第二部 ⒌ 双眼

⒌ 双眼(1) 恋心

「……えっ?」


 買い物帰りだったのか、買い物袋をぶら下げて呆然と立ち尽くす目崎悠人の姿があった。


 【孤月】の鋭い刃によって引き裂かれた悠人御用達のエコバッグ。


 中に入っていたひとパックの卵は無残にも全て割れていた。


「……う……嘘だろ……………」


 わなわなと唇を震わせ、一筋の涙を流す悠人。


 そして――


「本日のお買い得品、お一人様一パックまでの超激安卵だったんだぞ。

 それをこんな………こんなことしてくれた奴は、一体どこの何奴どいつだ!エコバッグといい、こいつはきっちりと弁償してもらうからなぁぁああああああぁぁぁ――――………」


 限られた生活費で買った貴重な食材を駄目にされ、悠人はその怒りをやった相手にガツンと一発ぶつけてやる筈だった。


 だが………


「……あっ………」


 目が合った両者。


 その相手を見るなり、悠人の顔はみるみると青ざめていった。


「……えっと………その…………弁償しなくて良いので………、い……命だけは奪わないでもらえないでしょうか?」


 さっきまでの勢いや否や、斬月という強者に対し、打って変わって弱腰になる悠人。


 そんな様子を見た乱月が、ふと口を開く。


「……あの白髪はくはつ……………間違いない。

 あれは早江仔さんが言っていた特殊監視対象の一人。名前は確か、目崎…………」


「……ゆ…………うと…………」


「そうそう、名前は目崎悠人……って、何故なぜその名が姉さんの口から出てくるんです?

 何か姉さんにとって、あの男は特別な存在であるとか………っまさか!

 あの男に恋してるとかそんなんじゃ無いですよね?」


「……恋……………?私………が……………?」


 ふと斬月の頭の中には、彼女と悠人が始めて出会ったあの日の記憶が思い出される………


『あ、あの~、よろしければそこの方、少しばかり食べ物を……って、私なんかがそんな図々しいことを言っては駄目に決まっているのに、なんであんなこと―』


 あの日、斬月は偶然通り掛かった白髪の男に突然食べ物をねだるようなことをしていた。


 彼だけでなく、通り行く人々にそれはそれは頼み申していたのだが、NEMTD-PCを着ていないことに気味悪く思われたのか、誰一人として相手にされることは無かった。


 しかしそれを聞いた白髪の男はあれやこれやと悩んではいたものの、彼女の元へと歩み寄り、思いもよらぬ返答を返してきた。


『ちょ~っと、待っていてもらえませんか?すぐさま何か食べる物を持って来ますので』


 そう言って神社前を離れ、男は何処どこかへと走り出してしまった。


 この行動が何を示すのか、斬月はおっかなびっくりにそれを理解する。


(私なんかの我儘わがままを………それも初対面の人にあんな図々しいことを言ってしまったにも関わらず、まさかこれから買いに行くだなんて………)


 斬月は素直に嬉しかった。


 この長い時代、妹の乱月の他に自分のことを気遣ってくれる人物に会うことなど無かったのだ。


 斬月の死後数百年の間、やれ〈妖怪〉だの言われおそれられ、誰からも寄り付かれることなく、ずっと孤独だった彼女が久方振りに感じられた人の温かみ。


 まるでその熱に当てられたかのように、斬月の頬はうっすらと赤らめていた。


『おにぎり百円セールしていて、ホント助かったぁ~』


 男はそう言って、彼女の元に再び姿を見せた。


 握られていたのは、シールの貼られた一個の紅鮭おにぎり。


 それを彼女に手渡すと、急いだ様子で男はその場を離れて行ってしまった。


 男は百円のおにぎりだと言っていたが、彼女にとって値段なんてものはどうでも良かった。


 食べ物の量だってそうだ。


 おにぎりの一個だけだろうと関係ない。


 初対面の――、それも私のような意気地無しの卑屈な人間に対し、彼は無視することなく向き合い、こうしてわざわざ食べ物を用意してくれたのだから。


 そのような相手に安物だとか量が少ないだとか、そんな感情が出てくる筈が無かった。


 ドキッ!


 不意に彼女の心が動かされる。


 この感覚は一体、何なのだろうか?


 妹が私に親切にしてくれた時には感じることの無かった不思議な衝動。


 瞬間――、身に起きた鼓動から斬月が感じ取ったものは痛みでも苦しみでも無い。


 その心は奇妙な高揚感に包まれていた。


 折角用意してくれた紅鮭おにぎりは、何故なぜかすぐには食べようという気になれず、彼が立ち去ってから数分後、ゆっくりとその口を動かし、なんとか食べることが出来た。


 彼女が可笑おかしいと感じたのは、それからもだった。


 その日の夕方――、学校帰りと思しきあの男を再び見かけた斬月。


 白髪頭の若き男、それも唯一の男性神眼者と他には無い、大きな特徴がある存在ともなれば、当然斬月も彼が神眼者であったことを知らない筈が無く、自身の命の為にその目を奪いに追い掛け始めた。


 そう、初めは彼の持つ神眼の回収をする筈だったのだ。


 だが………


『……っ、つーかお前、絶対本気出して無いだろ。さっきから見せる動き、本気で捕らえる動きじゃねぇじゃんか。俺をおちょくってて楽しいかよおい!』


『一応、私の飢えを救ってくれたお人ですから、少しの間の慈悲じひ……でしょうか?』


 食べ物を恵んでくれた恩義を感じてか、なかなか彼の目を奪おうとしない彼女。


 次第に、その目的がどうでも良いやと感じてしまうまでの重症さを見せ始め、ただただ彼を追い掛けていることが楽しくてしょうがなかった。


 自分は一体、何がしたいのか?


