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 広寒宮こうかんきゅう前に転移したとき、目を疑った。

 

 ――あれ? ここ月だよな。


 画像で見た、白い砂漠状態の月の景色じゃない。

 目の前の小さなお屋敷の周囲は、草原にしか見えない。

 

 だが、少し考えて理由に思い当たる。

 天上界や崑崙こんろん、冥府や黄泉と同じように次元が異なっているのだ。

 人間が通常行ける場所ではないと判り、平静な気持ちを取り戻す。


 鳳凰のような鳥が修飾された玄関に近づくと、一人でにすうっと扉が開いた。

 少なくとも招かれざる客とは思われていないと判断して扉をくぐる。


「いらっしゃい。いつぶりのお客様かしら?」


 玄関の先の広間には一つだけ椅子があり、艶のある黒髪を胸側に流した女性が座っている。

 

「私は嫦娥じょうが。あなたはどなた?」


 透き通るような声が耳に心地良い。

 広間の空気も、宮殿にありがちな緊張したところがない。


「私は玖珂駿介と申します。足下に居るのはクロノスです」


 挨拶し、できるだけ恭しく一礼した。


「それで……どのようなご用でいらっしゃったのかしら? もちろんただ遊びに来て下さっただけでも嬉しいのですけど」


 俺は后羿こうげいが会って話したいという希望を伝える。

 

后羿こうげいが……」

「はい。とにかく会って話したいのだそうです」

「怒ってはいなかった?」

「ええ、まったく」

「……そう……」


 そう答えてしばらく無言のままの時間が過ぎた。


「……今更会えないわ」

「どうしてでしょうか?」

「だって、彼が黄泉に居るのは私のせいですもの」

「ですが、嫦娥じょうが様も、后羿こうげい様も、今のままで良いはずはありません」

「どうしてそう思うの?」

「お二人とも、今のまま忘れられぬ苦い思いを抱いたまま、これからも悠久の時を生きるのは悲しいからです」

「……そうね……そうかもしれない。でも……怖いわ……」

后羿こうげい様は黄泉の住人です。黄泉の外へ出られません。嫦娥じょうが様に、もし、后羿こうげい様への後悔があるなら、勇気を出してお会いになってはいただけませんか?」


 憂いをたたえた黒い瞳を俺に向け、端正で美しい顔には苦悩を感じさせている。

 辛く苦しいのは判る。


 本来なら、后羿こうげいが不老不死となり、逢蒙ほうもうに殺され黄泉の住人になるはずではなかった。

 しかし、不老不死となる薬を嫦娥じょうがが盗んで飲んだために、殺されて黄泉の住人となった。

 嫦娥じょうがにすると、どのような顔で后羿こうげいと会えば良いのかと思うのは当然だ。


 だが、后羿こうげいは会いたがっている。

 俺の感触では、嫦娥じょうがを責めるような気持ちで会おうというのではない。

 ならば、嫦娥じょうがには后羿こうげいと会う責任があるんじゃないだろうか?


 俺にはそう思えた。


「あなた……玖珂さんと言ったわね……私の背中を押して下さらない?」

「背中を?」

「そう。私は、私の犯した罪への罰として、この月に一人で居るの。だけど、やはりずっと一人は寂しいわ。だから、これからあなたが、あなたのお友達と時折ここへ訪れてくれるというなら、后羿こうげいと会いましょう」

「そのようなことで宜しいのでしたら、私は私だけでなく妻や家族とともに、ここへ遊びに参りましょう」

「ほんと?」

「ええ、私や妻達で良いのであればお約束しましょう。最低でも月に一度は参ります」


 月へ遊びに行くと言えば、ネサレテやベアトリーチェはもちろん、駒姫達もきっと喜ぶ。

 俺の子供達だってもう少し大きくなったら喜ぶだろう。

 月に数度くらいどうってことはない。


「……ありがとう……后羿こうげいと会って話すわ」


 俺はホッとして、ありがとうございますと頭を下げた。

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