終電には間に合わない

 とりあえず小走りに走ってみたけど、帰りの電車にはやっぱり間に合わなかった。

終電の行ってしまった駅は、シンと静まり返り、人影はない。

時刻表の電光掲示板も、もう消えてしまって、改札はシャッターが降りている。

周りは住宅街で灯りも少なく、駅前にはコンビニが1軒あるだけで、朝までいられる様なネカフェみたいな店は、近くには見当たらなかった。


しかたない。

タクシーで帰るか。

でも、うちまでタクシーなんか使ったら、料金がいくらかかるかわからない。

イベントでの売り上げがよかったといっても、最近調子に乗って、高いロリ服やらコスプレ服やらPhotoshopなんかを買って、お金使い過ぎてるし、次の新刊の印刷代とかもとっておかないといけないいし、もう無駄遣いはできない。

そう考え直して、ぼくは始発電車の時間を確認した。

まあ、始発で帰っても、バイトには充分間に合うだろう。

一旦家に帰って着替えたり、シャワーを浴びたりする余裕もありそうだ。


「ここで一晩明かして、始発で帰るか」


ひとりごちたが、そんなのは今の自分にとって、どうでもいい様な事だった。

終電を逃してしまい、始発まで待つしかないって事も、明日は朝いちでバイトが入ってるって事も、今度遅刻したら、森岡支配人の嫌味たっぷりの長ったらしい説教喰らうだろうって事も、今は問題じゃない。

そんな、日常の煩わしいできごとなんて、今は頭になかった。


頭の中で、ハーモニーが流れている。

こうして夜の静けさのなかにいると、さっきまでの出来事が、終わりのない『ボレロ』の様に、何度も何度もリフレインされてくる。

ぼくはそっと、自分の唇に触れてみた。

栞里ちゃんとのキスの余韻で、唇が熱い。

幸せすぎて、ふわふわとからだが宙に浮いてるみたいだ。

こうして目を閉じると、栞里ちゃんの微笑みやすました顔、華奢きゃしゃな手足や、下着姿の艶かしいからだのふくらみまで、まざまざと思い出せる。

抱きしめたとき、栞里ちゃんから伝わってきた感触とぬくもりが、甘くて美しい記憶になって溢れてきて、自然と頬がゆるんでくる。

栞里ちゃんから漂ってくる、ちょっと汗っぽい匂いさえも、いつまでも感じていたいほど甘酸っぱくて、悩ましげな香りとして思い出されて、ぼくを痺れさせる。

五感全部で、ぼくは栞里ちゃんを感じてる。


恋人、かぁ、、、、、、、、


恋をするって、素晴らしい。

その恋が叶うって、なんて幸せな事なんだろう。

全身が幸せなオーラに包まれてきて、心の底からホカホカとした、あったかな泉みたいなものが沸き上がってきて、すべてを受け入れたい気持ちになってくる。

こんな気持ちになったのは、生まれて初めての事だ。

でも、、、


ほんとにいいんだろうか?

こんなに幸せで、大丈夫なんだろうか?

幸せに馴染みのないデブでキモオタの自分は、すぐにネガティブな方向に考えが行ってしまう。


麗奈ちゃんの時みたいに、なにか落とし穴があって、あっという間にどん底まで落ちてしまうんじゃないだろうか?

栞里ちゃんのぼくへの気持ちは、今だけのほんの一瞬の気まぐれで、すぐに冷めてしまうんじゃないだろうか?

ぼくよりいい男なんていくらでもいるから、いつか栞里ちゃんもそんなヤツと出会って、その男の方を好きになってしまうんじゃないだろうか?


幸せの絶頂にいながらも、いつ、そこから転げ落ちるかわからない不安が、心のどこかに真っ黒な雨雲の様に渦巻いてる。

それもこれも、『彼女いない歴=年齢』のせい。

すっかり負け犬根性がしみついているからかもしれない。


「ぼくって、ほんっと、、、 ヘタレだなぁ…」


そう声に出してみた。

今はそんな事考えたって、どうしようもないじゃないか。

もっと、ポジティブに考えよう!

彼女がぼくの事どう思おうと、ぼくはずっと栞里ちゃんの味方で、ずっと彼女を好きでいればいい。


「ま、いいか。とりあえずやらなきゃいけない事、やるとするか」


気持ちを切り替えようと思って、ぼくはiPhoneを取り出し、ネットオークションのページを開いた。

今日終了したオークションの後処理を、早く済ませておかなきゃいけない。


出品してた服を、ぼくはひとつづつ、キャンセルしていった。

すでに落札されてるものが多く、それらには自動的に『悪い評価』が付いてしまうが、しかたない。

あれはもともと、栞里ちゃんに買ってあげた服だから、だれにも譲れない。

オークションの世界では信用を落としてしまう『悪い評価』よりも、栞里ちゃんのために買った服をだれかに手渡してしまう方が、今のぼくには辛いのだ。


そうこうしてると、iPhoneがメールの着信音を奏でた。


『しおりさんからフレンド承認されました』


画面にはそう表示されていた。


えっ?

栞里ちゃん、もうブログのフレンド、承認してくれたの?


『拒否る』って言ってた割に、こんなに早くOKしてくれるなんて!

嬉しくなって、ぼくはさっそく栞里ちゃんのブログにアクセスしてみた。


、、、あれ?


さっきまで髑髏ドクロやら十字架やらで、おどろおどろしかったブログのデザインが、クラシックな鍵やシャンデリア、ドアなんかが並んだアンティーク風の、ガーリーな可愛いデザインに変わってる。

ブログタイトルも『Death Jail』から『next stage』に変わってるし。

『チェンジ』という、一番新しい記事のタイトルを、ぼくはクリックした。




     2017-08-21 00:51

         ☆チェンジ


   今から気持ちをチェンジ。

   ブログのイメージもタイトルもチェンジ。

   新しい自分になって、新しい人生の第一歩を踏み出す。

   それができる気がする。




たった4行だったけど、希望に満ちて、新しい舞台に登る栞里ちゃんの表情が、目に浮かぶ様。

この記事は、全体公開だった。

って事は、そんな自分の新しい姿を、全世界の人に見せたいんだろう。

全体公開はまだこれひとつしかないけど、これから少しずつ増えてくんだろうな。


明かりの落ちた駅の隅のベンチに腰を降ろし、ぼくはそれより前の、『フレンド限定』の記事を読みはじめた。


つづく

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