで更なる追い打ちを掛けられ、最早もはや何と答えたら良いか、何を言ったら良いか、一つとして突破口が見つけられずにいた。


「その………」


 頭が真っ白になる。


 この緊張感を前に、何か良い言葉が思い付く程、器用に頭が回らず、意味も無く引き延ばすように、『その………』なんて言ったっきり、言葉が息詰まる。


「………………」


 適当に尺でも稼いで、必死に頭を働かせれば何か言葉の一つや二つ、思い付くだろうと思ってはいたが、教頭の圧に飲み込まれ、何一つとして言葉が思い付きもしない。


 最早もはや、教師としての道はここで諦めるしかないのか。


 折角――、朱音カノジョらを救ったというのに、肝心の自分自身が救われることは無いのだろうか。


 良いおこないをすれば、必ず良いことがあるとは限らない。


 むしろこの厳しい世界において、タチの悪い人間の方が、世の中を上手く渡ることの出来る《器量》と《要領》を兼ね備えた人間の方が、結果的に得をする機会が回ってくることの方があるぐらいである。


 今だって、そう。


 器用に物事を上手く運んでいけるたくみな言葉運びが一切出来ず、彼らのようにそれが可能として出来る程の神経の図太さが無いことを実感させられている。


 《嘘も方便》とはまさにこのことだ。


 如何いかに人生を世渡り上手に生きていけるか、この世界はいつも残酷に回っているのだ。


 何故こうも、世界は常に良い方向へと回らないのか。


 確かに人は挫折を学ぶことで一つ成長する。


 それはとても大切なことだ。


 だがタイミングとして、それは今では無い気がする。


 神よ、世界よ、空気を読んでくれ。


 そんな皐月の願いが届いたのか、別にそうでもないのか、彼女の長い沈黙を掻き消してくれたのは他でもない、あの人の存在だった。


「それは彼女が生徒同士のいざこざに一足先に気付いて収めていたからですよ、教頭先生」


「おや、その声は…………貴女でしたか、小暮先生」


 佐江島教頭は後ろを振り返ると、そこには慌てて駆け付けた小暮真木奈先生の姿があった。


「成る程、生徒同士のいざこざ………ですか。でしたら差し当たって、これは生徒同士が喧嘩した末路の果てとでもおっしゃいますか。そうですか、そうですか」 


 意外にも話が通じたのか、教頭の理解が良い。


 と思っていたが…………


「……なんて、そんな話の何処どこに信憑性があると言うのです?

 だって、そうでしょう?何故なぜ、先にここへと来た私が確認出来なかったというのに、後からやってきた貴女にどうして状況説明が出来るのです?

 それこそ――この子達がもめている様子を遠くから確認出来るぐらい、自分の目が良いとでも?

 仮にそうだったのだとしてもですよ、木暮先生。貴女が仰ったことには確かな確証が無いのですよ」


 事実――、本当は見えていたのだが、言っていることが正当であるだけに、思わず言葉が詰まる。


「……そう言えば彼女の担当――、貴女でしたね小暮先生。

 もしやそうして巧言されるのも全ては、担当を任された貴女の評価に響くかもしれないと恐れて本当は伊駒さんカノジョ――、

 授業をサボっていたにも関わらず、それがバレてしまってはマズいからと誤魔化されたのではありませんか?」


 確かに掲示出来る証拠神眼者たる存在の公表も(出来)無い以上――、そこまで言われてしまうと、真木奈は反論することが出来なかった。


 そもそも、言えたところでそんな存在を信じられるとは思えないのだが………


 そんな時である、彼女が口を開いたのは――………


「てめぇ、ふざけたことぬかしてんじゃねェよ!この先生が授業をサボッてた?

 そっちこそ、なんも知らねェくせに勝手なこと言ってんじゃねェぞッ!

 ウチら女の言ってることを何一つ信じてやれねェとか、そンなんだからてめぇはこの年にもなって未だ独身のままなんだよッ!」


「なッ!……お前は!きょっ、教頭に向かってその口は何だ!これだから、不良というものは………」


「不良だから?んな一括りの言葉で勝手に人のこと、決め付けンじゃねェよ。

 あンたはそう言った人達の言葉に一度でも耳を傾けた時があるか?一度でもそう言った人達の本質に触れたことがあるか?所詮は上っ面でしか見てこなかったんじゃねェのか!」


「それがどうしたって言うんだ!そんな身なりをした奴なんぞ、どれもこれも似たようなものであろう。勝手に決め付けられたくないと言うのなら、まずは形から入るのが定石と言うもの」


「……あんたそれ、誰にだって言うのか?」


「何?」


「基本、日本人ってのは黒髪で生まれることが多い……が、この現代における厳しい環境下の影響で髪が変色する人も多く、昔みてぇに原則として黒髪のみなんてものは無くなった。

