第19話 勇者訪問

 ここに寝かせておいて問題はないものか。

魔王の寝床はないし、少女の部屋では魔王を担いで階段は登れない。

 迷った挙げ句、少女はごていねいに、外のハンモックまで運んでやった。天気は晴れているし、雨はふらないだろう。一応、かぜをひかないように毛布をかぶせておいた。かぜなんてひかないだろうが、一応。


「ふん、だ」


 手をはたいて、口を尖らせる。

 重くて、一瞬、ひっぱたいてやりたくなってしまったことは内緒だ。



✳︎

 汗まみれになって、居間に戻り、中庭に続く階段で、へとへとと座り込んで一息つこうとしたとき、来客はやってきた。

 それは、まるでネコのように静かに、そして唐突に現れた。

 少女が瞬きをするような、そんな一瞬のできごとだ。あまりにも自然にいたせいで、彼がいつ現れたのかすら分からなかった。

 居間に突如として現れたその人は、有り体に言えば騎士そのもの、だった。後ろで一つに括られた茶色の髪。背は少女より頭三個分は高いだろう。その高身長に甲冑をまとい、さらに上から緋色のマントを羽織っていた。

王国の正義。

王の忠臣。

そう呼ばれる騎士たちそのものだ。突如あらわれた勇者と目が合う。彼は鋭い眼光で、じろりと少女を見遣ると不審そうに言葉を発した。


「なんで、人間がここにいる?」


 まるで鷹みたいね。

 よくよく見ればカスケットをつけていない顔は、エキゾチックで端正だが、その険しい形相を前にはそんな感慨はふきとんでしまう。


「あなたこそ、どうやって入ってきたの、勇者さん?」


 少女が膝の上で手を組み、上半身をかしげるようにして伺う。


「ここは我々の王国のものだ。移転の術が組んであるに決まっているだろう」


 感じ悪いわね、少女は思う。


「…質問に応えろ。お前は、どうしてここにいる?」

「そんなにかっかしなさんな。わたしは魔王の客よ。どう、いっしょにお茶でも飲まない?」

「ふざけるな。アイツに客なんているわけがないだろう」


 吐き捨てるように言うと、勇者は少女に向けて、手招きでもするように、手前に手首をくい、と折り曲げる。


「ここに、魔王の配下はきたか?」

「さあ。来てないわよ。あの人に本当の配下なんているのかも、しらないし」


 もっとも、元、配下っぽい人は来たけど。

 まあ、少しなら教えてあげてもいいかしら、少女はだんだん考え始めた。なんだか、隠してもいいことはないんじゃないかって気がする。


「魔王はなにを企んでいる?」

「さあ。わからないわ、わたしには。魔王はなにかを考えているようで、なにも考えていないのかもしれない」


 まるっきり役にたたない回答をしているわね。

 少女はそう思ったのだが、魔王の方でもそう感じたらしくあからさまに顔を顰めている。


「役にたたないな」


 実際に言われてしまった。少女はなんだか申し訳なくなる。

 勇者は、長いため息をつくと尋ねた。


「お前はだれだ?」

「わたしは物語士よ。私たちはいつだって自由を求めているの。わたしに名前は、ないわ」


 歌うように応えた少女に、勇者はひとことで返した。


「自由民か」


 その言い方はどことなく見下したような言い方で。少女は悲しくなってしまった。


「わたしたちの事は、きらい?」

「…とくに興味はない。お前は本当に魔王の客人なのか?」

「うん、そうよ」

「ならば、魔王のところまで案内してもらおうか」


 この短時間の間に勇者のことを悪い人だと思えなくなっていた少女だったが、さすがにこれにはためらった。勇者がいい人でも、魔王になにかをしないとは限らないのだ。

 問うように見つめる勇者に、少女はどうしていいか戸惑い、結果、もじもじとワンピースのポケットの中に手を入れた。

 指先に、こつり、と冷たいものがあたる。

 その途端、少女の体にまるで電流が駆け巡るような衝撃が起きた。


「…あれ、わたし。なんで」


