一章 追憶似非清楚フィアナ
1話 許さんッ
異世界に来て約一週間。この間まあ色々あった、などという回想に移ることはなく、普通に暮らしていた。それはも起きて食べて働いて食べて働いて食べて寝て起きて。街の観光をしたりもした。その時にはもちろんリディアさんも一緒で、まあ多々おねだりをしたりもした。だってまだ給料が入ってないから。入ってもするだろうけど。
無益に過ごしたと言えばそうなんだろうけど、慣れない地に来て普通に生活する方が大変だろう。よくあるチート能力なんて使わずに(そもそも持ってないけど)、特に危険を冒さずに生活基盤を手に入れんたんだぞ。
という前置きは置いておき、何が言いたいのかというと、俺は平和に暮らしています。なんなら地球での学校生活よりよっぽど平和で楽しく勉強になっていた。
「カナデ、休憩行ってきな」
客が引き始めたのを見てフレンシスさんが俺に声をかけて来た。忙しいお昼には俺は必ず駆り出されていて、まあなんとかやり切っていた。そんなのが終わり漸くお昼休憩にと休憩室に来たのだった。
「お疲れ様でーす」
俺と入れ違いでホールに出るスタッフに声をかけ、ふぅと一息つく。
「お腹空いたなぁ」
時見の盤(時計代わりの魔道具)を見れば既に昼時は過ぎていて、そりゃ腹も減るわと一人納得。更衣室からあらかじめ持って来てある弁当を開く。
因みにこの弁当、毎朝俺がリディアさんの分も作っていたりする。
理想を体現するにはあらゆる事が出来なくてはいけないというのが俺の信条で、その中にはもちろんお料理も含まれている。よくクラスの女子に手作り菓子を振舞ったりしてた。
異世界だから食材やら味付けやら道具やらにやや不安はあったがなんとかなった。食材とか味付けは大きな差異はなかったし、道具は魔道具で魔力さえ流し込めば使えるのでリディアさんに教えて貰った。
「あ、カナデちゃんもお昼?」
「リディアさん。はい、やっとです」
「私もだから一緒に食べよ」
「どうぞ」
俺は広げた弁当を少し寄せスペースを空けた。
リディアさんも一週間が経って俺にも漸く慣れてきた。男という事実はあるのだが、それ以前に俺がより女の子らしいからそちらを受け入れたそうだ。
「今日も凄かったね」
「ああ、受注カウンターから見えるんでしたね」
「うん。カナデちゃんが来てから一般客も増えたからね。受付嬢のみんなも言ってるよ」
「へぇ」
リディアさんは受付嬢の代表的存在だ。まあポンコツ部分もあるのだが、仕事においてはそれは発揮されない。むしろ有能な優良職員として一目置かれており、俺の例を含め支部長にも進言出来るほどに信用がある。
あれ? とすると結構いい人に拾われていて、なんなら養われていてもいい気がして来た。主夫業に従事する事にして。
「カナデちゃん生き生きしてるって」
まあ、楽しいことは楽しい。好きな事を使って仕事が出来ていて、職場の環境だって悪くない。地球ならそうそう見つかる事がないだろう好条件だ。
なんていうのが建前だというのはわかっている。普通に楽しい。学校で勉強するよりも楽しい。俺の心が萌えている!
