Typhon01-03


 家に戻ると、ネサレテは優しく、ベアトリーチェは明るく出迎えてくれた。

 二人の柔らかい抱擁に安心を感じ、デイモスを逃がした悔しさが少し癒やされた気がする。


 そして、へラはどこぞのブランドっぽい光沢のあるドレスを纏って優雅に、ヒュッポリテはモスグリーンのスーツを着た堅苦しい様子で紅茶を居間のソファに座って嗜んでいた。


 ――まったく……この家の主は俺なんだけどな。

 

 その上、アレスとアテナ、アルテミスまで来ていた。

 この三名は壁にもたれかかり、難しい顔をしている。

 今日のアレス達は、全員ウールの布に布製のサンダル姿で、見た目はオリュンポスの神々らしい。


 全員テューポーンの件が気になって来たのだろう。

 タイミング良く皆が揃ってるのだから、そうとしか思えない。


 俺が留守の間、この牧場を守ってくれるへラには必ず報告するんだから、自分の家で待っていてくれればいいのに。

 アレス達もゼウスから報告されるだろうにな。

 あ、あの去勢神ゼウスが、駿介から事情を訊けとでも言ったのかもしれない。

 とりあえず落ち着いたからと、説明すんの嫌って天照とのゴルフを優先しそうだからな。


 居間に入った俺を見ても皆が黙ってるのは、説明を待ってるという意思表示なんだろう。


 俺の後を、ミニチュアダックスクロノスを抱いたエリニュスが続き、その足下にはボーダーコリーテューポーンが従っている。


「えーと、ここに来ているということは……おおよその事情は知っているということでいいかな?」


 所在なさげに髪を手で梳き、頭を掻きながら俺は話し始めた。


ゼウスから、テューポーンは玖珂駿介の支配下に入ったとしか聞いておらん」


 ティーカップを片手に視線だけ俺に向け、へラが答えた。

 笑顔にはほど遠い表情だが、怒っているようではない。


「俺達がテューポーンの動きを追っていたら、急に気配が変わった。それはお前の支配下に入ったからということでいいんだな?」


 腕組みしているアレスが、睨むような目つきで訊いてきた。


「ああ、そういうことだ……」


 長い長い年月を封印されたままでいたテューポーンは、クロノス同様に解放を願い、ゼウスの言う通りに俺と誓約を交わした。俺が人間の間協力する約束のクロノスと違い、神になった後も俺の支配下に入ることになったと説明した。


「駿介は、我が命令すれば刃向かえない。だが、我が命令できるのはゼウスの許しがあるときだけ。つまり間接的だが、テューポーンはゼウスの意思に逆らえない状態になったということか……」


 説明を聞き終えたへラが、カップを口から離して呟いた。


「支配下に入ったのは我だけだが、玖珂駿介あるじに協力するのは我だけではない。エキドナも協力する」


 俺の足下まで近づいてきたボーダーコリーテューポーンが、俺も知らないことを口にした。


「え? それ聞いていないんだけど、どういうことだ?」

「我が封印されたあと、エキドナは我らの息子オルトロスと結婚し子ももうけたが、その後離婚していてな。我が復活したので、また我の妻に戻ることになった」


 人間と違い、近親婚の忌みがないとはいえ、神々の夫婦関係ってフリーダム過ぎるだろう。

 クロノスやガイア、ゼウスも自分の子供と結婚し、子供もうけていたしなぁ。

 その辺の感覚は、人間の俺にはさっぱり判らない。


 それにしても、だいぶ慣れてきたのか、不死の怪物と言われたエキドナが俺に協力すると聞いても「へぇそうですか……」としか感じない自分が怖い。

 不死同士仲良くしてくれればいいな。


 考えてみると、テューポーンって何ができるんだ?

 エキドナもだけどさ。


 テューポーンのことで知ってることは、炎を吐き風を操るゼウス並の戦闘力を持つ怪物ってだけだ。

 デイモスとの戦いでは役にたってくれそうだけど、平時は?

 エキドナに至っては、様々な怪物の母ってことくらいしか知らない。

 まあ、その辺はこれからの話かもしれない。


「デイモスの件は、すまなかった。言い訳になるが、テューポーンを人間と同じように操られたらと考えると、アレに関わっていられなかったんだ」

「それは致し方ないだろう。我らもデイモスに何ができるか判らんことが多い。それにギガースの身体を乗っ取ったデイモスなど初めてでな。万が一を恐れたのも理解できる」


 いつもはお叱りばかりのアテナが、険しい表情のままだが納得してくれた。


「だが、今回の件で思い知った。デイモスを放置しておくことはできない」


 自分の身体の一部を人間に喰わせ、その脳だけを喰って人形のように支配していた。

 もし、あの手段を大国のTOPでおこなったら、世界大戦すら視野に入れた破壊活動が可能になる。

 それは何としても止めなければならない。


 だが、どうしたら……。


「玖珂さん。テューポーンの件が落ち着いたのですから、これからは私もデイモスを追うことに力を注ぎましょう」


 背後からガイアの声が聞こえた。

 地下の空洞を埋めてきたのだろう。

 俺が振り返ると、いつものPTAスタイルじゃなくウールの布をガイアは纏っている。

 

「我が子テューポーンの件では、あなたに借りができました。過去の行為の始末をつけていただいた形ですからね。また、デイモスがギガースの身体を使っていることにも、私には責任があります。お手伝いできることがあれば何でも言って下さい」


 良い香りを放ちながら横に来て、俺の肩に手を置いた。

 ああ、遠慮せずに頼もうと思う。


「そう言えば、ゼウスわが夫は何故ここに来られないのだ? テューポーンの件にしても、デイモスの件にしても我ら神々にとって重大な話のはずだが……」

天照大神あまてらすおおみかみとゴルフに興じています」


 ククク……チクってやったぜ。


「これだから、あの子ゼウスの支配には疑問を持つのです」

「また悪い癖を出したか……あとでお仕置きせねばなるまい」


 ガイアとへラの表情に、暗く恐ろしいものが浮かんだ。

 それを見て、アレス達は苦笑している。


 ゼウス、絶対神だからと、いつも好き勝手できると思うなよ。


 美しくも恐ろしい二人の女神の様子に、――万歳! やったれやったれーと、心の中で楽しんでいた。

 女神二人から叱られたゼウスが困り、苦虫を噛みつぶしたような表情になるだろうと思うと少しは気が晴れる。

 ま、このくらいの仕返しはいいだろう。


 さて、テューポーンとエキドナに何をして貰えるのか、今夜は話し合わなきゃならないな。


 殺気だった女神を座って眺めているボーダーコリーを俺は抱き上げた。

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