 明らかに何かがちがうのだが、明確になにとは応えられずに戸惑う。ふらふらと立ち上がった。その様子を見て、勇者が小さく舌打ちをする。

 その小さな音は、とても好意的に解釈出来たものではなかった。少女は何が起きたのかを悟り、木の扉があるところまで後ずさる。


「あなた、わたしに操りの魔法をかけたのね!」


 少女に魔法をかけて、口を割らせたのだ。

 最低、そんなニュアンスをこめて、精いっぱい勇者を睨みつける。


「魔王でさえそんな卑劣なことはしなかったわよ!」

「するだけの価値がないからだろう」


 きっぱりと言い切った勇者に、少女は言い返した。


「ちがうわ。そうじゃなくても、魔王はそんなことをしない」


 どうしてとは言えなくても、その確信が少女にはあった。

 魔王は、人の心を魔法でこじ開けたりしないし、無理矢理眠りにつかせることもない。


「絶対に、しない」


 勇者は自分を睨みつける少女を苦りきった視線で見つめると、言った。


「なにを勘違いしているのか知らないが、あいつは王国の敵だ。侵入者かとも思ったが、ここに住み着いてるならなおさらだ。殺人者だぞ」


 お前のことを心配してやったんだ、まるでそんな言い方だ。

 少女は顔をしかめたまま、勇者に問いかけた。

 それは、思わず口から零れでた疑問だった。


「あなたは、ちがうというの?」

 重い沈黙が訪れた。


「お前は俺が国でなんと呼ばれているのか知らないのか?」

「知っているわ。それが、どうかしたの?」


 勇者が国で英雄と敬われていることは、少女だって知っていた。でも、だからどうだというのだ。

 少女は黙りこくった勇者に首を傾げる。

 少女にだって、国のために働いた勇者に殺人者だなんて言ってはいけないと理解はしていたが、勇者は少女に充分にひどいことをした。

 だから、あやまらないわ。

 少女は口をひきむすぶ。


「……」

「………」

「…………」


 しかし、その沈黙があまりにも長いものになると、申し訳ないような気分になってくる。移り気なことだが、少女はやっぱり傷つけちゃったのかしら、とおちこんできた。


「そうだな」


 だから、低い声でそう言われた時は、思わず肩をすぼめた。

 勇者は険しい顔をゆっくりと苦笑いに変えていく。


「…お前は変わっているな。俺はたしかに殺人者だ。でも、それを面と向かって言うヤツはそういない」


 言葉を区切ると、顔を曇らせた。


「…だが、それでもな、俺と魔王は同じようでぜんぜんちがう」

「どういうこと?」

「そうだな」


 勇者は鎧でかすかな音をたてながら歩くと、傲慢にも魔王のいすに座った。椅子がそれしかないから仕方がないのかもしれないが、それにしたってあんまりな気もする。

 少女は唇をつきだした。


「その前に茶をいれてくれるか、お嬢さん」

「…」

「その服のポケットの中に入っているまじないがある限り、一度使った魔法は弾き返される。もう、魔法はかからないから、心配するな」

「…わかったわ。すこし、まってて」


 少女はすぐ後ろにある扉を開くと、茶葉をつむべく中庭に出た。

 扉がしまる音がした途端、胸が早鐘をうったように息苦しく感じた。

 感情の一族の一員たるわたしが、あんな術にひっかかるなんて…!

 気落ちしたまま、庭の一画に生えているハーブをむしる。いい香りが鼻腔をくすぐるが、少女の気は晴れない。

 ふと、ワンピースのポケットをまさぐった。

 果たして、出てきたのは。

 先ほど、魔王と遊んだ時に使ったオセロの碁だった。

 これがわたしを守ったの?

 陽にかざしてみる。

 なんの変化もない。ただの碁石だ。

 それでも、少女はなんだか安心した。そっと握りしめて、ポケットに戻す。

 ただ、あの勇者とは距離をとって座ろう、そう、決意したのだった。

 

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