 その答えは見つからないまま、結局のところ彼の目を奪うことは出来なかった。


 こんなことでは駄目だと、己の神眼を開眼し能力を使用したこともあったが、まともに狙いを定めることが出来ずその結果、角膜から放出された不可視な刃は男の頬をかすめる程度に終わった。


『これは……まさか奴の攻撃なのか』


『刃で切り付けたような見えない攻撃………まるで鎌鼬かまいたちね。目力めぢからを使ったとなると、奴も本気を……………』


『そんなこと言っている場合じゃないだろ。どこにひそんでいるのか分からない以上、早くここから逃げるぞ』


 まさかこの攻撃に、そんな裏があったとはつゆ知らず――。


 彼は恐れて仲間らしき人物と共に、建物の中へと姿をくらます。


 斬月は妙な迷いがありつつも、その後を追った。


 彼らが入ったと思しき、スーパー内を捜索する斬月。


 するとお目当ての相手とは別の神眼者と出会ってしまい、あの時に感じた答えが分からないまま、それ以来彼に会うことは叶わなかった。


 彼女は知りたがっていた。


 あの時に感じた感覚は一体、なんだったのかと………。


 気付けばあの後、彼のことを調べていた自分がいた。


 その日――いつの間にか左腕に付けられた謎の機械を、島で通り行く人々の見よう見まねに操作していく。


 慣れない動作で悪戦苦闘しながらも、どうにか《神眼者リスト》まで漕ぎ着け、無我夢中に充電の切れるまでリストを横へ横へとスライドし、ただひたすら彼の顔写真が表示されるその瞬間を待ち望んで…………。


 そうして、充電が5%を切ったその時―――それは見つかる。


 どこか気にならずにはいられない、一人の男のことが記された《神眼者リスト》が――――……


「目崎………悠人…………彼は―――『ゆうと』、と言うのですね」


 写真を――、名前を――、残り僅かな充電が尽きるその瞬間まで、目にしながらその顔は何処どこ高揚感愛執に充ち満ちた表情を見せていた。


 またいつか、会える機会があることを密かに願い、尊ぶように―――


 そして再び――、彼女の前に男は現れた。


 これはチャンスである。


 今こそ彼が抱く私への恐怖をぬぐい去り、この気持ちを確かめるのだ。


「……う……嘘だろ……………。なんでよりによって彼女が…………」


 しかし、この奇妙な再会を望んでいなかったのが、他でもないこの男。


なんです、あれ?何処どこと無く、姉さんのことを恐れているような…………」


 その異変に感づくは彼女の妹-〈乱月〉。


「これは何か裏がありそうですね。妹として色々と気になるところですが、それはあとで姉さんの口から答えていただきましょう!」


 そうして彼に襲い掛かろうとする乱月。


 斬月との遭遇に動揺するあまり、第三者からの突然の奇襲に反応が出遅れる悠人。


「……えっ…………」


 気付いた時には神眼を奪い掛かろうと迫り来る乱月の魔の手が、目と鼻の先ほどの距離にまで伸びていて、今からではとても避けることは出来ない状況にいる。


 こうなってしまっては最早もはや何も出来ず、即座に神眼を奪われてGAME OVER。


 嗚呼、どうやらここまで…………


 彼が死を悟った瞬間のことである。


 突如――、その間を割り込む素早き人影。


 迫り来る乱月の手を止める、姉の姿があった。


 そして………


「……んぐっ…………」


 斬月は大胆にも突然――、彼の唇に自身の唇を合わせ始めていく――………。


「……んんっ………ふぁ……っ………ぁん……んむっ………」


 斬月の成すがままに唇を好きにされ、ぷっくりとした小さな唇の感触が口いっぱいに伝わってきた。


 自分は一体、何をされているのか?


 予想打にしない事態を前に動揺してしまいそうになるが、ただただ彼女の柔らかな唇の感触だけが脳裏の中へと深く残ってしまい、彼の思考の全てを掻っ攫うように奪い去っていく。


「「…………っぷはぁ……」」


 ようやく唇が開放され、互いの口から気持ち良さそうに息を漏らす音がこぼれる。


 離れた唇と唇の先に出来た小さな唾液の糸がプツンと切れ、生々しい痕跡は静かに消えていった。


「な………姉さんが男と接吻………、接吻を………………」


 女忍は男を相手にする時の一種の武器として、性技を心得ていると聞いたことがあるが、果たしてそれが関係しているのか―――。


 今までに無く体験したことの無い快楽に俺は襲われてしまったのか―――。


 ロクに頭が働かず、あまりのことに思考が追い付けずにいたのは、その光景を目にしていた乱月もまた同じだった。


 だがそんな様子の妹を余所よそに、斬月は【孤月】を拾い上げ、手にした小刀を構えると、治りかけの喉で懸命にこう言い放つのだった。


「抑え切れないこの気持ち………これが恋かそうでないか……その答えが見つかるまでは――彼の………『ゆうと』の眼球いのちを奪わせはしない!」

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