Alexei01-04


 エカテリーナ一世にちなんだ名を持つエカテリンブルク。

 そこに、『全ロシアに輝ける諸聖人の名による、血の上の大聖堂』はある。

 十字架が据えられた金の屋根を持つこの白い聖堂は、ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ二世一家を幽閉するための建物イパチェフ館の跡地に建造された。千九百十八年七月十七日深夜、ニコライ二世一家はイパチェフ館の地下で処刑される。

  

 アレクセイも、家族や従者とともに、十四歳を迎える一月前にこの場所で亡くなったのだ。


 俺とクロノス、そしてエリュニスは、処刑前日の千九百十八年七月十六日へ向かいアレクセイの説得を試みるつもりだ。女神のエリニュスが居るから、ネサレテとベアトリーチェは留守番。

 エリニュスの姿は、クロノスが側にいれば人にも見える。

 ちなみに今日は、白いブラウスに紺のタイトなスカートを履いた女教師風の格好でちっとエロい。


 負の感情を喰うエリニュスが居ると、アレクセイを説得する際にも便利だろうと考えた。

 恐れや悲しみ、怒りなどの感情を喰ってしまうから感情的にならず、冷静に話し合いができるだろう。


 血友病のために自身が長くは生きられないことを知り、早めの死すら望んだ十三歳の少年を連れてくるのは多分やさしくないだろう。翌日に家族と共に殺害されることなど知らないし、知ったなら家族も助けて欲しいと望むだろう。


 だから、このままなら明日処刑されることは伝えずに、アレクセイのみを救う。


 正直このことではまだ悩んでいる。


 アレクセイの父ニコライ二世は、血の日曜日事件を起こし、民衆から二~三千名の死者を出した人物だ。

 母のアレクサンドラ皇后も、政治を混乱させたラスプーチン重用の責任があるだろう。

 俺が救う対象には入らない。

 

 だがアレクセイの姉達は?

 

 オリガ・ニコラエヴナ皇女

 タチアナ・ニコラエヴナ皇女

 マリア・ニコラエヴナ皇女

 アナスタシア・ニコラエヴナ皇女

 

 彼女達には処刑されるほどの罪はないはずだ。


 もちろん民衆も含めて、罪なき被害者を全て救うことはできないのだから、対象者は絞らざるを得ないし、その覚悟は持っている。本来はありえないことをするのだし、所詮俺の趣味が動機なのだから、筋の通った理由など持ち合わせていない。

 この点は開き直るしかないんだ。


 だがやはり、助けられるのに助けないという状況には毎回強いストレスを感じる。


 アレクセイも元気になったら、駒姫同様に、せめて姉達だけは助けたいと思うようになるだろう。

 そして、その希望を俺は断ることはできないだろう。

 ならば……アレクセイを連れていく時に一緒に連れて行けば良いのではないか?


 だが……どうやって……。


「迷っておるのか?」


 ボーイッシュに整った顔で不思議そうにエリュニスが訊いてきた。

 最近、判ってきたのだが、ゼウスやへラだけでなく、人間の感情の変化を神々はおおよそ感じ取る。

 エリニュスも俺の感情に迷いがあるのを感じたのだろう。


「少しだけな」

駿介こいつは腹をくくるまでに時間がかかる。いつもこうだ。エリニュスもあまり気にするな」


 クロノスがエリニュスに伝えたことはその通りだ。

 割り切るまでに俺は時間がかかる。


「悩むのを悪いとは言わぬが、既に答えは出てるのではないのか? もしそうならば、その悩みはお前自身を正当化するためだけの行為にすぎん。人間にはままあることだが……そうだな……強くなれ」

「強く?」

「そうだ。正しいと判断できなくても、やらねばならないと決めたなら、実行に必要な覚悟を固めろ。誤っていると判断したなら、どのような時でも即座にやめられる潔さを身につけろ。他人の目を気にするな。お前の行動の善悪など自分自身以外に判断を委ねるな。そして結果の全てを受け止めろ」


 俺は英雄的な人間じゃない。

 他人の目はどうしても気になる小市民なんだ。


「……そうできればどんなにいいか」

「そこだ。おまえは弱さを自覚しているだろう? 実行前にその弱さに浸ってはいかん。迷いを抱えていようとも、弱い気持ちのまま決めてはいけない。強い自分で迷え。受け入れる覚悟をもって毅然と実行しろ」

「厳しいことを言うよな」

「そうではない。迷うのは良い。だが後悔に繋がることはするなということだ。後悔は、良い方向へ人の感情を連れて行くこともあるが、自身の過ちを隠し、他人を騙そうとする方向へも向かわせる。我の言うことが厳しいと感じているなら、それは甘えだから反省しろ」


 ああ、やっとエリニュスが伝えたいことが判った。

 後悔する生き方をしないよう激励してくれているのだ。


「……そうか、励ましてくれているのか。ありがとうよ。言う通りにできるよう気をつける」


 感謝を伝えられるのに慣れていないのか、ありがとうと言うと照れたように顔が少し赤くなった。

 そうか、エリニュスは復讐の女神だった。

 人の悪意には慣れていても好意には慣れていないのか。


 エロい女教師風の格好で照れるエリニュスを可愛い女神だなと感じた。

 

「じゃあ、行くか。エリニュスの言う通り、覚悟を決めてやれることをやるさ」


 「うむ」と呟いたクロノスが、俺達を過去へ連れて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る