サンジェルマンの取引

 コンフェッティは、短く荒い息をはきながら、迷路のような旧市街を走り抜ける。三階建て、四階建ての建物に挟まれた路地は走りづらい。少しでも踏み出す方向を間違えたら、簡単に壁にぶつかってしまいそうだった。

 二手に別れようと走り去ったミニュイの無事を案じながら、コンフェッティは路地をめちゃくちゃに走り回った。どこへ向かっているのかも、もはやわからない。とにかく逃げる、ということ以外に、何も思いつかない。

 振り返る余裕などない。荒い息と一緒に口から飛び出してしまうのではと心配になるくらい、心臓が飛び跳ねる。息が苦しい。肺に酸素が入ってこないようにさえ思える。

 路地の先は、階段に姿を変えた。石の階段は真ん中がすり減っていて、バランスを崩しそうになる。


 一気に駆け下りると、目の前に、要塞美術館が姿を表した。

 暗闇の中で、牧神パンの姿が、黒真珠のように艶めいて見えた。その下でミニュイが、ゆっくりと銀色に光っては消えている。


 コンフェッティが横に並んだのを確認して、ミニュイは力を蓄えはじめた。

「無事でよかったです。早いこと扉を直して、そこへ飛び込みましょう」

 激しく肩を上下させたコンフェッティは、頷いて、ペンを鼻先に構えた。


 コンフェッティが決まり句の奏上に合わせて、モザイク画の上を描くように動かす。ミニュイが銀色に光り魔力をほとばしらせると、モザイク画は銀のヴェールをまとったように光り、その奥に風景が透けて見える。さらにミニュイが光を注ぎ込むと、その表面が陽炎のように揺らめいて蒸気があがった。

 あたりに満ちる穏やかな花の香は、最果てと扉がつなぎあわされた証だ。


「ふうん、『仕事』はまともにできるのね」

 背後に響く声にコンフェッティが振り向くと、白猫が佇んでいた。


 白猫は爪をハイヒールのように打ちならし、コンフェッティたちの隣で顔のアップのようなモザイク画に前足を当てると、呪文のような言葉を口の中で素早く唱えた。

 触れている前足の先に、青紫の光がぼうっと浮かび上がる。

 青紫の光はモザイク画の内部に徐々に広がり、石の中で渦を巻いてゆっくりと動いている。ガラス越しに水中の生き物を見るのはこんな感じだろうかとコンフェッティは思った。


 白猫が、その中に前足をゆっくりと押し入れた。前足を飲み込んだ石の周りに、波紋が広がる。ミニュイは目の前で繰り広げられる高度な魔法に息をのんだ。白猫は、石の中をまさぐり、中で動いている光の渦を掴むと、思い切り引き出した。光は石の中から空に踊り出て、リボンのような、文字の連なりになっていく。

「詩だ……!」

 ミニュイが思わず声をもらすと、白猫がこちらをちらりとも見ずにぴしゃりと叱る。

「静かにおし、駄犬」

 白猫は、石から取り出した詩を尻尾に器用に巻き付け、一字ずつ手に持った緑色の石に押し込んでいく。

 ここから逃げ出さなくては、という理性と、滅多に目にすることのできない高度な魔法への好奇心とがせめぎあい、ミニュイとコンフェッティはその場に立ち尽くした。


 白猫が最後の文字を石に詰め終えると同時に、地響きが聞こえだした。

 獣の呻き声のようだ。足元が震動しはじめ、次第に波打つように振動が強くなる。

 白猫の足元から闇がかげろうのように立ち上るのが見えた。かげろうはたちまち重なりあい、大きな塊となっていく。ゆらめきながらふくれあがった塊の中心に、三つの赤い光がともった。


 白猫は、あごでくいっとコンフェッティたちを示した。

 コンフェッティは、赤い目らしきものと一瞬、目があったと感じた。


 次の瞬間、コンフェッティとミニュイは、大きな塊がはき出した金色の鎖のようなものに頭のてっぺんから足首までぐるぐる巻きにされていた。

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