第25話 魔王と家族

「え、ここを本当に通るの?」


 怪訝な声で問うのは少女だ。

 それに対して魔王がさっさとしろとばかりに急かす。


「だから、そう言っているだろう。はやく行きなよ」


 二人の前にあるのは、どこに続くともしれない薄暗い通路だ。背丈は充分にあるが、横幅は大分せまい。人一人がやっと通れるくらいだろう。ワイナリーの奥に隠れるようにしてほっそりと、それは存在していた。

 少女は手持ちの小さなランプを持ってきてはいたものの、それが照らすのは身の周辺のわずかのみで、とうてい、通路の先までは見渡せない。


「…先に行ってくれない?」


 少女は魔王の背中を押す。

 魔王は渋ることもなく、歩を進めた。

 少女はバスケットをきゅっと握りしめ、後につづいた。

 コツコツ、と靴が床にあたる音だけがしばらく続く。

 むき出しの通路というよりは洞窟のような壁を見て、こんなところあったのね、と息を吐く。

 途中からは、敷いてあった木の板すらなくなり、小石まじりのならされた地面に変わった。


「城からでてもだいじょうぶなの?」


 少女が問う。


「ここも、これから行くところも城の一部とされているんだ。結界内だよ」


 返ってきた答えはあっさりしたものだった。ほうほう、と頷く。

 しばらくして、あのね、と口を開く。


「小さい頃ね、弟たちと屑板でトンネルみたいなものを作って、ふしぎな洞窟で冒険するっていうおままごとをやったの」


 それを思い出すわ、とひそやかに笑う少女。

 少女の位置からは見えなかったが、微妙な空気の振動で、魔王もまた、笑みを浮かべたのがわかった。

 やがて、ひんやりとした空気が流れ始めたと思ったら、遠くのほうに光が見えた。




 鳥のさえずる声が聞こえ、それが激しくなった。

 着いたのは、小さな湖だった。

 水深が深いのか、それが水にふしぎな色合いを帯びさせている。清潔なみずのようで、しきりに鳥が水辺によっては水浴びをしていた。

 少女も魔王も歩みを止める。


「…口が開いているよ」


 少女は、見蕩れていたことに気がつき、はっと口を閉じた。


「綺麗なところね」


 少女が大きく伸びをした。


「ここの水と同じものが城にも引かれているんだ」


 魔王の言葉に水辺に近より、バスケットを落とさないように抱えながら、器用に手で水をすくってみる。ひんやりとした水が、歩いているうちにすこし火照った少女の手にきもちよく染みた。

 湖の周りには木々が生えていて、まるで小さな楽園のようだ。魔王城の周りの殺伐とした様子とはまるで違う。


「…こんなところあったのね」

「僕も来たのは初めてだ」

「そんなに遠くないのに?」

「そうだね。…でも、いいところだ」


 魔王は目を細めると、手をかざして木漏れ日の隙間から太陽を見つめた。

 少女は抱えたバスケットを木の根元に下ろすと、いそいそと中から持ってきたものを広げる。その中身を見た魔王が呆れた顔をした。


「きみは、こんなところまで食べ物をもってきたのかい?」

「そうよ。食べましょう。ちょうどお昼だもの」


 魔王は何を言うでもなく、少女の隣に腰を下ろす。そして、渡されたサンドイッチを口に入れた。


「これはなに?」

「城にあった魚の缶詰をいれてみたの。卵であえてみたんだけど、どうかしら?」

「魚と卵の味がする」

「…あら、あそこ、木いちごがなってる。あとで、摘みましょうよ」


 こうして、昼過ぎの時間は穏やかに、そして緩やかに流れていった。


 


