第6話
シェイクスピアの日々
シェイクスピアは心を煩わせている。何が大詩人をそこまで悩ませているのだろうか。彼が生きることになった時代、彼を取り巻く世間、そうでなかったら彼のパトロンとの関係、あるいは異性関係、同性関係だろうか。
ある時大詩人はため息とともにこんな言葉を漏らす。
「雑草は伸びるが花は小ぶりでも美しい。」
この言葉はキリスト教徒であるとともに、いやそれ以上にプラトン主義者であった彼の世界観を表すものであり、彼の多くの作品に流れるテーマでもある。
一つ気の利いた言葉ができた。大詩人は微笑する。しかし何か物足りない気もする。一般の人間が言った言葉ならこれでもたいしたものである。実際牧師や教師でも使えそうな言葉ではある。だがそこは大詩人、一般の人間の言えるような言葉では満足できない。凡庸だし、何より退屈だ。この言葉はしばらく彼の頭の中にしまい込まれることになる。
ある日革命的なことが起こる。といってイギリスの艦隊がスペインの無敵艦隊を打ち破った訳でもなければ、市民革命が起こって王政が打倒された訳でもない。例のあの言葉が遂に新しい形で蘇ったのだ。それは世界が変わること以上に大詩人に興奮をもたらす。では例の言葉はいったいどう変わったのか。
「花は小ぶりでも美しいが、雑草ほどやたらと伸びたがる。」
大詩人はその日一日ニヤニヤ笑いながら過ごす。
折しも大詩人は中世イングランド、中でもバラ戦争を題材とした王朝物を手掛けている最中だった。そしてその題材を扱うとしたらリチャード三世というバラ戦争中の冷酷無比と呼ばれた国王を描かなければならない。リチャード三世の人間性については諸説あるが、その性格の細部まで伝わっている訳ではない。その細部に肉付けすることこそが大詩人の技量でもある。そこで大詩人は例の言葉をリチャードに言わせることにする。
「花は小ぶりでも……。」
こうしてシェイクスピアの作品の中でもフォルスタッフと並んで人気のある強烈な個性が生まれることになる。
だが大詩人の想像力はこれではとどまらない。この言葉の効果を最大なものにするにはまだ何かが必要だ。そこで大詩人は純粋無垢な子供を引っ張り出す。リチャードとは正反対のキャラクターである純真な王子の口を借りてこの言葉を語らせたのだ。
「ああ、そうだ。いつかおじ様はおっしゃいましたね。花は小ぶりでも……。」
これ以上に残酷かつ効果的な方法があるのだろうか。
ここまで見てきて分かるようにリチャード三世とはある意味シェイクスピア本人なのである。だがそうであると誰にでも分かるようでは大詩人も面白くない。世間的にはあくまでリチャードはリチャードであり、シェイクスピアはシェイクスピアでなければならない。そこで例の言葉の前半部は省略されて目立ち過ぎないように加工される。そしてセリフとして、詩としての音の流れも考慮されたうえで最終的にはこういう形で決定される。
「ああ、そうだ。いつかおじ様はおっしゃいましたね。雑草ほどやたらと伸びたがると。そら、お兄様の方が僕よりずっと高くなった。それならお兄様は雑草なの?」(新潮文庫)
哀れな子羊!
このようにして大詩人の日々は過ぎてゆく。
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