epilogue
黄金の果樹
「……では、その果樹は、最果ての『黄金の林檎』ではなくて、フランスのアンズの果樹だったと?」
ミニュイは、皿に注がれたミルクをちびちび舐めながら、コンフェッティに尋ねた。
「ああ。ベスは最初、一度ディオニュソスのもとに戻って直談判しようと考えていたらしいんだが、扉に手をかける瞬間、うっかり、アンズのジャムを今年は作れないんだなぁと、考えたんだそうだ」
「あの方らしいですね……」
「まわり全員が呆気にとられる中、ベス一人が狂喜乱舞してた。サンジェルマンのおっさんの真っ青な顔はお前にも見せてやりたかったよ」
コンフェッティは、目の前にある、顔よりも大きなステーキ肉にナイフを入れる。
レアに焼かれたステーキからは薔薇のように紅い肉汁が滴り、表面の焼けた良い香りが胃袋を刺激している。口に含めば、ほどよい弾力が歯を跳ね返す。そのたびに、うまみの凝縮した肉汁がぎゅっと絞り出されて、口いっぱいに広がる。塩、胡椒の他に表面にさっと塗られたのは、醤油だろうか。シンプルなのに、肉の味わいを精緻に描き出している。
コンフェッティは、皿の端にそえられたディジョン・マスタードを肉片にたっぷりのせて、かぶりつく。酸味のきいたマスタードは、ステーキの味をマイルドに包み込み、先ほどとはまるで違った印象を与えてくれる。付け合わせの大量のフライドポテトも、このマスタードさえあれば、いくらでも食べられてしまいそうだった。
コンフェッティはギャルソンを呼びつけて3皿を追加注文すると、ミニュイの目の前にステーキ肉を一切れ置いた。
「さて、次は何を食いに行く? せっかくの休暇だ、思い切り楽しもうぜ!」
「『休暇』ではなくて『謹慎』ですよ!」
「休みには違いないだろ?」
「こんな不名誉極まりない状況で、よくそう悠長に構えていられますね。僕には到底無理です。祖母になんて言ったらいいか」
「言わなきゃいいじゃないか。便宜上の名前の違いなんか、気にするだけ損だ。だいたいこうなったのは、誰かの面子のためってことだろ? お前の大好きな『世のため、人のため』ってやつじゃないか」
「それは、そうかもしれませんが」
「ま、俺は興味ない。『自分のため』だけで十分だ」
ミニュイは、コンフェッティがそう言いながらも、ミディとミニュイを元に戻すために、あちこち掛け合ってくれたことを知っていた。
コンフェッティは料理をすべて平らげると、席を立って、ガラスケースの中のデザートを物色し、黄金色に輝く果実を気前よく敷き詰めたタルトを注文した。アンズのタルトだ。
甘酸っぱく、香り高いアンズをほおばると、たいていのことはどうでもよく感じられるほど、コンフェッティはこの果実が気に入った。そのまま食べるのはもちろん、タルトにしても、ジャムやコンポートにしても、少しも香りを損なわずに、その魅力をより引き立たせる。
「ディオ様の人間界ライヴ、うまくいきましたかね」
「勝利の女神と天使長が最前列に構えてりゃ、失敗しようがないだろうな」
「アニスさんのご招待、断っちゃって良かったんですか? もったいない」
「お前……考えても見ろ、ニケとミカエルに挟まれてたら、楽しめるもんも楽しめねぇよ。アニスのことだ、何仕込んでるかわかったもんじゃないしな」
「ああ、ミカエル様も、アニスさんにボコボコにされたそうですね。ミカエル様から伺いました。そういえば、ミカエル様の件でお礼がしたいからぜひルーアンにお越しくださいと、ジャンヌ様から」
ミニュイが、手紙を取り出す。コンフェッティは指先でもてあそぶと、封も切らずに突き返す。
「お礼ってのにも、いろいろあるからな。お前、いい加減に学べよ」
あんずのタルトの最後の一口を頬張って、コンフェッティは、胸元から取り出した手帳に、料理の名前をメモする。
「今夜、ベスが家に来るそうだ」
「えっ? またですか?」
「別レシピのアンズのジャムが出来上がったらしい。いくつか分けてくれるそうだ」
コンフェッティの頬が、だらしなくとろける。
「毒味役ですか。振られたのに、仲がいいですね」
「ジャムには振られてないからな」
「今度こそ、一晩で何瓶も空けるのはやめてくださいよ」
「ふん。糖分は、大事だぞ」
ミニュイの言葉には返事をせず、コンフェッティはギャルソンに、あんずのタルトをありったけと、エスプレッソをポットで注文した。
(fin)
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