✳︎

「君には弟がいるんだろう?」


 寝転んだ少女に魔王が言う。少女はうつぶせになりながら、魔王は木にもたれながら湖を眺めていた。湖は太陽光を受けて、きらきらと輝いている。時折、小魚が湖面をはねた。


「うん、そうよ。ふたりね。すっごくやんちゃなの。あなたの家族は?」


 そういえば、家族の話なんて聞いたことがなかったな、と少女は気がついた。聞いてはいけないなんて雰囲気はなかったが、自然とその話題になったことはなかったのだ。


「さあ、考えたこともなかったな。あんまり、興味がなかったから」


 案の定、予想外のことを言う魔王。

 もはや、想定外のことを言うのが、予想の範疇内になっている。


「木の股から生まれてきたワケでもないでしょう?」

「どうだろうね、君たちはそうやって産まれて来るのかい?」

「そういう伝説は伝わっているわ。でも、そうじゃない伝説も伝わっているわ。私たちは移り気だから、その時の気分で話を変えてしまうの」


 ふふん、と少女はわらった。


「僕は、どうだったんだろうな…ああ、そういえば、小さな村の記憶があるぞ」


 記憶を辿っているようだ。

 少女がごろりと寝返りをうちながら、魔王に聞く。木漏れ日が赤毛をやさしく照らし出した。


「どんなところだったの?」

「貧しい村だったんだ。仕方ないね、魔力をほとんど持たない者ばかりだったから」


 一つの記憶が出てきたことで、連鎖的にでてきたようだ。


「僕はその中でもとりわけ力がなかった。だから、親からはそんなに好かれていなかったようだ。他の兄弟と比べられていたのかな? そうそう、僕にも弟がいたんだ。そっくりなのがね、はじめは僕らは平等にかわいがられていたはずだ」


 少女は魔王のあまりにもあっけらかんとした様子に呆れて絶句した。


「けど、いつの間にか、納屋が僕の居場所になっていた。そこだと、よく聞こえるんだ。食卓を囲む家族の笑い声が」

「悲しかった?」

「そうでもないよ。もしかしたら、その時はそうじゃなかったのかもしれないけど、いま思い出しても辛いということはない」

「そう」


 少女は思い浮かべてみた。

 今より、ずっと背丈の小さい、幼い魔王。その時の魔王は、まだ魔王じゃなかった。だとしたら、どんな子供だったのだろう?

 笑っている顔、というのは、ほほ笑んだり、皮肉をこめたり、と色々あるが、少女には魔王がそんな風に笑うのはともかく、思い切り笑っている姿をたとえ若いときであれ、想像することができなかった。そもそも魔王が感情に身を任せてることなどあるのだろうか?


「だからね、売られた」


 少女の視線の先で、魔王がそよ風にあたりながら、軽く目をとじていた。また、寝ちゃうんじゃないだろうか、と少し心配になる。


「その後、僕の魔力が急に成長してから、城に登るまで、そんなに時間はかからなかった」

「……」


 少女は、なんて声をかけていいのか分からなかった。

 ひどい家族、とは思うのだが、そう簡単にいってしまっていいのか、わからない。魔王は、まるで、なにも気にしていないようだ。


「すごい人生ね」


 だから、少女はとりあえずそう絞り出した。


「まあね」


 魔王はほほ笑む。

 少なくとも、外れではなかったようだった。

 少女はいつかのように、質問を繰り出した。


「あなた、人生の中で何かに哀しんだ事がある?」

「さあ、分からないな」

「楽しかった、ことは?」

「…どうだろう。少なくとも、君がここにいると、退屈じゃない」

「そう」


 ため息をつく。


「そのため息は、どういう意味なんだい」

「なんでもないわ」

「ふうん?」


 …以前は、人を愛したことは?と聞いたのだったか。

 城の庭で食事をした、そう昔ではない、やっぱり、いつかのお昼。


「じゃあ、誰かに愛されたいと願ったことは?」

「分からない。そもそも、そんな事、考えた事がなかった」


 魔王は、なんでそんな質問をするのか分からない、といった風に首をかしげた。


「だって、それは、僕以外の人の権利で、僕はそこにはふくまれないような気がしたんだ」


 少女にとって、魔王は信じられないくらいにからっぽだ。

 あたまは、いいのかもしれないけれど。

 自分だって中身のある人間かどうかなんて分からないけど、少なくとも魔王よりは満たされているような気はしたのだ。だから、どうだというわけではないけれど。

 少女は肺の中身をすべて押し出す勢いで、空気をだしきった。


「勇者は、みんなのことは救ったのに、あなたの事は救ってはくれなかったのね」


 そりゃそうさ、と魔王は楽しげに笑った。

 湖面が小さく波打つ。


「僕は魔王だもの」

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