冬服の神様 七月の海岸通りで

アーキトレーブ

第1話冬服の神様 七月の海岸通りで

 七月の海岸通り。大学の講義に向かう途中。いつも通り彼女と一緒だった。


「ねぇ。ジンくん。貴方は一体何処に向かうの?」


 そんなこと知らないよと僕は彼女に向かって、返事をする。僕が一番知りたいことだ。君が教えてくれるなら、それで良いんだけど。


「私にわかるわけないじゃない」


 群青のコートをクルクルと纏いながら、彼女、マリサは道路横のフェンスの上を器用に渡っている。艶やかな黒い髪。恐ろしく整った顔立ち。背丈は僕よりも高い、確か一七〇センチはあったはずだ。


 どんなに凍てついた横断歩道でも転ばないような、がっちりとした冬用のブーツを履いている。でも、今は夏だった。彼女を見ると僕の体感温度まで下がってしまう。


「私は神様だ。でも、そんなことは知らないよ」


 数ヶ月前。大学のキャンバスへ向かう途中の河川敷の下。段ボールの中にいた捨て猫を拾うように、僕は神様を拾ってしまった。


 爽やかな海風が吹く中で、強固な冬服で身を固めて、彼女は自転車を押す僕の先を走って行く。フェンスの上から、標識をけって、民家の屋根に飛び移り、今は信号にぶら下がっている。


 いや、ぶら下がってはいない。重力が底だけ逆になったように、彼女はその下に立っていた。鼻歌を歌いながら、その真っ黒な髪は青い空に吸い込まれるように上へ。


「私にはこんなことだって出来る。でもね、何にも出来ないの。貴方はその便利な玩具を持っている」


 僕は信号の下まで着いた。彼女は重力を元に戻して、一回転して、僕の横に立つ。ひんやりとした吐息が僕にかかる。

 便利な玩具とは、先日見せたスマートフォンのことだろう。彼女は一晩中、弄んでいた。朝起きたら大量のアプリがインストールしてあって、驚いた事を思い出す・


「――でも、何でも出来るわけじゃない。それと同じだよ」


 ちょっと論理が飛躍している気がした。


 彼女は自転車の荷台に飛び乗った。まるで重さを感じない。


「そんなことはないよ。君たち人間は私たちに多くを望みすぎている。私が神様なら、お主の友人の――なんだっけ? あいつ。さ――。さ? さかな? だったかな?」

「桜ね」


 あのボンヤリとした彼女の転ぶ姿が眼に浮かぶ。それにしても、間違えにも限度があると僕は思う。


「そう! 桜! あの子だって神様になれる。そもそも絶対的な答えなんてない。神頼みをして、奮い立つのは結局自分自身、望みを叶えるのも自分自身。ラッキーなこともアンラッキーなことも、重なることもあるし、重ならないこともある」

「おばあちゃんみたいなことを言うね」

「ふふ、ジンくんを睡眠不足に追い込むくらい出来るからね? そして、そろそろ講義」


 腕時計を見て、固まってしまう。後数分で始まる。きっとこの人はわざと言っているんだと思う。自転車に飛び乗って、勢いよくペダルを踏む。


「それでもこの世界は良いとこだよ。そう思った方が何倍も生きやすい」


 何か変なことを言っているが無視しよう。


 彼女は荷台に立ったまま、移り変わる景色を楽しんでいた

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