第9話

≪以上、現場からでした。ここからは、専門家の意見を交えつつ、お送りします≫


 朝。

 目を覚まして何の気なしにネットニュースを開くと、未だに事件が報道されていた。

 ソーシャルゲーム【ラプラスの工房】が発端となった、全国規模の集団幻覚事件だ。内容を纏めると、“200人もの人間が突如錯乱し、病院へ搬送された”というもの。いくらかの食い違いはあるが、概ねは真実を報道していた。


≪集団ヒステリーの可能性が高いですね。被害に遭った方々は、痙攣、失神、呼吸困難などの症状を発症していましたから≫

≪現場からもありましたが、集団ヒステリーとは?≫

≪一定の集団内で、多数の人へ症状が感染することを言います。柳山高校の事件を知っているでしょうか? 関心や利害が共通する小集団内で次々と伝播していきます≫

≪この事件では、MRデバイスを装着した一般の方々に被害が出ましたが……何か関係性があるのでしょうか?≫

≪十分にあると思いますよ。例えば、共通のアプリを起動していたとか、動画や音楽を聞いていたとか≫

≪それにサブリミナル効果が仕込まれていたと?≫

≪ええ、おそらく≫

≪ありがとうございました。当番組では、引き続き続報が入り次第、皆さまにお伝えしていきます≫


 終わりが近付いたことを確認し、ブラウザを閉じる。


「すげえ大事になってんな……」


 一つ溜息を零しながら、呟いた。それは雑多に物が溢れた自室に空しく木霊する。

 正直、全て幻だったのではないかと疑ってしまう。泣き叫ぶ彩智の姿も、激昂する和夢の瞳も、薄嗤う新菜の唇も、上司だという怪しい男? の与太話も。


「柳山高校って何だったっけ……」


 ろくに解説もしないで出番が終わった専門家の言葉が気にかかり、新たなブラウザを立ち上げて検索する。


「何だこれ……」


 目的の記事は、すぐに見つかった。が、到底信じられるものではない。


「幽霊に憑りつかれて臨時休校?」


 見出しをそのまま読み上げて確認する。多分、これのことを言ったんだよな、あの薄い人。高校生たちが発狂し、その日は学業に支障が出たらしい。感受性の高さ故のものだろうか。


 しかし、このご時世に幽霊騒ぎか……そんなものいるワケないだろ。オカルトなんてデマや捏造ばかりだし、やらせだと判明したものだってある。動転した人間が、脳内で勝手に作り出した幻想だ。


 人間の視覚・記憶能力は脆弱だ。事件捜査では証言の80%が信頼に値しないモノであるという話もある。脳は記憶したいものを分別して頭にしまうが、取り出して再現するとき元通りに構築できるかは不明である、とされている。

 また、空白を嫌うが故に見てもいない記憶を造り出してしまう。あるハズのものが無く、無いハズのものがある。

 それはなんてホラーだろう。


『おっはようございまーす!』

「うぉっ!?」


 記事のページが、突如人間の顔で埋め尽くされる。

 それはなんてホラーだろう。


『朝の情報収集が完了しました! 早速出社しましょう、出社!』


 ブラウザ、いや画面からぬるりと這い寄る混沌。


『出社! 出社! 出社~!』


 呪詛を吐きながら、茎のような腕をバタバタと振り乱す。


『出社っていい言葉ですよね! ご主人はそう思いませんか?』


 現世への執着、常世への憧れ、浮世への別れ。


『早く行きますよ! 交通状況は把握しました、最短ルートをナビします!』


 ふわふわと宙に浮かび、せかせかと足を遊ばせる。あんぐりしたままの俺に呆れたのか、それとも出社に急ぎたいのか、細長い腕を伸ばして、俺に触れようとして──空を切った。


