秘密のサロン・ダンフェール

 夜空に浮かび上がるパンテオンは、訪れる人を選ぶような、冷たい空気をまとっていた。

 闇に紛れ、進入禁止のロープをくぐったコンフェッティは、地下へと伸びるらせん階段へ急ぐ。ひんやりと湿った空気が漂う先には、フランスの偉人たちが祀られる霊廟が、静寂の中に広がっている。


 コンフェッティはペンを取り出し、指先で弾いた。

 ペン先に光に灯った光は、回廊と、その両側に左右対称に区切られたいくつもの空間を照らし出す。覗きこむと大きめのドアひとつの空間に、場合によっては銅像が飾られているが、凝った作りの棺が置かれている。

 この中に、最果ての住人たちが集う、秘密のサロンがあるのだという。


 水晶の中にたたずむミニュイを見つけたとき、コンフェッティは状況が飲み込めなかった。第一ここは人間界で、こんなことは起こるはずのない事態、としか考えつかなかった。

 ニケへ報告するのが筋だろうが、留守中に起こった手前、事情がわからないことを理由に、調査を優先、報告は先送りにしようと考えた。いずれにしても、盛大な嫌味で応酬されるのは目に見えている。端的に言えば、その回数を極力減らそうと考えた。


 墓銘を確かめてから、コンフェッティは、ガーゴイルから聞いたとおり、控えめに棺を6回ノックした。普段は誰の墓だかしれないが、墓銘がゴテゴテした飾り文字で「この扉をくぐるものは一切の希望を捨てよ」と、地獄入り口の門と同じ言葉に変わっている。

 この文言がサロン・ダンフェールの目印らしい。

 《地獄の茶の間》などという恐ろしい名に、身を固くして反応を待っていると、ほどなく棺が開き、土人形がうつろな目で手招きした。身を屈めて一歩足を踏み入れたコンフェッティは、細い階段を下りるごとに濃くなるスパイスが混じり合ったエキゾチックな香りに包み込まれた。


 入り口の墓碑の大きさからは想像もつかないほど、中の空間は広く、ひどく現代的だった。赤や紫、青にくるくると変わる照明、光の粒を投げかけるミラーボール、つりさげられた数々のフラッグ。そして、色とりどりの酒を手にはしゃぐ最果ての住人達。


 棺のつながる先は奇妙な空間で、人間界でもなければ、最果てのどこかでもないようだ。まるでポケットのような、宙ぶらりんになった空間に思える。

 こんな扉の存在は聞いたことがないと思いながら、コンフェッティは、あたりをせわしなく見回しながら奥へと進んだ。


 ふと、ターンテーブルの横に陣取ったひげ面の男に、目がとまる。

どこからか漂ってきたシナモンの香りに、コンフェッティは近代人間界史の教科書を思い返した。たしか、あの男は、ヴァイオリンの名手・パガニーニといったはずだ。その向こうには、新しい扉を開いた人間として、最果てでは名の知れた画家・ダリが見える。


 彼らは揃いも揃って、この馬鹿騒ぎを満喫しているようで、パガニーニが、スクラッチされるテクノと競うように超絶技巧でヴァイオリンを弾いているかと思えば、ダリが自慢の髭を伸び縮みさせて自画像を描いている。その様子を、腹を抱えて笑っている小男はたしかナポレオンというのではないか。

 人の波をかき分けて奥に進んでいくコンフェッティの前に、小さな人影が飛び出した。


「こんばんは、初めてお会いしますね」

 肩で切りそろえた栗色のボブヘアの、笑顔がさわやかな少女だ。刺繍が施された白いリネンのシャツと、黒い革のパンツに、ミリタリーブーツを合わせたマニッシュな装いの華奢な体から細く長い手足が伸びている。見たところ、15、6だろう。少なくとも、この変わった集団の中では、まともな部類に見える。


「パリへはご観光ですか?」

「いや、仕事で」

「どんなお仕事?」

「今は美術館めぐりばかりだ」

「美を愛でるとは素敵なお仕事ですね」

 コンフェッティは、否定も肯定もせずに、笑みを返した。少女の方も、それ以上聞いてこないところを見ると、さして興味はないと見える。


「ところでマドモアゼル、ここに鉱石に詳しい方はいるか?」少女の目が輝いた。

「宝石商ですか? それとも武器の方? 武器に適した鉱石をお探しになっていらっしゃるのでしたら、天降石で作った剣の切れ味が抜群でおすすめですよ。ああ、残念、戦友ジルがいれば、ご一緒に楽しい話ができますのに。申し遅れました、私のことはジャンヌとお呼びください」

 ジャンヌと名乗った少女は頬を薔薇色に上気させて、様々な鉱物を剣にした場合について語りだした。コンフェッティはそれを途中で遮る。


「いえ、できれば鉱物の、成り立ちとか、性質とか。鉱物学というのかな」

 ジャンヌの目から、ふっと光が消える。

「それなら錬金術師ですね。残念ですが、最近はフラメルさんもパラケルススさんもお見えにならなくて。サンジェルマンさんもここのところご無沙汰ですし。そうだ、あの方ならわかるかもしれません」


 ジャンヌはこのサロンのホストを探し始めた。

 視線の先にコンフェッティが目をやると、金糸を織り込んだ厚地のローブをまとった後姿がある。

 ジャンヌの呼びかけに振り返ったその人物に、コンフェッティは目を疑った。

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