anger01-04

 絵美が誘拐される数時間前まで遡った。


 クロノスの幻影のおかげで、コソコソせずに、仕事に励む絵美の周囲を監視できた。

 ま、隠れているのと一緒だから、コソコソしてるじゃねぇかと言われれば否定できないけどな。

 でも、おかげで堂々とストーキング……じゃなかった、監視できる。

 

 ちなみに、病院内に菌を持ち込んじゃいけないから、ここに来る前に、ネサレテの手でクロノスは徹底洗浄された。そして病院から出るまでは、俺の腕の中で大人しくしていて貰っている。


「風呂は好きだがな、ああもゴシゴシと洗われるのはちょっと傷つくぞ」 

「悪い悪い。でもさ? クロノスが来たから、この病院で何かしらトラブルが生じるなんてのは、もっと傷つくだろう?」

「それはそうだがな……」


 ブツブツと俺の腕の中で文句を言うクロノスの背を撫でて「すまんな」と謝る。


「仕方ないとは判っとるんだ。それでもな……」

「C国行く前に、BOOKER’Sブッカーズ片手に夜通し飲もうぜ」

「毎度、酒を飲ませておけばいいと考えてないか? ま、飲むがな」


 ――良い奴だよ、このミニチュアダックス。


 ばい菌持ち扱いされたのが、少し不満げなクロノスをなだめつつ、絵美の終業時間を待った。



・・・・・

・・・


 仕事を終えて着替えたあと、病院から絵美が出る。

 

 勤務先の病院から出た絵美の後をつける中東系? か東南系? アジア人男性二名を発見した。

 絵美の真横まで近づき、犯人が襲ってくる瞬間を待った。


 何故待ったかと言えば、犯行行為に及ぶ前に捕まえるのもなんかおかしいと思ったからだ。

 俺が絵美の横にいるんだ。

 奴らは何もできやしない。


 久しぶりに絵美の横に立つと、つい声をかけてしまいそうになる。

 もちろん以前と同じ気持ちではない。

 懐かしさから少しだけ話したい、そんな気持ちだった。


 真面目で、仕事熱心な彼女だった。

 今もきっと、毎日患者と向き合って頑張ってるに違いない。

 くるっとした可愛らしい瞳と、強い意志を感じさせる締まった口元が、以前と変わらない様子に安心を感じていた。


 少しだけ感傷的な疼きを胸に感じた。

 だが、それ以上の辛さとか悲しみは感じない。

 

 ――絵美のことを俺は幸せにはできなかった。……君のこれからの幸せを祈っているよ。俺には……それしかできないのが情け無い気もする。とにかく、俺の事情に巻き込むようなことのないよう気をつけるからな。


 人気の少ない路地に入ったところで、二人並んだ犯人が絵美の背後に近づいてきたのが目に入った。

 

「来るぞ」


 足下をトコトコ歩くミニチュアダックスクロノスが俺の注意を促す。


「ああ、判ってる」


 ――絵美が悪いわけじゃないんだけど、女性なんだからもう少し明るい道を選んでくれればいいのにな……。


 そんなことを考えながら、一歩近づいて、絵美に腕を伸ばそうとした男の顔面に右拳をねじ込む。

 グッと呻き声をあげて倒れる男の脇に滑り込み、その流れのまま、もう一人の男の腹に右足の回し蹴りをぶち込む。

 ゴホッと身体をくの字に折る男の首筋に手刀を落として気絶させる。

 先に殴った男に近づき、鳩尾みぞおちに一発めり込ませ、気を失わせた。


 見えない敵から、いきなり襲われたんだ。

 奴らは抵抗することもできない。

 だが、卑怯とは思わない。

 なにせ、気付かれないように絵美を襲おうとしたのは奴らだからな。


「さ、戻ろう。こいつらの始末は武田達に任せるさ」


 数瞬のこととは言え、呻き声や倒れた際の音はそれなりに大きかっただろう。

 だが、クロノスの力のおかげで、絵美は背後で何か起きたのか気付いていない。

 帰宅を急ぐ、淡いブルーの薄手のカーディガンが小刻みに揺れている。

  

 ――幸せにな……絵美……。

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