『あ……』


 自身の存在を認識してしまったのか、それは青ざめた顔をさらに白くする。

 そう、彼女は幽霊。

 ハヤナという名の、我儘でポンコツな幽霊だ。


「出社なんて、誰もしたくねーよ」


 どう声を掛ければよいか選んだ結果、曖昧に誤魔化すことにした。

 しかし、幽霊に驚かされるという異常事態。エクストリーム出社なんてとうの昔に絶滅したというのに。

 渋々とPCの電源を落とし、椅子から立ち上がる。身支度は済ませていた為、すぐにでも出社は可能だ。時計を確認、うん大丈夫。


『わ、私だって愛の巣を離れることは嫌ですよ!?』


 幽霊のこの世ならざる白い顔は赤くなり、ムキになった様子でこたえる。


「何言ってんだ!? 幽霊と禁断の恋を結んだ覚えはねえ!」

『幽霊などではありませんとも! それに、ご主人は言ってくれたではありませんか!』

「言ったって、何をさ!?」

『“俺と一緒に、最高のゲームを作ろうぜ”と!』

「知るかー!」


 ほとほと呆れ、多くない荷物を抱えて部屋を出る。とうに両親は出社しており、誰もいない廊下を歩く。一人分の足音が響く中、幽霊は我先にと玄関へ向かった。


 彼女、ハヤナは人工知能。

 俺の脳をマザーコンピューターとして現界する、超常の存在だ。

 ラプラス事件の後、俺は白い病室で目を覚まし、泣きじゃくる彼女を見つけた。ひたすら謝り続ける彼女に、体の自由がきかないために何も言えなかった。目覚めたことを知った看護師は慌てて引き返し、和夢と新菜が姿を現して、状況を説明してくれた。


 曰く、俺の脳に異常が見つかった。

 曰く、特殊な電波が発生している。

 曰く、悪霊に憑りつかれたようなもの。


 その時点で理解出来たのは、その程度だった。

 玄関のドアを開けろと催促するハヤナを窘めながら、その続きを思い出す。


 曰く、普段は俺の視界にのみ映る。

 曰く、電子機器へ姿を移すことが可能。

 曰く、俺が死ねば彼女も死ぬ。


 何故三つ目は物騒なんだ……。

 溜め息は、照らす朝日に霧散した。



 ☆ ☆ ☆



 俺の職場……というかアルバイト先に到着。株式会社セカンドピース。

 重たい扉を開くと、ニコニコと微笑むメイド少女の姿があった。


「おはようお兄ちゃん」

「ああ、おはよう」


 ソーシャルゲーム開発へ携わる、サウンドクリエイターとは名ばかりの何でも屋、新菜だった。

 いつも思う。何故、メイド服なんだ。


「すっかり回復したみたいだね。今日は一緒に頑張ろー!」

「おう。で、頑張るって……何するんだ?」

「デバッグ!」

「は……?」


 その一言に、何かが崩れ落ちていくのを感じた。

 え、まだやるの? あのデスマーチを?


「顔が白くなってるよ……うふふっ、現代型鬱病?」


 もしかしたら、そうかもしれない。会社を一歩でも出れば、すぐに脂汗は引くだろう。


『ええい、その程度が何ですか! 頂点への道は険しくて当然です! 引き返すことなど出来ません、ソーシャルゲームと同じです!』


 ハヤナが俺と新菜の間に割って入り、後ずさりした俺を説得? する。


「は? どういう意味だ?」


 出来るだけ声を抑えて尋ねる。事情は理解しているだろうが、今のハヤナの姿は新菜の瞳に映らないのだ。異常者だと思われるのは気が引ける。


『いくらつまらなかろうと、やり続けることに意味があるのです! いくらつまらなかろうと!』


 ディスってるだけじゃねーか。それに、その言い方だとお前の野望が「つまらないこと」に分類されてるぞ。あ、ポンコツだったな。


『元気を出して下さいご主人! 今なら期間限定ハヤナちゃん新衣装SSRが、1.5%で排出されます!』


 ガチャだと!? 意味不明だし需要がないし、衣装なんていつも同じじゃないか! 季節は夏だが、水着にでもなるというのか? ちんちくりんが着ても興奮なんてしないわ!


