姉のこと


コンフェッティは、朝早くに目覚めた。

こんな日は、あのジャムに限る。そう思って、コンフェッティは、パリについたあの朝、訪れたカフェに足を向けた。

「ジャムが……ないだって?」

 ギャルソンはつんと上を向いた鼻先を少しも下げずに、コンフェッティの問いにただ頷いた。

「残念ながらムシュー、あのジャムはなかなか手に入らない逸品でして」

 だからこそここに食べにきたのだ、と食い下がるコンフェッティに、ギャルソンは無情にノンと繰り返した。

「景気づけておきたかったのに、出鼻をくじかれちまった」

 モンスーリ公園には朝の光が満ちているのに。

 朝をよい気持ちで迎えられなかったことが、自分の思惑通りにことが進まないことが、コンフェッティの機嫌を損ねていく。コンフェッティは席を立って、そのまま店を出て、道路を渡った。

 看板には、国際大学都市、と書かれている。特徴的な建物がやたらと林立するその地区に興味を惹かれて、コンフェッティはコートのポケットに手を突っ込んで、歩き出した。歩くことは思索を深めるというが、本当だと感じつつ、コンフェッティは足を進める。


 夕べ得た情報では、白い猫はサンジェルマンの飼い猫のようだ。ガーゴイルが南仏で見たという猫と同じだろう。

 だが、サンジェルマンに関しても、猫に関しても、ミニュイを狙う理由が見当たらない。仕事の妨害が目的なのだとすれば、魔力を封じるのは確かに有効な手段だ。しかし、サンジェルマンの動きにしても、扉番に恨みがあるような情報はなんら見つからず、むしろ扉の開き手となりそうな若き芸術家たちを支援する立場にあったらしい。まるで辻褄が合わない。


 そして、姉かと感じた黒髪に緑の瞳の女の名は、マドレーヌ・アドレといった。別人だ。コンフェッティは、マドレーヌ嬢が失踪した姉ではないことに落胆し、同時に安堵もしていた。


 姉、アニス・マドレーヌ・コンフェッティは、その美しさだけでなく、冴えわたる魔法の才能から、コンフェッティの栄光と称えられ、かつてないほどの好成績をおさめ、国立魔法学院を首席卒業した。コンフェッティがまだ、幼い頃のことだ。

 いくつもの国家機関のほか、あまたの企業だけでなく、君臨する神々のオフィスからも、オファーがあったという。姉を確保せんと、高待遇はもちろん、美男子だけで固めた部署を作った企業があるとか、様々な噂が流れた。

 美しく、強く、気高い姉は、コンフェッティには畏怖どころか恐怖の対象だった。

 姉が家ではどれだけ非道だったか、知るものはいない。

 両親でさえも、「弟と遊んでやり、面倒をよく見る優しい姉」という認識だった。たとえその遊びが、魔力伸長訓練と名付けられた逆さ吊りや、追いかけっこと称された肉食魔獣の檻に放り込まれること、食育という呼び名で、生のマンドラゴラを口いっぱい詰め込まれることであっても。

 幼き日のコンフェッティにとって、姉は、恐怖の大魔王でしかなかった。


 だから、その姉が失踪したと聞かされた時、驚きと寂しさの中に、安堵と開放感が入り混じった。これでもう、あの過酷な日々から解放されるのだと思うと、周囲がどんなに泣き暮れようとも、幼いコンフェッティは、晴れやかな気持ちになったものだ。


 失踪後の姉の噂もまた、ヴァリエーションに富んでいた。

 ある神と道ならぬ恋に落ちて逃避行している、というような、ロマンスを孕んだ美談の他に、魔界を統べる神ハデスの側近になったとか、冥府の女王ヘカテーの後継者として修業を積んでいるとか、ある種の恐ろしさを持って語られる噂もあり、姉の本性を知るコンフェッティはどちらかというと後者に親近感を覚えた。


 コンフェッティは、背の高い木々に囲まれた並木道を進みながら、建築基準が厳密に決まっているパリにしては珍しく、さまざまな建築様式が乱立しているのに気づいた。見渡せば、まるでテーマパークのように、それぞれの建物が個性を主張しあっている。

 中でもひときわ異彩を放っているのが、瓦屋根をいただいた、白亜の城。あれは、日本の城郭建築ではなかったか――。

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