腐った百合

ネコ エレクトゥス

第1話

            生きるべきか死ぬべきか

 著名な心理学者スラヴォイ・ジジェクの『ラカンはこう読め』という本にヨーロッパ人の国民性に関する面白いたとえが記されていた。ドイツ人はトイレで自分の排泄物をじっくり眺め、フランス人はさっさと流し、イギリス人はその中間である、と。近現代のヨーロッパの歴史を考えると笑えるくらいに言い当てている。

 このたとえは他の分野のも応用できるので僕自身の関心事である近代の日本文学に当てはめてみることにした。ドイツ人寄りの感性を持っていた三島由紀夫は自分の排泄物をじっくり眺めるタイプであり、フランス文学をそのバック・ボーンに持つ寺山修二は余計なものを流す素早さにかけては天才的だった。その点日本の近代文学の父である夏目漱石は伝統に対する深い愛情を持ち、一方で新しい時代に対する包容力も兼ね備えた人だった。彼の愛したのがシェイクスピアなのもうなずける。それならばシェイクスピアの『ハムレット』の有名な一節「生きるべきか死ぬべきか」は今の時代ならこう翻訳できるのだろうか。

To wash,or not to wash. (流すべきか流さぬべきか。)




                都会的洗練

「ブラジルの人って最近ボサ・ノヴァとか聞くの?」

「年寄りくさい!」




               豊かさについて

 先日昭和9年に出版されたある翻訳本を読む機会があった。その本はその後の時代の流れのために多くの箇所で黒塗りされ検閲が施されていた。今の僕らの時代は本当に豊かだと思う。その豊かさを守るために僕自身もできることをせねば、と考えていた。

 ところで幸いなことにも僕は現代の出版物のおかげでその黒塗りされた箇所に何が書かれていたのかを知っている。その出版物とはボッカチオの『デカメロン』。黒塗りされていた部分の一つをご紹介したいと思う。

「僕が下になったせいで僕が妊娠しちゃったじゃないか!」




                『にごりえ』

野口英世にこき使われ、

福沢諭吉は雲の上の人。

樋口一葉にはほとんどお目にかかった記憶がない。

すれ違い。




                「お元気で。」

 今のおばあさん前に見た覚えがある。自転車を止めた。

「お久しぶりです。お元気でしたか。」

「お兄さんはヨーカドーに勤めていらっしゃったんでしたっけ。」

「いえ、丸井です。」

「そうでしたっけ。で、今も勤めていらっしゃるのですか。」

「いえ、3年前に辞めました。」

「そうでしたっけ。今の時代若い人には色々チャンスがあるから。」

「何とかやっています。」

「お元気で。」

「お元気で。」




               流行の最先端の中で

 原宿駅を降り、表参道を直進する。目的地は表参道の突当りにある根津美術館。お目当ては特別展示されている尾形光琳。満腹。

 しかし帰り道に持病の腰痛が再発する。歩いたことのある人なら分かっていただけると思うのだが表参道にはなだらかな傾斜がある。その傾斜が余計腰に堪える。しかしそのままでいる訳にもいかないので何とか足を前に投げ出す。善光寺参り。本堂はまだ遠い。脂汗が流れる。そんな僕の横を最先端のファッションに身を纏った若い人達が通り過ぎていく。




                   潮時

 昼御飯を食べにレストランに行ったのであるが、食べ終わって周りを見ると隣の席の慎ましやかな3人連れの老婦人も食事を終えたようだった。そして彼女たちは本を取り出してこんな会話をし始めた。

「主イエスがこう仰ったことというのは……。」

 どうやらエホバの証人の方々らしい。ではそろそろ悪魔は消えることにしよう。




                  背後霊

 もし高速で半回転したなら背後霊は僕の前にいるのか。いや、そんなことより背後霊の背後に霊はいるのか?


 それではまた次回。




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