『2800円で10連です! 救済措置はありません!』


 価格設定が崩壊している!


『じゃぶじゃぶです、じゃぶじゃぶですよ! 馬鹿な信者から養分を搾り取る快楽……私も堪能したいものですねえ。そうだ、和夢に提案しましょう!』


 ハヤナは悪巧みの笑みを浮かべ、くすくすと嗚咽を漏らす。


『現場の意見を尊重してくれるでしょうし、責任は全て和夢にあります!』


 そう言うと、目の前から姿が消失し、困惑した表情の新菜が現れる。やはり聞こえていないし見えていない。何でもないことをジェスチャーで伝えようとした時、ポケットのスマートフォンが盛大に震えた。


『和夢ー! ガチャの確率を見直しましょう! 時代は1%ですよ、1%! 目的の物が出るまで引き続けさせましょう! 和夢―!』

「五月蠅いな……」


 最大音量で響くそれを取り出すと、画面いっぱいに屈託のない笑みを表示させるハヤナがいた。


『承認欲求を煽って煽って、煽りまくる宣伝をお願いします! データを貸すだけでボロ儲け……ごほん、お布施をたくさん頂きましょう! お―布―施―!』


 和夢その人がいないにかかわらず、その場で叫び続ける。近所への迷惑を心配し、物理キーを連打して音量を1にまで下げた。


「うふふっ、ねえハヤナ?」


 手にしたスマホを覗き込み、新菜はそれはもう優しく微笑む。

 ハヤナが口をパクパクさせていたので、仕方なしに音量を上げた。


「稼ぐことは大事だけど、私たちの目的はそんな低俗な物じゃないよね?」

『はっ! そうでした、私が間違っていました! 外圧になど臆病にならず──』

「違うよね?」

『そうです、16人の弟子を選定し──』

「違うよね?」

『んむう?』

「…………」


 うわぁ、引き攣ってる。しかし、新菜がこんな顔したのを見るのは初めてだ。いつも冷静沈着である彼女が見せた、ありありとした苛立ち。


「あのなあハヤナ、俺たちは──」

『はっ!? そうでした、そうでしたとも! ハッキリと思い出しました!』


 何かを確信したのか、画面の中でガッツポーズ。


『ソシャゲの頂点に立つのです! セールスランキングではありません、ダウンロード数でもありません! 全ての意味で、頂点に立つのです!』


 爛々と瞳を輝かせ、高らかに宣言した。



二章です!

会議します!

「来たな小僧」


 開発室へ踏み入ると、胡麻塩頭に白が増した音が座していた。

 始業時間まであと30分はあるというのに、社畜精神が溢れているのか、一心不乱にキーボードを叩いている。


「おはようございます和夢さん。今日もデバッグ……ですか?」

「そうだ。今すぐ始めてくれて構わんぞ」


 こちらには目もくれず、プロデューサー兼シナリオライターは作業を続けた。その顔に生気はない。


「時間は守りましょうよ、病人が出ますよ!? あなただって体壊しますよ!?」

「小僧に心配されるいわれはない。これが我々の任務だからな」


 ほんと、仕事人の鑑。


『おはようございます和夢! ミーティングしましょう、ミーティング! 議題を提案します、やはりガチャの確率を見直してですね!?』


 そんな彼のパソコンへ侵入し、モニターを埋め尽くしたのはハヤナだ。それに驚くこともなく、和夢はただ大きく肩をすくめた。やる気を削がれたのか、はやまた疲れがピークに達していたのか。何時からここにいるんだろう。傍目に見ながら、自分の作業机に腰をおろす。


「ガチャだと? SSR3%で決定している、今更修正などしない。ハヤナもそれに賛同しただろう」

『で、ですがね!? じゃぶじゃぶしたくないですか!? 3割持っていかれるのですよ、多少きつくしたって……!』

「詐欺まがいのことをするほど、我々は落ちぶれてはいない。それに、既にネットで告知したのだぞ。修正なぞしてみろ、匿名掲示板にスレッドが立てられまくる。奴らを甘く見るな、私への誹謗中傷だけでは飽き足らず、殺害予告まで発展するぞ」

『は!? そ、そうでした……』

「ネットで告知……?


