聖福音女学院物語

ヒスイ

第1話「試験と小会議」


 聖福音女学院物語



第一話「試験と小会議」





「んっ、ちゅうっ…」



「はむ、ん…ちゅ…きさら、大好きよ、きさら…」



「ふぁっ、さつ…きぃ…ちゅうっ…私も…佐月のこと…ちゅっ、好きぃ…」



白昼二人きりの女の子部屋で、ベッドに相手の少女を押し倒し、唇の先で恋慕を確かめ合う。



大和撫子らしい、柔らかなシャンプーの香りを放つ佐月の黒髪が七夕飾りのように垂れて、押し倒された少女―きさらの鼻腔をくすぐる。



佐月ときさらのこの日の試験勉強は、今しがた繰り広げられている二人の睦み合いによって中断となった。





一週間後。



~ではなく、~である。


~not, but~

この構文は日本の高校英語における定番であり、試験での文章解釈や文章作成において苦戦をされた方も少なからずおられることだろう。



しかし、聖福音女学院1年C組の生徒、聖護院佐月は、テスト問題においてこの構文に関する問題がかなりの頻度で出てきたことを確認して、試験時間内でありながら、思わず自然に笑みがこぼれるほどの感慨を覚えていた。



山勘、的中。



いや、英語教師がこの構文は試験に出ると事前にしつこく言っていたので厳密には勘が当たったというほどのものでもないのだが、佐月は個人的に重点的に試験対策をしていたので、見事に読みが的中しちょっとした歓喜に震えているのだった。



結果試験時間35分経過時には全ての問題を解き終え、終了時間まで2回も全問題の見直しをする余裕を得ることができた。



回答において特に大きなミスは見当たらず、チャイムが鳴り答案提出。かくして、2学期の中間テストは終了した。



現在時刻は11時15分。試験期間であるので午後の授業はなく、ホームルームを終えれば放課後だ。



バッグに荷物をまとめ、隣の列の前にいる女生徒に声を掛ける。



七夕きさらだ。



「お疲れ様、テスト、大丈夫だった?」



問いかける佐月。



「いやもうそれがさ、苦戦もいいところだよ…。~not ~butのやつ、佐月が教えてくれなかったら全然意味わからなくて終わるところだった…」



ちょうど一週間前、きさらの家で勉強会をしており、そのときに佐月がきさらに、件の構文を「これ、絶対試験に出るわよ」と口酸っぱく教えていたのだ。



試験勉強といいつつ、きさらを押し倒してキスもしちゃったけどね…佐月は、試験勉強の重圧の解放から来る高揚感と、息抜きと称して女子同士で愛し合った甘い時間を思い出して、一人でふふ、と小さな笑い声を上げた。



「なになに、思い出し笑い?佐月って、相変わらずミステリアスキャラだよね。ほんっと、いつも何考えてるかわからないもん」



「きさらの唇の味、良かったな、て」



肩を近づけて、そ、と耳打ちする佐月。



佐月のほうが5センチ以上背が高いので、自然と、きさらの横顔を覆うような姿勢になる。



さらり、と、佐月の黒髪がほのかに甘い香りを発した。一週間前の匂いと同じシャンプーなのがきさらにはすぐにわかった―出会って以来変わらない、佐月がずっと愛用しているやつだ。



ぼっ。



そして、先述の一言で、例の百合行為を思い出したきさらの顔が一気に朱に染まる。



「もうっ、佐月って、ほんと意地悪なんだから」



ぷっくり頬を膨らませて、きさらは言った。



「くすくす」



佐月の、屈託のない笑み。



ホームルームを終え、二人は並んで、自然に食堂へ向かっていた。



ランチタイムには少し早いが、彼女たちは食べ盛りの学生だ。



テストによって、食事を取る必要性がありすぎるほど、脳がエネルギーを欲している。



聖護院佐月は聖福音女学院1年C組の生徒であり、160cmと高校一年生にしては多少長身で、スレンダーな背格好に、和顔にしては目鼻立ちが比較的はっきりした少女だった。



