僕は主人公である

 カタカタと小刻みに揺れる。地震か?と思って目を開いた。どうやらまた眠っていたようだ。ここはどこだと瞳だけを動かす。外の風景は見えないが、どうやら僕は馬車の中にいるらしい。


「それで、この男いかがいたしましょうか?」


 知らない男の声が聞こえる。事務的な喋り方にもかかわらず優しい声音だった。


「そもそもこいつは人間なのか?」

「それは……、私にも分かりかねます」


 誰の話をしているんだ?って多分僕のことだよな。失礼な奴らだな。僕は歴とした人間だ。食物連鎖の頂点に立つ人間様だ。

 そう。食物連鎖の頂点で、狼だって……。そう。僕は狼に食われた。足から始まって、腹を食われた。手を食われた。腕を食われた。鈍刀で強引に斬られるような、そんな感覚だった。牙が皮膚を貫く音に骨が砕ける音。血が吹きでる感覚に、肉が引き裂かれる感覚。何もかもが鮮明に思い起こされ、猛烈な吐き気を催す。吐いたら、起きていることがバレる。それは非常にまずいことのように思われた。必死に我慢をして努めて寝たふりを続ける。


「それで、この男の処遇をどうするおつもりですか?」

「死なないのなら臓器売買にちょうどいい。それか、死なない奴隷っていうのもいいな。捨てても良心が痛まない」


 おいおいおいおい。ちょっと待て。え?普通に解放してくれるとかじゃないの?なんでそんな暗い方向にばっかり考えてるの?この人たち。怖い怖い怖い怖い。裏世界の方々ですか。だいたい君たち僕が助けた貴族とその護衛でしょう?助けたのに恩義とか感じてないの?


「では、ほかの盗賊たちはいかがいたしましょうか」

「そいつらは、門兵にでも預けておけばいいだろう」

「かしこまりました」


 ちょっと待て。盗賊の方が罰が軽そうなんだけど。はっ。もしかして盗賊の一味だと思われた?いやいや、だとしてもほかの盗賊と分けられる意味は。意味はある。彼らは僕が死なないことを知っている。さっきからそれを前提として会話をしていたじゃないか。一体何を聞いていたんだ、僕は。


 しばらくして馬車が止まった。カタカタという揺れが収まると、時が止まったかのような静寂が訪れる。とても不気味な静けさだった。

 馬車の戸が開き、護衛然とした男が降りる。そして護衛然とした男は貴族然とした男が馬車を降りるのを手伝った。そして僕は護衛然とした男Bに背負われて馬車から降りた。しかし、どうしよう。奴隷にはなりたくないし、もちろん臓器を延々と売り続けるなんて真っ平御免だ。でも、ここまで来てしまうと逃げ道がない。おそらくここはもうすでに街の中だ。人の気配は感じないので裏通りなのだろう。もう、一か八かだ。これからきっと誰かに引き渡される。その瞬間を狙って逃げよう。道はわからないが、とにかく一つの方向に走れば必ず別のどこかには出るはずだ。それまではなるべく静かに。

 男たちは淡々と歩き続ける。五分ほど経った頃、奴隷商館の目の前にたどり着いた。なるほど、僕は奴隷になるのか。ほら、早く引き渡せよ。


「レイ様、こちらでお待ちください」

「早く済ませろよ」

「かしこまりました」


 僕を背負っている護衛然とした男Bはそう言ってから商館に入っていく。


「いつまで狸寝入りを続けるつもりだ?」


 思わず息を飲む。


「別に起きててまずいことはないでしょう。それで、どうしてお気づきに?」

「心臓の鼓動の変化だ。どんどん早くなっていっていた。気がつかなかったのか?」


 落ち着こうとしても、落ち着けないか。全くままならないな。死ぬことには失敗して、よくわからない世界に来て、よくわからない世界で死に続け、そして今、奴隷にされそうになっている。全く恐ろしい。


「それで?逃してくれるんですか?」

「いや。逃がさないよ。仕事だからね」


 そりゃあそうだ。本気で逃してくれるなんて思ってない。


「護衛さん」

「護衛さんって俺のことか?」

「それで護衛さん。この体勢ってとても無防備だとは思いませんか?」


 いま、僕は護衛におぶってもらっている。言い方を変えれば僕は護衛の背後を取っている。おんぶという体勢は下にいる人間が上にいる人間の足を支えることによって成り立つ。つまり護衛は僕をおぶっている限り手が使えないのだ。対して僕はというと両手が見事に空いている。こちらが優位な体勢である。