 聞き捨てならない単語に反応。すぐさまミーティングへ加わる。物騒な言葉はひとまず置いておこう。


「HPが出来たんですか?」


 初耳だぞ。


「そうだが、ハヤナから聞いていないのか?」

「聞いてませんよ!?」

『てへっ♪』


 可愛いからって許されると思うな。

 未だ始業時間ではないことを確かめ、スマートフォンを取り出して確認──しようとすると、ハヤナに呼ばれた。どうやら和夢が使用中のPCで、件のHPを開いたらしい。セキュリティとかどうなのだとは思うが、あまりにも急かされるので覗き込む。肌色成分高めのキャラクターがお出迎えし、【アイレス☆ドールズR】のロゴがでかでかと表示。タイトルは聞いていたが、随分とまあ……安直だなぁ。


「お前が入院しているうちに完成済みだ。上から予算が下りたのでな、アフィブログなどにも宣伝してもらっている。配信まで30日を切った、これでも遅いくらいだ」

「は、配信……?」

『いよっしゃー! 燃えてきましたよー!』


 配信って……つまり、配信するってことだよな。

 いやいやおかしいだろ、このアルバイトを開始して若干2週間。そんな短期間でもう配信に向けて動いているなんて頭がおかしい。いくらベースとなる土台があって、予め準備してあって、高性能な人工知能がいるからって、こんな短期間でサービス開始だと!? これだけの人員で!?


「配信……」


 いや考えろ、つまり、デバッグ作業の終わりといっても過言ではない。

 完成さえすれば、この賽の河原から脱出できる!


「だから急がねばならん。楽しいよなぁ小僧? 終わりの無い石積みは……くっくっくっ」


 完成さえすれば。


「ハイ……」

「無茶をしていることは私も自覚している。大手ならば半年くらいは時間を取るだろうな」


 和夢はそう言って、大きなため息。

 無茶は当然、だがやらなければならない。

 ソシャゲ開発会社の実態は、ある程度調べた。スタッフ4~10人、開発期間3~4ヶ月、運営費月100~300万、サーバー代月20~300万、宣伝費100~3000万。これが大規模と呼べる開発の運営費。照らせ合わせれば、セカンドピースも大規模と呼べるだろう。


 が、これはバブルが起こる以前の話。

 ガチャが儲かることに世間が気付くと、様々な企業が本腰を入れて開発し始めた。不況が蔓延る現代日本で楽に儲けることが出来るのだ、CSから離脱したゲーム制作会社もごろごろいる。甘く見ていて、投資を回収できずに散った会社もごろごろいる。


『2年かけて制作し、結果大爆死したものがありましたね~。ユーザーが求めるものを提供することが大事なのですが、何よりもスタートダッシュでつまずいたのが原因かと。中身もアレでしたが』

「我々は同じ轍を踏まん。開幕メンテナンスなどもってのほかだ、客を逃がしはしない。サーバーは予算が許す限り増設した、パンクなど起きる筈がない」


 ああそうか、それもプロデューサーの仕事……なのか? まあ現場のリーダーだし、そうなんだろうと納得。お金の管理、スケジュールの調整、広報……それに加えてシナリオライターでもあるのだ、いくらなんでも働き過ぎではないか。


『私の演算技術を合わせれば、向かう所敵なしです! 巨大IPだというのに、テクニカルな問題を解決出来ないスグエタさんの席を奪いましょう! まあ、あそこは丸投げしてるらしいですが』

「スグエタねえ……最近も何か、配信してたような?」

『絶賛メンテナンス中です!』


 情報を手に入れていたらしい。


「あそこには、粗製乱造という言葉がまさに合うな。外部のものにブランドをつけて提供しているが、それがマイナスに働くと知っていながら続けているのがなんともまあ……バンダムも同じようなものか。どれもこれも似たようなものばかり」