何より腰まで伸びた、昼間の南天した日光に白光りするストレートの黒髪が目を引く。



学業優秀、運動神経は中の上、客観的で冷徹な言動と物腰を備えた、容姿端麗な美少女だ。



対して、同じく聖福音女学院1年C組の七夕きさらは、典型的なギャルJKだった。



色の濃いブラウンに染めた巻き髪に、身長は155cm、色白で、Eカップのバストがちょっと自慢な、マシュマロ体型を持つゆるふわ系女子だった。



きさらの学業成績は…正直絶望的である。



だが聖福音女学院は系列校に聖福音女子大学を有する学校法人であり、内申がよほど悪くない限りは、聖福音女子大学へエスカレータ式で進学することができる。



後述するが、3年生にも個人的な事情でほとんど登校をしていない生徒がいた。



1年生の教室と図書館を有する陸校舎から、食堂と2、3年生のクラスが集中する海校舎を繋ぐ1階の渡り廊下から食堂に続く廊下に入った、そのときだった。



「あら、佐月さん、きさらさん!」



後ろから声を掛けてきたのは、2年生の祇園坂くれあ先輩だ。



「くれあ先輩、こんにちは。これからきさらと食堂で昼ご飯なのだけれど、一緒にどうですか?」



佐月が率先して言う。落ち着いた雰囲気を持つわりには、自ら率先してコミュニケーションを取る、社交的な女の子だ。



「よろしいですわ、ちょうど、『あれ』が食べたかったところですの」



「やっぱり食べるんですね『あれ』…」



呆気に取られた口調できさらが返す。



あれ、が何を指すのかは、直後に控える彼女たちのランチタイムに後述するとしよう。



食堂の人はまばらだったので、すぐ食券を買って食事を受け取ることができた。



佐月は天ぷらそば、きさらはトルコライス、そして…くれあは『あれ』こと「地獄の激辛マーボーカレー」。



なぜこんな通常の人間にとって危険極まりないメニューが女子高の食堂にあるのか皆目見当も付かないが、とにかく、一部の激辛好き女生徒のハートを掴んで止まない品目であることは間違いがないようだった。



祇園坂くれあは、目上の人間はもちろん、後輩や子供に対しても完璧なお嬢様言葉を使いこなす女生徒だった。



身長は141cmと小柄で童顔、高校2年生ではあるが、小学生と間違えられることも多いロリ系なルックスの生徒だ。



オーストラリア人の父と、カスタムカーメーカーの幹部役員である日本人の母を持つハーフであり、日本の女の子に特有の幼児体型に近い体躯でありながら、サファイアを青の色調に寄せた色合いの碧眼と、肩まで伸ばしたナチュラルなブラウンヘアを有している。



