⒊ 武視(2) 甘い香り

 あれから数時間後のこと――


「ふぁ~、よく寝た……おっ、そろそろ見えてきたな。あれが布都部島ふつべじま。ってありゃあ………ってやつか?近くで見て違和感に気が付いたんだが良く見たら、至る所に防波堤らしきは目の前には〈巨大な扉〉。流石は秘匿されている島。これは何とも、自然に溶け込む[機密特区シェルター]なことで」


 熟睡中のところ目が覚め、横に視線を向けるは船内の窓から見える、ひっそりと威圧感を与える奇態な光景を前に、栞奈はそんなことを口にする。


 船が布都部島に停泊ていはくし、ランプウェイが港へと伸ばされるなり、船内から一台の軽バンが上陸した。


 まずは正門扉に埋め込まれた液晶モニターから島の出入港管理局と『どんな要件でこの島に上陸したいのか』あれこれと供述を求められるは、荷物検査と車を囲うようにウロチョロとタイプの異なるドローンが数台飛び回るは、非常に気の遠くなるような審査が繰り広げたのち――


 無事に上陸審査が下りるとモニター下の取出口から発行されるIDカードを差し込むことでロック解除し、門を通る一瞬のにレーザースキャンされるなり、揚陸許可をした者の生体情報(主に顔の記録や耳の形状情報など)が出入港管理局あちら側に記録され、ようやく入門を可能とすること一時間以上。


「ふぃ~、疲れたっての。まぁ品も品だけに時間が掛かっちまうのは分かるんだけどさ……まぁなんにせよ入門はしたんだ。

 さて、あいつの家の住所は………っと、この道を進んで行けば良いんだな」


 現代の最先端とも言える空中触覚タッチパネルシステムはカーナビにも利用されており、ハンドルに仕掛けられたボタンの一つを押すなり、ルームミラーの裏に取り付けられた小型の投影機が起動すると、フロントガラスの前にいくつかのボタンが表示され、栞奈は[ナビ]から[住所]へとボタンを押し進め手早く打ち込んでいくと、フロントガラスから見える道の上に沿って矢印だけが表示された。


 従来の液晶パネルではチラチラと視線を下にかたむけながら見る必要があり、前方不注意による衝突事故も珍しくはなかった。


 だがこのシステムなら前方を見ながら矢印だけが表示される為、視界を邪魔されることなく快適な運転を可能とすることに成功した。


 おかげでこのシステムが導入させた車で運転している人の事故率は、従来のそれと比べて格段に減少し、好評が高いとのうわさだ。


 道なりに表示された矢印を頼りに、車を走らせること二十分。


「ひょえぇぇ~、こりゃあご立腹なお屋敷だこと。流石さすがは私の作る特注品の刀を何振りも発注するだけの金持ちさんだけはあるな」


 目の前に見えるブシュラのお屋敷を前に驚きの声を上げる栞奈。


 彼女の背丈の二、三倍の高さはある施錠せじょうされた大きなゴシック調の門の前で一度車を停めると、車内で何やら困った様子を見せていた。


「というか、周りにインターホンらしきものは無いし、どっかの国みたいな門の前に紐の付いた鈴を鳴らす仕掛けなんてものも見ないとなると、こいつはどうやったら入れるんだ?」


 なんてぶつくさ言っていると、突然目の前の門が独りでに開き出した。


 屋敷の奥から一人のメイドさんらしき人物がこちらへと歩み寄る。


 するとそのメイドは、彼女の運転席のパワーウインドウをコンコンと軽くノックし始めた。


 栞奈はそれに応じるように、内側の操作パネルで運転席のパワーウインドウをゆっくりと開いた。


 こうして近くで見ると余計に気になってしまうのが、メイドの外見だ。


 恰好かっこうはメイドそのものだが、何故なぜか頭には垂れ下がったイヌ耳のカチューシャを付けている。


 だがその見た目とは裏腹に、対応力はしっかりとしていた。


「IDカードを拝見致します」


 メイドに言われ、栞奈は外部の人間が唯一身分を証明出来るそのカードを提示した。


 それをメイドが凝視すること十秒。


「確認が済みました。どうぞ中へ、ブシュラ様がお待ちねです。お車は邪魔にならないよう、中にお入れ下さい。

 よろしければ私もご一緒させて頂ければ、停車場所をナビゲーション出来るのですが、これより乗車してよろしいでしょうか?」


「えっ?ああ、どうぞ」


 思わずイヌ耳のカチューシャに気を取られ、返事が遅れてしまった。


 なんにせよ栞奈が了承りょうしょうした為、メイドは『失礼します』と一言だけ言って助手席へと乗り込もうとする。


 だがこの瞬間――、栞奈はその返事をもっと遅らせるべきではと思い返す。


 シャワーも浴びず、数時間前まで労働作業をした後すぐに車を走らせたものだから、労働者たるものその結晶とも評される汗の匂いが充満していた車内。


 そのような空間に初対面の人を入れるのは、流石にマズいだろう。


 せめて消臭スプレーを車内全体に噴き掛けてからが得策。


「あっ……やっぱ少しだけ待っ……………」


 だが栞奈が止めに入ろうとした時にはすでに遅く、メイドは乗り込みドアを閉めた。


 とたんに汗臭いだけの車内には別の香りが混じり出す。


 一人の少女から放たれるは青々しいハーブをイメージさせる清涼感溢せいりょうかんあふれる香り。


 そしてさわやかさの奥にただよう重厚で華やかな香りが後から感じられ、それまで匂わせていたものをいつの間にか忘れさせられていた。


 まるでつぼみから花がほころぶ瞬間の――、甘い濃密な香りを味わっているような気分だ。


 良き香りというものは心身に良い働きを掛け、精神・身体の調子をととのえる作用があると言われているが、この疲れた身体を前に今日以上にその作用を感じたことはなかった。


 このような不思議な香りを生まれてこの方嗅いだことの無かった栞奈は、思わずその香りのことでメイドに問い掛ける。


「この香りは………?」


「香り?もしかしてブルガリアンローズの香りのことでしょうか?」


「えっ?ブルガリアヨーグルト?」


「いえ、ブルガリアンローズ。バラの一種です。

 わずか一滴の精油せいゆを得るために百本以上のバラの花が必要となると言われており、大変貴重なものとして高価で取引されております」


「道理で嗅いだこと無かった匂いな訳だ。するとあれか?これはそのブルガリアンローズの精油シャンプーだかなんかの匂いってことか?」


「はい、その通りでございます」


「つーか、いきなり変なこと言ってきてしまって悪かったな。そんじゃあ気を取り直して、車を走らせるとしますか」


 そうして栞奈は運転を再開し、ブシュラ邸の中へと入って行くのであった。

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