壁画

 突拍子もなく現れたその建物に、コンフェッティは興味をひかれた。


 道の途中に突っ立てられた案内板によれば、ここ国際大学都市とは学生寮の集合体なのだそうだ。パリ市内の大学や研究機関などに通う各国からの留学生や研究者たちが利用することのできる、国際色豊かな宿舎の群れ。


 七階建てのその建物の入り口には石灯篭が佇み、周囲にはオリエンタルな雰囲気の庭園が広がるここは、コンフェッティが感じた通り、日本館に違いなかった。


 興味をそそられ、中に入ってみると、正面に金に彩られた壁画が目に入った。


 コンフェッティの目を釘付けにしたのは、金色の地に浮かび上がる馬の絵だった。躍動感あふれた姿で描かれた馬や犬たち。

 とりわけ、中央の二頭の馬は見事だ。白馬と栗色の馬が、互いを両の目で見据えている。威嚇なのか牽制なのか、少なくともそこから伝わってくるのは、愛だの友情だのと、あたたかさを伴う感情ではない。もっと緊張感を伴い、予断を許さないような、張り詰めた何か――、駿馬の瞳に宿る光がそう感じさせた。

 小さなパネルには、館内にもうひとつ、壁画があると示されていた。コンフェッティは好奇心から矢印に沿い、大サロンへと足を向けた。

 馬の絵から伝わってくる緊張感に、興味をそそられた。


 もうひとつの作品は人物が描かれていた。

 中央にはやはり二人の、見つめ合う人物。ただしこちらは、美しい裸婦であり、その瞳に宿る光は、馬の絵とは違い、希望や期待、友好的なものに違いない。金髪の女性と、黒髪の女性は、やや緊張した面持ちで互いに視線を向けている。

 金箔を張り巡らされた情景に浮かぶ群像の中、コンフェッティはひとりの女性像から目をそらせなくなった。赤いドレスをまとった、黒髪に緑色の瞳が印象的な女性は、膝には白猫を載せている。

 コンフェッティは、背筋に緊張が這い上がってくるのを感じながら、絵の中の美女と見つめあった。その瞳は、昔と変わらず、コンフェッティの内面までも見透かしたように、ただ静かに微笑みを称えている。

 サインなど、確認しなくても、それがあの「レオさん」の作であると、コンフェッティにはわかった。そしてこの人はおそらく、マドレーヌ・アドレと称する女性であることも。


 だが、姉に似た絵は、姉の声色で、昔と同じように語り掛けてくるように感じる。

――なぜあなたには、このくらいのことがわからないのかしら、リュドヴィック?

 ちくり、と胸の奥に刺さった棘が痛む。

 コンフェッティは体の奥からせり上がってくる重苦しい何かを、ようやくのことで押しとどめて、建物を後にした。


 ポケットに両手を突っ込むと、指先に熱いものが触れた。

 握りしめてみると、固い。水晶だ。ミニュイの入った水晶柱が、ぬるま湯につけたみたいに、温かくなっている。コンフェッティの手のぬくもりというわけではない。むしろ今まで、どれほど温めようと握りしめても、温度が伝わるどころか、水晶は氷のように冷たい温度を保ち続けていた。


 変化、であろうことは、コンフェッティにもわかる。だがこれが示すものが、喜ばしい変化なのか、憂いにつながるのかは、皆目検討がつかない。


 コンフェッティはもう一度、掌にぎゅっと握りしめて、誰にともなく呟いた。

 レオさんから教わった、とっておきの格言を。

「腹が減っては、戦はできぬ。か」


 朝からなにも与えられていないコンフェッティの腹が、それにこたえるように、切なく鳴き声を上げた。

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