わざわざ髪を染めずに女子力の高いルックスを保てるので、きさらは少し羨ましいと思っていた。



そして…



「ああ、やっぱりこれ、これですわ!辛味噌の隠し味がたまりませんの!」



口周りを少しだけ赤くしつつ、次々と、毒々しいまでに真っ赤な色彩を放つカレールーを口に放り込むくれあ嬢。



佐月ときさらも以前に一度、一口だけもらったことがあるが、口に入れたとたん、喉が火炎放射器と化すほどの激辛度を有する食物だった。



二人揃って給水機に向かって一斉にダッシュしたのは言うまでもない。



そんなトラウマを思い返しつつ、佐月は黙々とそばを啜っている。



純粋な大和撫子といった風体の佐月に天ぷらそばというのは、なんとも似つかわしい。



そしてきさらも、見てみるとなかなかに個性的なメニューを食べている。



「きさらさんはトルコライスがお好きですのね、どうしてなのかしら?」



「はい!トルコライスって、ピラフ、パスタ、カツと一つにたくさん入っててお得だからです!」



きさらの家庭はお世辞にも裕福とは言えないので、こういうB級グルメ的なものが効用選択の対象となるのであろう。



きさら自身、時々アルバイトをしてお小遣いを稼いでいる。



そういえば、本作品の中核を成す「聖福音女学院」についてここで説明をしておこう。



この話の主舞台は、神奈川県東部から中部に掛けて位置する県内の自治体「凪浜市」である。



人口60万人を有する湾岸都市であり、海浜部と小高い山の地帯に挟まれた中規模な街だ。



聖福音女学院は神奈川県の私立高校であり、偏差値は55程度、元々は明治大正時代に組織されたボランティア団体であった「聖福音会」が設立した私立の学校法人だった。



読者の皆様としてはこの話に登場するJKたちが纏う制服姿が気になるところであろうが、本学の制服もひときわこだわりの強いものとなっている。



聖福音女学院の学生服は、白亜のセーラーカラーと袖止めがあしらわれた、青みの強い紺色のセーラーワンピースである。


スカートの部分には大きくプリーツがあしらわれており、清純さとトラッドさに合わせて、湾岸都市の気風を持つお洒落なデザインの制服といえた。



校則が緩めであることから学生の着こなしは様々であり、学校指定のローファーと合わせスカートを長くし清楚な雰囲気にしていたり、短いスカートにニーソックスを合わせていたりする。生徒によってはヘアバンドやカチューシャでコーディネートしていたり、パンクシューズを履いている学生がいたりもする。



「夏子ちゃんも部活のミーティングが終わって13時くらいに来れるとさっき言っていましたわ、行きましょう」



食事のあとに10分ほどの小休憩を挟み、その後三人で、山側校舎の4階に向かった。



「いらっしゃい」



「お姉さま、こんにちはですわ!」



にっこり、と愛くるしい笑顔で挨拶をするくれあ。



「お姉さま」と呼んだその相手は、「あかしあ会」会長であり、生徒会書記も務める3年生、三条院冬美だ。



冬美は、日本屈指の財界である三条院グループ会長の孫娘である生粋の令嬢であった。



最もそのような上級国民が通うには、聖福音女学院はややランクが劣るというのが実情である。



いわゆるお嬢様学校としては、いかんせん聖福音は庶民派という立ち位置である。



では、なぜそのようなやんごとなき存在である冬美がこの学校に通っているか…その事情は、いずれ説明したいところだ。



そして、彼らが集うこの「あかしあ会」は、聖福音女学院の「社交サークル」の一つであった。



現在、7人の生徒がメンバーとなっている。



「こんにちは、テストで疲れたでしょう?ゆっくりお茶を飲んで、お話しましょう」



冬美の隣に座っていた女生徒は、3年生の鈴懸さやかだ。涼やかな硯色の瞳に、病弱を色に表したような白肌、そして綺麗に切りそろえたおかっぱの黒髪が印象的だった。



「やっほー、テストお疲れ様!私、今回は微妙だったな。いや、毎回微妙なんだけどね」



その隣にいるのは同じ3年生の諏訪慶子。



「冷姫」(れいき)という名前で原宿系のモデルやサブカルアイドル活動をやっている女生徒だった。



あかしあ会のメンバーの中ではとびきりで世間への露出が多い。



そして、さやかと唯一無二の親友であり、少女同士で想い合う関係でもある。



彼女のヘアスタイルは黒髪のボブカットだが、左斜め前側の髪に、青のメッシュを入れている。



「あといないのは…夏子さんね」



「バレー部のミーティングがあるので、13時に来ると言っていましたわ」



「了解したわ、では、ちょっと早いけど、お話を始めましょうか。さやかさん、お茶の用意はよろしくて?」



どうやら冬美には、皆になるべく早く相談したい案件があるらしい。



くれあには、冬美お姉さまの言動が少し急ぎ足に見えた。



さやかは、予め温めておいた電気ケトルのお湯をティーポットに移し、それぞれの目の前に置かれたティーカップに紅茶を淹れている。

くれあと1年生の二人は、3年生勢の向かい側に座った。



「それでね、話したいことなんだけど…今年の文化祭についてのことで」



「ちょうど今日で一か月前でしたね」



佐月の応答。



「ええ、催し物の締め切りが来週なのよ。有り体に結論から言ってしまうけど、あかしあ会としては何もせず、お客様気分でお祭りを楽しむ方針でいく。それでよいかしら?」



「賛否及び意見、あれば言ってね」



冷姫が、彼女らしいきりり、とした声で音頭を取り、言った。



「賛成ですわ!予算も節約できますし」



「佐月ぃ、私たちもそれでオーケーだよね?」



「異議はないです」



「では、私たち3年生もすでに同意しているから、一応、賛成多数ってことで…あとは夏子さんだけど、たぶんあの子はバレー部の活動に引っ張られるから、後で賛否を伺いましょう」



