第26話 王と赤ん坊

 少女は木いちごを摘んだり、湖に足を浸けたりして、時間を過ごす。そうしているうちに、空が紅く染まり、そして、星が瞬き始めた。

 一番星みつけた、と少女が天空を指すと、魔王もつられて空を見る。

 夏とはいえ、日が暮れてしまうと肌寒い。そろそろ帰ろうか、と、少女は持ってきたバスケットを持ち上げ、魔王とともに帰路に着いた。


「久しぶりに外に出たから、はしゃいじゃったわ」


 地下道を通りながら、一日の余韻を残した声と表情で少女がくすくす笑う。 

 来たときと同じように魔王が少女を先導する。

 地下にたち、居間を通らず、少女の部屋の前まで送り届けた。

 少女がふたたび口を開く。


「ありがとう」


 魔王も泥のような目を細め、ほほ笑んだ。


「どういたしまして」


 それが、心からの笑みかは少女には分からない。

 そうであればいいのに、少女は思う。

 いつもとは違い、外に出たからだろうか。なんだか、そのまま部屋に入ってしまうのは惜しいような気がしたのだった。

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 遠い遠い昔のはなし。

 ある人間の国を治めていたのは、人間の王だった。

 王はとても奇妙な人間だった。本に書いてあることならばどんなことも知っているほどの物知りで、そして国一番の剣の使い手だった。だから、王は大臣の仕事も、騎士団をまとめあげる仕事も、たくさんこなしていた。

 とても優れた王だったけれど、彼にはたった一つの欠点があった。

 彼はとても、飢えていた。

 なにかを知りたいという欲にとりつかれていたのだ。それは、底のつきない知識欲だった。

 本をたくさん読んで、人とたくさんであっても、まだまだ足りない。

 ある日、王は考え込んでいた。

 人間を人間たらしめるのは、なんだろうか、と。

 三日三晩考え込んで、そして、思いついた。

 もし、赤ん坊に話しかけられる機会も、だれかにあやされる経験も、ほほ笑みかけられる経験さえなければ。何の経験もない人間が存在したとしたら。

 それこそが、人間がもっとも人間らしい形なんじゃないだろうか。

 それは、すごく理にかなった発想のように思えたのだった。

 王はさっそく、国中の捨てられた新生児たちをある一室に集めた。それぞれを、ゆりかごに寝かせ、そこの使用人には最低限の世話だけをさせた。もちろん、必要な栄養は与えているし、太陽光だって自然な程度に浴びさせている。大きな天窓からはやさしく陽の光がそそぎこんでいた。充分、生きていける環境だ。ずらりと並ぶ赤ん坊。なかなかの壮観だった。

 そこでは、使用人はけして余計なことをしないように、厳しく見張られていた。

 おかげで、赤ん坊になにかをしようと思う違反者はいなかった。

 さてさて、どんな結果になるだろう。

 王はわくわくした。

 サルのような野蛮な人間だろうか。それとも人間というのは生まれながらにして文化をもっているのだろうか。はたして、言葉はしゃべるのだろうか。だとしたら、どの国の言葉で?

 しかし、思惑は予想とは違うほうに向かう。

 最初はことあるごとに泣きわめいていた子供達は、次第に自分が泣いてもどうにもならないと学習したのか、無数の赤ん坊がいるというのに、その広い部屋は沈黙に静まり返った。

 おもちゃを差し出しても、関心すら示さない赤ん坊。

 それは、もはや人間ではなく、生の宿らない抜け殻のようだ。

 そして。

 さらに時がたつと。

 赤ん坊は生きることを諦めたのか、つぎつぎとその命を散らしていった。自分が見当違いのことをしたと悟った王が、あわてて対応をかえたが、もう、遅い。

 一説によると、二百人とも三百人いたともいわれる赤子は、誰一人として歩けるようにならなかったという。そうなる前に死んだからだ。

 その出来事は、王に重大な発見をもたらした。

 それは、子供は必要最低限の世話以外で他者との関わりをもたないと死んでいく、ということだ。それこそを、愛とよぶのかもしれない。多大な犠牲とひきかえに、そんな分かりきったような結果がのこった。

 王は、赤ん坊を殺すなんて惨いことはしたけれども、良心がかけていたわけではなかったらしい。その出来事をきっかけに心を闇に食われ、それ以上その研究はすすまなかったそうだ。




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 それから遥かに時を経た、ある学校の、ある教室で。

 教師が悲しい話ですね、と言葉を締めくくった。生徒達はそれぞれ神妙なカオをしてなにかを考え込んでいたが、ふと窓際に座っていた学生が手をあげる。


「せんせい! おれ、しょっちゅう親に叱られるんだ」


 とつぜん何をいいだすのか、と教師は瞠目する。

 オマエがイタズラばっかするからだろ、他の子供のヤジが飛ぶ。最初に手をあげた生徒はきまり悪そうに、鼻の下をこすると話を続けた。


「そりゃ、おれが悪いことばっかしてるからだけど…。でも母さんにしかられ続けているおれが、こうして生きているのって、それも、小さい頃かあさんがおれの面倒をみてくれたからってことだよな」


 その発言にはっと他の生徒達がなにかに気付いた様子だった。それぞれになにかしら思うところがあるのだろう。

 教師は鷹揚に頷くと、教室の奥にまで聞こえるように、はっきりとした口調で語りかけた。


「ええ、そうですよ。よく気がつきましたね、ジョハン。ジョハンだけじゃありません。ここにいるみんな、いいえ、先生もふくめた人間はみな、赤ん坊の頃に愛を受けてきたから、いまこうしてここにいるんですよ」

「だよな、かあさん!」


 その言葉にジョハンはうれしそうに頷いて、浮かせていた腰を下ろす。


「かあさんと呼ぶのはよしなさいと言っているでしょう」


 教師は、一瞬だけ母親の顔をみせて、ジョハンに注意をする。

 しかし、すぐさま、教師に戻ると、さあ、ほかの人も感想をのべてください、と生徒達をうながした。

 その言葉を受けて、まだ幼い女の子は教室の片隅で、自分がどう思ったか、を形にするために、頭の中で整理をはじめて、挙手をした。

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