 和夢の言い分は、何となくだが理解出来る。

 大企業とよべるゲーム制作会社、それらが提供するゲームには災難が付き纏う。開幕メンテナンスは当然のこと、不定期メンテは朝飯前。運が悪ければ、メンテ中にデータが吹っ飛んでサービス打ち切り。


「だがチャンスだ、どこもが保守に回っている今しかない。ビッグタイトルも予定には無いのだ、この秋、我々のゲームが市場を独占する! 私は頑張ります隊長! 隊長ォー!」


 不敵に嗤ったかと思うと、諸手を挙げて轟き叫ぶ。

 見開かれたその瞳が怖いので、刺激しないよう、ここは同調しておこう。


「お、おー……」

『アブナイですね、これは……』


 やはり疲れすぎている。遅すぎたんだ。


「ああそうだ、お前たちの意見を聞きたいのだが」


 ふと思い出したように、和夢は元の顔へ。コイツ、出来る!


「バナーに付ける謳い文句、何がいいと思う?」


 バナーというと、インターネットに掲載する広告のことか。

 客が一目見て、これをやりたいと興味を惹く内容でなければならない重要な物。だがまあ、意見交換の場だと割り切って、思いついたものを提案する。


「今なら〇〇貰える」

『声優:〇〇』

「却下」


 ですよねー。


 貰えるって何だ、差し上げるの間違いだろう。

 キャラ名より声優の名前をデカデカト主張するのはおかしいだろ、このゲーム売れてませんと公言してるに等しいぞ。


「遂に日本上陸!」

「却下」


 外国製だとスパムの疑いを掛けられる。


『リセマラ不要!』

「却下」


 リセットマラソンはほんとに嫌い。だがそれも一つの余興。


「豪華声優陣!」

「却下」

『コラボ開催中!』

「却下」

「限定衣装!」

『好評! 絶賛!』

「美麗! 爽快!」

『片手間プレイ!』

「本格プレイ!」

『放置オッケー!』

「デバッグモード搭載!」

『MR機能搭載!』

「発熱機能搭載!」

『ホッカイロになります!』


 思い浮かぶものを連呼していくと、和夢の顔がぷるぷると震え出した。まずい、勢いに任せて喋り過ぎたか。


「どれも……つまらん!!」


 ですよねー。


「どれもありふれたものではないか! もっと革新的なフレーズを探せ!」

「とは言われても……」


 革新的なアイデアなんて、そうポンポン出るものではない。とりあえず初心に帰り、【アイ☆ドル】の良い点でも探そう。

 誠意製作中の【アイ☆ドルR】は、前作と同じく、美少女キャラクターを操作して敵を倒す、爽快アクションゲーム。変更点といえば、キャラクターの大幅な追加、ガチャの追加、声優を抜擢、といった所か。シナリオが重厚になったことも加えておこう。