「楽しいんで」
「そっか。よかった」
「はい。リディアさんは仕事どうですか?」
「私? 私か。えっとね、この後来客があって私も同席するんだけど、それがめんどくさくて……。はあ」
「そんなにめんどくさいんですか?」
「うん。声を大にして言えないんだけどね。セレントのあるここはメトカーフ辺境伯領なんだけど、その一人息子がとんでもないお馬鹿さんで。今日はその一人息子がここに来るの」
優しいリディアさんがここまで気を落として言うとは、ある意味で息子君はやるな。
「相当なお馬鹿とお見受けられるのですけど、そんな馬鹿息子が何用で?」
「領主様は息子にいずれ跡を継がせるつもりなの。その為に領内の事を知ってもらおうと、定期的に色々な場所を視察させてるの。まあ、それがお馬鹿騒動の発端だったりするんだけど」
これ美味しい、と言う笑みは浮かべているがどうにもリディアさんの気が乗っていない。
やっぱり異世界でもそんな裏事情があるもんなんだな。しかしその一人息子とやらは興味あるな。いかほどのお馬鹿なのか。
「さて、腹も膨れたし準備しなくちゃ」
「頑張ってくださいねリディアさん」
「うん! 頑張る」
俺をもぎゅっと抱きしめてすんすんしたリディアさんは、気合いを入れて部屋を出て行った。
さてと、俺もそろそろ行くとしますかね。
***
仕事に戻った俺だったが、午後は全然忙しくなかった。いつもなら依頼から帰ってきた冒険者達に加えて、街の人も飲み食いしに来てお祭り騒ぎになるだが、今日は何故か来ない。冒険者達は相変わらず飲み食いしているが、街の人が来ない。その分楽になりいいのだが、こんなにもばったりと途切れると気になるものだ。
「お客さん少ないですけど、何かあったんですかね」
「あんた、朝の話聞いてなかったのかい?」
俺の問いに反応したのは姉御もといフレンシスさんだ。
「朝の打ち合わせで言ったろう? 今日は午後に領主の跡取りが来るから暇になるけど、気をつけるようにって」
「言ってましたっけ? すいません。聞いてなかったです」
「あんたは……」
「で、跡取りが来て暇になるのはなんでですか?」
「馬鹿息子だからね。難癖つけられるのを住人は避けているのさ。冒険者は違うところに移ればいいだけだけど、店構えてる奴はそういうわけにはいかないからね」
「なるほど。それで、何に気をつけるですか? その難癖って奴ならどうしようもないと思うんですが」
「難癖にも気をつけて欲しいんだけどね。ま、一番気をつけなきゃいけないのはお持ち帰りされることさ。協会の女性職員は綺麗どころが多いからね。面倒なことにならないようにってことさ」
「きゃー気をつけなきゃ」
「大丈夫だと思うけどね」
「何を言っているんですか! ロリ好きだったらアウトでしょう!」
「ロリ好きだったらアウトだね、跡取りが」
うん? 意味取りが違うような気がするけどいいか!
「とにかく、一応あんたも気をつけておきな」
「はーい」
空返事をして仕事に戻る。
すると入り口に目を引かれた。いや常に気を配っている場所ではあるけれど、常時のそれとは違う引かれ方だ。見惚れたわけではない。俺の予想に反してなければあれが噂のご子息で、だとしたらどうにもアホっぽい。見た目は金髪に青目のイケメンだが、格好がアホっぽい。宝石のネックレスをじゃらじゃらとつけ、襟立てシャツを着たキザな奴。アホだ。てかイタイ。
「あれが領主様の跡取り、アレン・メトカーフさ」
「やっぱり」
アホ、もとい馬鹿っぽい。馬鹿息子のあだ名は伊達というかまんまで、いや、見た目から決めつけるのは良くないよくない。
「相変わらず騒がしい場所だここは。野蛮に酒を飲む輩ばかりだしな。……む? そこの君、今夜一緒にいないかい?」
はい、馬鹿っぽいというか馬鹿でした。馬鹿息子のあだ名はぴったりでした。なんで巡察の役目そっちのけでホールスタッフ口説きに行ってるんだよ!
馬鹿が口説いているスタッフははにかんでいて、指輪を見せて断っているようだ。うん? あの人って結婚どころか付き合って人いたっけ。
ふと周りを見てみればホールスタッフに限らず受付嬢までもが指輪をしており、なおかつ馬鹿の方を向こうとしない。受付嬢は書類整理のふり、ホールスタッフは全員が奥に不自然なまでに引っ込もうとしていた。
なるほど、そういう意味ね。気をつけているのね。あー、俺もすれば良かったな。
結局、数分に渡り口説いていたアレンだったが、出迎えのリディアさんに呼ばれ渋々支部長室へと去っていった。
側についていた執事も心なしかどこか疲弊しており、俺は心の中でエールを送っておいた。ファイト!
嵐が去った後の晴れ間のようにホールスタッフにも笑顔が戻り、俺も負けじと笑みを浮かべた。のだが、
「許さんッ」
俺は数十分後、怒りに身を震わせる事となる。
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