 勿論、生徒が全員日本人ってことはぇ。金髪や赤髪、人種によって様々な髪の色を持つ。それらが変色してしまえば、更に色幅が広がるってもんだ。

 だからこそ、一色に統一するようなことは無くなった。

 それこそ、自然に出来る筈もぇウチのような髪色をした奴なんかは別だけどよ。昔ほど外見だけでそいつが不真面目だと思われることは無くなっていった訳だ」


「それはつまりあれか?噛月、お前も髪はあれだが不真面目で無いと?馬鹿を言うな!真面目な奴が不良なんかなるか!」


「馬鹿はそっちだ!こっちの話が終わりだと、誰が言ったよ」


「なら、何が言いたいと?」


「要は人が話している時は一言一句、よぉく耳をかっぽじって聞けって言ってんだよ!

 そいつが一体何を伝えてェのか、意外と人の話ってものは聞いてッと、言葉一つ一つにその人間の人柄とか中身とか、そういうものが分かりやすく現れるもンなんだよッ!」


「今度は言葉の力ですか。良いですか、どれだけ良い言葉を並べたところで、所詮は見かけが良くなければ、届く言葉も人には届かないと…………」


「見苦しいですよ、佐江島さえじま教頭」


 そう言って、二人の間に割って出てきたのは意外な人物だった。


「その声は………!」


 そう、佐江島教頭よりも立場の大きい人物、他でもない布都部高校の学校長、その人であった。


「な、何故……校長がここに………………」


「いやぁね、私も小暮先生と同様、君が校庭へと出て行く姿を見たものだから、何があったのかと思ってね、話は大体聞かせて貰ったよ。

 佐江島君、君の言うことにも一理ある。確かに人の第一印象は見た目で決まる。そう言う点では朱音カノジョ身なりそれは良いとは言えない。

 しかしそれだけで人の人間性を勝手に決め付けてしまうのもまた、よろしくないとは思わないか?

 『言葉一つ一つにその人間の人柄とか中身とか、そういうものが分かりやすく出る』、ですか。

 ――まさかあの問題児だった朱音カノジョの口からそのような言葉が出てくるとはね。伊駒この先生が朱音カノジョを変えてくれたのかな………おや、さっきまでの威勢はどうしたのかね、佐江島君」


「……いや、それは…………………」


「そういうところだよ、佐江島君。人によって態度を変えるなんてのは失敬千万。朱音カノジョの言うことにも一理あるとは思わんかね」


「………………なんで……」


「ん?」


「…………なんでこんな、多くの人に迷惑しか掛けない下劣で、社会のゴミ同然の奴らにまで平等に扱う価値があると言うのです!

 だって、そうでしょう?罪も無い一般人を何人も何人も迷惑掛けて、どうしようもなく駄目で低劣で人間のクズとしか言えないような、そんな奴に耳を傾けたいと思えますか!」


 佐江島教頭の溜まっていた思いが、強い口調となって現れる。


 それに対し、校長は答えた。


「……思えるか、思えないかでは無いのだよ。大事なのは自分が朱音カノジョの立場であった時、それをされてどう思うか。如何いかに相手の気持ちになって考えられることが出来るかどうか。

 全ては人が傷付くであろうと思えることを他でもない、己自身がしてはならないということ。それ以上に大事なことなどありますか?どうです、佐江島教頭?」


「……………そ、それは………」


「当たり前ゆえに気付けないこともありましょう。ですが私らは先生なのです。学校ここでは第一に生徒の見本となる存在でなければ。

 しかし、私たちも人間です。当然、間違いだってあります。人のする事に必ずしも完全なものは無く、何故なら人には欠点があり、短所があり、だからこそ失敗や挫折をする。人は日々、日常の中で反省があり、悪いところに気が付いたら自ら改めていく。

 だが、何がなんでも自分が正しく絶対だと言い張るような人間は、過ちを認めず、改めも出来なければ、誰のことも受け入れられなくなり、ましてやそんな人が誰かを指導することなど、出来る訳が無い。それは自己満足と言うものだ。

 ……己の未熟さは己自身が気付かなくてはならない。先生は生徒を正しい方向へと導いて上げる存在でありつつも、完璧で無いからこそ、時にはそんな生徒達から学ぶことがあったって良いじゃありませんか。

 佐江島教頭、私は思うのですよ。先生と生徒は互いに支え合い、互いに成長し合っていく関係にあると。人生は学ぶことばかりです。いくつになろうと勉強されることはたくさんあるのですよ」


「…………校長。………私が、私が……………愚か、でした……」


 校長の言葉に感化されたのか、気付けば佐江島教頭のその目には涙がこぼれ出ていた。


「私は…………先生として大切な何かを忘れていたのかもしれません。本来、教育とは知識を教えることだけでなく、人間としての生き方や在り方、人の心を育てることもまた、教育に含まれる一つの事項であったことを。