「何が良いんですかね……」

『ウリは手軽さです! 1プレイ30秒程度、ボスならば1~3分程度でクリア出来るよう調整しました! スキルの発動もスキップ可能、オートモードも搭載です!』


 ハヤナがべらべらと特徴を羅列する。

 単純なポチポチゲームではなく、かといってスタイリッシュとも呼べない【アイ☆ドルR】。どの要素を前面に押し出せばいいのやら……。


「そもそも、アイドルって短縮してたらアイドルゲームだと間違われますよ。タイトル詐欺じゃないですか。誰だよ、【アイレス☆ドールズ】って名付けたの」

『なっ!? 侮辱するのですかご主人!?』


 当然の疑問に、画面の中の少女は声を荒げる。

 そういえば、名付け親はお前だったな。


『厨な方々が大好きな、ソロモン72柱が一つ、アガレスの名をもじってですね!?』

「知らねーよ……」


 溜息まじりに愚痴をこぼすと、ふふんと鼻を鳴らした。


『低能なご主人の為にお教えしましょう。第二柱アガレス。かつては力天使の階級に所属していたとされ、現世と神秘両方の尊厳を破壊する力を持つ悪魔で──』

「分かった分かった。朝から講釈垂れるな」


 業務は始まってすらいないというのに、何だかもう頭が痛い。


「アピールするなら、やっぱり絵ですかね。エロい格好のキャラクターを前面に押し出せば、中学生なら簡単に釣れますから」


 酷いだとか浮気だとか狂乱するハヤナは放って、もう一度HPを確認する。物語の主軸となる男キャラクターと、ユーザーが操作するであろう女キャラクターたち。ゲーム内では、ユーザーの大多数が露出の多い女性キャラを使うのだろう。


「あれ、彩智が描いてたのと違うような……?」


 ふと疑問が浮かぶ。

 それを聞き取ったのか、和夢がぼそぼそと疲れ顔で補足。


「たった2週間で絵が描けるとでも思っていたのか? 殆どはこちらで用意した。彼女を誘う以前から計画は動いているのだぞ」

「はあ……」


 それもそうか、後30日足らずで世に出すというのに、事前に準備していない筈がない。記憶を思い返せば、デバッグ作業で見慣れたキャラクター達も彩智のものとは違うじゃないか。

 用意したこちら、というのは株式会社セカンドピースなのだろうか。それとも……。


「じゃあ、どうして彩智を?」

「無名の絵師を押し出すのはギャンブルだからだ。彼女は業界内ではそこそこの知名度を持っていた。加えて、仕事に真摯、契約順守、デフォルメも描ける……まあ、上が指名したということが決定打となったのだが」


 指名したって何だ、キャバクラじゃないんだぞ。いやしかし、彩智のプロポーションならばお嬢として働いていくことも不可能では……。


『ご主人、鼻の下が伸びています』

「はっ!? いやそんなまさか」


 そんなまさか。


「これまでの経歴もざっと洗ったが、特に不審な点も無い。また、仕事上でのトラブルも些細なものばかりだ。イラストレーターとして何作かのソーシャルゲームに携わったが、絵のトレースをしない、ブログで浅知恵を披露しない、他作を貶さない……リテラシーを守れる良い人材だ」


 こちらもつらつらと羅列する。本人の前で言えばいいのに、きっと顔真っ赤になるぞ。

 しかし、それって普通の事じゃないか。


「当然のことじゃないですか? トレースだなんて、今の時代ならすぐにバレますよ。そんな馬鹿なことする人いるんですか?」


 イラストレーターは描くのが仕事。生み出す世界に誇りをもっている筈。


「いるのだ」

『いるんですよねぇ』


 まじかよ。


「あの時は、仲介を通して発注したのがまずかったな。下手な人材をあてがわれ、大金がパァだ」

『そうですねぇ、酷いものが出来上がりました……仲介会社の利用はメリットとデメリットが大きいです。プラッシュアップ要請が伝言ゲームに早変わりしたのですよ。捻じ曲がって伝わり、こちらの意に沿うものではなくなったりしました』