会長、冬美の言。



「うんうん、それとね、冬美ちゃん、生徒会の仕事で、当日は本部受付の職務があるから事実上、あかしあ会はまとまっては動けないの。当日は、それぞれで好きに校内を回って楽しみましょう」



最後の一人、くれあのティーカップに、ルピシアのアールグレイティーを注ぎながらさやかは言った。



ほわん、と、紅茶の芳香がメンバーたちの嗅覚に優しいキスをする。



「そういうわけで、みんなでお祭りを楽しんじゃおう!一日じゃ回り切れないし、スマホで見かけた面白いものをシェアとか、やったら楽しそうだね!」



「まぁ冷姫ちゃん、それはとっても素敵なアイデアだわ!」



冷姫に続きさやか、両者とも高揚した口調だ。



と、そのとき。



「ごめんなさい!遅れました!」



部室に入ってきたのは、ひと際背丈の高い女生徒だった。



近衛夏子、172cmの背丈を持つ、バレーボール部員だ。



バレーは体育館内で運動をする部なので肌には日焼けがなく白いが、ややボーイッシュな顔立ちであり、健康的な、黒に少々のナチュラルの茶色が混じったポニーテールが目を引く。



「夏子ちゃん、いらっしゃいませ!唐突に聞いちゃうけど、バレー部は文化祭で何か、催し物をなさるのですか?」



くれあと夏子はクラスメートであるので、夏子が席に着くのをそ、と促いつつ、親しげな口調で言った。



「今年は何もしないことになったよ。その代わり東京の名門校との練習試合が文化祭の次の日曜に控えてて、体育館に展示物の搬入が始まる二日前まで練習なんだ…」



「あらあら大変ね、ベストな戦果を期待しているわ」



さやかは夏子にも、即座にお茶を淹れ始める。



「なのでごめんなさい…あかしあ会の文化祭の出し物には、私、参加できないんです…」



申し訳なさげに謝罪する夏子。



「いえいえ問題ないのよ、あかしあ会としては今年は何もしないという方向で、今、話がまとまっているの。面々がお客様気分で楽しむ、それを今回のコンセプトにしたいのだけれど…夏子さんはどうかしら?」



問いかける冬美会長。



「それ、めっちゃありがたいです!試合前だから体力温存しときたいので…あ、でも文化祭は行きますよ!」



「では、全員一致で決まりですわね!皆さん、文化祭で素敵な思い出を作りましょう!」



はぁい。



くれあの締めくくりの言葉に全員が明朗な返事で賛同し、この日の審議は終了した。



「というわけで、あとは、のんびりしましょう。テストの疲れもあるだろうし、ね」



「上等なお茶菓子を用意としといたのよ」



「え、予算外ですの?」



くれあは、さやかのその発言に少々驚いて答えた。



「今回のテスト中あかしあ会がなかったけど、今年の予算作成時に、予め数日分は活動があると見込んで費用を組んでいたの、その活動費用を充当したのよ、見てみて、デメルのココスツィーゲルとシュバルツクーヘンよ!冷姫ちゃんと一緒に、横浜高島屋で買ってきたの!」



さやかが、がさごそ、と足元の紙袋から、幾つかの菓子箱を取り出して見せた。



「わぁ、デメル!箱かわいい!」



きさらは、目を輝かせている。



「ランチ後だけど、甘い物は別腹ですね」



佐月は、きさらの気分が弾んでいることに内心自身も喜びを感じつつ、言った。



デメルはオーストリアの菓子のブランドである。ザッハトルテで有名な、王室御用達のスイーツだった。



ココスツィーゲとは、いわゆるラングドシャに近い菓子だ。



そしてシュバルツクーヘンは、濃密なチョコが凝縮されていながら、品のある味わいのケーキだった。



味もさることながら、デメルはその愛らしい箱のデザインも魅力的だ。



「ちょっと高級なお菓子だけど、試験期間中の分の予算をまとめて出したなら、財政的にも問題ないわね」



銘品を紅茶とともに味わい、この日のあかしあ会は16時には終了し、解散した。





次回は文化祭。



華やかな祭典の中で、交錯するあかしあ会の少女たち。



「聖福音女学院フェスティバル2017」



お楽しみに。





【続く】

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