「そうは思わないな。だってこれは物語なんかじゃないんだぜ。だから、一対一なわけがない」


 ちくりという感触と体に何かが押し込まれる感覚を同時に感じた。その直後僕は眠気に襲われた。死に瀕するようなものではなく、もっとありふれた一般的な眠気である。そんなわけで僕は必死の抵抗もなしに眠りに落ちたのだった。


◆◆◆◆◆


「……ぁった。それで、いくらで買い取る?」

「そうですねぇ。まあ、ここは安定の定価でいきましょう。成人奴隷が100000ゴールドですから少し高く見積もって120000はいかがでしょう」


 しまった。貨幣単位が出てしまった。これでは貨幣価値を示さねばならなくなってしまったではないか。まあ、それはおいおいやればいいや。今は現状の把握こそが重要だ。して、それは簡単にできる。一言で端的に表せる。僕は奴隷になった。僕は身体を起こした。さっきと状況が変わった。こうして起きていても特に問題はない。奴隷が主人に逆らえないのであれば奴隷が何をしようと主人が気にかけることはない。僕は自分の身体をくまなくチェックした。右腕、肩のあたりに紋章が刻まれていた。刺青に近い。どうやらもう、温泉には入れないようだ。

 僕の目の前では僕の値段設定に対する争いが終わりに向かっていっている。まあ、そんなこと僕には関係ない。僕にその金が入ってくるわけではないんだし。

 それよりも、僕は逃げ出す算段を立てなければならない。何ができるかもわからないこの状態じゃあ、算段も何もないのだけれど。


「おい。お前の部屋に案内する。ついてこい」


 貴族様と話を終えたらしい。奴隷商は商館の奥へと進んでいく。辿り着いた先は部屋というより監獄といったほうがいいような場所だった。戸は格子になっていて外側から丸見えである。プライバシーも何もない。鍵は外側から南京錠によってかけられるらしい。入れられたら最後外からじゃないと開けられない。逃げられない。それなら、今しかない。僕は《収納》を使って剣を取り出した。どうやらスキルは封じられていないようだ。


「おいお前っ!何を」


 僕は自分の腕を切り落とした。肩からバッサリと。これで奴隷紋は消えただろう。血が吹き出てすぐに止まる。僕の《超回復》ってのはこういうものだ。僕はそのまま左手に握った剣で商人を斬りつけた。死なない程度に、手加減をして。奴隷になっても人殺しにはなりたくなかった。が、斬れなかった。気遣いが全く無駄だった。内側からの強烈な痛みが僕の行動を止めた。死に近い痛みだった。死を経験した僕がいうのだから間違いない。


「おお、不死身ってのは本当みたいだな」


 綺麗に治った腕を見て商人はそう言った。貴族のやつに聞いていたらしい。

 腕を見ると奴隷紋は綺麗さっぱり残っていた。どうやら奴隷紋は腕を切り落としたくらいじゃあなくならないらしい。いや、そうじゃない。僕の作戦は二段構えだった。腕を切り落としてなくなればそれでよし。それでもなくならなくも奴隷紋が傷だと判断されれば消えるはずだった。当てが外れて手錠をかけられた。檻も手錠も僕にはもうどうしようもない。こうなったら売れるまで素直に待つしかないかもしれない。


 さて、ここで一つ考えてみよう。この世界は一体なんなのだろうか。僕は自殺をしたことにより異世界と思しき世界に到着したわけだけれど、これが夢である可能性はないのか?あるいはこれは何かの物語の一部なのかもしれない。異世界転移なんてまさしく流行りものではないか。であるならば、こうして転移した僕は主人公であるはずだ。チートらしきものももらっている。それも破格の「死なない」というチートを。だとしたら、他にも僕には主人公特権が与えられているのではないだろうか。それは一般的にご都合主義と呼ばれるような。「ピンチに必ず仲間が助けに来る」や「絶体絶命の状況で打開策が思いつく」、「たまたま相手の攻撃がお守りに当たる」などなど、そんなことが起こってもいいはずだ。この状況なら、たまたま白波さんが通りかかる、とか。だから、僕はその主人公補正とやらを待つことにした。

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