 暗い顔で愚痴を連ねる。朝から空気悪いなあ……しかし、仲介ってなんだろ。仲介だよな。


「どの時ですか? もしかして、MMOの時とか?」

「そうだ。思い出したくもない、あのデスマーチ……」


 和夢は苦い顔。当時はデバッグを引き受けていたらしいし、当然か。


『仲介を怒らせない、ギリギリのラインを責めましたねぇ。無茶を言えないストレスで、自我が崩壊するかと思いましたとも!』

「無茶ばかり言っていただろうが。不眠不休で働けるほど、人間の体は頑丈ではないんだぞ」

『過去のことは水に流しましょう!』

「私の黒髪は戻らんのだぞ……!」

『前からじゃないですかヤダー!』


 銀色の髪の電子生命と、白髪頭の冷血社畜は見つめ合う。やばい、和夢の手がぷるぷる震えている、今にもモニターを破壊しそうだ。


「仲介って、そんなに立場強いんですか? 所詮下請けなんじゃ?」


 そこら辺の知識はないし興味もないが、喧嘩に発展しそうなので割って入る。

 大きく肩を竦めた和夢が、先に口を開いた。


「かなり強いぞ。この国では、多くの絵描きを抱える仲介大手など、片手で数えられるくらいしかない」

『断られたら、ラインの確保に奔走しなければならないのです!』

「へえ……」


 業界って怖いなあ。


「あれ、今回絵を描いてくれた人、前回は参加しなかったんですか?」


 彩智ではない方のイラストレーターだ。プロと呼んで差し支えないレベルの絵だが、MMO開発には携わっていないのか。


「表には出ないで、趣味程度に描いていたからな。画力が向上したから、本格参戦することとなった」

『無名ですが化けますよ! 肉間の表現がたまりませんよね、とてもえっちぃです!』


 えっちぃだと? いやいやそんな……うん、えっちぃ。女性キャラクターは皆美少女、それは当然なのだが……えっちぃ。巧みな色使いによる表現だけではない。爆乳を封じ込めたシャツ一枚とっても、ボタンとボタンの隙間に菱形の空間を緻密に描きこみ、ブラのレース柄が僅かにはみ出したり……いかんいかん、間もなく始業だというのに。


「脇道に逸れている内に時間切れだな。まあいい、空き時間にでも考えろ。やることはまだまだあるからな……アクション部分のデバッグはもとより、MR機能のデバッグも頼むぞ」

「はい……。って、本当にMR機能搭載なんですか……」


 そんなことハヤナが言っていた気がするが、冗談じゃなかったのか。


「モデリングは委託し、既にメインヒロイン一体分は完成済みだ」

「随分早いですね……」


 絵は描き終わらないというのに、モデルは作成済みなのか。


「いや遅い。メインキャラクター全員分が完成するまでに、配信は開始されるだろう」

「えぇ……間に合ってないじゃないですか。なんか、その場その場で考えてません?」

『場当たり行動がお好きなんですよね、和夢は』

「……ッ!」


 ぷつん、という音が、聞こえた気がした。

 やばい、つい。

 怒鳴り声に身構えると、それに代わり、大きなため息が音色を奏でる。


「手探り状態での制作だ、後手後手であることも承知している。だが崇高なる目的の為、我々はやり遂げねばならない」


 覇気が抜けた声。反射的に閉じた目を開けると、天を見上げる和夢がそこにいた。

 憔悴しきった顔だが、瞳には確かな焔を燃やしている。


「目的……」


 口に出して反芻する。

 そうだ、この会社は普通のゲーム制作会社ではない。

 とある目的を持って、利潤の為ではなく、崇高な……ともすれば下劣となる目的を持っている。


『そうですとも! 人類を支配するのです!』


 人工知能が高らかに叫ぶ。

 それを見て、先に声を掛けたのは和夢だった。


「いいかハヤナ、お前は一度罪を犯した。本来であれば、もうこの世に存在していない……それを忘れるな」

『……っ!』


 ハヤナは酷く怯えた顔。

 あの時のことは『あまり覚えていません』と言っていたが、後に和夢や新菜から説明を受け、大方は察したらしい。本当の意味で支配しようとした、忌まわしい過去。


『は、はい……』

「前回の反省を踏まえ、取れるだけの手段は取ってある。セキュリティも万全だ、FBIでも突破は不可能だろう。だからといって、お前自身が暴れようと思えば、簡単に崩壊してしまう。内側からはどうも脆いらしい」

「それを言っていいんですか」


 む、と思案する顔。ほんと場当たり的……というか考え無し。


「だからまあ……信頼している、ということだ」


 仏頂面で、だが少しだけ、照れた顔。

 ああうん、彩智が惚れたのも分かる気がする。


『和夢……!』

「それに、宝箱はここにあるしな? いつでも叩き壊すことが可能だ」

『……!?』

「え、どういうことですか?」


 宝箱? その中身は何だろう。

 分かってるクセに──自問自答は、ドアを開いて現れた、メイド少女に打ち切られた。


「後60秒で始業だよ~。やることは分かってるよね? 持ち場に付いてね~」


 意気揚々と呪詛を振りまき、逃げ道をガチャリと塞ぐ。その音は何だ。鍵でもかけたのか。デバッグ作業から俺が逃げ出すとでも思ったか? ふん、舐めないでもらいたい。一週間の休みを貰ったのだ、簡単には屈しない!