 誰かが正しいとかでは無い。人は誰しもが未熟であるからこそ、学ぶことも成長することも多く存在する。真実を明確にしようとはせず、私はなんと自分勝手に走っていたことか。

 ではまず、そこにいる生徒たちを起こし、この場にいた彼女らの証言を聞いてから、判断することに致します」


 そうして意識を取り戻した未予たちは、そのまま朱音と悠人の勝負を止めようとして駆け付けてきていたとのことを全員が全員とも話していった。


 生徒一人一人の証言を最後まで聞き終えると、教頭は皐月に向かって頭を下げ謝罪をした。


「疑うような態度を取ってしまい、申し訳なかった」


「い、いえ、私が疑われるような行動をしてしまったのが悪かったことですから」


 素直に自分の過ちを認め、頭を下げる教頭の姿に教育実習生の身である自分にとってどうしたら良いものか、わたわたと恐れを抱きながら、こちらも頭を下げ返す皐月。


「……こ、校長先生!」


 ここで口を開いたのは小暮先生だった。


「どうしましたか、小暮君」


「あの、伊駒教育実習生の処遇につきましてはどのようなご判断をする次第なのでしょうか?」


「ここにいる生徒全員が違うと言っていたのだろう。なら何も責める必要は無いじゃないか。それとも何か、納得出来ないことでもあるのかい?」


「いえ、そういったことは決して………。ですがその現場を目撃していた訳でも無いのに、何故そうも迷いなく信じてやることが出来るのかと思ってしまいまして」


「わっはっは、君は面白いことを聞くのだな。一番に校長がこの学校の生徒一人一人を信じてやれないでどうする」


「まさかそれだけのことで……………」


「そもそもだ、小暮君。君自身はあの子の担当教諭として、まだ一日目と短い時間ではあるが、その中でもあの子を見てどんな印象を持ったかね?」


「……そう、ですね。まだ一日目ですけど、彼女は自分の評価以上に生徒のことを優先に、決して最後まで見捨てることなく熱心に向き合う強い誠実さを持った、先生として持つべき姿勢が―

 先生としてあるべき正義感うつわがしっかりと備わっている、そんな印象でしょうか」


「ならば、彼女皐月くんの処遇は決まっておりましょう。も宜しくお願いしますよ、小暮先生」


「あ、はいっ!」


 校長先生から嬉しい言葉を頂き、思わず真木奈は大きな声で返事を返すのだった。


「では、私はこれで………………ッこ、これは………ッ!」


 校長が校舎を引き返そうとしたその時、彼は見てしまった。


 三階の窓から飛び降りていった者達の成れの果ての姿・形を。


「これは何事であるかっ!せ、生徒達が死んで………………………」


 何やら物騒な言葉が聞こえ、それに反応し振り返る佐江島教頭と木暮先生。


「何を言っておられで…………こ、これはッ!何故こんなにも生徒達が…………飛び降り、なのか」


「……嘘でしょ。こんなことって……………………………」


 遅かれ早かれ、先生達の目に留まったことであろうこの最悪の光景は、ついにその時を、目撃されてしまった時が来てしまったのだ。


 校長達を中心に学校中が騒ぎになってしまうのは時間の問題。


 生徒同士のいざこざは止められても、この問題は止められようが無い。


 そんな時だった。


「先生方、どうにもお疲れなご様子で。そんなものなど、何処にも


「ばッ、馬鹿なことを仰るでない、保呂草君!君にはあれが見えないのかね」


「………初めから無かった。そうですよね?」


「おい、未予。何を言って………………」


「………そうだな。私がどうかしていたようだ」


「仕事の疲れが溜まっていたのかもしれませんね。一種の幻覚を見ていたようだ」


「そもそも、私は誰の幻覚を見ていたのでしょうか?あれらを一瞬でもウチの学校の生徒達に見えてしまっただなんて。だというのに」


「小暮先生、何を言ってるのですか?現実に目を向けて下さい。もしかすれば、生きている生徒だっているかもしれないのです。一刻も早く…………」


「貴女もそうですよ、伊駒先生。初日と言うこともあり、さぞかし緊張の連続でお疲れなのでしょう。保健室で休まれてはどうですか?」


「………そうですね。校舎に戻ることにします」


 そう言って、彼女らは何食わぬ顔で一斉に校舎の方へと戻っていく。


 それだけでない、同級生の魔夜や華、三年のスケバン四人組もまた、先生達と一緒に戻っていく。


 斬月は………気付けば校庭から姿を消していた。


「こいつは一体どうなって…………ッ、そういや斬月に妹の眼球を移植しようとした時も似たようなことが…………………ってあれ、なんか視界がぼやけて……………………」


 次第に意識が薄れていくような感覚に襲われると、悠人はバタリとその場に倒れるのだった。

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