「小僧、これが今現在判明しているバグの一覧だ。一つずつ虱潰しにしろ」


 ぺラリと用紙を差し出され、危なげに受け取る。ずらりと並ぶバグ内容……うん、無理。


「思うんですけど、こういうのこそハヤナにやらせるべきかと!」


 こんなの人間に出来る仕事じゃねえよ!


『いたいけな美少女に罰を与えるのですか!? 見損ないましたご主人、サイテーですご主人!』


 罰とか言っちゃダメだろ!


「それは至極もっともだが、最終的に判断するのは人間だ。エミュレーションと実機でのプレイでは齟齬が生じる場合もある」

「ぐっ……」

「それに、このゲームは大量のメモリを使用するからな。メモリリークしたとはいえ、ハヤナを併存しての起動は負荷がかかりすぎる」

「ごもっとも……」

『聞き捨てなりません。デブだとか思ってませんか? こっちを見て下さいよ二人とも。ねえ。見て下さいよ。ねえちょっと』


 この少女のマザーPCは別の場所にあるが、やはり意識を移す際にはメモリを消費しなければならないらしい。滑らかすぎるポリゴンと、澄み渡るほどの声。それを再現する為に、スマートフォンの限られたメモリは限界まで酷使される。寿命を早めてるだろうな、確実に。


「うふふっ、そこまで。鐘が鳴ったら手を動かしてね?」


 談笑を打ち消す無慈悲な宣告。

 冷たいものを背筋に感じながら、テスト用の端末を手に持った。和夢は黙々とPCに向かい、ハヤナは自身に割り当てられたであろうPCへと身を移す。

 これが仕事だ。脱ニートをした俺の、社会に生きていることを実感できる場所。

 鐘が鳴り、賽の河原を幻視したとき──別の音が鳴り響いた。


「え?」


 ジリリリリ──鳴り響くのは、火災を知らせるアレだろうか。


「これは……」

「まさか……」


 和夢は顔を引き攣らせ、新菜は手が止まっている。仕事人の鑑である二人が驚愕する中、


『何です?』


 人工知能はアホな声を出した。

 途端、鍵が掛かっていた筈のドアが吹き飛び──え、なんで吹き飛んだんだ──そう考える間もなく、異常な存在が現れた。


「んー、今日もいい天気である! 不快なほどに澄み渡る空! 何人が絶望し、何人が希望を抱くのであろう!? 拙者はどちらでもないで御座る、色などとうに失ったぜニンニン!」


 登場したのは、大きなケースを肩に背負う、バンドマン風の……おじさんだった。


「何者だ!」

「拙僧の名を問うか。ならば答えてやらなくもなくともなくなくない! かっぽじって聞け、ミラー・スミスである! 天才・秀才・大悪党! 人はこう呼ぶである、救世主だと!」


 クスリでもやっているのか、わけのわからないことを大声で叫ぶ。

 何やってんだコイツ……強盗、ではないのか?


「さあ、我々も仕事を始めるである! 予言の一つが為、アヤを返して貰うである!」


 甘い──といっても現実離れした予測は、背負いものから取り出された、黒い塊に打ち壊された。


「あぁ^~、一度は言ってみたかったのである! いくであるよ、しかと耳に入れるでる!」


 銃、だ。

 これはドラマか何かか? いや違う。まぎれもない、現実。


「死にたくなけば、言うことを聞け」

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